ミルク 

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1970年代に死んだアメリカの政治家、ハーヴェイ・ミルクの最後の数年を伝記化した映画。1984年制作のドキュメンタリーフィルムを下敷きにしたドラマだ。ミルクという人、知らなかった。サンフランシスコの市政執行委員(Superviser)という、いわば市会議員クラスの人物だから、政治家として世界的な業績をあげたわけじゃない。しかしアメリカやイギリスではちょっとした偉人なのだった。理由はマーチン・ルーサー・キングと似て、マイノリティの解放のシンボルだからだ。それは同時にアメリカ民主主義の最良の精神の体現者ということになるからだ。彼はゲイをカミングアウトして有力な政治職についた最初期の人で、その人権保護を活動のメインに置いた。

映画は、NYで勤め人をしていたミルクが一人の若者をナンパするところから始まる。ふたりはサンフランシスコに移住し、やがてゲイコミュニティの中心となり、彼は住民自治から政治家への何度かの挑戦を経て市政執行委員に当選、自分から法案を提出したり、ゲイの人権を抑圧する州法案の反対運動に動いたり、政治家として順調にスタートする。しかしそのキャリアはたった1年で終わる。同じ市政執行委員を辞職した元同僚に射殺されるのだ。
映画ではミルクをはじめ、実在の人物たちを、いわゆるそっくりさんメイクで再現する。主演のショーン・ペン、彼を射殺する同僚役のジョシュ・ブローリン、ミルクの恋人役ジェームス・ブランコ、有能なアシスタント役のエミール・ハーシュ、最後の恋人役ディエゴ・ルナなど、それなりの作品で主役・準主役級の俳優が70年代風のぴったりジーンズとボリューム感のある髪型で出てくる。
映画の性質からして、ショーン・ペンが相当力を入れてミルクになりきっただろうことは想像できる。 『フロスト・ニクソン』(R.ニクソン)や『W』(G.W.ブッシュ)『インビクタス』(N.マンデラ)など最近も実在政治家の再現映画があるが、演出も演技も難しいと思う。観客が話し方や雰囲気を映像で見ているだけに、違いすぎると演技がうまくても評価されにくいし、モノマネと成り切り演技の境界を踏み越えるとコントになるし。日本人が本物をよく知っているものでは『太陽』(昭和天皇)のイッセー尾形があった。あれも特徴を誇張しているのかいないのか、けっこうぎりぎりの役作りだった気がする。ショーン・ペン=ミルクは、顔は結構違うが、柔らかさ、軽さを失わずにだんだんとカリスマと力強さ、政治家としての老獪さの気配が付け加わる変化には実在感がある。
で、結論をいうと、この映画、これ以上ないくらいポリティカリー・コレクトな映画で、「制作され、公開されたことに意義がある」タイプの作品だろうと思う。監督ガス・ヴァン・サントにとっても「撮るべき」映画だったんだろう。今でもハリウッドメジャーで、ゲイを正面からテーマとして取り上げた作品はほとんどないという。最近では『ブロークバック・マウンテン』くらいだ(どちらも同じフォーカス・フィーチャーズ製作)。アカデミーは『ミルク』も『ブロークバック』にも複数部門授賞でこたえている。このテーマ、正面から取り組むのが必ずしもタブーなわけじゃないだろう。国内で興収が見込めないというのも多分ある。同性婚禁止などの道徳的保守スローガンで国政選挙に勝てるという実情があるマーケットなのだ。ブロークバックはその辺り、映画的な魅力を持たせる舞台設定や脚本が見事だったと思う。『ミルク』も悪いとはいわない。でも僕にとっては映画的魅力より「意義」の方が前に出ている。ミルクの人物像にしても、生身の人間として描くために十分すぎるくらいに恋のシーンを挟み込んでいるが、全体的に少しきれいにまとめてしまっているように見える。
とはいえ恋のシーンについては、観客を試すように男たちのキスや抱擁シーンを正面から撮る。『ブロークバック』みたいに音楽や照明で美しく見せるんじゃなく、まさに街で見かけてしまったようにだ。まるで「おまえら良識派っぽく見に来てるけどこれに嫌悪感を感じるんじゃないのか?でも、この国の民主主義を支持するってことは、これも受け入れることだろう?」といいたいようだ。正直にいうと見ていて戸惑もあった。これはセクシャルな問題だけじゃない、差別問題には刷り込まれた「理性的判断以前の感覚」が常につきまとうものだ。全体には綺麗に撮っているし(『エレファント』と同じハリス・サヴィディス)音楽も効果的で(名匠ダニー・エルフマン!)見やすい映画だ。でもそういうふうにも感じた。

映画のラストは役のモデルになった本人の写真と俳優の写真を並べて、彼らが30年後どうなっているか紹介する。『アメリカン・グラフィティ』のラストと似ている。生きて活躍している人も死んでしまった人もいる。30年は今と地続きでもあるし、すでに歴史でもある。