ボーダーライン/ボーダーライン ソルジャーズデイ

■ボーダーライン

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<予告編>

ストーリー:麻薬取り締まりの最前線で働くFBI捜査官ケイト(エミリー・ブラント)はある組織にスカウトされる。カルテル壊滅のために特別編成された国防省・CIAのチームだった。現場の指揮はマット(ジョシュ・ブローリン)が取る。もう1人、なぞめいたメキシコ系の男、アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)がいた。任務に参加したケイトだったがこのチームは通常の法執行機関じゃなかった.....

 メキシコ麻薬カルテル、今のアメリカでギャングものの一大源泉としてなくてはならない存在だ。ちょっとしたミリティアなみの武装を持ち、政府と文字通りの「戦争」といえる抗争を続ける力がある。当ブログだけでも『トラフィック』『悪の法則』『ノーカントリー』ドキュメンタリー『皆殺しのバラッド』....他にも無数にあるはずだ。本作もまずはこの世界。だけど少し毛色が違うのは、この手の映画でありがちな、計り知れない悪の力としてメキシコ麻薬カルテルを描くわけじゃない。

本シリーズにはもっと恐ろしい無法者集団がいる。ほかでもない、アメリカチームだ。ギャングたちに対して、もはや国家として良識的に対抗することをやめて、彼らよりも悪辣になることで打ち勝とうとする国家組織。特殊部隊が参加する、彼らの武力はカルテルをはるかに上回る。

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本作の新鮮さは、良識的に麻薬に対抗してきたFBI捜査官ケイトにとって、本当の恐怖の対象が敵じゃなく、配属先の組織だというところだ。チームを指揮するマックと、メキシコ人アレハンドロ(ベニチオ・デル・トロ)はまともな主人公(観客が感情移入する側だ)の視線からは理解できない異物でありつづける。デル・トロは元の脚本にあった自分語りをほとんどなくそうと監督に提案して、よりそういうキャラクターになった。

タフでありつつ倫理的であろうとするケイトは、あるところであきらめる。そこには悪の組織の底の見えない力で絶望させた『悪の法則』とはちがったタイプの絶望感がある。勝者は善の側じゃなく単に武力にまさる側なのだ。でも本作はピカレスクロマンじゃない。マットも悪行を楽しむタイプじゃない。作戦にしたがって、圧倒的な武力と装備で、淡々と任務を遂行する。

わかりやすく、1990年以降のアメリカだよね。ただし、アレハンドロは自国が踏みつけられる側だ。立場が違う。彼には後半、おおきなエモーションが用意される。

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監督はドゥニ・ヴィルヌーブ、当ブログでは『メッセージ』『ブレードランナー2049』、どちらかというと温度が低く象徴主義的な画面が印象にのこる。撮影はベテランのロジャー・ディーキンスコーエン兄弟のほとんどの作品、『スカイフォール』も彼だ。もちろん『ノーカントリー』も。

この2人のせいか、不思議な突き放した、グラフィカルでどこかクールな絵づくりがすごく印象的な画面になっていた。『ノーカントリー』は、喧噪のメキシコ市街地を描いても風景写真家の作品みたいな奇妙に品がいい画面だった。本作も美しい。暴力シーンはもちろん荒々しく力強いけれど、汗臭くは撮らない。

上空からの空撮が印象的だ。社会派めいた映画で空撮を入れると、どこか報道の撮り方風だったり、ドラマチックに回り込んで近づいたりしがちだけれど、本作はもっと距離感があって.....なんというか、今の観客が大抵の場所をマップと航空写真でまず知ってしまう、そんな感覚にも近づけている気がする。

 

 

■ボーダーライン ソルジャーズ・デイ

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<公式>

ストーリー:イスラミックな自爆テロアメリカ国内で起こり、ゲリラの入国ルートがメキシコ経由だと疑った政府は、この際カルテル壊滅作戦に乗り出す。対立する組織のメンバーを暗殺し、ボスの娘イザベラを誘拐し、抗争を起こさせるのだ。現場の責任者はマット、もちろんアレハンドロも参加する。途中まで上手くいっていた作戦は、メキシコ警察の襲撃で狂いだし....

 

シリーズ2作目、脚本家シドニーシェリダン(『ウィンド・リバー』監督・脚本)は継続、だけど監督と撮影監督は変わった。監督はイタリア人、撮影監督は『悪の法則』を撮っているひとだ。メキシコカルテルものというところでは多少つながりがあるね。連続して見た訳じゃないが、画面の印象はそれなりに繋がっている気がする。上空から見下ろす、アメリカ側の黒い・禍々しい車列。乾き切って荒涼としたメキシコの風景の遠望。

ストーリー的には途中からトーンが変わる。底知れなかったマックとアレハンドロは前作の「異物として見られる側」じゃなくなり、通常の登場人物に近づく。『ノーカントリー』のシュガーが人になったみたいなものかもしれない。本シリーズはトリロジーだから、次作はいよいよ人間くさくなり、倫理観との葛藤だかがはさまって、「それでもオレたちは....」的にふたたび立上がったりするのか。

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作品的には前作のほうが好み。本作は少しプロット自体がごちゃついている気がしてしまう。そもそも、イスラムテロ組織の被害があったから、メキシコ麻薬カルテルを壊滅させよう、って話が飛び過ぎじゃないの? 密入国ルートを封じるため、っていうことになっているけど、そういうもの?.....なんか、麻薬カルテルを叩く理由づけを無理矢理でかい(おなじみの)ネタと結びつけている感がぬぐえない。まあ、お話的にはそれも折り込み済みで進む訳だけど。

あと、誘拐された娘イザベラが若いヒロインでありつつ、作戦のなかのお宝的存在になり、イザベラをあっちに移したりこっちで見つけたり、そっちに連れて行ったり、がお話の推進力になるんだけど、そこも国境のあっちとこっちを何度も往復して、いまひとつ方向性が失われている。たとえばだけど、分かりやすいストーリーだったら、メキシコのある地点から色んな事情や思惑が飛び交うなか、娘を連れて一歩一歩アメリカ国境まで近づいていく....的なのもあるわけだ。

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だけど、たぶん簡単に国境の両側を行ったり来たりするのが、リアルな感覚に近いんだろう。そのぐらい繋がっているのだ。だからその人の流れを止めるためのコストが膨大になるんだろう。

ジョシュ・ブローリンはうすうす思っていた以上に、あらためて見ると顔がでかく、それなりの体の大きさのはずなのに頭身はやや小さめだ。ヒーローとしてはベニチオ・デル・トロがよけいに立上がる話になった。それにしても、これも前からうすうす思っているが、アメリカ映画は、どんどん中高年をアクションヒーロー化していやしないか。40代あたりが中心層で、50代もぜんぜん大暴れさせられる。なぜだろう。若手アクションスターが枯渇してるのか? 

■画像はそれぞれ予告編からの引用

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