善兵衛ヒットチャート

新旧とりまぜの映画レビュー。映画のなかの植物やランドスケープが気になる from2008

スパイダーマン:スパイダーバース

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<公式>

ぼくが住んでいる街には1つだけシネコンがあった。でもそのシネコンが入っているショッピングセンターが大改装されることになって、とうとう閉鎖になってしまった。たしかにここ何年か、センター全体に場末感が半端なく、来客のジャージ着用率(年代性別問わず)が妙に高い気がしていたし、改装はしょうがない。

シネコンが復活するのか。それは誰にも分からない。近場に、ちょっと車を転がせば行ける映画館があるのって、それなりによかった。ベタなブロックバスターは結構ここに見に行っていたし、前は大きいTSUTAYAもあって、映画を散々借りていた。そんな、ぼくのささやかな映画生活の地元代表みたいなところだったのだ。

で、休みの日の夜、閉館前に本作を見に行った。この手の映画を見に行くのにぴったりなのだ。もちろん館内は空いていて、ファミリーというよりややオタ感がある男性客がほとんどだった気がする。予告編は心躍る作品がざんねんながら1つもない。ディズニークラシックの実写+CGリメイクや、変則アメコミヒーローや、おなじスパイダーマンの実写版新作。正直にいってかなりヒマでも見に行かないタイプの作品だ。

本作だって、どうみてもアカデミー賞効果だ。なにかアニメーションのあたらしい地平を開いたらしいというから、マーベル的なものに弱いおいらも見て見るだ、と山を越えて映画館に向かったのだ。

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で、どうだったのかといえば.......うん、視覚的な快感はじゅうぶんあった。スーパーマンみたいな飛行できるヒーローと別の空中移動のダイナミズム。都市にいることが不可欠なヒーローは、だから高層ビルだらけの風景とかならずセットになる。パルクールの面白さと同質で、運動のなかで重力を受け止める脚の存在感がすごくあるんだよね。あれのおかげで動きに説得力が出るし、肉体性がある(だってスーパーマンの飛行って肉体性もなにもないでしょう?)。

この動きの描写、実写版の時点で、リアルな動きのCGへの落とし込みは十分進化していたんだし、背景の都市景観だってCGだったわけで、アニメ版は表現的にはそのバリエーションみたいなものだ。両者の境界ってどこなんだろうと思うよね。

youtu.be

そんな動きを邪魔しない程度のシンプルなキャラクターデザインもわりと好感度高い。ディズニー/ピクサーの、最近の3D+リアルなテクスチャー+アニメ顔より自然に見られる。画面にコミックのスクリーントーン的な絵を入れるところなんて、たぶんしばらく各国で真似されるだろう。

最大のウリである、違った画風のキャラクターが1画面に混在する絵づくり、技術的にはともかく、絵そのものは日本のアニメでもあった表現だよね。シリアスキャラが急にギャグ漫画調になったりとかは。だからなんというか、普通に飲込んだ感はあった。

世界観は、見込んでる客じゃないから特にぴんとはこなかった。オリジナル物語の設定をわりと丁寧に再現してるのは、後でいろいろ見返して知った。思ったのは、1つはブタのカートゥーン調スパイダー・ハム。ギャグ的には全然おもしろくなかったが、ああいう凶悪なマスコット的キャラって、『ガーディアンズオブギャラクシー』のロケット(アライグマ)にも似ていて、なんか定番なんだろうか。

あと、スパイダーマンだから少年がヒーローに成長する物語なわけだけど、ものすごーく父と息子物語になっていたのが、「ああ、アメリカのストーリーって、ほんとに父と息子モノだよな....」と思わせるところはあった。

■画像は予告編からの引用

 

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エル Elle & アトミックブロンド

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<アトミックブロンド>

<エル Elle>

おおげさな言い方だけど、さいきんの欧米のメジャー映画で人種的なダイバーシティと女性の力強さ要素が含まれていないと、逆になんかの狙いか?と思ってしまうくらい、この2つは前面に出てる。去年以降見た映画だけでも『スリービルボード』『ウインドリバー』『女王陛下のお気に入り』『オーシャンズエイト』あたりは、よくある悪女キャラとも強い女キャラとも違う、抜けのいいヒロイズムを女性に重ねてるし、『ビューティフルデイ』『デッドプール2』あたりも今までとは違う役目をヒロインに持たせている気がする。

もちろん『Elle』の監督、バーホーベンは昔から女性の容赦ない強さがストーリーのコアになっている『氷の微笑』『ブラックブック』みたいな作品もある作家だ。でもやっぱり、今の時期ならではの描き方もあるだろう。今回の2作はたまたま近い時期に見たから、というだけだけど、ためしに並べてみました。以下は、A:アトミックブロンド B:Elleのことです。

ストーリー:『アトミックブロンド』:ロレーン(シャーリーズ・セロン)は凄腕のエージェント。MI6から冷戦最後期のベルリンに派遣されて、東西各国のスパイ達と、時には情報戦で騙しあい、時にはフィジカルな戦いで窮地を脱出し、ミッションを遂行する 

エル Elle』:ミシェル(イザベル・ユベール)はゲーム会社の社長。独身でパリの高級住宅地に住む。ある日自宅に侵入してきた覆面の男にレイプされる。でも彼女は警察に届け出ない。自力の探索が始まった....

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■肉体の強さ

Aのロレーンは最初から屈強な男相手の格闘にまき込まれる。彼女の戦いに女性としてのエクスキューズは全然ない。組み合った力は負けても、武器の使い方や異様に高い持久力や、格闘で「けなげさ」みたいなものは一切見せない。次から次に敵を倒す、このタフネスはファンタジックな男性ヒーローものと同じ。格闘アクションの専門家チームが、女性の効果的な戦い方を研究してアクションをつけてるから、説得力があって面白い。男性ヒーローをほぼそのまま女性に置き換えてる感じは『スリービルボード』をちょっと思い起こさせる。

Bは肉体的には強くない。レイプ犯に力強く反撃して叩きのめすシーンがあるけれど、それは彼女の想像の中のできごと。彼女の強さはそっちじゃないのだ。

■SEXにまつわる立ち位置

Aのシャーリーズ・セロンは、基本的に一般的な男の観客が投影しがちなセクシャルファンタジーの外にいる。彼女の別の代表作『マッドマックス フューリーロード』と同じだ。ファーストシーンでまずヌードをになるけれど、それは鍛え上げた背筋(と傷だらけの体)を見せるため(セクシャルなシーンなのに女優ケイト・ブランシェットの背筋が力強過ぎた『キャロル』もあったね)。 とにかく彼女が武装を解いて男に抱かれるシーンはない。彼女は抱く側だ。相手は可愛いフランス人女スパイ、デルフィーヌ。

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Bのヒロイン、ミシェルは意外なくらいに狩る側だ。演じるイザベル・ユベールは60台だけど作品上は40台後半〜50台のイメージで、フランスならではというか、SEX市場でまったくの現役プレーヤーとして振る舞う。じつは本作の彼女の最大の強さは、どの男を相手にしても、自分の欲望に合わせて自分で獲得する側になるところで、端正で知的なイザベル・ユベールの雰囲気とその役のギャップが作品の味だろう。やがてテーマ自体がそこに収斂していくのだ。

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■知力

Aはスパイアクションムービーだけど、『裏切りのサーカス』的な騙し騙されのゲームものでもある。最後まで誰が騙して誰がハメられたか分からない。ロレーンは、頭の切れ具合でもライバルたちを凌駕する。ようするに最強なのだ。彼女はつねにハメる側だ。

Bのロレーンは敏腕社長で、トラブルの処理の仕方も良く知っているキャラだ。しかしあれだね、敏腕社長&ダメ息子に悩む母、というポジション、去年の『ハッピーエンド』の役と良く似ている。冷徹な感じも。会社のスタッフは自分より若い男たちが多くて、ときどき彼らがビースト的に歯向かってくる。そこでは直接対決みたいなシーンはなくて、彼女は世慣れた経営者として男達をてなずけていく。

■経済力

Aはまあね、国家から派遣されているスパイだから。金には困らない。好きなように衣装を変え、任務以外のところで何かを我慢したりはしない。予算が足りなければ本国に要求するだけだろう。1級のプロフェッショナルなのだ。

Bは言うまでもなくリッチだ。周りに出てくる大抵の人々よりたぶんリッチだ。別れた夫よりも友だち夫婦よりも。だから彼女が誰かをほんとの意味で頼ることはない。経済的な独立性も彼女の強さだ。

 

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女性キャラの強さ表現といってもいろいろあるわけだね。アメリカ映画で最近多いのは警官とか軍人とか情報機関の女性スタッフ。『ゼロ・ダーク・サーティ』『ボーダーライン』『ウインドリバー』あたりだ。キャラクターとしてはちょっと似ている。弱さを内在させていて、男性ヒーローとセットになっているパターンだ。『ブラックブック』『女王陛下の』あたりの、「女」を武器にする強い女パターンは昔からあった。この2作でいうと、倫理的な戸惑いをまったく描かず、振り切れた強さを表現しているところが似ている。戦隊ものの女性枠が男性キャラと同等以上に戦闘力があるパターン、『デッドプール2』『スパイダーマン スパイダーバース』がそれだ。

『アトミックブロンド』は新鮮かもしれない。と思ったけれど、なにか見覚えがある...そう、草薙素子少佐だった。『攻殻機動隊』だ。プロフェッショナリズムと、情に流される部分がまったくない、ドライな格好よさはそっくりだ。そう思うとファーストシーンで水に浸かってるところもオマージュっぽく見えてきた。シャーリーズ・セロンの長身で力強い肉体が納得感を与える。スカーレット・ジョハンソンじゃどこか違うのだ。

エル Elle』は、実は「社会的地位のある女性も、性暴力にさらされる」話じゃない。社会的な力がありつつ、さまざまな倫理観(宗教的にも)にしばられない、感情に押し流されない、そんな女性のむしろピカレスクロマンに近い物語だった。

■写真は予告編から引用

 

 

 

 

 

 

ROMA

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<予告編>

ストーリー:1970年、メキシコシティ。先住民系の娘、クレオは裕福な家庭の住込み家政婦だ。毎朝子供たちを起こし、家を片付け、料理をし、奥様のお使いをし、夜家族が寝静まると家中の電気を消して女中部屋に戻る。そんな日々のなか、クレオは妊娠に気づく。日々はめぐりクレオのお腹はだんだん大きくなる。海外出張にいったはずの旦那さんはなぜか一向に帰ってこない。街では市民と政府軍や武装組織との対立が目立ちはじめていた....

Netflix限定公開の本作、ありがとうイオンシネマといいたい。事情は知らないけれど、そんなにマニア層狙いの映画館とも思えないけど、劇場公開してくれたのだ。

映画館で見られてよかった! 監督キュアロンといえば代表作『グラビティ』の体験型宇宙映像が出てくるよね。本作はだいぶ違って、じつに渋い、落ち着いた、ていねいな日常描写を重ねるタイプのホームドラマだ。だけど、映画館の高品質の画面と、サラウンド的な音響の中で見ると、これもまた体験型に感じるのだ。

画面はモノクロ。ふつうはすこし抽象的になる。もちろん本作でもその効果はあるけれど、高精細のカメラとおそろしく微妙な濃淡の階調で、画面のみずみずしさが半端じゃない。キュアロンらしくワンカットでいける場面は、ずっと切らずに撮る。カメラ自体による派手な絵の動きはなく、わりと自然に中の人々の動きに目がいく撮影だ。

それから音響。劇判音楽はない。音楽はシーンの中でかかっている曲くらいだ。あとは環境音だ。小鳥の声、遠くの自動車のノイズ、街を通る楽団かなにかの管楽器の音、家のなかでは犬の吠え声、子供たちの高い声、TVの音響....そんな生活を形作るじつにいろいろな音が、大きすぎず、でもはっきりとそうと分かるように聞こえる。画面の左側の見切れたところにいる人物の声は、真横から聞こえる。

そんな画面と音響のせいで、映画の世界への没入感、中に入り込んだ感じはとても高いレベルになる。いわゆるPOV(主観ショット)ものなんかよりずっと入り込んでいる。

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それでいて画面はとても端正だ。最初のタイルの床のシーンから、「これは美的感覚をもろに前面に出してくるな」と分かる。水平をくずさないカメラ、あわい照明による微妙なモノトーンの色彩で、画面はとにかく美しい。屋外シーンではフェリーニ的ななにかを思い出すし、室内シーンでは、だれと例えればいいんだろう、小津的といってしまってもいいのか、是枝的でもあるし、そんな日本映画の美しさも思い出した。

お話は淡々とすすみ、どこかずれた人々が点在することもあるけれど、極端な出来事はいっさいおこらない。ほぼ1年間を通した、クレオの生活と葛藤と、奥様の生活と葛藤と、子供たちのあれこれが近景で移り、遠景には荘園の風景や山火事やまずしい村や都市での武力衝突や、そんな当時あったメキシコ社会の断片やどこか象徴的な現象がうつる。

だからぼくたちも、1970年のメキシコにひとときお邪魔したみたいにその世界にひたることができるのだ。その世界はキュアロン自身のカメラによってすごく美しい部分を切り取って構成してあって、あまあまの世界ではけっしてないけれど心地よい。

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本作では、いくつかのモチーフが韻を踏むみたいに繰り返してあらわれる。まずはなんといっても飛行機だ。ファーストシーンで家の中庭から見上げた空を飛行機が通り過ぎる。じつはかれらの家(ロケ地はここだ)はアップタウンだけど国際空港から数キロの距離で、しょっちゅう旅客機が上空を通過する。それから犬の糞。家の飼い犬は1匹だけで、かれの動きや騒ぎ具合が一家の雰囲気をあらわすんだけど、毎日のように大量に糞をする。ここは映画的誇張で、1匹じゃありえない量の糞だ。糞もところどころでエピソードの小ネタになる。お父さんの車が踏んでしまったり。

その車も一家の1年間の変化や奥様の心の乱れを映す鏡のような存在だ。はじめ家にあった大型のフォードは、やがてコンパクトなルノーに変わる。大型のフォードは一家の象徴みたいな扱い。いい意味でも悪い意味でもね。そんなフォードに乗って、奥様は子供たちとクレオを連れてビーチに出かける。ちょっとした気分転換が必要だったのだ。カリブ海に面した、でもけっこう波が高いビーチ。ここが象徴的な舞台になる。場所はトゥスパンという、メキシコシティから300kmも離れたところだ。ふらっと湘南にでかける感じじゃない。お母さんにとってはそれなりに決意を秘めたお出かけだったのだ。

時代はメキシコにとっても騒乱の時期だったらしいけれど、たぶん色々な国のこういう時代と同じように、その余波をかぶらない人たちにとっては近所で起こっていても遠いできごとなのだ。動乱と日常。最近みた『サニー』『タクシー運転手』を思い出した。

■写真は予告編から引用

 

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女王陛下のお気に入り

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<公式>

ストーリー:18世紀初頭のイングランド。フランスとの戦争中の王女アン(オリヴィア・コールマン)は心身ともに不安定。宮殿に呼び寄せた幼馴染みのサラ(レイチェル・ワイズ)に支えられ、そして支配されていた。そこへ貧しい身なりの女性があらわれる。没落した貴族の娘、アビゲイルエマ・ストーン)だった。アビゲイルはサラの血縁で、サラに気に入られてすぐに女官になる。けれどア彼女の野心は女官どまりになることじゃなかった。常人を越えた行動力の彼女のターゲットはサラに寵愛をそそぐアン王女そのひとだった....

舞台は、1700年代のイングランド王室。日本で言うと五代目将軍徳川綱吉から、ぐっと知名度が低い六代目家宣のあたりだ。本作、「イギリスの大奥」とも言われるけれど、日本の元祖「大奥」の同時代といっていいね。当時のイングランドはフランス・スペインとの戦争中だ。すでに議会があって、トーリー党ホイッグ党の二大政党制になっている。映画でみると、党が政策を提言して議会で争い、最後は国王が決めるスタイルみたいだ。

本作みたいな、歴史劇・時代劇をちょっと異端なセンスの監督がとる作品、『恋におちたシェイクスピア』あたりがすぐに思い浮かぶし、日本でいえば『座頭市』や『十三人の刺客』がそんな感じだろうか。本作は同じイギリスの近世・中世をテーマにしてたピーター・グリーナウェイの作品群よりはずっとエンターテイメントよりで、かつフィクションの時代劇というより実話ベースの歴史劇だ。主な登場人物は実在だし、3人の女性の関係性も基本的には歴史として語り継がれているとおり。女王は若い頃からの盟友サラと実際に緊密な関係で、その友人は夫が軍人だから戦争推進派で、彼女がつれてきた女性の召使いに女王の心はだんだん惹かれていき、やがて....という、じつにドラマに使いやすい関係性だ。

映画ではより面白くエッジーでビターに仕上げるためにそれぞれキャラクターを調整する。女王は意志薄弱で愚かで依存心が強い、幼児的なおばさんとして登場する。サラは宝塚男役のような、凛々しくて攻撃性が強くて、政治的なセンスもある女性。そしてアビゲイルは、歴史では冷たいサラの穴を埋めるようなほんわかしたキャラクターらしいが、本作の彼女は「えっ」というような、軽々とモラルの一線を越えるタイプだ。彼女が成り上がっていくこのお話は、だから典型的なピカレスクロマンになっている。

エマ・ストーンはそもそもわりと攻撃的なキャラクターが得意で、『バードマン』の娘役にしても、『LaLaLand』のヒロインにしても、未見だけど『バトルオブザセクシーズ』のテニスプレイヤーにしても、とにかく包容力とかよりも強さが目立つ女性だ。本作では作中唯一のアメリカ人女優として、たしかにイギリス貴族感はほとんどなくて、宮殿のなかで異物感たっぷりに存在している。

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本作はイギリス・アイルランドアメリカ合作で、アメリカFox Searchlight配給の映画。で、近年のハリウッドの文法そのままに女性がひたすら強い。アビゲイルは成り上がるために、宮殿の色恋沙汰にも自分から身を投じていく。そのときのセックスの主導権ぶりもそうとうな物なのだ。人目がない林で貴族の男に襲われるしイーンでも、ふつう女性にとって最終的な制約とされる、肉体的な体力差、攻撃力の差でも、まったくまけていない描写になっている。合意のSEXシーンでも男からすると「こりゃひどい」というようなあしらい方を見せる。

サラはもっとヒロイックに強い感じで、どん底に落ちてからはさらに迫力が増すし、愚鈍で弱々しかったアン王女も途中からどんどん王の風格を身につけていく。そんなヒロイン3人の三角バトルの周囲で、男たちは基本的に間抜けであり、どことなく弱々しく、衛星のごとくぐるぐると回るだけの存在だ。ペドロ・アルモドヴァルの作品みたいだな。

さて、本作の主要ロケ地は本物の歴史的邸宅、ハットフィールドハウス。映画ロケに積極的に貸し出していて、『パディントン』だの『ワンダーウーマン』だの、はては『47RONIN』なんていうぜんぜん歴史物じゃない作品でも使われている。そのほか有名なハンプトンコートや、ダンソンハウスという歴史遺産でロケしている。本作はじつはあまり制作予算がなくて(約16億円くらい)、評価がすごく高い衣装も、本物を揃えることなんかできずに、古着とかを集めてリメイクし、しかもシーンが終わるとばらして別の衣装に仕立て直したりしていたくらいで、だから実在の建物ロケができたのは、画面のリッチさを出すためにはすごく助かっただろう。カメラでは照明はほとんど使わずに太陽光と、夜のシーンならろうそくそのものを光源にしていたりしたらしい。

まぁでも面白かったな。3人の戦いがしめっぽくなく気持ちいいし、ちょっとパンキッシュな雰囲気あるし(宮廷の女性が「f◯◯k!」と叫んだり、舞踏会で超今風のダンスを踊ったり)、エロ展開も遠慮なく打ち込んでくるし。ちなみにどうでもいい話だけど、イギリスの庭園として有名な「風景式庭園」という、今の公園デザインの祖型みたいなタイプの庭園があらわれるのが18世紀の中盤くらいのことで、それまではイタリア、フランス庭園の亜流ばっかりだった。つまり本作の時代は、まだ牧草地風の景色や渋い廃墟を見せる風景式庭園はなかったのだ。

■写真は予告編からの引用

 

 

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ビールストリートの恋人たち

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<公式>

ストーリー:ティッシュ(キキ・レイン)とファニー(ステファン・ジェームス)は幼馴染み。マンハッタンの貧しい家庭に生まれた2人はいつの間にか恋人になり、将来を誓う仲になっていた。木の彫刻アーチストを目指すファニーとデパートの香水売場で働くティッシュ。やがてティッシュは妊娠していることを知る。おそるおそるママ(レジーナ・キング)に、そして家族に告げる。パパもお姉さんも歓迎してくれた。でもそれを告げられたファニーは戸惑う。そう、彼は無実の罪で刑務所で服役中だったのだ.....

まず、邦題につまらない突っ込みをせずにはいられない。「ビールストリートの恋人たち」。さすがに違うだろう。だってビールストリートは2人が暮らすマンハッタンから1500kmも離れたメンフィスの繁華街なのだ。ブルース発祥の地とも言われるところだ。原題は『If Beale street could talk』、なぜか映画のプロローグでは「ニューオーリンズの通り」と言っている。これもちょっと不思議なはなしだ。

お話は1970年代、マンハッタンのハーレムが舞台だ。監督バリー・ジェンキンスが暮らしたというSt.Nicolas aveや、Minetta stでロケをしている。1970年代のハーレム。映画の中のそこはノスタルジックで美しく、道をいく住民たちも穏やかで小ぎれいだ。おなじニューヨークでも『ワイルドスタイル』の舞台になったサウスブロンクスの戦場みたいな荒廃ぶりとは全然違うのだ。

本作が紹介されるときはかならず言われるだろうし、見た人もほとんどが感じること、この映画のなかの世界はひたすらにうつくしい。ファーストシーン、2人が公園らしいところを並んであるく。ファニーはブルーのデニムジャケットに黄色いシャツ、ティッシュは黄色いコートの中にブルーのワンピースを着て、彼らの周りには秋の黄色い落ち葉が舞い散る(公式の予告編みてくださいね)。往年のフランス映画みたいだ。2人がデートする夜の街もやさしげなネオンが雨の路面に反射する。

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主演の2人も美しい。ヒロインのキキ・レインはデビュー作だそうだけど、なんというかこれはもうアイドル顔なんじゃないだろうか。スリムでちょっと幼い顔で、なんともお洒落に服を着こなしている。設定では「リベラルな方針を打ち出すため」に黒人を売場に配置してるデパートに雇われているから、それなりにちゃんとした収入はあるんだろうけど、まずしい地域のスタンダードという雰囲気じゃない。

ファニー役のステファン・ジェームスもなんともいえずいい顔だ。かれもアーチストを目指すもの静かな男役だから、ワイルドな感じではぜんぜんない。それからテッシュの家族たち。アカデミー賞受賞のお母さん、レジーナ・キングは初登場の場面から、「これはただモンじゃないな....」と思わせるみごとな面構えで、予想にたがわず、その後も家族と物語をぐんぐん引っぱっていく。

監督が小津映画の手法と同じ撮り方だといってるように、そして小説世界に入りこむみたいに観客にも(スペクタクルを観客席から見るんじゃなく)没入してもらうために、役者の正面カットの切り返しがすごくおおい。物語の「現在」である、刑務所にいるファニーと面会にいくティッシュの対話の場面はほとんどそれだし、他の対話シーンも基本的に正面だ。

技術的なことはよくわからないけれど、この映画では出演者たちもとにかく美しく撮るために色んなことをしているんだろうと思う。どアップでも生々しくない、若い黒人の光沢のある肌を彫刻みたいに撮る。街の風景だってたぶんそうだろう。同じ時期の同じ場所をドキュメンタリックに撮れば、もっと殺伐としていたり整備がいきとどいていない感じはいくらでも出せるはずだ。

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ストーリーはとてもシンプルだ。人種差別による不公正な公権力のせいで試練を受けている恋人たち。彼女は困難の中で子供を産む試練にも立ち向かわなければならない。でもそんな彼女を、そして彼女の恋人の裁判を全面的に支える家族がちゃんといる。物語はそんな現在と平行して2人が幸せだったころを回想しながら進む。

原作もほぼ同じ構成だけど、さらに回想の部分が厚みをまして、ファニーの家族が属する教会と、違う宗派のティッシュたちとの違和感みたいなところも描かれている。その辺は映画では2家族が集まったときの口論の場面でかいま見られるくらいだ。

話がシンプルになり、たしかに世界のどこにでもいる恋人たちのストーリーといえるようになったのかもしれない。原作はアメリ黒人文学の重要人物ジェームス・ボールドウィンの小説だ。原作を尊重すれば、どうしたって物語はある種の政治性をおびないわけにはいかない。監督はできるだけそれをヒロインの個人的な視点、個人的な物語として見せようとしたんだと思う。物語にでてくる白人たちも、ストーリー上必要な悪役をのぞけば、ニュートラルに描いている。

でも個人的には、前作『ムーンライト』、描く世界はものすごく小さい黒人コミュニティだけ、キャストも黒人だけ、ほとんどミニマルといえるストーリーのほうがむしろ普遍性があるみたいに感じた。

ちなみにプエルトリカンのチンピラ(でも根は誠実な男)役で1シーンだけ出てくるペドロ・パスカルは『キングスマン・ゴールデンサークル』の彼だ。彼にかぎらずちょい役で出てくる役者がいい雰囲気で、監督は「アカデミー賞を取ってよかったのは、こういう俳優が喜んででてくれる」と冗談ぽく言っている。

 ■画像は予告編から引用


 

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ホイットニー〜オールウェイズ・ラブ・ユー〜

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<公式>

ホイットニー・ヒューストン。彼女の最盛期は1980年代後半から1990年代初頭、だから渋谷の映画館で見たときは50くらいのお客さんが多かった。らしいなと思ったのはちょっとエッジーなお母さんが20歳くらいの娘さんを連れて見に来てるのが何組かいたこと。ママが好きだった、死んじゃってとっても悲しかったホイットニーを娘にも見せたいのだ。

本作は『JIMI 栄光への軌跡』みたいなドラマ仕立てじゃない。アーカイブ映像と関係者インタビューを編集したドキュメンタリーだ。構成は時間軸に忠実で、ホイットニーが生まれたころの映像からはじまり、彼女の成長に連れて話は進む。

彼女が生まれたのはニュージャージー州ニューアーク。1963年のことだ。マンハッタンから10kmちょっと、大港湾がある町だ。1967年、24人が死亡する大規模な黒人の暴動があった。『デトロイト』で描かれたデトロイト暴動と同じ年だ。中心部は荒廃し、市民の多くは郊外に移転した。

ホイットニーの家族も同じだ。ダウンタウンから20km弱のおだやかな住宅地イースト・オレンジに移住する。父は役人、母はプロのシンガーで、ひょろっとしたホイットニーは白人が多いカトリックの学校に入学する。日曜日は教会だ。毎週聖歌隊で歌う。なんとかいってもしっかりしたお母さんがいる中流の家庭だったんだと思う。ただ、母は現役時代はツアーで不在がち、母違いの兄貴やもう1人の兄貴、母以外にプロで活動していたシンガーのおばさんなど、とにかく色んな家族がいた。映画を見ているとその環境が彼女を作ったし、最後までそれがまとわりついたとも見える。

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母親に完璧に仕込まれた少女は、母親が用意した突然のステージで完璧な初ライブを見せる。すぐにはデビューできなかったけれど、美しい彼女はモデルとしてキャリアをスタートし、有名なレコードプロデューサー、クライブ・デービスに発見されて、1985年のデビューアルバムの大ヒットからは、当時の洋楽ファンならだいたい知っている栄光の日々がはじまる。

当時、ぼくはこの手の曲はべつに好きじゃなかった。声はのびやかで魅力的だったけど、自分の好みからすると朗々と歌い上げすぎてたし、メロディーやサウンドはキャッチーすぎたし、なんとなく雰囲気が健全すぎた。ホイットニーは育ちのいいお嬢さんイメージで売り出していて、全般に健全なイメージだったのだ。

映画は、そんなイメージがどうにも表面的だったことを暴いていく。そもそも少女ホイットニーは箱入りでもなかったのだ。悪い遊びなら手本になる兄貴たちがいる。それから親友のロビン・クロフォードという女の子もいつもそばにいる。デビュー当時からバックステージの映像を見ると彼らがいつも写っている。

妹が、友達が大メジャーになると、かれら、彼女らは〈ホイットニーの取り巻き〉が仕事になる。一族のホープ、ホイットニーはぶら下がる大量の身内をみんな背負っていかなきゃならないのだ。デビュー前に離婚していた親父もがっちりと食い込みマネジメントを仕切る。親父のジャケットはみるみるゴージャスになり珍妙なモールが付いたものになる。

セイム・オールド・ストーリー。どこでも聞く話だよね。

有名なスーパーボウルでの国歌斉唱パフォーマンス、それにケヴィン・コスナーと共演した『ボディーガード』。キスする2人の周りをカメラがぐるんぐるん回るラストシーン、ぼくも公開当時見に行った。そしてボビー・ブラウンとの結婚。

後半はヒット曲と同じくらい有名な転落と破滅だ。共依存めいた、ぼろぼろの夫婦関係。薬物依存。最悪の時期の映像なんて壮絶だ。細くても愛嬌があった彼女の顔はさらに肉が落ちて凶悪な目つきになる。もともとそんなに興味がなかったぼくは、ボビーとの結婚くらいは知っていたけれど、ヒット曲が減ると自然とよく知らない存在になっていった。

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監督は家族や親戚や友人や、それにもと夫のボビーにもインタビューする。「クスリの話なんかしたくない」、ボビーはそんな感じだ。インタビューの再構成はなかなか巧みで、同じ人の映像が何度も出てくるけれど、彼女の人生に合わせてそのイメージをかたどるようなコメントを少しずつ繋いでいく。そして最終盤にはミステリーの謎解きみたいに、いままで言われてなかったコメントをぶつけ、作り手なりに彼女の人生を縛りつづけた苦しみは「これだったんです」と提示してみせる。

ポップスターって、なんだろうね。マイケル・ジャクソンの苦しみとほんとによく似てる。彼女がもっとほどほどに幸福で、母親の才能を受け継いだだけだったら、同じようにポップスターになったんだろうか。いやその疑問は無意味か。たぶん全部セットなのだ。

 *画像は予告編からの引用

 

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