ノーカントリー-1

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超いまさらながら堂々のエントリー。この映画、コーエン監督初の原作もので、だからといっては悪いが、タイトな構成で彼らの作品のなかでもトップクラスの完成度だ。原作、“No Countory for old men ”amazon:血と暴力の国 を読んでみると、かなり忠実な映画化だということがわかる。ほとんど原作どおりにシーンは進み、印象的なセリフも原作から持ってきている。 映画は登場人物を減らし、物語を分かりやすくし、スピード感を持たせるようにしていて、そのあたりの脚色がとてもうまくいっている。とはいっても説明を省いた部分もあるので、そのおかげで、たとえばラスト近くの暴力の場面は映画だけではちょっとわかりにくかった。原作との比較でちょっと説明してみよう。
以下、大ネタバレ!

 序盤、殺し屋シュガー(ハビエル・バルデム)が連続殺人をおかし、その後モス(ジョシュ・ブローリン)が大金を手にするところまではほぼ原作どおり。モスがメキシカンマフィアに追われる場面で、ピットブル(もっとも暴力的な犬種のひとつ)に追われて川を泳ぐシーンは映画オリジナル。犬は映画用のタレント犬じゃなく、本気だったらしい。
 ガソリンスタンドで雑貨屋の店主にシュガーが難題をふっかけて、コイントスで命を助ける(?)印象的なシーン。雑貨屋の顔も充分に不気味だったが、このシーンは原作どおり。
 妻と別れたモスが、最初に泊まったモーテルでシュガーとニアミスしつつ、うまく金を回収して脱出。ここまではほぼ同じ。ヒッチハイクで乗せてくれた老人に「ヒッチハイクなんて危険なことはするな」とさとされるシーンがある。これは映画オリジナル。ただし後で出てくる原作のシーンから持ってきている。
 ヒューストンのオフィスで、別の殺し屋ウェルズ(ウディ・ハレルソンa.k.aナチュラル・ボーン・キラー)が雇われるシーン。映画ではシュガー単独で金の回収に行かせるより、二本立てで行ったほうがいい、と言っている。ここが大きく違う。原作ではシュガーはこの雇い主と金を奪い合う関係だ。ウェルズはシュガーの明白な敵として雇われている。
 映画では保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)は部下がニュースを持ってきても、いやに腰が重い。原作では麻薬捜査官と最初の戦闘現場に行く場面もあり、もう少し行動して、捜査しようとしている。
 モスが次の逃亡先の古いホテルで発信機に気づき、追跡者を迎え撃つシーン。原作ではシュガーと、おなじく大金を追っているメキシカンマフィアとで市街戦が起こり、モスに撃たれたシュガーが手負いでマフィア3人を殺す。映画ではシュガーとモスの追跡劇だけに集約されている。順序が前後するけれど、映画でもメキシカンとシュガーがライバル関係になっているシーンはあって、最初のモーテルでシュガーが相手3人を殺している。原作では2人だ。
 逃げ延びたモスが大金のカバンを河原に投げ落とし、3人組の兄ちゃんの一人から上着を買取り、メキシコに逃げ込むまではおなじ。 目覚めたモスを病院に連れて行ってくれるのは、原作では地味な老人だったが、映画では陽気なマリアッチに変わっている。
 メキシコで入院中のモスのところへウェルズがやってきて、その後大金カバンの場所を悟り、ホテルでシュガーに待ち伏せされて、説教された末に殺されるのはほぼ同じ。モスがかけてきた電話をシュガーが取り、話し合うシーンも原作どおり。
 メキシコで治療を終えたモスがアメリカに戻り、前に靴を買った衣料店で今度は服を買う。原作では別の店だ。ここはちょっとした笑いのシーンに変えたんだろう。そして原作ではモスは充分回復しておらず、タクシー運転手と交渉して金を握らせ、河原に捨てたカバンの回収に行く。映画だとあっさり金を回収している。
 原作で1章ついやされているシーンが映画ではまるまるカットされている。 車を買って、妻カーラ・ジーン(ケリー・マクドナルド)と落ち合うエル・パソに向かう途中、モスは15−16歳のヒッチハイカーの女の子を拾い、一緒に食事をして、モーテルの一室を与え(同じ部屋には泊まらず)語り合うのだ。 ヒッチハイクなんて危険だ・・・と、モスが言う。あまり喋らなかったモスは女の子には警句めいたトークを饒舌にくりひろげ、少女相手になにやら楽しそうなのだ。たぶん、そのニュアンスをちょっと入れるために映画では、プールサイドのお姐さんのナンパトークシーンを入れた。
 モスの行き先がばれて殺される。原作ではベルがモスの妻に行き先を電話で聞き、それがメキシカンに盗聴された、という雰囲気。映画では妻の母(実はおばあさん)がおしゃべりなせいで、まんまと聞き出されたことになっている。
 モスは映画では1人で殺された。原作では女の子とモーテルにいる晩に2人で殺されたのだ。 映画ではモスが誰に殺されたのか少しわかりにくかった。メキシカンの銃撃シーンのあと死んでいる彼が写っていたからなんとなく分かるけれど、殺害シーンは省略されていたからシュガーか?と思えなくもなかった。 原作では、保安官たちの話から、殺したのはメキシコ人で、彼も負傷して移送されたとはっきりしている。 そのあとにシュガーがやってくるのだ。映画では彼がモーテルの部屋にいるあいだにベルが入ってくる。 シュガーがどう出るのか・・・?という緊張感の高まるシーンだ。これも映画オリジナルで、原作では、ベルが来たときにはシュガーはすでに金を回収し、駐車場の車のなかにいる。ニアミスといっても距離があるわけだ。
 その後、原作ではシュガーが金の持ち主(詳しく描かれないが、表のビジネスで金を持った人物に見える)に金を持っていくシーンがある。ウェルズの雇い主を殺しにいくのは映画も同じだけれど、原作では明白な敵、映画ではよけいなことをした雇い主を殺したことになり、ニュアンスがだいぶ違う。
 ラスト近く、妻カーラ・ジーンがシュガーに殺されるシーン。映画では妻はシュガーが持ちかけたコイントスを拒否する。 シュガーが家から出たときの動作で多分殺しただろうと思わせるが明言しない。原作では、妻はコイントスに応じてしまっているのだ。そして外れ、射殺される。 その後のシュガーの事故はおなじ。「事故の意味」の解釈は、原作ではちょっと限定される。
 原作では各章の頭でベルの独白がはいるので、彼の視点の物語だということが分かりやすくなっている。また、叔父との語りで、彼が第二次世界大戦に従軍したときに負傷した仲間を捨てて逃げたという罪の意識をずっと持っていた告白がある。ラストの夢の話は映画では妻に語っているけれど、原作では独白。

というわけで、映画化の脚色の方向は、モスはより無口で、自分を説明しない、行動するタイプになり、シュガーの殺人の目的はよりわかりにくくなって「理解不能な殺人者」テイストが強まり、ベルはより無力で動かない(動けない)、たんなる観察者となり、物語はモス・シュガー・ベルの三角のなかに集約されてスピーディーになっている。 そしてモスの妻は、原作より5-10歳くらい年上になり、序盤では原作なみにアホだったが、最後は夫と同じように殺人者に助けを乞わない誇り高い人物になっている。

レビューはその2で語らせてくれなんし。