オッペンハイマー  〜個人の記憶・国家の記憶

 

<公式>

ストーリー:1942年の秋、物理学者ロバート・オッペンハイマーキリアン・マーフィー)は米軍の極秘プロジェクト「マンハッタン計画」のリーダーに任命される。ドイツ軍に先んじて世界初の原子爆弾を製造するのだ。無人の荒野ロスアラモスに建設された研究所とスタッフだけの町で研究は進む....そして戦後。英雄となっていたオッペンハイマーを追い落とす動きが始まっていた....

前のエントリーで書いた『デューンPart2』とビジュアルの色調がよく似ている。夕日を思わせる重いオレンジ色が背景だ。でも色の意味はぜんぜん違う。『デューン』は惑星の空や風景の色。『オッペンハイマー』は・・・上の予告編のサムネールだとやっぱり夕日だ。でも本国版のそれは炎と噴煙なのだ。もちろん原子爆弾の。2023年夏のSNS騒動で日本公開が無期延期になって半年、ミニシアター系作品中心の配給会社によってやっと実現した公開だ。日本側は予告編も徹底的に抑えめにしているし、公式サイトにも本編前のスクリーンでも「ご注意」(爆発シーンがあるよ)として観客に念を押している。

ただし、未見の方に最低限いうと、日本版予告編がだいじなところを見せずに違うトーンにしているかというと(たまに本編見ると全然違う映画だったことありますよね...)それはない。僕の印象だと、原子爆弾という世界初のハイテクノロジー兵器開発のサクセスストーリーでもありつつ、できるだけ慎重に、バランスを取りながらその功罪を伝えようとしている。それと日米予告編ともほとんど触れていないけれど、「その後」のストーリーが実はウエイトが非常に大きく、映画のトーンとしても「その後」の部分に規定されている感じがある。アカデミー助演男優賞受賞のロバート・ダウニーJrはそちらのパートのいわば主人公だ。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BMWE4OTM1ZjItYzc5Ni00MDFhLWFiZWEtOWM1ODlkZjQyNzM0XkEyXkFqcGdeQWthc2hpa2F4._V1_QL75_UY281_CR0,0,500,281_.jpg

(c)2023 Universal Pictures via imdb

あちこちで「この映画は予習してないと楽しめない」と言われている。物語の情報量が圧倒的に多くて、よく知られた歴史的実話だからアレンジして単純化するわけにも行かない。大量に現れる登場人物も省略したりまとめたりできないし、科学者や政府関係者だからアインシュタイン以外、あまり特徴的な外見にして分かりやすくもできない。事前に公式サイトの登場人物を見ておくのも悪くないと思うくらいだ。

しかもノーランらしく時系列をシャッフルして、オッペンハイマーの人生終盤の出来事と若い頃からのキャリアをカットバックで見せていくから、シーンごとの時代も初見では絶対に分からない。僕もある程度分かっているつもりだったけれど、よく似ている2つのシーンが実は5年も間が空いていたのは見終わってから知ったのだ。主な出来事の年表くらいは知っておくほうが入ってきやすい(本作はネタバレ厳禁系物語じゃないし)。

フィンチャーの『ソーシャルネットワーク』やスコセッシの『アイリッシュマン』みたいに、主人公のいまの(あまり素敵じゃない)姿を見せながら、過去を回想する形で語っていく形式は単純な時系列より物語に陰影がつく。それに本作だと「人類を破滅させる兵器を生み出してしまった科学者の罪の意識」が本筋だから、キャリアを総括する位置にいる主人公が振り返る形にして、科学者の葛藤、「国家」というもののひんやりした手触りを見せるほうが印象が強い。

じっさいその辺りは何度も念を押すみたいに丁寧に描写して、予備知識がなくても理解できるようにしている。全体のトーンは、ネタバレにならないように抽象的にいうと、オッペンハイマーや科学者たちが背負ってしまう罪を描きながら、その取り扱う対象(原子爆弾)以上には彼らを断罪しないように、どちらかといえば「冷酷に巻き込んで利用する国家の意思」を分かりやすい敵側に設定している気がする。

https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BZGE1ZDkwNmEtODgzMC00OTgwLWEzMDMtYjRjOGJhNzlmMTFmXkEyXkFqcGdeQVRoaXJkUGFydHlJbmdlc3Rpb25Xb3JrZmxvdw@@._V1_QL75_UX500_CR0,0,500,281_.jpg

(c)2023 Universal Pictures via imdb

本作、原子爆弾を開発するまでのパートはポジティブな雰囲気だ。トップにいるオッペンハイマーも当時30代後半、若い超優秀な科学者・技術者が人類初のハイテク技術開発に向けて集まっているのだ。プロジェクトを管理する米軍側がマット・デイモン。変わり者の天才と無骨で推進力があるマネージメントの組み合わせ、『フォードvsフェラーリ』を思い出した。

ああ、なるほどね、と思うところもある。アメリカにとって核兵器はまず第一にテクノロジーの勝利の歴史なんだろう。そして国の安全保障の柱として見られる存在だ。「だけどそれがもたらす恐怖を私たちは忘れてはいけない」というスタンスが作り手が見せたい「良心」だ。一般の日本人にとって核兵器は何よりも国家的な災厄の記憶、国家的なトラウマだ。その感覚が若い世代にとってどのくらい引き継がれているのかまでは僕にはわからない。それでも2024年の今でもこれだけ配慮が必要になるものではあるのだ。

科学と技術に忠誠を誓う才能ある若者が兵器を作る。それをファンタジックに、戯画的に描いた『風立ちぬ』のことも思い出していた。2つの映画のトーンの違い。作り手の違いでもあるし国家の記憶の違いでもあるだろう。