眠狂四郎2作

大映時代劇シリーズその2。市川雷蔵の代表作、眠狂四郎ものだ。棄教した宣教師と日本人の妻との間に生まれた混血の美形で、黒い着流しに赤い髪。必殺技は円月殺法、モラルに背を向け、人を斬るのも女を抱くのも思うまま。流行作家柴田錬三郎が作り出したキャッチーなキャラクターだ。

分かりやすいキャラと毎回のエロ、どう見ても映像化狙いで設定した物語に映画会社はすぐに飛びついて、小説が発表された1956年に鶴田浩二主演で東宝が映画化する。大映のシリーズは1963年から69年まで、12作作られる。その後は田村正和片岡孝夫主演のTVシリーズが有名だ。

....的な話、ぜんぜん知らなかった。世代的にはドラマくらい見ていても...と思うけれど、触れてなかった。いつかまた再生されるのかも知れない。ビジュアル系剣豪だから今の役者でもハマりやすいしね。2010年にはGACKT主演で舞台化されたらしい。


 ■眠狂四郎 勝負

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ストーリー:狂四郎はひょんなことから知り合った老武士を勝手に護ることにする。武士は幕府の勘定奉行だった。緊縮財政を訴える勘定奉行には敵が多い。将軍の娘や豪商と繋がる敵が、5人の刺客を送り込んできた...

本作は雷蔵シリーズの2作目。1964年、三隅研次監督作だ。 カラー作品。シリーズ初期作にありがちだけど、様式が固まりきっていなくて、キャラクター表現も荒唐無稽ぶりも抑え目の、割と渋い時代劇だ。

まず、季節が冬で全体に画面のトーンが渋い。冬枯れの雑木林での決戦が何度かある。よく似た林が『座頭市』にも出ていた。まだ薪のため切られていた時代だから今みたいにうっそうと茂っていなくて視界の抜けが良く撮影向きだ。屋敷シーンで出てくる建物も本物かセットか、いい具合にエイジングされているし、路地や茶店のセットも作り込まれて、全体にリアル系時代劇の雰囲気がある。必殺円月殺法は、丁寧なライティングで、円を描いて回る刀が常にぎらりと光るように映している。斬り合いでは血は見せない。

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狂四郎のキャラは、ダークヒーローというよりは束縛から離れる自由人タイプだ。ボランティアで護る相手は正義の高級官僚だ。反体制というわけじゃない。女に対しては主要な女性キャスト全員に惚れられる設定ではあるのだが、自分からは手を出さない。全体に汚れ感はなく、ストイックで雷蔵本人のイメージからあまりかけ離れていないように見える。

老武士役加藤嘉がややうっとうしいながらも熱演だ。

 


眠狂四郎無頼控 魔性の肌

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ストーリー:ある侍(金子信雄)に秘宝の京都移送の護衛を頼まれた狂四郎(市川雷蔵)は、初めは断るが、秘宝を狙う闇の宗教集団、黒指党の党首(成田三樹夫)に付け狙われるようになる。別の女にも京都に来てくれと懇願され、侍の美しい娘(鰐淵晴子)を頂くことを条件に引き受ける。旅の途中、黒指党は手を変え品を変え狂四郎を襲撃する。矢場の女がついて来たり、色あり戦いありで旅は続く...

シリーズ第9作、1967年公開。監督は池広一夫大映のシリーズ物は主役が同じでも作品ごとに監督は違う。『座頭市』は三隅を含めた4人、江波杏子主演の『女賭場師』も4人で撮る。東映だと、高倉健の『日本侠客伝』はマキノ雅弘、『網走番外地』は石井輝男、少し後の『仁義なき戦い』は深作欣二でほぼ固定。『緋牡丹博徒』みたいな複数もあるけれど、大映とは監督の立ち位置が違うのかもしれない。

どっちの良さもある気はする。監督だって(主演もそうだけど)同じキャラで同じ話のバリエーションだとネタが尽きるし正直飽きるだろう。脚本家は変わるパターンが多いけれどそれでも似てくる。『男はつらいよ』が監督も脚本も変わらなかったのはやっぱり特別なのだ。

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本作は作り手が変わってアップデートされている気がする。たった3年前だけど時代が違う感じさえするのだ。まず映像が鮮やかになっている。同じ撮影所でフィルムや機材がそんなに変わるとも思えないんだけど。

『勝負』と季節の違いもある。緑が鮮やかで、室内から窓外のみずみずしい緑が明るく映えたりしてまるでトラン・アン・ユンだ。それ以外も赤い鳥居や色とりどりの流し、鮮血の赤と闇、色のイメージが強い画面だ。狂四郎の黒い着物も映える。建築物や塀を使った端正で幾何学的な画面や、移動撮影の多用は三隅作品と同じだけど、斬り合いでは鮮血を飛ばす。

狂四郎の性格もこなれて、悪くいえばキャラ化が進んでいる。サクサク相手を斬り、女相手の好色シーンもこなし、ダークヒーローぶりも安定してきている。それから女優が現代風美女のラインナップだ。ヒロイン鰐淵晴子はハプスブルグ家(!)の血を引く混血の美女で背も高い。矢場の女、久保菜穂子もスタイル良さが売りで、もう1人も可愛い。今の女優さんが着物着て丸髷を結ってる感じなのだ。現代の時代劇と変わらない。

あと大きいのは音楽だ。『勝負』の音楽は、溝口作品も担当していたベテラン。本作は渡辺岳夫。時代劇だけじゃなくドラマ、『巨人の星』『アルプスの少女ハイジ』果てはガンダムまで、70年代名作アニメの音楽もバリバリやっている人だ。本作の音楽は哀調を帯びたギターやトランペットを合わせる、その後お馴染みになったパターン。そんなあれこれで、全体にその後のTVドラマ時代劇に近づいている。

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ストーリー展開は早く、旅を続けながら次々違うバリエーションで敵が現れては倒し、合間に美女を挟んでくる展開で見やすい。悪役成田三樹夫金子信雄もキャラが立っていて、娯楽的な楽しさはこっちが上だった。それでいてストーリー全体の因縁、全体を包む悲劇を狂四郎は全く防げず、できることと言ったら悪役を次々殺して、決着を付けるだけ。ダークヒーローならではの絶望感はむしろ濃い。

ちなみに特筆すべきシーンがある。コントや漫画で見る「帯回し」、悪役が女の帯を引っ張って「あれ〜」と言いながらくるくる回るやつあるでしょう。何と雷蔵があれをやっているのだ。監督はよほど気に入ったのか別のシーンでもやっている。ひょっとしてこれが元祖.....?

 ■写真は予告編から引用

 

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三隅研次2本 斬る & 座頭市物語

時代劇の名監督、三隅研次いまさらの初鑑賞。三隅は1920年生まれ、岡本喜八川島雄三とほぼ同じ、黒澤・小津たち巨匠より10〜20歳下の世代だ。太秦にあった大映京都撮影所で売れ線時代劇を撮り続けた。『雨月物語』『山椒大夫』といった溝口作品や黒澤の『羅生門』を撮った名門スタジオだ。 1960年代の撮影所はこのあたり。そんなに広大じゃない。屋外シーンはだいたいロケだったんだろう。それでも絵になる。


■斬る

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ストーリー:剣客、高倉信吾(市川雷蔵)は小諸藩士の父・妹と平和に暮らしていたが藩内の逆恨みで2人が殺される。復讐を果たした信吾だったが複雑な出生の秘密を知らされる。実の家族じゃなかったのだ。流浪の旅に出た信吾は江戸で幕府の高官に仕えるようになる。幕末の水戸藩に不穏な動きがあるらしく、取締に乗り込む高官のお供に信吾もついていくのだが.....

1962年公開。黒澤明の『用心棒』『椿三十郎』と同じ時期だ。下のサイトを見てもらうとわかるように、日本の映画界の観客動員数が1950年代末の頂点から急激に落ち始めている頃だ。やっぱりテレビの普及でしょうね。そうはいっても年間6億人超、まだまだ全盛期だ。

余談になるけど「日本映画の黄金期ははるか昔」といわれつつ、近年動員数は持ち直してきているし、スクリーン数も増えてきてる(ただしほとんどシネコン)。日本映画の新作公開数は全盛期に全然負けてない。でもやっぱり衰退してるんだろうか。シネコンの何番目かのスクリーン用みたいなチープな企画が大量にあるんだろうか。「現場は多くて仕事も市場規模もそこそこあるけれど、数だけ作られすぎ」って、しろうと目に建築の世界にも通じるみたいにも見える。

じゃあ1960年代は志の高い作り手がじっくりと仕上げた名作揃いか、っていうと...どうかなあそれも。1本当たればその年のうちに2や3が作られて、スター頼みのシリーズ物が多かったはずだ。大映も1950年代末は年間90本くらい製作していて、いくら並行して撮っても、1作に時間がかけられたとも思えない。本作もそんな中での1本だ。上映時間も短い。だから見やすい。

さて本作は大映のスター、市川雷蔵の主演作だ。ぼくが初めて雷蔵の作品を見たのはわりと最近『陸軍中野学校』だった。本作では時代劇メイクで目張りを入れていかにもな感じの仕上がりになっている。端正だけど甘さや華やかさはそんなにない、ストイックな侍の雰囲気だ。

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雷蔵は肉体的に弱く(結局30代で癌で死去する)、殺陣も三船敏郎みたいな豪快なのは無理だ。ただ本作でも、集団との斬り合いでは、カメラを動かしながら、自分も位置を変えつつ、結構動きがあるシーンを長回しで一気に見せていて、その辺の動きはぴったり決まっている。

いっぽう、これは三隅監督の作風なのか撮影監督なのか、この時代っぽく急に抽象的になったりして面白い。日本らしくない荒野の風景と現代音楽の劇伴の組み合わせとか、四面が襖の日本家屋の作りを生かした、座敷が無限に続く中をさまよう雷蔵を上から撮ったトリッキーなシーンとか。ちなみに娯楽映画なので、なんとも唐突に女性キャラが裸になるシーンもある。

本作は因縁のある生まれの主人公が、せっかく家族のぬくもりを得たのに全てを失って喪失の剣客となる、みたいな無情感あふれるストーリー。ラストのアンチカタルシスもなかなかだ。

 


座頭市物語

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ストーリー市(勝新太郎)は盲目の渡世人。得意は居合抜きだ。下総飯岡の貸元、助五郎の屋敷にしばらく逗留する。助五郎は対立する笹川一家との関係が険悪になってきたので助っ人として置いておくことにしたのだ。市は一人の侍と意気投合する。平手造酒(天地茂)という病気持ちの剣客だった。おでん屋の娘にも慕われる市だったが、抗争は避けられない雰囲気になっていき....

1962年公開。『斬る』と同年だ。『斬る』は見やすいライティングのカラー映像だったがこちらは白黒。夜のシーンは陰影も濃い。撮影監督が違うから、その作風もあるんだろう。本作は雷蔵と並ぶ当時の大映のスター、勝新太郎の看板シリーズ第1作だ。あまりにハマり役だったから座頭市はその後10年、20作以上作られて、大映から独立した勝のプロダクションでTVシリーズもずっと作られた。

たしかにこの第1作を見ればすぐに分かる。今見られるのは画面クオリティもそんな高くないけれど、面白さは確かだ。なにより勝の只者でなさ加減がこれ以上ないくらい出ている。豪快イメージがあった勝だけど体はそんなに大きくなく、それでいて丸顔がやけに小さく、坊主刈のせいで余計に強調される。目は基本閉じているから愛嬌のあるギョロ目は見えない。そんな独特なシルエットで、低くぼそぼそと喋る渡世人風の口調も格好いい。

目が見えないからと侮っているとなかなかに超人的な感覚であれやこれやを見通し、ドスを仕込んだ杖での殺陣はそれまでのヒーローの華麗な動きと全然違って、背中を丸めたままの俊敏な動きだ。

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本作では実在の剣客、平手造酒を敵側に置いて、お互いにリスペクトするバランスにしている。平手は素晴らしく腕が立つが、病気で先行き短く、死に場所を探している。勝が加勢する飯岡一家にはろくな連中がいなく、どちらかというと平手を雇っている笹川一家の方がましに見える。それもあって市は平手と戦いたくない。

2人の対決は避けられないけれど、上に書いたハンディもあり平手を十分に立てた形になっているし、相手の思いに応えた座頭市もあまり罪深く見せない。平手役の天地茂がややアンチヒーロー感もありつつ侍的な品も感じさせて実にいい。『斬る』でも主人公の実の父親役で出ていた。

舞台は下総飯岡。今の千葉県旭市、銚子のすぐ近くの海沿いの町だ。映画では小舟で侵攻するから水郷のイメージかもしれない。でもロケは海辺というより京都周辺だろう。ラストは冬枯れの雑木林が舞台。他の三隅作品でも似た場所が映っていたから監督の好みかもしれない。

■写真は予告編からの引用

  

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凶悪&ゾディアック

連続殺人犯がモチーフの映画。殺し屋や人斬りものを外しても名作が多すぎて書ききれないレベルだ。『復讐するは我にあり』『羊たちの沈黙』『セブン』…『冷たい熱帯魚』もある。ちょっと外したところで『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』のシリアルキラー母娘もの、天才調香師の香りを求めた連続殺人『パフューム』もある。あきらかに異常でありつつ、人の生死を軽々ともてあそぶ、一種の超人性みたいなところが、作り手からすればキャラクター的な魅力なんだろう。

シリアルキラーと追い続ける側とを描いたパターンも結構ある。カリスマ的なシリアルキラーに対比して凡人の刑事や探偵を置く。『羊たち』『セブン』はそうだし、『殺人の追憶』みたいに追う側だけを描いたのもある。 今回の2作は追いかける側の異常さが前面に出てくるタイプだ。


 ■ゾディアック

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 ストーリー:1968ー74年に実際に起きた未解決の連続殺人事件のドラマ化。新聞社で時事マンガを描くロバート(ジェイク・ジレンホール)は暗号メッセージを送ってくるだけで全く捜査を絞らせない犯人にいつの間にか取り憑かれる。ロバートは事件にのめり込むあまり家庭も崩壊、それでもひたすらにメッセージを考え続け、捜査員に推理を語って聞かせる....

監督は『セブン』のデヴィッド・フィンチャー。セブンみたいなエッジーな演出は全くなくて、その代わり事件当時の1970年前後のサンフランシスコの風景や空気感をいつもの完璧主義で再現している。どことなく沈鬱で微かな息苦しさがある、でも統一感がある世界だ。

本作は主人公に当たるロバート・グレイスミスが書いたノンフィクションがベース。未解決事件だから、犯人は分からない。映画でも無理に犯人像を創作しないで、追う側の群像劇にした。だから地味と言えば地味だ。ジャーンとかいって後ろに犯人が立っていたり、その手の展開は全然ない。

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どちらかというと事件に取り憑かれていくロバートを(本人の原作なのに)どこか不気味で狂気じみた人間として描いている。ジレンホールはこういう役が割と合う。モラルを捨てた事件カメラマンを描いた『ナイトクローラー』も、タイプは違うけれどちょっとしたソシオパス感があった。

この執念がなんなのかは分かりやすく説明されない。同じように事件を追い続ける、でもあくまで仕事として捉える刑事(マーク・ラファロ)や、途中で追うのをやめてしまった記者(ロバート・ダウニー・Jr)と対比しながら「なんでここまで…」と思わせる。取り憑かれた人間を描いて、犯人とか事件の引力の強さに思いを馳せさせるつくりなんだろう。

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殺人犯と暗号。思い出すのは1990年代、神戸の事件だ。当時犯人が公開したメッセージは内容はともかく奇妙なビジュアルが印象的だった。ゾディアック事件の犯人のメッセージは印刷物みたいな端正な文字と記号の配列で、そのセンスにどことなく似た何かを感じてしまう。

 


■凶悪

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ストーリー:殺人事件で収監された暴力団組長、須藤(ピエール瀧)の「俺は他にも3人殺した」「黒幕は別にいる」という訴えに興味を持った週刊誌記者、藤井(山田孝之)。須藤の供述をもとに黒幕の木村(リリー・フランキー)を追い始める。他の仕事そっちのけで事件にのめり込む藤井は...

 こちらも実在の殺人犯がモデル。1999年の事件だから『ゾディアック』よりだいぶ生々しい。犯人の2人はどちらも収監中だし、被害者の関係者だって健在だ。主演の1人ピエール瀧は受けるのにためらいがあったそうだ。こっちは犯人をたっぷり時間を取って描いている。

本作は主演3人(といっていいだろう)それぞれの独特な芝居と顔力的な共演がなんといっても残る。おふざけ系でありつつ底知れなさを見せる犯人役の2人。それを受ける山田孝之。『ゾディアック』がジレンホール、ラファロ、ダウニーJrの3人の役者の力で見せているのと同じで、かなりの部分キャスティングの力を感じる。

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上でシリアルキラーものは犯人のカリスマ性が魅力、なんて書いたけれど、本作は真逆だ。犯人は凡庸だし手際も悪いし、金のためにとにかく強引に(それもやりやすい老人を)殺していく。泥臭く、隙だらけの犯罪だ。『冷たい熱帯魚』と共通するつくりだ。対比として記者の藤井がどんどんおかしくなり、「良識ある一般市民」側の藤井の妻も暴力の当事者だったことがわかる。善悪の境界の危うさがキモだ。

そんな感じで芝居には満足したけれど、正直にいって画面全体の殺風景すぎるトーンが苦手だった。半分は意図だと思う。事件の舞台は茨城県水戸市日立市。ロケは埼玉県の東松山市とかだ。都会じゃないし、美しい田園風景でもない。冬のロケなので背景に映る雑木林も雑草地もくすんだ褐色だ。家も彼らにぴったりの築40年くらいの雰囲気の建物ばかり。要するにそういう風土で生まれた事件だということ。すべてにおいて監督は事件を美的に描くつもりはないのだ。虚飾なく描けば地方都市の郊外って要するにこうだ。

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だけど一方では日本映画に時々(というか割と)ある、ありのまますぎる風景は時々辛い。思い出したところだと『よこがお』で映される風景の寒々しさに通じる。予算がなくて、ライティングに凝ったり光を待ったり季節を跨いだりがむずかしいというのもあるんだろうけど、作り手たちの中に何か景色を美しく加工することへの忌避感があるみたいに思えてしまう。海外の観客から見ると別の新鮮さがあるかも知れない。でもリアルでも一度も魅力を感じたことがない景色が画面の中でも1ミリもプラスなしで見せられると、なんだか逃げ場がない感じがしてしまうのだ。

■写真は予告編からの引用

 

 

 

 

行き止まりの世界に生まれて & ミッドナインティーズ

■行き止まりの世界に生まれて

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ストーリー:シカゴで撮影技師をしているビン・リューは、故郷のロックフォードで昔からのスケートボード仲間、ザックとキアーを主人公にドキュメンタリーを撮り始めた。撮影は12年間におよび、3人の環境も変わっていく。ザックは子供ができ、若いキアーも仕事につき...でもロックフォードは工業が衰退した荒涼とした街。3人の家族と過去に話は進んでいく....

中国系アメリカ人ビン・リューの初監督作品。インディーかつすごくパーソナルな作品だ。序盤はスケートボード文化の話かと思う。ボーダーたちが街中を自由に駆け回るのをカメラが追う。早朝なのか、そこそこの都会なのに道路には車も人もいなくて、ボーダーたちは広場の階段から歩道に、それから車道に駆け降りる。流れるようなカメラと編集で、Xスポーツものによくある大げさな映像じゃなくとても美しい。ビンが若い頃撮っていた映像も挟み込まれて、前半はそんな感じで続く。

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でも後半はがらっと変わる。自由に遊びまわっていたはずの街が、かれらを育てた家族とのつながりが、ボーダーたちを呪縛するのだ。ロックフォードは人口15万人、シカゴに近く、イリノイ州では大きい方の街。でも主要産業が衰退して全米の人口減少都市リストにも上がってくるし、危険な都市ランキング上位だ。街の風景はきれいだし建物だってそんなに荒れている風じゃないけれど典型的ラストベルトの都市なのだ。多分仕事だってあまりない。そんな街が舞台の物語だ。もちろん貧困率も高い・・・と書こうと思ったら、世帯年収の中央値は日本より高かった。なんかこれはこれで切ないな。

そして家族。物語が進むにつれて3人の共通点がわかってくる。子供の頃に父親や継父に暴力を受けていたのだ。暴力はそれぞれに影を落とす。あるものはいつの間にかそれを受け継いでしまう。あるものはそれを止めなかった母親を責める。あるものは「でもあれはしつけだったんだ」と亡くなった父を今でも愛している。

3人。つまり監督のビンも当事者だったのだ。はじめはカメラにほとんど映らず仲間たちを撮っていたビンは、友達の影の部分にずんずん踏み込んでいく。そしてあるところから自分も出演者になって、自分の過去にも踏み込んでいく。実はここが本作のドキュメンタリーとしての一番スリリングなところだ。

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ドキュメンタリー作家にはいろんなアプローチがある。ストーリーを持たずに被写体をひたすら撮影するところから始めるフレデリック・ワイズマン想田和弘マイケル・ムーアは自分がキャスター的に突撃し、自分のメッセージを大声で伝えるスタイルだ。『アクト・オブ・キリング』みたいに取材で対象を追い込んでいくのもある。NETFLIXとかで多いドキュメンタリーは作家性は表に出てこないで、インタビューや意味ありげなカットで物語をエディットしていく。

見ているぼくたちからすると、ドキュメンタリーならではのスリリングさは、題材そのものを別にすると2つある。1つは作り手が撮影対象にどんな影響を与えるかという点。それに2つ目は、作り手がどんな影響を受けるかという点だ。普通はこの点はほとんど見せない。作り手は物語の外にいるからだ。でも作り手も中にいる場合もある。対象と親密な関係だったり、すごく長い間対象を追っていたり。『監督失格』なんて完全に中に入り込んでいる。

本作は物語が進むにつれて作り手がどうしようもなく中に入り込んでいってしまう。そもそもビンが少年時代に初めてカメラを持ったところから作品ははじまって、対象も自分も歳を重ねて変わっていく。撮られている相手は友人だから見せる表情で、友人として話す。けっきょくは自分たちの物語なのだ。そして本当にパーソナルなところに踏み込むときに、作り手自身も対象になることを決める。

そこをちゃんと撮っているところがすごく誠実な印象をあたえるし、繊細なドキュメンタリーにしている。

■写真は予告編からの引用

 


■Mid90s

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ストーリー:LA育ちの13歳、スティービーは兄のイアン(ルーカス・ヘッジス)にいつも殴られている。スケートボードにはまった彼は近くのショップに入り浸る地元のボーダーのグループについていくようになる。はじめて見る年上の仲間たちの世界に急速に染まっていくスティービーだが....

 上と同じ、スケートボーダーのコミュティーの話。こっちは監督ジョナ・ヒルの自伝的フィクションだ。ぼくはボーダー文化の外の人だから実のところは知らないけれど、一種独特な、少年たちの居場所なんだね。人種や年齢の違いがあっても。2つの作品を見てそこはよく分かった。でもあくまで少年たちの世界だ。つまり男だけの世界。

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『行き止まりの世界に生まれて』でもちょっと触れられていたけれど、本作でも少年だけのグループにどうしてもある、「オトコであることの証明」みたいなシーンが何度も出てくる。というかそれがストーリーの中心といってもいい。

主演サニー・スリッチ(『聖なる鹿殺し』の少年)は実はプロスケートボーダーだけど、初めて乗れた子供を演じている。すでに物語を引っ張れる雰囲気を持ってるのがすごい。ただその分、顔が端正なのもあって、少し特別感がありすぎる気もした。

本作の大きな魅力であるという90年代LA文化のディティール再現は(音楽やファッションはもちろん路上のゴミまでこだわったらしいけど)残念ながらぼくはキャッチしきれなかった。

■写真は予告編からの引用

 

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アメリカン・ユートピア

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デヴィッド・バーンが率いるバンドのステージの映像化。2019年のNYでのライブだ。監督はスパイク・リー。ぼくにとっては昔からお世話になった2人のコラボだし、デヴィッド・バーン=ライブ映像といえばほぼ全員引き合いに出すライブ映画の名作、『ストップ・メイキング・センス』を思い出す。いそいそと見に行った。

デヴィッド・バーン。ふつうにビッグネームだと思うけど、「誰それ?」っていう人の方が圧倒的に多いのかな。彼のバンド、トーキング・ヘッズの曲は好きだった。”And She Was”なんて「ふっと脳内再生する曲」ランキング上位だ。最近は名前を見かけることもあまりなかったけれど、日本でいえば細野晴臣みたいに、不特定多数にとっては見えにくくなっていても、音楽界ではレジェンダリーな存在なんだろう。

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ほかにバーンが細野晴臣的なのは、どんどん音楽的スタイルを変えていくところだ。もう一つ、いわゆるロックバンドの形からスタートして、ルーツミュージックのエッセンスをどんどん飲みこんだ、ミクスチャーというかパスティーシュ的な音楽をその時その時で作ってきているところだ。

バーンはスコットランド生まれ、NY育ちのひょろっとしたアート系でファンキーな雰囲気じゃない。でもアフリカやブラジルのリズムが好きで、見た目以上にグルーヴのある曲を聞かせてくるとこは初期から一貫している。本作で見せる/聞かせる最新のステージでもそこは同じだ。

映画は、ほぼステージの魅力を再現することに徹している。バーンのドキュメンタリーじゃないしドラマもない。ステージが始まって映画ははじまり、アンコールが終わると映画も終わる(オマケはあるけど)。あたりまえだけど、演っている音楽にハマれなければそんなに面白くはないだろう。

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ただ、70歳の老人が率いるバンドなんてシニア向けのエンタメでしょう?と食わず嫌いだと少しもったいないかもしれない。さっき書いたみたいに曲はパーカッシブで懐メロ的な叙情はいっさいないし、ステージ演出はミニマルでありつつ曲ごとにドラマチックに雰囲気を変えてくるし、楽器を担いだミュージシャンたちは練り込まれた振り付けで自在に動く。ブラックミュージックのノリとは違う、異文化が取り入れたリズム独特の面白さもある。

ミュージシャンが楽器を持って歩き回るマーチングバンドの形式は、ある意味、ルーツミュージックを取り入れるバーンの指向とよくあっている。軍楽隊や鼓笛隊はともかく、アメリカのアフリカ系大学のマーチングバンドは一つの音楽的な伝統だそうだし(それを前面に出した2018年のビヨンセのステージ)、東欧にはロマの人々のブラスバンドもあるし、サンバだってパレードしながらの音楽だし、ニューオーリンズネイティブ・アメリカンのバンド、ワイルドマグノリアスの演奏もストリートで動きながら演奏できるスタイルだ。

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そういうバンドと比べるとバーンのバンドは予告編でごらんのとおり、全員クールなグレイのスーツを着て、ミニマルなステージをバックに動き、土臭さはまったくない。ホーン隊がいないのもらしくなさかもしれない。キーボードとベース、ギターだけなのだ。多分、ステージングを自由に、演劇的にしたいという方が大きかったんじゃないか。なにかの引用というよりはね。

監督のスパイク・リーは時にメッセージを直接ぶつけるような映画も撮るし、職人っぽく洗練された語り口で仕上げる時もある。本作では自分の作家性はほぼ消して、ステージの見せ方に徹している。1曲をいろんな方向から撮っていてもカメラはほとんど映り込んでいない。何回かのショーを撮った映像の編集だろう。構成も振り付けもかっちり決まっているステージだから違う日の映像を繋いでも変じゃない。変にエモーショナルな手持ちカメラ的映像もなく、撮る側は決して前に出てこない。

ちなみにショーは政治的メッセージに満ちている。バーンは何度も「投票に行きましょうよみなさん」と呼びかける。映画の最後にもVOTE!というテロップが出る。2019年末のステージだから当然翌年の大統領選のことだ。途中ではジャネール・モネイの『Hell You Talmbout』を合唱する。そこだけ曲に歌い込まれている犠牲者とその家族の映像が差し込まれる。BLMに直結した曲を白人が多数派のバンドが歌う。居心地のいいパフォーマンスじゃない。「手軽に寄せてくるなよ」と言われかねない。バーンは曲の前に説明していたけれどもちろん批判覚悟で取り入れたんだろう。メッセージと一体になったショーだ。

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そういう面はありつつもステージは十分にエンタメだ。バーンは歳を取って明らかに歌が上手くなり、声が響くようになった。バンドも上手く、それに独特の、不思議としかいいようのないダンス。これで音響にもう少し迫力があったらとは思うけど、ライブ的に楽しめた1本だった。

■写真は予告編から引用

 

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