ボーダー 二つの世界

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<公式>

ストーリー:ティーナはスウェーデンの港町に暮らす女性。国際フェリー港の検査官が仕事だ。若い頃から、他人と体質がちがい、容貌も魅力的とはいえない彼女は、森の中の家でひっそりと暮らす。でも検査官は彼女の天職だった。異常に嗅覚が鋭敏な彼女は、不正や悪意を秘めた人間の発する匂いが分かるのだ。ある日、1人の男に何かを感じた彼女は男を検査室に送る。それがヴォーレとの出会いだった......

前回につづいて、また北欧モノ。本作はスウェーデンの傑作ホラー『僕のエリ、200歳の少女』と同じ原作者の小説の映画化だ。日本でも英語圏でも『僕のエリ』をすごく引き合いに出している。僕は最初勘違いして、同じ監督の作品だと思っていた。原作が同じだけで、本作の監督はイランからの移民、アリ・アッバシだ。

『僕のエリ』は1980年代くらいの少しまだ貧しかった時代のスウェーデンを舞台にした、ホラーと、少年少女のロマンスめいた物語と、その土地の空気が濃密に混じりあった魅力的な1本だった。本作、僕の勘違いを差し引いても、けっこう共通するところがある作品だ。原作の物語世界がそうなんだろう。

で。ここから、公式や予告編より一歩ネタバレが入ります。それは物語の大事なモチーフについて。余計な情報を入れたくない方はここまで。そもそも興味を持った時点で、そんなあなたにとって本作は見る価値あります。

 

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『僕のエリ』と本作が似ているのは、ホラー味、ファンタジックな物語のなかで、ひんやりとしたスウェーデン社会の暗部を表現しているところ、そのために古い伝説の異人をモチーフとして持ち込んでいるところだ。あと、それにからんでもう一つある。『エリ』とおなじようにある意味映像的なクライマックスの一つだ。でもそこは書かないことにする。

『僕のエリ』では異人はヴァンパイアだった。ヒロインの少女はヴァンパイアの一族で、それが彼女のモンスター性でもあったし、異民族性でもあった。本作のそれは......トロールだ。北欧各国で信じられてきた、森に住むちょっと野蛮な一族だ。『アナと雪の女王』にも出てきたね。日本の天狗みたいに民芸品のネタにもなってるくらいおなじみのかれらを物語のモチーフにしている。

『僕のエリ』と同じように、トロールという人種が現実の社会にいるとしたらどうなるのか? どんなふうに生きていけばいいのか? という問いが物語に組み込まれている。もちろんそれはヴァンパイア以上に異民族のメタファーになるだろう。

森の住民であるトロールがモチーフだから、物語の舞台もスウェーデンの都市風景というより森の景色だ。針葉樹がそびえ、さらさらと湧き水が流れ、ちょっとした滝があり、樹木に囲まれた湖がある。いろんな動物がかっぽする。エルク、鹿、キツネ、それにもっと小さい虫たち。

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映画の作り手たちは、映画化にあたって、もう一つサスペンスの要素をつけくわえた。欧米でも根強くあるペドファイル犯罪と、それに対抗する警察の物語だ。ここで語られるのは日本の悪名高い「ロリコン」的世界よりもっとさかのぼった、ほんとの赤ちゃんが犠牲になるような嗜好に向けてうごめく人々だ。

 

本作の邦題、『ボーダー』ってどうなんだろう、と最初は思った。似たような作品名多いし、内容が想像できないし、後年になると絶対に埋もれてしまうタイトルだ。でも原題の『Gräns』が境界線とか辺縁みたいな意味で、英語タイトルも『Border』だから、忠実なタイトルの付け方だったのだ。たしかに物語には色んなボーダーが重なりあう。日本版予告編でもそんな画面を入れている。人種だけじゃなく、性別も、美醜も、社会階層も。

監督は主人公たちの造形のヒントをネアンデルタール人から得たそうだ。ティーナを演じた女優は、トレーニングと食事で体重を18kg増やし、毎日4時間の特殊メイクであの容貌になった。おかげで彼女は細かい表情を作れない。それがまた、観客の想像を掻き立てるようになっている。

主人公にどう見ても美しいとは言いにくいキャラクターを置いて、その2人が親密になる姿を観客にぶつける。「これをあなたは美しいと見るかい?それとも醜悪と思うかい?」......『ミルク』みたいなLGBTを描いた作品でも、意味はちがうけれど似た問いを突きつけていた。

ロケ地はバルト海に面したカペルシャーという港町。フィンランドに一番近く、両国を結ぶフェリーが着く町だ。ヘルシンキストックホルムを結ぶクルーズ船もその近くを通る。夕方に乗船して、ショッピングモールみたいな船内でひまをつぶし、生バンドが入るラウンジで一杯飲んで、船室で一晩過ごすと、朝に到着する、そんなクルーズだ。

■写真は予告編から引用

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ファイティング・ダディ 怒りの除雪車

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<予告編>

ストーリー:ニルス(ステラン・スカルスガルド)はノルウェイの山地で除雪が仕事。最近市民栄誉賞的なものも受賞し、よき市民としてよき父として生きてきた。ところが息子がある日凍死体で発見される。警察はドラッグ中毒だという。そんなはずはない。息子の友人の告白でドラッグを扱う組織が犯人だと知ったニルスは復讐に立つ。ところがそれが2つの闇組織の対立の引き金となり.....

ノルウェーの冬は寒い。行ったことないが、たぶん猛烈に寒い。特に内陸は1月になると最高でも-10℃程度。前にいったストックホルムヘルシンキはそこまで寒くなかった。海に近いし、そもそも暖冬だったのだ。だがここは違う。そんな寒さが風景を満たしたアクションムービーだ。

雪の山地、地域を知りつくした男の戦い。『ウインド・リバー』を思い出す。本作も冬が舞台。なんといっても怒りの除雪車だからね。夏だと出番がない。主人公は豊富な武器を持ち、息子を殺した組織に復讐していく。スカルスガルド、スウェーデンの名優で、どっしりとした「北方の伯父」的存在感だ。当ブログだと『奇跡の海』『ニンフォマニアック』の助演、どっちもエキセントリックなヒロインを受け止める役だ。対立する組織の老ボス役はブルーノ・ガンツ。ドイツの俳優で僕はベンダースの作品で覚えた。

ともかく、ヒーローのスカルスガルド、体は大きいけれど、アクションスタータイプじゃない。ダディとはいえそこそこの老人感もある。しかし本作での彼は驚異的な強さを見せ、暴力のプロのはずの組織のメンバーを圧倒している。ここが味わいなんだけど、同時に「?」となるとこでもあるのだ。彼は異邦人で、兄貴は闇組織にいたらしく、何かいわくありげではある。でも「元特殊部隊」的なアレはないし、近年は実直な除雪作業員だったはずなのだ。

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あじつは本作、あまり真面目にそのあたりを突っ込む映画じゃない。メンバーを殺された地元ノルウェーの組織が間違って対立組織のメンバーを殺したところから、セルビア系マフィアとの対立が始まるのだ。一気に殺人のテンポがよくなり、リズミカルに次の殺人、そのつぎの殺人、と畳み掛けるようになる。すべては大して重々しく扱われない。だれかが死ぬとそのたびに神妙な感じで名前と所属組織のマークが出るのだが、どう見ても若干笑い含みのトーンなのだ。

ごつい男たちが寒々しい風景のなか、どこかこっけいに振る舞う、このおかしみは、同じ北欧だからというんじゃないけれど、アキ・カウリスマキをちょっと感じさせる。だとかユーゴのエミール・クストリッツァ(『アンダーグラウンド』とかね)も少し通じる。そんなトーンのギャング映画だと思って欲しい。舞台が雪山と整然とした北欧都市、クールやナチュラルな北欧インテリアなので、犯罪映画なのに独特の清潔感とあいまって不思議だ。

ロケ地は、山間部はBeitostølenという町だそうだ。都市部はオスロ。じっさいの距離は200km以上ある。そこそこの距離だ。山地から都市にはいるところで、印象的な風景が何度か写る。雪の平原から一直線に道路がつながって、向こうの方にモダンな高層ビルが並んでるのだ。こんな風景、ほんとにあるの?

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…じつはこれはCG。モダンな都市景観はオスロの海に面したBjørvika地区あたりだと思う。つまり海からの風景なのだ。東京だってそうでしょう。海側にはけっこうぎりぎりまで都心部が迫ってる。でも山側は郊外になる。基本はそういうものだ。オスロも航空写真で見るかぎりやっぱり同じに見える。本作では、なんだろう、超現実感を出したくて、あえて(ノルウェイ人にはすぐ分かりそうだけど)架空の風景を作ったんだろうか。

ちなみに、本作は同じ監督がアメリカでリメイクした。主演はリーアム・ニーソン。未見だけど予告編を見ると、若干違った味わいがありそうな気もしないでもない。

■写真は予告編からの引用

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ボーダーライン/ボーダーライン ソルジャーズデイ

■ボーダーライン

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<予告編>

ストーリー:麻薬取り締まりの最前線で働くFBI捜査官ケイト(エミリー・ブラント)はある組織にスカウトされる。カルテル壊滅のために特別編成された国防省・CIAのチームだった。現場の指揮はマット(ジョシュ・ブローリン)が取る。もう1人、なぞめいたメキシコ系の男、アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)がいた。任務に参加したケイトだったがこのチームは通常の法執行機関じゃなかった.....

 メキシコ麻薬カルテル、今のアメリカでギャングものの一大源泉としてなくてはならない存在だ。ちょっとしたミリティアなみの武装を持ち、政府と文字通りの「戦争」といえる抗争を続ける力がある。当ブログだけでも『トラフィック』『悪の法則』『ノーカントリー』ドキュメンタリー『皆殺しのバラッド』....他にも無数にあるはずだ。本作もまずはこの世界。だけど少し毛色が違うのは、この手の映画でありがちな、計り知れない悪の力としてメキシコ麻薬カルテルを描くわけじゃない。

本シリーズにはもっと恐ろしい無法者集団がいる。ほかでもない、アメリカチームだ。ギャングたちに対して、もはや国家として良識的に対抗することをやめて、彼らよりも悪辣になることで打ち勝とうとする国家組織。特殊部隊が参加する、彼らの武力はカルテルをはるかに上回る。

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本作の新鮮さは、良識的に麻薬に対抗してきたFBI捜査官ケイトにとって、本当の恐怖の対象が敵じゃなく、配属先の組織だというところだ。チームを指揮するマックと、メキシコ人アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)はまともな主人公(観客が感情移入する側だ)の視線からは理解できない異物でありつづける。デル・トロは元の脚本にあった自分語りをほとんどなくそうと監督に提案して、よりそういうキャラクターになった。

タフでありつつ倫理的であろうとするケイトは、あるところであきらめる。そこには悪の組織の底の見えない力で絶望させた『悪の法則』とはちがったタイプの絶望感がある。勝者は善の側じゃなく単に武力にまさる側なのだ。でも本作はピカレスクロマンじゃない。マットも悪行を楽しむタイプじゃない。作戦にしたがって、圧倒的な武力と装備で、淡々と任務を遂行する。

わかりやすく、1990年以降のアメリカだよね。ただし、アレハンドロは自国が踏みつけられる側だ。立場が違う。彼には後半、おおきなエモーションが用意される。

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監督はドゥニ・ヴィルヌーブ、当ブログでは『メッセージ』『ブレードランナー2049』、どちらかというと温度が低く象徴主義的な画面が印象にのこる。撮影はベテランのロジャー・ディーキンスコーエン兄弟のほとんどの作品、『スカイフォール』も彼だ。もちろん『ノーカントリー』も。

この2人のせいか、不思議な突き放した、グラフィカルでどこかクールな絵づくりがすごく印象的な画面になっていた。『ノーカントリー』は、喧噪のメキシコ市街地を描いても風景写真家の作品みたいな奇妙に品がいい画面だった。本作も美しい。暴力シーンはもちろん荒々しく力強いけれど、汗臭くは撮らない。

上空からの空撮が印象的だ。社会派めいた映画で空撮を入れると、どこか報道の撮り方風だったり、ドラマチックに回り込んで近づいたりしがちだけれど、本作はもっと距離感があって.....なんというか、今の観客が大抵の場所をマップと航空写真でまず知ってしまう、そんな感覚にも近づけている気がする。

 

 

■ボーダーライン ソルジャーズ・デイ

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<公式>

ストーリー:イスラミックな自爆テロアメリカ国内で起こり、ゲリラの入国ルートがメキシコ経由だと疑った政府は、この際カルテル壊滅作戦に乗り出す。対立する組織のメンバーを暗殺し、ボスの娘イザベラを誘拐し、抗争を起こさせるのだ。現場の責任者はマット、もちろんアレハンドロも参加する。途中まで上手くいっていた作戦は、メキシコ警察の襲撃で狂いだし....

 

シリーズ2作目、脚本家シドニーシェリダン(『ウィンド・リバー』監督・脚本)は継続、だけど監督と撮影監督は変わった。監督はイタリア人、撮影監督は『悪の法則』を撮っているひとだ。メキシコカルテルものというところでは多少つながりがあるね。連続して見た訳じゃないが、画面の印象はそれなりに繋がっている気がする。上空から見下ろす、アメリカ側の黒い・禍々しい車列。乾き切って荒涼としたメキシコの風景の遠望。

ストーリー的には途中からトーンが変わる。底知れなかったマックとアレハンドロは前作の「異物として見られる側」じゃなくなり、通常の登場人物に近づく。『ノーカントリー』のシュガーが人になったみたいなものかもしれない。本シリーズはトリロジーだから、次作はいよいよ人間くさくなり、倫理観との葛藤だかがはさまって、「それでもオレたちは....」的にふたたび立上がったりするのか。

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作品的には前作のほうが好み。本作は少しプロット自体がごちゃついている気がしてしまう。そもそも、イスラムテロ組織の被害があったから、メキシコ麻薬カルテルを壊滅させよう、って話が飛び過ぎじゃないの? 密入国ルートを封じるため、っていうことになっているけど、そういうもの?.....なんか、麻薬カルテルを叩く理由づけを無理矢理でかい(おなじみの)ネタと結びつけている感がぬぐえない。まあ、お話的にはそれも折り込み済みで進む訳だけど。

あと、誘拐された娘イザベラが若いヒロインでありつつ、作戦のなかのお宝的存在になり、イザベラをあっちに移したりこっちで見つけたり、そっちに連れて行ったり、がお話の推進力になるんだけど、そこも国境のあっちとこっちを何度も往復して、いまひとつ方向性が失われている。たとえばだけど、分かりやすいストーリーだったら、メキシコのある地点から色んな事情や思惑が飛び交うなか、娘を連れて一歩一歩アメリカ国境まで近づいていく....的なのもあるわけだ。

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だけど、たぶん簡単に国境の両側を行ったり来たりするのが、リアルな感覚に近いんだろう。そのぐらい繋がっているのだ。だからその人の流れを止めるためのコストが膨大になるんだろう。

ジョシュ・ブローリンはうすうす思っていた以上に、あらためて見ると顔がでかく、それなりの体の大きさのはずなのに頭身はやや小さめだ。ヒーローとしてはベニチオ・デル・トロがよけいに立上がる話になった。それにしても、これも前からうすうす思っているが、アメリカ映画は、どんどん中高年をアクションヒーロー化していやしないか。40代あたりが中心層で、50代もぜんぜん大暴れさせられる。なぜだろう。若手アクションスターが枯渇してるのか? 

■画像はそれぞれ予告編からの引用

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フロリダ・プロジェクト & ギフテッド

配信で見てた映画のまとめレビュー。フロリダもの2本。

 

フロリダ・プロジェクト

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<予告編>

ストーリー:ディズニーワールド近くのモーテルで暮らすシングルマザーと小さな娘、ムーニー。同じモーテル住まいの少年や、知り合った同年代の少女たちとモーテルやファストフードや意外なくらい近くに広がる自然や、放棄された住宅や、色んなところでいたずらしながら楽しんで暮らす。でもモーテルはそもそも家が借りられない層が仕方なく住む、割高な住まいだ。唯一の救いはかれらの事情を知り、そっと支える管理人(ウィレム・デフォー)… 

アメリカ貧困もの。北の貧困ものが『フローズンリバー』山間部の貧困ものが『ウィンターズ・ボーン』だとすれば南の貧困ものだ。他の2作と較べると絵面がそんなに悲惨じゃない。風景はカラフルでポップだし、周囲にはゆるみきった観光客がいるし、外はあたたかだ。子供たちも別にお腹を減らしていない。その子供たちの描き方も、すごく楽しそうな彼らのうごきを低い視線でナチュラルな雰囲気で撮る。前半はとくに「悪ガキもの」的な(リーダーはムーニーだ)楽しさもある。

けれど、いうまでもなくお母さんと娘にはまったく見通しがない。観光客相手に安い化粧品なんかを売る商売もうまくいかず、けっきょくお母さんは世界中どこでも貧困とセットになってしまう仕事を始めてしまっている....らしい。というのをストレートには描かずに、子供の不確かな視線でとらえた断片を観客に知らせる。

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不思議な感触の映画で、希望はないんだけど、奇妙に楽天的なパラダイスめいた空気感もある。そのおおきな要素が管理人だ。デフォーはいかつい顔で、きびしい言葉を親子にあびせながら、それでも無限の....といいたいところだけど、有限の、かれの権限でできる善意でささえる。その有限性もまた物語のせつなさをかきたてる。

 うまく社会に適合できず、それでも娘を愛しているお母さん役は、女優じゃなくデザイナーだそう。子供たちの芝居はものすごく自然だけど、ちゃんと脚本あって芝居しているそうだ。

 

■ギフテッド

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<公式>

ストーリー: ギフテッドとは天才性のある子供たちを指す。主人公の少女はフロリダのぱっとしない家に叔父と暮らす。学校が苦手で、その理由は彼女がギフテッド、数学の天才だからだ。叔父のフランク(クリス・エヴァンス)ももと学者だった。おなじ数学者の姉が亡くなり、その娘を引き取って、今はヨットの管理なんかをしている。

そこへ、またまた数学者のフランクの母がやってくる。天才である孫を引き取って、才能にふさわしい英才教育を受けさせたいのだ。彼女なら自分もなしえなかった業績をあげられる....

なんでしょうね、あんまり印象に残らなかったな。フランクがマッチョイケメン過ぎて、ドロップアウトした学者に見えないのも一因かもしれない。娘の担任の若手教師と速攻でできてしまう、というのもなんだし。お話は親権争いモノ、実の親子じゃない人たちの絆、的な方向へと向かう。近所の親切なおばさんとしてオクタヴィア・スペンサーが出てくる。彼女のありかたは『シェイプオブウォーター』でのゼルダ役とそっくりだ。

ある分野に天才性を持っている子供は、他の部分の発達はどうなっているんだろう。本作の少女は、数学理論では大人を完全に凌駕しているいっぽう、人間的にもしっかりもので、意外にバランスが取れている。子役は(ちょっと変わった風貌に見えたが)美少女枠だし、観客からすれば「わけありで苦労する、しっかりもので健気な娘」なので感情移入は簡単だ。ただ、その辺がちょっとつごうがいいキャラクターにも見えてしまったです。

 

■写真は予告編からの引用

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JOKER

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<公式>

ストーリー:アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)はクラウン(道化)。会社から派遣されて店の宣伝や病院の慰問に行く。もちろんたいした稼ぎじゃない。結婚なんて望むべくもなく、体の弱った母親と2人暮らし。彼はスタンダップ・コメディアンに憧れていた。人気ホスト、マレー(ロバート・デ・ニーロ)のTVショウがお気に入りだ。だんだんとどん底に近づいていく人生のなかで、1つだけ光が見え始めていた。コメディアンとしてデビューできる....?

大ヒット中。いま日本公開4週目だけど興行収入連続1位キープ中で、国内トータル35億円を突破、世界では9億ドルを超えている。ぼくが見に行ったのは10月なかばの横浜だった。客席はもちろんほぼ満員。この感じも久しぶりだ。ヒット作らしく客層も若い方に広がっている。当たる要素、そんなにある? MCU的なアメコミヒーローは影も形もないし、主演はくせものホアキン、他に客を呼べる役者はいないし、映画の見た目も、過去のフィルム調で渋く、派手なきらきらした要素はいっさいない。

本作、いろいろ言われている。リッチマン重視の政策から見放され転落していく中流市民の姿そのもの(アメリカでも日本でも!)、Incel(Involuntary Celibacy ≒ 非モテ)を正面から描いた映画だ、いやこいつら白人男性だからまだマシで黒人だったら今ごろ収監か殺されてる......。もう少しバットマン自体が好きな人だとこうなる。ジョーカーがこんな訳ありのいい人? なに話を真に受けてるんだよ、わかってないな、メタ構造に決まってるじゃないか、ラストシーンを見ろよ.....

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表面上のメインストーリーは分かりやすい悲劇なわけだ。脳に機能障害があって普通に働けない気の毒な男。周囲の世界すべてが彼を虐げ、搾取しようとしてるみたいだ。いろんな行き違いや悪意で、かれの居場所はいよいよなくなっていく。そして最愛の母も…気が付くと騒然とした街のアンチヒーロー、「純粋な悪」ことジョーカーが誕生していた。

同時に本作は「どこまでが映画の中でのほんとうなの?」式映画でもあって、映画内でも①事実 ②アーサーの明白な白日夢 ③アーサーの願望からきた妄想、またはアーサーの願望の映像化.....少なくとも3つのレベルがあり、シームレスに入れ替わるから、客からすると今見たシーンがどのレベルの「現実」なのか分からないときがある。だからこそトリックスターのジョーカーだけに『ユージュアル サスペクツ』風のどんでん返しを重ねあわせたり、『ライフオブパイ』『KUBO』みたいに、全体がナラティブそのものについてのメタな要素を持ってるように見たり、ストレートに受け止めるなよ、という作品ではある。

ただし、物語の構造と関係なく、観客が見ている「これ」を圧倒的に真実だと確信させるものがある。それがホアキン・フェニックスのどうとも表現しがたい存在具合だ。沈鬱で、時に苦しそうに笑い、時にぎらりと目を光らせ、抑圧されているようで解放そのものみたいな流れるようなダンスを舞い、そしてついにあのジョーカーのメイクをし.....

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本作のジョーカーは原作のジョーカーでよく言われる「化学薬品のタンクに落ちて、肌の色が抜け、髪が緑になり、口の両側が裂けた」みたいなエピソードはない。予告編にもあるように自分でゆっくりとメイクして、アーサーはジョーカーになるのだ。

それにしてもホアキン。『ビューティフルデイ』と同じように本作はほとんど最初から最後まで主人公を追う。ホアキンは『ビューティフル』の異様な体の厚みから、今度は信じられないくらい肉を落として主人公を演じる。肉を落としても奇妙な骨格はそのままだ。『ザ・マスター』『インヒアレントヴァイス』『Her』、色々と化ける彼だけどえも言われないオーラは隠せない。なんていうんだろう、禍々しさだろうか。

ジョーカーファンが言うみたいにこの物語全体がジョーカーのそれこそジョークという作りなのかもしれない。少なくとも物語の「現実」はすこしも盤石じゃない。それでも、一部のどんでん返し映画みたいに、ラストでそこまで言っていたことが書割りみたいに無効化するか、というとそういうタイプの映画じゃない気がする。途中まで語られていた救いのない男の物語はどうであろうと有効なのだ。

本作のメインのお話はJOKERじゃなくても成り立つ。だけど映画としてはJOKERである必要があるのだ。

 ■画像は予告編からの引用

 

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