ビューティフル・デイ



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ストーリー:ジョー(ホアキン・フェニックス)はNYに住む湾岸戦争の帰還兵。行方不明の少女をレスキューする裏稼業で暮らしている。さらわれて性産業で働かされている現場からだ。銃は使わないが暴力にはためらいがない。今度のクライアントは議員。13歳の娘の救出だ。いつもの手際で助け出した娘をホテルに連れて行く。ところがそこに来たのは銃を持った男たちだった.....

少女を性産業から「救出」する傷ついた男。思い出しますよね『タクシードライバー』。孤独な殺し屋と少女....そう『レオン』。たぶん無数の名もなきエピゴーネンを合わせると一つの定型といっていいくらい似た物語があるんじゃないか。日本よりはるかにペドに厳しいアメリカでもこの型は生きてる。本作は一見この定型を取り、女性監督リン・ラムジーは少女をきちんと美しい女性として撮る。そこに今の感覚にチューンした『ゴーン・ガール』のテイストが加わっている。
主人公は幼少期のDVと湾岸戦争によるPTSDに苦しむ孤独な男。老いた母親と同居していて、観客のかれへの「あ、いいとこもあるんだ」という共感はほとんど母親とのふれあいシーンで醸成される。かれのなかにある優しさがそこでわかりやすく表現されるのだ。
母親はDVの被害者だった。父親は荒れると金槌を持ち出して暴れた。いま彼が武器に使うのも金槌なのだ。すごく表面的になぞると、かれはDVで虐げられる母親と、戦時に見せつけられた犠牲になる子供達の記憶から、「まだ子どもの女性」を搾取する男たちに容赦なく復讐するスタンスを身につけた。だけど暴力の体現者である父親からもまた罪を受け継いでしまった。

そんな物語なんだけど、クライムストーリーとして見るとなんだかピンとこない。話は「権力者が裏に隠し持つ闇」的なことで、敵役は主人公の少女救出に超暴力的に反撃してくる。だけどギャングの抗争じみたリスキーな作戦を実行する理由がよく分からないのだ。後半に入って描写のリアリティが後退し、どこか夢幻的な展開になってくる。強さだけでなんとか無慈悲な世界に対峙してきた主人公が無力さを突きつけられて、なにもかも失うような流れになっていくのだ。同時に画面はどんどん静かで美しくなっていく。クライムストーリー自体はそんなに重要じゃない。
十分に暴力的な話だけど、監督は暴力シーンも銃撃シーンも撮ったことがなく、それもあって戦いのシーンはほとんど直接見せない。防犯カメラで距離をとったり、暴力が済んだ後から見せたり。一番いいシーンはかれが倒した相手、瀕死のその男にふいにシンパシーを感じて寄り添う。I’ve never been to me がかかり、ふたりはメロディーをつぶやく。幸せってなんだろう、そんな歌詞だ。その男は物語的にいえばジョーがもっとも激しく痛めつけていいはずの相手なのだ。

結局主人公は少女を救い出したのかもよく分からなくなっていく。そこで主人公に投げかけられるのが邦題になっている“It’s a beautiful day”という言葉だ。そしてか弱かったはずの美少女がいつのまにか弱々しいかれを見下ろしているのだ。
ジョーを演じるホアキン・フェニックスがほぼ1人でこの映画を支えている。監督のオファーに応えて初出演だそうだけど、ある種二人三脚的に作り上げていったところもあるんじゃないかと思う。
アメリカの俳優はわりと役柄に合わせて体型を作ってくるけど(これ日本は少ないね。伊勢谷友介鈴木亮平くらい? 準備時間がないのかしら)、本作のホアキンこれとかこれとかとまったく体質が違う人のような体つきにしている。以前鍛えていたのがたるんだ、というコンセプトだそうで、まさにそんな感じの中年レスラーみたいな体の太さになっている。
音楽はジョニー・グリーンウッド。『ゼアウィルビーブラッド』から始まり 、いまじゃ一癖あるサウンドトラックといえば、の人だよね。