哀れなるものたち  リッチな文学系エンタメ!

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ストーリー:19世紀末、ヴィクトリア朝時代のロンドン。天才外科医ゴドウィン・バクスターウィレム・デフォー)は投身自殺を遂げた女性の遺体と出会う。彼女が宿していた胎児の脳を移植し復活させた彼は女性をベラと名づける。ベラ(エマ・ストーン)は赤子の知性から急速に成長し、やがてプレイボーイ弁護士(マーク・ラファロ)の誘いに乗って世界旅行に....

2023年公開、監督はヨルゴス・ランティモス。原作は1992年スコットランドで発行された、フェイク・ドキュメンタリー味がある小説だ。19世紀末の医師の手記を作者が発見した体でベラの誕生から冒険が語られる。その後同じ話が視点を変えて語られる、『最後の決闘裁判』スタイルの小説だ。ドキュメンタリー風味のために銅版画の図版や手書き原稿がはさまれて、奇妙な言葉遊びも入り、なかなか一筋縄では読ませない。

  映画はそんな原作を意外にもわかりやすく、じつに豊穣な文学系エンタメ作品に仕上げているのだった。多視点構成は取らず、エピローグも省いて「ベラの冒険物語」に集中して、スチームパンク風のファンタジックな見せ方でフィクション味を高めている。

監督は『籠の中の乙女』『ロブスター』『聖なる鹿殺し』で、リアリスティックな画面の中に思考実験めいた設定を入れ、その不条理な運命にひとびとが従わなくちゃいけない...的な物語を描いてきた。歴史上の実話をモダナイズした『女王陛下のお気に入り』を経て、本作は思考実験というより、ビジュアル含めた独特の世界観のなかでストレートに1人の女性の成長を描く、ある意味オーソドックスな物語になっている。ただし本作、R18だ。

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予告編では前面に出さないけれど、あちこちの紹介では「エマ・ストーンの体当たり演技!」的な打ち出しが多い。ようするにベラの成長と冒険はつねにセックスをめぐるものなのだ。大人の身体と抑制を知らない子供の脳を持ったベラは性の愉しみを覚えた途端のめり込む。都合のいい、ちょっと頭の足りないお手軽美女と思ってベラに手を出した弁護士は、逆に彼女にとって都合のいいトレーナーだった。ベラのありあまるエナジーのせいで搾取の関係は成立しない。おなじエマが演じた前作『女王陛下・・』のアヴィゲイルと同じように、彼女は肉体的にも性的にも強者なのだ。

そのあたりの力強いアクティブさは、同じクラシックかつ捻った描き方もあってトリアーの『ニンフォマニアック』をすぐに思い出した。ヴァーホーヴェンの『ベネデッタ』にも通じるものがある。主体的に、自分の欲望だけに従ってセックスと向き合う女性、だから何人と関係しても彼女はけっして消耗しないし、男視線でいう「堕ちていく」描き方はまったくない。そんなスーパーな女性の強さを、畏敬の念を込めて、若干ファンタジックに男性監督が描く、というところも同じだ。

もう一つ共通点がある。『ニンフォマニアック』のシャーロット・ゲーンズブールと同じように、本作のエマ・ストーンも、キャラクターのありかたに合わせて、性的アドベンチャーを見せながら、観客のポルノ的消費はおことわりなのだ。いくら「R18!」「あのエマ・ストーンが!」とか言ったところで、実際に露出はしていてもポルノ的に楽しませようという撮り方はいっさいしていない。エロって見せ方なんだなとつくづく思う。

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見ながらすこしひやひやするところが無いでもない。でもエマ・ストーンくらいのポジションの女優が2作続けて出演し、しかも本作ではプロデューサーにも入っているくらいだから、すべて承知の撮り方なんだろう。

赤ちゃんの脳を移植されて無から再生するベラと創造主的な(わかりやすくゴドウィンを略してゴッドと呼ぶ)医師の関係は、いわゆるピュグマリオンものめいて見える。最初はね。ピュグマリオンの例にもれず彼女は自由をはげしく求めはじめ医師はあれこれ理由をつけて彼女を囲い込む。『籠の中の乙女』の感じだ。急速に成長するベラは、旅先の出会いをきっかけに教養と知性に惹かれていき、社会的正義に目覚める。ヨーロッパ的な正しき「人間的成長」だ。成長期の彼女の欲望は、性も教養もそれ以外も含めて、身体とアンバランスにリセットされてしまった脳にひたすらデータをインプットしていく、吸収の欲なのだ。

エマ・ストーンはアンバランスさを身体言語を全開にして演じる。身体操作に段々と社会性が加わってくると、表情もきりっとしたものに変わっていく。いっぽうで身体がそれなりの年月を経ていることも隠そうとしない撮り方だ。原作ではベラが20代後半、医師は30代、プレイボーイ弁護士も20代。物語に重みと味わいを与えるために、ベラは30代半ばの雰囲気に、医師は老人に、弁護士は50代のおっさんに変わっている。

本作をエンタメとして成立させているのは、画面のリッチさがすごく大きい。監督の過去作とは比べ物にならない大規模予算でアクションじゃなく、古いロンドンや空想のリスボン、ドラマチックな地中海の高級客船、パリの娼館、スチームパンク的な奇妙なテクノロジーを再現する。いままでの「現物で不条理を撮る」からの大転換で視覚情報の洪水だ。いいシーンはいくつもあるけれど、自由を求めるベラといつの間にか束縛する側になる弁護士がその関係をコレオグラフィで表現するダンスシーンが最高だ。