ギャスパー・ノエ 2作

■LOVE 3D

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ストーリー:マーフィーはパリ在住のアメリカ人。妻のオミと息子のギャスパーと3人暮らし。1月1日の朝、元恋人エレクトラの毋から娘の安否を心配する電話が入る。彼と別れて以来自暴自棄になって連絡も取れないらしいのだ。マーフィーは失った愛を思い出す。それはオミも巻き込んだ鮮烈な思い出だった....

ギャスパー・ノエブエノスアイレス生まれ、パリの映画学校で映画制作を学んだ。監督した長編は5作しかない。当ブログで取り上げている『アレックス』『エンター・ザ・ボイド』から、こうして残り2作を見ると、つくづく「ノエ印」としか言いようがない特徴がこってりとと盛られている。

ノエ作品はどれも取り返しのつかない時間の中で生きる男女の話だ。運命に抵抗はできない。でも男女はやたらと生命感に溢れている。主人公はいつも若くて体格がいい白人の男女だ。男は背中が厚く短髪で、女は割と背が高くちゃんと筋肉があって、2人ともその身体で目一杯に生の悦びを享受する。ドラッグとsex、それにクラブの爆音とダンスだ。そんな彼らの居場所、空気の悪そうな赤い光と黒い影の空間もノエ作品お馴染みだ。

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本作の構成は『アレックス』に似ている。主人公が現在から過去の恋愛を振り返っているから、時制も基本的には逆行している。ダメになった恋愛でも最初は初々しく楽しげな、そんなシーンが最後の方に出てきて、いつも通り、セリフで物語のテーマめいたことが語られる。ラスト(時制的には最初)で空気が穏やかになってほっとする感じもそっくりだ。

本作は今まで以上にストレートにsexがテーマ。しかも3D映画だ。映画館で見るべきだったんだろう。大画面の3Dでね...どんなだったんだろう?画面はあけすけなまでに写されたヌードシーンが5分に1回は出てくるのだ。そこも含めての立体化だ。

ここで日本人観客はいつものアレに対峙することになる。ぼかしだ。主演男優のプライベートな部分には血液がみなぎっている風なのだが(それを映してるとすれば結構すごいことだが)、ぼかしに霞んで、作り物でもわからない。3Dの中でのぼかしはどう見えたんだろう。下手すると無修正動画の方が見慣れているいまの観客からすると、これはあまりにも伝統的な映画の作法で、久しぶりに見たことで「ああ、映画なんだ」と再認識するという奇妙すぎるメタ体験を得られるのだ。

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前も思ったけれど、動画が無数に溢れている今、映画で見せるsexシーンの意味ってなんなんだろう。昔あったありがたみは完全に消滅している。映し方で独創性がある場合もあるけど、あとは「ポルノじゃないのにこんなん見えてます」という異化効果的な、まあ文脈だよね。あとはあくまで「ストーリーを、エモーションを伝えるのに必要だから」的なことだろう。

本作にもエモーショナルなシーンはもちろんある。恋人2人の関係性が、2人、時にはそれ以外の男女が混じった色々なsexに反映するのだ。ただなあ。マーフィーのあまりのクズっぷりに主人公的な感情移入はできなかった。チープなマチズムを振り回し、恋人がいようがすぐ他の女の子に手を出し、そのくせ恋人には嫉妬深くすぐに切れ、嫌われても自分のエゴだけでつきまとい、芸術的才能もない。それでもエレクトラは(途中までは)愛を語り続けるのだ。

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ノエは情熱的に愛とsexを描くけれど、どこかホモフォビアの香がするし、産む性としての女性の持ち上げやファルス崇拝めいた描き方が、単調に、一面的に感じないでもない。パリで映画学校に通うマーフィーには多分監督のどこかも投影されているだろう。ちなみに本作では息子の名前は「ギャスパー」だし、エレクトラの元恋人のギャラリストは「ノエ」だ(しかもノエ自身が演じて)。

愛を受けながらちゃんと受け止めず、作品も作れず、「何もかも失った」とか泣く主人公にどこか監督の(自己を投影してるとすれば)自虐なのか?みたいにも感じてしまったのだった。


■クライマックス

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ストーリー:1996年、フランス。あるステージのためにオーディションで集められたダンサーたちは山奥の廃校での3日間の合宿で振り付けを仕上げる。最終日の打上げ。DJがダンスミュージックをかけ、プロのダンサーたちが自由に技を見せ合う。ところが途中から急に空気がおかしくなる。パーティーで出された飲み物に誰かが強烈なドラッグを仕込んでいたのだ...

今のところノエの最新作だ。2018年公開。実話インスピレーションだそうだ。本作はノエ作品のもう一つのパターン、「体験型」っぽさが前面に出ている。ノエ作品の特徴である、迷路性がある空間の中での出口が見えない息苦しさ、クラブめいた場所でのダンスとドラッグでもうろうとした視界の再現。『LOVE3D』にもそれはあった。本作ではそこからロマンチシズムを取り去ってる。

話は本当にミニマル。独特なようでいて意外に親切設計のノエ作品らしく、初めにオーディションの場面を借りて、出演者の顔やちょっとしたバックグラウンドが後半のヒント込みで紹介される。キャストは主人公以外、本業のダンサーたちだ。それぞれ得意ジャンルが違うから見せるダンスのスタイルも色々で、前半のクライマックスであるワンカット5分以上のダンスシーンは、いろんなダンスのコラージュみたいなショーになっている。

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パーティーが始まると酒、そして知らずに飲まされたドラッグのせいでsexと暴力が前面に出はじめる。メンバーはいつもながらの若くて身体的エナジーに溢れる男女だ。なんせ全員ダンサーなんだから。白人たちと黒人たちのグループはそれぞれに合宿中狙っていた男女に近づき始める。前作と似てるのはまた白人短髪のクズ男がうっとうしく色んな女性につきまとう。

薬はやがて彼らを強烈なバッドトリップに引き摺り込む。ここからが第二幕だ。時間的には半分近いここでキャストたちのクレジットが凝ったフォントでリズムに合わせてばんばん出てくる。『エンター・ザ・ボイド』でもやっていた。あえての古臭さ(90年代感?)もありそうだけど格好いい。

そしてバッドトリップが本格化するといつもの出口のない息苦しい世界になる。画面の色使いといい、所々で使う真上からのショットといい、ほんとにいつものノエ調だ。ラストはやっぱり悪夢からさめたみたいに静寂が戻る。

ところで、音楽は90年代が舞台だからそれに合わせて往年のダンスミュージックがかかるんだけど、なぜか80年代初期のゲイリー・ニューマンが使われてて驚いた。テクノがポップミュージックに入ってきた初期の頃の人で、ずっと消えていたはず。監督の好みかな?

■写真は予告編からの引用

 

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アリ・アスター2作

■ヘレディタリー 継承

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ストーリー:夫、息子ピーター、娘チャーリーと暮らしていたアニー(トニ・コレット)の母が亡くなる。4人になった家族を次の喪失が襲うまでには時間は掛からなかった。絶叫するアニー。やがてアニーは奇妙な降霊会のメンバーに誘われ喪った家族を呼び戻そうとする。徐々におかしな言動が目立ち始めるアニーにピーターは怯え、夫は苦悩する。ある時ピーターが異様な幻影に襲われて....

2018年の話題作だ。アリ・アスター監督の長編デビュー作、制作はA24。予告編にも書いてあるとおり(【超恐怖】現代ホラーの頂点)、ストレートなホラー映画だ。スプラッターじゃない、ニューロティックな不安感を掻き立てるタイプの、強引にジャンル分すれば心霊ホラーだ。プラス、家族ドラマの恐怖モノでもある。

画面は端正でジャンルムービー的なチープさはない。アニーは自分たちの人生をミニチュアの模型で再現するアーチストで「母の最後の入院」シーンを作ったりするのだが、実際に作られた模型たちもなかなかのクオリティだ。家族が住む森の中の家も立派で、夫婦とも少し前のボルボに乗っているあたり階層を感じさせる。

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前半はニューロティックホラー的展開。ポランスキーの『ローズマリーの赤ちゃん』を思い出す人は多いだろう。構造的にはすごく似ている。家族に接近してくる奇妙な高齢者、妻だけが感じる不吉な予兆は、ひょっとすると彼女の精神が参っていて浮かぶ妄想や幻想じゃないか...と観客も疑う作りだ。同じポランスキーの『反発』『テナント』とも似てる。

特徴的なのはサウンドの演出で、画面上はごく普通のシーンにこれ以上ない不穏な環境音楽的劇伴が重なると、途端にまがまがしいことがおきつつあるみたいに見えてくる。そんな感じで観客に「予兆」だけ十分感じさせ、そこに突然「どーん」とアイコニックなまでにインパクトのあるシーンがぶち込まれる。

その一方で亡くなった祖母がどうやら精神的にかなり偏向していて家族にも影響を与えていたり、そのせいなのかアニーは普通でない形で過去に家族を失っていたり...という要素も徐々に足されていく。アニー役のトニ・コレットは美しいのだが序盤から恐ろしい形相で絶叫して見たりして、すでに怖い。娘役ミリー・シャピロは、原宿ファッションやJアニメ好きな16歳、という素顔が想像できない異様な「何か持ってる感」をかもしだす。

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後半に向かう展開も『ローズマリー』と共通だ。オチに近づくのでこれ以上は書かないが、前半の不安感や家族関係のキツさ描写から、クライマックスに向けてインパクト連打へと盛り上げていく。ラストに向けては若干の「なんじゃこりゃ」シーンも出始める。古典的名作『エクソシスト』の少女逆さ四足歩行みたいな感じだ。

インパクトシーンの容赦ない見せ方やある種筋の通った救いのなさ、監督は日本も含めた色々なホラーの古典を参考作に挙げているけれど、ピーター・グリーナウェイの『コックと泥棒、その妻と愛人』も挙げているのは納得度が高い。教養人でありながら、あえての装飾的とも言えるグロシーンの見せ方...たしかに通じるものがある。

ラストは全くハッピーエンドじゃないにも関わらず奇妙な祝祭感に包まれたままエンドクレジットを迎えるだろう。

 

 


■ミッドサマー

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ストーリー:大学生ダニー(フローレンス・ピュー)は突然両親と妹を失いそれ以来時々パニック発作に襲われる。そんな彼女に同情しながらも彼氏クリスチャン(ジャック・レイナー)は軽いうざさを感じていた。留学生ペレの誘いで男友達だけでスウェーデン旅行に行こうとしていたのがばれ、ダニーも同行することに。ついてみると森の奥の村ではみんなが白い民族服に身を包み、白夜の中夏至祭が始まるところだった....

前作の評判もあって、本作はけっこうな話題作だった気がする。ビジュアルもいいんだよね。北欧って今だとどっちかというとミニマル・ナチュラルで趣味がいいモダンデザインのイメージが強いけれど、本作は花満開の白い衣装の男女、的イメージだ。

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本作はスウェーデンのプロデューサーからの自国を舞台にした作品オファーを受けて、監督自身の恋愛(失敗)体験を重ねて作られている。しかし面白くも不思議なのは、このスウェーデンの田舎に対する圧倒的な異世界視線だ。だいたいこういう「奇妙な風習を守る文明に迷い込んだ先進国の若者たちがひどい目に...」モノは亜熱帯とかの未開とされている民族を適当に設定するのが圧倒的に多い。名もないチープな作品が無数にあるだろう。

逆に自分たちの国に隔離された奇妙な村があるタイプも結構ある。このジャンルの名作(本作のリファレンスの1つだろう)『ウィッカーマン』はビジュアルもネタも実によく似ている。『リーピング』『ホットファズ』もそうだ。でもスウェーデン。他国でありつつ、さっきも書いたみたいに、社会的にははっきり言ってアメリカよりモダンな部分が結構ある、そこをこういういわばオリエンタリズム全開でエンタメ化するという...

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本作の中には老人がコミュニティーから身を引き、若者たちが生活する領分を守る、という資源が少なかった時代の風習が描かれる。日本では『楢山節考』で描かれた姥捨と同じだ。ちなみに姥捨まで行かなくても、ある年齢以上の老夫婦が村から少し離れた山林に近い家に移る風習はじっさいあった。思えば桃太郎の老夫婦もそれかもしれない。

まあそれはともかく、メイポールだったり、多産の儀式=公認されたsexだったり、自然素材を使った不気味な装飾だったり、古代文字だったり、キリスト教以前の古代ヨーロッパ文化を思わせるアイテムてんこ盛りで、多分欧米の観客も考察や解説で何杯もご飯が進むだろう。儀式的sexのシーンで何故か老若の女性が全裸になる....トム・フォードの『ノクターナル・アニマルズ』を思い出した。あれは悪意に満ちたアート作品としてだったが。

ところで監督は好きな日本の(ややホラー味の)作品に溝口『雨月物語』を挙げている。古いモノクロ映画だけど画面のアーティスティックな美しさは比類ないので未見の方はぜひ。

■写真は予告編からの引用

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ザ・スーサイド・スクワッド ”極”悪党、集結 &  ハーレイ・クインの華麗なる覚醒

■ザ・スーサイド・スクワッド ”極”悪党、集結

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DCもの・MCUものは単発の作品と違って壮大な物語世界をふまえ過ぎている感はどうしてもある。その中では本作はわりと爽快に楽しめた。ストーリーはシンプルなので略。自分の中では『デッドプール』と同じタイプの楽しさだ。あえて命を極限まで軽く扱うことの風通しの良さみたいなことだろう。この手の見栄えはどうしてもアメリカでしか作れない。役者も含めてダイナミックさがね。

悪役軍団スーサイドスクワッドのキャラクターは過去コミック参照なのは分かるけど、最後に出てくる着ぐるみ特撮感(=円谷感)が最高潮のモンスターも過去コミックにあったのはちょっと意外だった。『ガメラ2 レギオン襲来』にもすごく近いイマジネーションだ。

映画のカラーに合わせて日本版公式サイトでもDCヒーローっぽさは出さず、ポップさと「悪役軍団モノ」を前面に出している。監督ジェームズ・ガンの紹介に商売敵の名作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』の名前を出してるのも面白い。キャンセルカルチャーの餌食となってMCUを追放されたガン監督だけど縛りが解けてオリジンの香が濃くなっている。

監督の出身、トロマエンターティメントは『悪魔の毒毒モンスター』や日本ロケの『毒毒モンスター東京へ行く』とかが公開当時わりと親しまれていて、けっこう好きな人はいた。見たことない人も予告編でだいたいの世界はすぐわかる。

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中盤のクライマックスで「悪の塔」みたいなところで巨大水槽が爆発して大量の水が高層建築の上から激流になって襲ってくるシーンがある。最近見たなと思ってたら湯浅政明監督『きみと、波に乗れたら』だった。源流はパニックムービーの古典『タワーリング・インフェルノ』かも知れない。

そんなわけで「極悪」スクワッドのメンバーたちは実はぜんぜん倫理的だし、メッセージはストレートで、同じ悪趣味系ヒーロードラマ『ザ・ボーイズ』の国家・巨大企業に抵抗するチームと近い存在。主人公たちは相当色々考えない限り、わりと抵抗なく感情移入できる人たちだ。

それにしても同じシリーズネタの『JOKER』とは違うユニバースなんだよね?確かにこのコミック世界のふところの深さはすごい。

 


ハーレイ・クインの華麗なる覚醒

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スーサイド・スクワッド』の中心人物、ハーレー・クインをさかのぼって見た。シンプルに楽しめるアクションムービーなのは当然として、本作は向いてる方向がこれ以上ないくらいはっきりしていて、DCものであると同時に、近年のハリウッドの意識改革で続々と作られるようになった「多様性を目指した」作品の一つだ。

まあ、映画業界も前以上にSDGs的な公正な企業姿勢を見せないわけにいかなくなったということだろうけれど、見てる側からすれば、ヒーロー象もアクションのアイディアも色々になって、明らかに豊かになったと思う。

本作は物語の構造としては相当単純化している。ヒロインは依存していたジョーカーと別れて戦闘能力の高い女性チームと段々と団結していくようになる。敵は女性嫌いのギャングだ。初めは敵対していた女刑事も署内で男の刑事に功績を上手く持っていかれて昇進できない。女性の敵キャラはほぼいなくて、男性の味方キャラもほとんどいない。

たぶんその辺りはあえて思い切りシンプルにしたんだろう。華麗な動きのハーレイ・クインと仲間たちが鈍重でマッチョな男たちを1秒1人くらいのペースで倒していく映像をとにかくポップに見せるのだ。マーゴット・ロビーはどの程度アクションを自分でしているのか分からないけれど、『アイ・トーニャ』でもフィギュアスケートをかなりマスターしていたそうだから身体能力が高いんだろう。

身体能力だけじゃなく企画そのものにも深くコミットしていてプロデューサーの1人だ。スタッフ編成やキャスティングも彼女の考えが反映している。今年公開の『プロミシング・ヤング・ウーマン』プロデュースといい、他の出演作といい、シャーリーズ・セロンと双璧感すら出てきた。役者としていうと顔にわりとクセがなく本作のコミック的作り込みの収まりがいい。

メンバーの1人クロスボウメアリー・エリザベス・ウィンステッドタランティーノの『デス・プルーフ』で悪役凶悪ドライバーを撃退するチームの1人。女刑事役ロージー・ペレスは名前を知らなかったけれど『デッド・ドント・ダイ』『悪の法則』古くは『ドウ・ザ・ライト・シング』にも出演してた人だ。

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ドライブ・マイ・カー

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ストーリー:俳優・舞台演出家の家福(西島秀俊)は脚本家の妻、音(霧島れいか)を突然失い、車の赤いサーブだけが残った。2年後、家福は広島に向かう。俳優を募集し、チェーホフの戯曲『ワー二ャ叔父さん』を上演するのだ。そこに妻と親しかった高槻(岡田将生)も参加する。主催者につけられた寡黙な運転手みさき(三浦透子)にサーブのハンドルをまかせ、2人は少しずつお互いの過去を語りあっていく....

かなり沁みた。というか残った。見ている時の感動や興奮より、後から効いてくるタイプの映画だ。香水のトップノートみたいな表層のストーリーやメッセージ、ビジュアル以外の、ミドル、ラストノート的な下の層が断然に豊かで、驚かされるレベルなのだ。カンヌの脚本賞もそれを生成させた映画の構造に対してなんだろうと思う。

原作は村上春樹の2013年の短編で『女のいない男たち』というオムニバスの1作だ。主人公家福が妻を失って、愛車のサーブを運転手みさきに託す、そして俳優、高槻と対話する....というプロットに、映画では他の2つの短編のエピソードを足している。広島のエピソードは映画オリジナルだ。

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原作を読み返して思うのは、本作は、監督が原作の枠組を使って、繰り返し自分が描いてきたテーマや手法やモチーフを詰め込んだ、ある種ここまでの集大成的な「濱口作品」だということ。同時に、3時間まで膨らませて、そこになかったテーマまで載せた物語の入れ物になりうる原作の容器としてのでかさだ。

原作はスケッチ的なふっと終わる短編で、女性の描き方など今の視線でみるといらなくないか?と感じる描写もあったりして、そんなに感銘は受けない。でも物語の土台としての強さがあるのかもしれない。エピソードは映画で少しずつ強化されている。温度低めの原作を少しずつドラマチックに、エモーショナルにしているのだ。家福と妻のエピソードも喪失も、みさきの過去も、高槻も、それから車も。

車、サーブ900は原作通りだけど、たぶんより古く、色は印象が強い赤になった。映画では30年前の完全に旧車だ。最新のSUVの間のサーブを正面から撮ったシーンでは旧車ならではの小ささで、絵本『小さいおうち』みたいだ。サーブは映画では長旅の仲間にもなって、それ自体アイコン的、主人公的な存在になった。

お話は喪失と悔いとそこからの....の物語だ。エモーションを強化された物語に、そんな経験がある人は(大人なら何かある)響くものがあるだろう。これが上で書いてるトップノートだ。

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ミドルノートは監督が探求し続けてきた、例えば「カメラに映る演技と真実」「言葉によって引き起こされる意味」という映画作りそのものあり方みたいなものだ。見た人ならすぐ分かるだろう。物語の中ではじつに色んなレベルで言葉が語られる。

・物語内での「素」の喋り(または生活の中でのちょっとした演技)

・物語内でセリフとして他者に聞かせる言葉

・自分が生み出す物語を聞かせる喋り

・物語内でセリフを朗読している音声

「素」の喋りは基本的にトップノート(表面のストーリー)を観客に伝える。下の3つは映画でプラスしたもので、物語内で練習し演じられる戯曲『ワー二ャ叔父さん』のセリフや、脚本家の妻が紡ぎ出した奇妙な物語だ。それぞれ理由があって演技として発せられるのだが、セリフや物語の持つ意味が自立して何かを語り出して、ストーリーを受け取る観客に影響し始める。

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濱口監督はインタビューで「ラストの着地がしっかり決まっているから物語のスタートは色んな振れ幅でも観客は納得できる」という意味のことを言っている。もちろん映画はストーリーが持つエモーションをちゃんと伝える作りだ。でもぼくにはどことなくそれらと監督が距離があるように見えた。それは偉大な作家の作品を原作にしたときに避けられない重みのせいかもしれない。

ストーリーの大事な部分は、原作の文章に忠実なセリフで語られる。見ていて「大事なことをセリフで語りすぎじゃないの?」と時々感じた。まるで観客に「今、俳優がセリフを読んで演技し、あなたに伝えています」と思い出させようとしてるみたいなのだ。

同じことを村上作品の映画化『ノルウェイの森』でも感じた。主人公を演ずる松山ケンイチとヒロインの1人水原希子の、やっぱり原作に忠実なセリフのシーンだ。村上作品の会話はそもそも日常語とは少し違う。やっぱり作家のレトリックの一部なのだ。だから実際に喋らせると必ず不自然になる。もう1つの村上作品『トニー滝谷』では、監督は原作のテキストを全てナレーションとして朗読させた。それを担当したのは今回の主演、西島秀俊だ。

主人公である演出家、家福にとって、言葉を受けとることがとても大事なものとして映画は描く。亡き妻とも、ある意味では身体のつながりよりも大事なものとして抱き続けてきた。言葉を紡ぐ職業の妻は、自分がいなくなっても言葉を残し、家福は受け取ることができる。でも言葉は彼を呪縛するものでもあったのだ。だからとても大事なあるシーンは、主人公が言葉の呪縛を解いてもらっているように見える。

ラストノートは、物語を肉体化する役者たちの姿、実景をゆたかに写し込んだロケーション(車の走行シーンは特にそうだ)が「物語を作り出すドキュメンタリー」のように生々しく感じられる部分だ。本作は撮影後の作り込みはあまり前面に出てこない。それよりいかに印象的なシーンを最適な場所のカメラで記録するか、がなかなかにリッチだ。色んなところで絶賛されている岡田将生の長いセリフのシーンは、伝えようとしているものより、伝えようとしている役者の演技が「出来事」として映しとられているみたいだった。

■写真は予告編から引用

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タイムループ3本その2・3 パーム・スプリングス&ハッピー・デス・デイ

■パーム・スプリングス

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ストーリーカリフォルニア州パームスプリングス。ナイルズ(アンディ・サムバーグ)はガールフレンドが司会する結婚式に出ている。知り合いでもないのにマイクを奪ってちょっといい話をしたり、新婦の姉に声をかけたり。初めは変な顔をしていた姉、サラ(クリスティン・ミリオティ)もだんだん意気投合して2人で式場を抜け出し、いい感じになったところでアクシデントに見舞われる。それが2人のタイムループへの入り口だった.....

イムループものの最新バージョン。制作費5億くらいのコンパクトな作品だけどなかなかのヒットだ。まあタイミングもあるんだろう。新作大作映画が止まった2020年の公開だ。基本的にはタイムループラブロマンス、『恋はデジャ・ブ』と同類の定番ジャンルだ。違うのはカップルが2人ともループの世界にいること。

上のストーリーではちゃんと書いていないけれど、アクシデントでタイムループに放り込まれたのはサラ1人、ナイルズは話が始まるだいぶ前からループの世界の中で暮らしている。しかももう1人、ナイルズの巻き添えになってループの世界に閉じ込められたロイ(J・K・シモンズ)もいて、その恨みからナイルズをたびたび襲撃する。

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本作、『恋はデジャ・ブ』で書いたタイムループ4つのお約束をきっちり取り入れている。眠るか死ぬかすると翌朝同じ結婚式の当日に目覚める。死がものすごくカジュアルになるのがこの設定の特徴だ。そしてみんな繰り返しの記憶を蓄積していく。毎日は少しずつ違うバージョンになっている。

ただし主人公の成長というところはちょっと違って、ナイルズは基本的に成長しない。彼はあまりにも長い間ループの世界に生きてきて、お調子者の仙人のようになってしまい、完全に順応してしまったのだ。色々無茶は試してきたらしいけれど、もはや飄々とした存在だ。

だからストーリーを動かすのは新しくこの世界に入ったサラの方だ。サラは脱出を何度も試み、その一方でこの世界ならではの無茶も満喫する。最近の物語らしく、ヒロインのサラが一貫してアクティブで、ナイルズはサラへの思いもあってそれに付き合う。「毎日変化も展望もないけれど生活に苦労はないから」...という保守的な男と、「こんな世界じゃ生きる意味があるの?」ともがく女の、つまりリアルワールドでもありそうな対比だ。

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イムループのメカニズムは一応説明される。詳しくは忘れてしまったけれど、量子力学的な、多元宇宙的な。後半、物語はそのメカニズムへの挑戦みたいな方向へ進みだす。多元宇宙=マルチバース、昨今映画界で氾濫している。MCUものはマルチバースを理由にいくらでも設定をリセットして新作を出してくる。『スパイダーバース』はともかく、他は物語上の必然はほとんどないんじゃない? ともかくこの概念、観客にも急速に馴染みが深まっている。昔はもうちょっと夢幻的・思索的SFのネタだった気もするけど....

物語は一貫して楽天的だ。主人公たちは不老不死で、いくら金を使っても翌朝には財布に戻ってるし、どんな失敗をしても(本人は覚えていても)引きずることもない。パラダイスなのは間違いないのだ。極楽だって変化のないタイムレスなものだろう。繰り返す日々を悲惨なものに変えれば一挙に地獄になる。のんびりした砂漠のリゾート地で、ハッピーな結婚式の日を繰り返せる彼らはタイムループの囚人の中ではかなりラッキーな方なのだ。ナイルズが順応するのも無理はない。それでも生きる意味を求めて脱出しようとするサラ。

制作・主演のアンディ・サムバーグは『ブリグズビー・ベア』の制作チームにも入っている。なんとなく西海岸の砂漠の景色が似ている。とはいっても『ブリグズビー』はユタ州、本作はカリフォルニアだ。それにしても『サタデイ・ナイト・ライブ』出身者が絡む良作は『ブルース・ブラザース』の昔から連綿とある。吉本どころじゃない。日本にいるとピンとこないけど、単なるお笑い番組というより一種のプラットフォーム的存在になっているのかもしれない。

 

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■ハッピー・デス・デー

ストーリー:女子寮で暮らす女子大生のトゥリーは今日が誕生日。昨夜初めて飲んだ大学生カーターのベッドで目が覚めた。性格の悪さが売りの彼女は傍若無人に1日を過ごした後、マスクをつけた殺人鬼に殺される。目が覚めるとそこはカーターのベッド、誕生日の朝だった。ループするトゥリーの毎日が始まる....

イムループをこれまた定番ジャンルの「マスクを付けた殺人鬼と犠牲になるビッチなブロンド」ものと一体化した作品。好評だったらしく同じヒロインで次作も制作されている。本作ではヒロインが死ぬとリセットされる。目が覚めて、お泊まりした男子寮から出たヒロインはキャンパスを一回りして毎回同じ出来事にあう(で、少しずつ変わる)。そこから1日が始まる。彼女は毎回死ぬ運命で、脱出するためにはとにかく生き延びなければいけない。ループものとしてはなかなか大変だ。しかも記憶だけじゃなく殺される時のダメージも少しずつ蓄積されるらしいのだ。

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ヒロインは遊び人風だけどお間抜けというより気が強くて攻撃的で性格が悪い美人の設定だ。どちらかというとヒロインの敵役になりがちなキャラ。『ヤング≒アダルト』の主人公にちょっと似ている。もちろんこれは『恋はデジャ・ブ』の公式通り、最初は嫌な奴だった主人公がループを繰り返すうちに成長していくストーリーだからだ。

イムループでありつつスラッシャームービーでもあり、ヒロインは殺人鬼に対抗しなくちゃならないので、戦うタフな女性にも成長していく。この辺りも最近の映画らしい展開だ。スラッシャー部分は控えめ。決定的なシーンは映さないし、殺人鬼も血塗れが大好きというわけじゃなさそうだ。

ロケ地の綺麗な大学はニューオーリンズにあるLoyola Universityだ。

■写真は予告編からの引用

 

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