デヴィッド・リンチ R.I.P. マルホランド・ドライブ&ジャックは一体何をした?

デヴィッド・リンチ、亡くなってしまいましたね。まだ70代で、あの毛量からは信じられないのだけれど、晩年は相当に衰弱していたそうだし、LAの大火災からの避難生活が最後の一押しになってしまったともいうし....安らかに。

🔹マルホランド・ドライブ

ストーリー:ベティ(ナオミ・ワッツ)はカナダからLAにやってきた女優志望。業界にいた叔母の豪華なアパートメントに住む。ところがそこには交通事故から逃げ出し記憶を失ったリタ(ローラ・ハリング)がいた。訳ありの彼女を助けながらオーディションに行き女優への夢を追うベティ。でも彼女を取り巻くハリウッドは陰謀や圧力や見えない暴力が渦巻く世界だった....

2001年公開。もはや古典と言っていい作品だ。本作は元々TVシリーズとして計画されて、2時間近くのパイロット版を制作したのに企画がストップしてしまい、フランス資本が援助して追加撮影して劇場映画にした。いわゆる「LAダークサイドモノ」というか、女優志望の若い女性がショービジネスの闇に飲み込まれて悲劇を迎える物語、そのジャンルを発射台にして、リンチワールドに飛翔していく感じだ。

物語は時間でいうと2/3くらいのところでガラッと変わる。ふつうに考えれば前半がパイロット版の部分だろう。夢幻的なシーンは少なくて一見下世話なLAモノっぽい群像劇になっている。なんの説明もなく唐突に癖のあるキャラクターが出てきてワンエピソードで消えたりするのは、TVシリーズを圧縮したパイロット版だからだろう。でもそれがいかにもリンチっぽいというかコラージュ的な面白さになっている。

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(c)Universal Pictures via The Guardian

前半部のベティは人工的そのもののイノセントな笑顔をマスクのようにかぶり、記憶も行き場もなくて何かに怯えている訳あり風のリタといいコントラストになる。見た目にも白と黒のペアは同じLAダークサイドものの『ブラック・ダリア』を思い出す。「黒」側のローラ・ハリングはメキシコ出身で、スイスで教育を受けたりドイツの伯爵夫人に一瞬なったり、文字通りの訳ありで人生的な厚みも相当ありそうだ。物語は2人の親密な雰囲気を中心にまわる。

後半パートではナオミ・ワッツハリングもがらっと雰囲気が変わって同じ顔なのに同じ人物に見えない。場所やキャストの再配置の仕方も含めて前半の作りもの感がきわだつような面白さがある。物語の転換点近くで、2人が深夜に劇場に行くシーンがある。一応客もいるのだがステージ自体がシュールで、暗い劇場で照明に浮かび上がる赤い緞帳がいかにも象徴的だ。この感じ、いろんな映画で見たことがある気がするんだけれど、なんだっただろう。前に本作を見た時の記憶だったのか....

本作はリンチ作品いつもながらの難解さやイメージの自由さがあって考察ものがいくらでもある。だいたいは「前半は夢か妄想、後半が現実」という解釈だ。お話としてはそう解釈すると収まりがいい。だけど最初からそのつもりで撮っていたらこの感じにはならないだろう。制作の事情を考えれば、前半もふつうに物語として撮っていたんじゃないか。だからこそ逆に「夢もの」めいた狙った感じがしない独特の味わいになったような気がする。

映像は、時代的に夜景なんかは不鮮明だし、特殊効果もわりあい素朴なところもあるけれど、女優2人の写し方を含めてなんともいえないこってりした濃密さとリッチさがある。もちろんリンチならではの独特のビジュアルイメージがところどころに差し込まれる。くらべるのもなんだけど、LAショービジネスのダークサイドを題材にした『アンダーザシルバーレイク』が薄味なジェネリックに見えてこないでもない。

 

 


🔹ジャックは一体何をした?

<公式>

Netflixオリジナル、カルティエ財団出資の短編。2017年公開だからリンチ作品としては最近作だ。出演、デヴィッド・リンチ(捜査官役)、サル(本人役)、雌鶏(本人役)、女優(ウェイトレス役)の4名。基本は捜査官とサルの会話劇で、サルは口だけCGで合成されて、中年男の声で捜査官と意味の通らない、でも妙に含蓄を感じる会話を繰り広げる。

それぞれが話すときにカットが切り替わるから、セリフのカットを編集でランダムに組み合わせて作ったのかもしれない。シュールリアリズムの作家がやるみたいなあれだ。映像はずっと同じで声をかぶせているだけだから、順番をどうやってもシーンの繋ぎには関係ない。編集もリンチ本人のクレジットだ。

後半になるとセリフに一貫性が出てきて、何やら愛を歌い上げるシーンになる。

全部で17分くらいだからNetflix加入の人は気軽に見るのも悪くないです。ただし短編とはいえその催眠力は強力で、この短時間でぼくは途中寝落ちしてしまい、もう一度見ることになった。

アーチストとしてのリンチの若い時代を語っているのがこちらだ。

2024年書き漏らし コカイン・ベア,バビロン,首,窓ぎわのトットちゃん,地面師+極悪女王

🔹コカイン・ベア

実話ベースの物語。2023年公開。森の中に放置されたコカインを摂取した熊が凶暴になる話。こんな実話があればそれは映画化したくなるだろう。実際は適量を知らなかった熊はオーバードーズで死亡したそうだがそこは映画。

ギャングが密輸したコカインと一緒にパラシュートで降下しようとして墜落、コカインは森に散らばる。それをパフパフと豪快に食べてハイになるモンスター熊。走れば40km/h超、木登りも人より得意でハンドスピードも人間離れした熊から逃げるすべはない。狙われないことだけがサバイブの道だ。

物語的にはこじんまりとしていてコメディとゴア描写の合わせ技、予告編は完全にコメディトーンだ。主人公は共感を得やすいシングルマザーで愛する娘と友達の少年を救いに熊の森に乗り込む。かれらの前で、ハイカー、森林レンジャー、救急隊員、警官、それにイキった少年チームなどがあらわれ、いいテンポで熊の餌食になる。

一方コカインを回収したいベテランギャングとその手下たちも森に入り、別のスリルを提供する。ギャングは最近亡くなったレイ・リオッタだ。死者は多いが後味は良い。

 

🔹バビロン

デイミアン・チャゼル監督、2022年公開。1920年代のハリウッド、まだ素朴な映画撮影の現場が音声付きのトーキーに変わっていく時代の人間模様だ。主人公は無名の女優志望からスターに成り上がる女(マーゴット・ロビー)、撮影現場で働く青年、それに無声映画時代のスターでトーキー時代についていけない男(ブラッド・ピット)。

この時代の撮影現場といえば、まずは思い出すのが『グッドモーニング・バビロン』だ。本作より10年くらい前が舞台だろう。逆に10年くらいあとを描いたのが『Mank』だ。こちらも撮影現場シーンが楽しい。

それにしてもハリウッド=バビロンの異名はやっぱり『ハリウッド・バビロン』からの連想だろうなあ。ケネス・アンガーのルポである種トンデモ本だけど、タイトルにも、華やかな表舞台の裏のドロドロという題材も、人々の意識に刺さる強さがあったんだろう。

物語は、楽天的・狂騒的な序盤から始まって、サクセスストーリーを挟みつつ、時代が移り変わって色々と物悲しくなっていく定番の展開で、十分に盛りだくさんかつ豪華なんだが、なんだろう、「声が太い」感じがあまりしなかったかな。

 

🔹首

2023年ようやく公開。戦国時代のいつものスターたちの関係を、セクシュアリティをいわば動機として見立てる一作。北野武自身は昭和だからというべきなのか、非常に濃厚なホモソーシャル世界の住人だと思うし、「ホモセクシュアルを笑いのネタとして扱う」作法が染み付いているタイプだ。かれの映画では男性同士の関係性は濃淡や味わいの微妙な描き分けがあるのに比べて、セックスが前面に出てくることがあまりないのもあって、女性キャラクターは割と機能的・記号的なことが多い。

そんなかれが本作ではあけすけに男性同士のセクシュアルな関係を描いているわけだけど、性別は置いておいてもあまり色気がある描き方には思えなかった。それもこっけいさとして描いているということなのかね。実際と関係なく生物として老人に近い豊臣秀吉(たけし)が性から解脱していて、そのせいもあって俯瞰的にライバル大名たちのドタバタを見下ろしているみたいにも見える。

 

🔹窓ぎわのトットちゃん

2023年公開。基本的には子供も大人も安心して見られる作品ということなんだろう。絵柄や子供の振る舞い描写は(意図はわかりつつも)自分の好みではないけれど、メインターゲットから遠く離れているんだし当然だ。それでも嫌いになれないのは、戦前〜戦中の自由が丘や九品仏、緑ヶ丘や洗足あたりを描いたシーンがなんともいえず好きだからだ。

ぼくにとっては「戦前城南地区モノ」のラインナップに入る。当ブログでいえば『生まれては見たけれど』『小さいおうち』と並ぶ一作だ。ようするにこの辺りで生まれ育った自分のノスタルジー(どの景色も映画からはだいぶ変わっていたけれど)をかき立てるのだ。

トットちゃんの家は割合裕福で、彼女の家の近所のシーンも洋風の立派な戸建て住宅が並んでいる。しょうしょうファンタジックな描写にも見えるけれど、洗足は田園調布とならんで同じデベロッパーが同じように開発したエリアだからまったくの嘘じゃない。洗足ほどじゃなくてもちょっと洋風テイストが入った住宅地はあのあたりには多かったのだ。そんな風景を丁寧に描いてくれたのがすごく良かった。

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洗足 from wikipedia

🔹地面師・極悪女王

Netflixはぼくにとってはいかんせん映画に弱い。「あれあるかな?」と思ってあったことがほとんどない。逆に自分が知りもしない謎エンタメ作品が驚くほど豊富だ。冷静に振り返ると元が取れてるのかかなり微妙になってくるのだが、オリジナルシリーズがあるから命を繋いでいる感じだ。

上の2作、ぼくの視界に入るネット文化圏ではかなり話題、かつその界隈だけでいえばけっこうな視聴率だ。『地面師たち』は大根仁、『極悪女王』は白石和彌、どちらも当ブログでもお馴染みのエンタメ系作り手だ。

....とここまで書いて、両作品について何か言えることがほとんどないことに気がついた。どっちも知らない世界だしね。知らない世界を、実話ベースで本物の迫力を垣間見ている気分にさせつつ、同時に明らかにエンターティメントとして見やすくしていることを視聴者に分からせる、虚実の混ぜ方や画面の説得力がいいんだろう。

女子プロレスの描写については、プロレスご意見番からは辛口コメントもあったけれど、そういうものとして見れば十分没入できた。プロレスといえばWWE会長ビンス・マクマホンのドキュメンタリーも相当に面白い。

PERFECT DAYS & 落下の解剖学

<公式>

ストーリー:江東区スカイツリーのふもとのアパートに住む男、平山(役所広司)。毎日早朝に出発し渋谷区のデザイントイレを清掃する。午後になると近所の銭湯で汗を流し、浅草の居酒屋で一杯、布団で文庫本を読みながら寝る。そんなルーティンの中にちょっとした人々との出会いや心のざわめきが起こる.....

去年の今頃日本公開された本作、ヴィム・ヴェンダース監督作の中でも最大のヒットらしい。本作は皆さんご存知のとおり、渋谷区を巻き込んで動いている「The Tokyo Toilet 」のプロモーションムービーが発端だ。サイトを見れば分かるように「丁寧な清掃」が大々的にうたわれている。NIGOデザインのユニフォームは映画で平山が着ているあれだ。

映画は主人公の決まった毎日をきちょうめんに繰り返す。朝起きてユニフォームを着て玄関から空を見上げ、缶コーヒー(もちろん役所がCMに出てるBOSSだ)を買い、駒形ICあたりから首都高で渋谷へ、トイレを綺麗に清掃する姿をていねいに見せる。主人公は真剣だし、やりがいも感じていそうだ。仕事が終わると気持ち良さげに午後を過ごす。

このルーティン描写は映画としての語り口だろう、もちろん。でも17あるトイレをできるだけ映像で紹介する機能も果たしている。きっちりと時間を取ってね。実在のスタッフが同じように清掃しているから、主人公もすみずみまでモチベーション高く磨き上げなければいけないし、気分よく日常を過ごしているべきだ。脚本家プロフィールを見れば...

的な書き方は最近嫌がられる気がする。素敵で美しい映画ができて、しかもカンヌで主演男優賞もとって、アカデミーにもノミネート、商業的にも成功してる。企画意図がどうとか分かったふうなネガティブコメントしたところで、作品として実によくできているのだ。ちなみに公式サイトも日本映画の中では頭抜けて洗練されたミニマルデザインだ。

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(C)2023 MASTER MIND Ltd.  via. 映画.com

公開から1年、大体のイメージは分かって見始めた。でも思っていたような静謐で淡々とした映画とはちょっと違った。まず編集テンポが早いのだ。平山の平穏な日常はエネルギッシュな手持ちカメラで至近距離から捉えられ、掃除シーンにしろオフタイムシーンにしろ、どんどんカットが切り替わる。静謐系日本映画の、フィックスのカメラで安定した構図、長々と続くカットの中で小さい動き、みたいな感じじゃない。シーンは思っているより少し早めに切り替わり、平山の日常はなかなかに活気に満ちたスピーディーなものになっているのだ。そのリズムは後半少し切り替わる。平山の内面なのか、モノクロームの粒子が粗い、どこか抽象的な風景がインサートされて、そこはテンポを落としている。

それからカラーリングも、作家系日本映画を見慣れた目には圧倒的に華やかだ。アパートで目がさめる平山には暖色系のトーンに朝のブルー系の外光、アクセントに紫の光が入って、どう見ても地味な木賃アパートの室内じゃない。紫の光は平山が室内で大麻栽培みたいに育てている植物の育成ライトの光だから一応物語上も実在するんだけど、照明として実にきいている。それ以外も朝のブルー系の風景だったり、美しいトイレの作業風景、公園の木漏れ日、それにライティングに照らされまくったトレンディドラマ的な隅田川の煌めき。撮影やポストプロダクション、編集はドイツ側スタッフだ。ぼくがよく感じる、日本映画の意図的にも感じる殺風景な撮り方とはすべてが逆だ。

もちろん登場人物も。役所広司は当然しょぼくれた老人の佇まいじゃない。ファンタジックなまでに彼に親しげな周囲の女性たちもモデルや美形の女優たち、公園で見かけるホームレスすら、舞踏家の田中泯だから背筋がすっと伸びてシルエットが美しい。

だから主人公のささやかな暮らしもまったく物寂しく感じない。豊かな生活として描くことに完璧に成功している。

ただ、ふと思う。平山の素敵な暮らしは、彼が住んでいる雰囲気のいい木賃アパートと同じで、そんなに堅固なものじゃない。ちょっとしたことで、その素敵さはすぐに損なわれて、色褪せる。身体的理由でも経済的基盤の揺らぎでも。それだけじゃなく、彼を囲んでいる素敵な居場所は全部絶滅危惧種だ。銭湯、格安チェーンじゃない大衆酒場、街の古本屋、フィルムを現像してくれる町場の写真屋。見ながら「今年の今だったら、一杯飲んで自転車で帰れないじゃん」と思った。

ちなみに平山が住むアパートは亀戸のここ。浅草まで自転車で15分くらいで行ける。他の行き場所もちゃんと徒歩で行ける場所に実在する店だ。ファンタジックな東京だけど、かろうじて実在はしている。


🔹落下の解剖学

<公式>

ストーリー:フランス北部の山荘には作家のサンドラ、夫のサミュエル、そして目が見えない息子のダニエルと愛犬スヌープが暮らしていた。ダニエルが散歩から帰ると父が雪の上に倒れている。その死因は。やがてサンドラは殺人の容疑者としてスキャンダラスな裁判にかけられることになる.....

本作は女性監督による、男性パートナーとの共同脚本による一作だ。彼女ジュスティーヌ・トリエの過去作は見たことがないけれど割と一貫したモチーフではあるみたいだ。とはいえこの強靭な女性像は、男性監督作だけど『Tar ター』や『 Elle』『Happy End』を思い出した。

ザンドラ・ヒュラーが演じるサンドラは露骨にタフな女性というわけじゃない。ベストセラー作家で夫より社会的に存在感があり、しかもバイセクシュアルでなんなら夫より性的にアクティブな妻。セリフでも「モンスター」と呼ばれる。でもその属性は説明されるだけで、サンドラは夫を失い、傷ついた息子を気にかけ、裁判の行方に気を揉む女性として振る舞う。

この辺りを男性作家が描くと少しファンタジックにタフにしてしまうのかもしれない。彼女を支える、過去に愛した弁護士がいかにもフランス的な小柄で細面のイケメンで、2人の微妙な関係性もいい。すべてにおいてはっきりさせないのが本作の作風だ。事件の真相も、息子の思いも、サンドラの心中も。

ロケ地はアルプスに近いこの辺りらしい。モデルになった山小屋は映っていないけれど、似たような小屋が見えている。途中のシーンで、あるところだけ雪深くて、少し離れると全く雪がなかったり...というのが奇妙だった。

THE BIKERIDERS ザ・バイクライダーズ & PIG ピッグ

youtu.be

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ストーリー:1960年代、シカゴ近郊の整備士ニッキー(トム・ハーディー)は友人たちとバイクのクラブを立ち上げる。VANDALSというそのクラブの溜まり場に連れられてこられたキャシー(ジョディ・カマー)はベニー(オースティン・バトラー)に一目惚れし結婚する。無口で何にもとらわれないベニーは家族よりバイクとクラブを大切にしている男。クラブはだんだんと拡大して変質していく.....

1968年に出版された写真集がインスパイア元。作者はOutlawsというクラブのメンバーになり、仲間にインタビューして写真を撮り、それを本にした。本作の主人公たちもモデルがいるし、リンク先を見ると「このカット、映画にあった」という写真がいくつもある。

 The Bikeriders – Twin Palms Publishers

https://www.twinpalms.com/cdn/shop/products/Danny-Lyon-The-Bikeriders.jpg?v=1718825389&width=400

映画は本の作者(マイク・ファイスト)がインタビューし、ベニーの妻キャシーが昔を振り返るナラティブの形で進む。舞台が1960年代後半を描いたノスタルジックなものだから、回想の形で描くのはしっくりくる。語り手がいることで登場人物たちはなんだか神話的な空気をまとうようになる。語り手の「現在」も50年くらい前だ。

クラブは1960年代にダートバイクでレースを楽しんでいたニッキーが仲間と結成した。オフロード時代とはバイクも変わって、クラシックなハーレーでゆったりと走る。この辺りビンテージバイクに詳しい人ならいくらでも掘りがいがありそうだ。

物語自体はっきりいって大したことない。あまりにも既視感ある展開だ。仲間たちと楽しくやろうと始めたクラブがだんだんデカくなる。知らない奴らがメンバーになりたいとやってくる。よその街でも支部を作りたいと話がくる。過激な暴力を求める下の世代がメンバーに入ってくるとクラブの空気も変わってしまう。そして犯罪組織そのものになっていく。ラスト前の展開もクリシェそのものだ。ぼくはギャング映画や無数のヤンキー漫画でこの手の物語を摂取してきた。

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(c)Universal Pictures 2024

イカーズクラブの多くは本格的に犯罪者集団になっていき、物語のモデルになった"アウトローズ"もFBIに犯罪組織として指定されている。本作ではその辺りのシリアスな部分はほとんど描かれない。あくまでもメンバーの妻だった女性が語る思い出の「物語」なのだ。

本作のコアはストーリーテリングや展開じゃない。定番の物語は観客を連れていく乗り物で、見える景色はトム・ハーディーやオースティン・バトラーやマイケル・シャノンたち絵になりすぎる役者たちが描き出す。ベニーは漫画的なまでに絵になり、無口でメランコリックで束縛を嫌い突然暴力の発作を起こすブロンドリーゼントの美青年、ヤンキー系少女漫画の憧れの彼氏像そのものだ。そして気持ちよくエイジングされたレザーやデニムのコスチューム、ビンテージのバイク、オハイオの風景。

そんな「世界」を、写真集を開いたときにモノクロで息づいていた数十年前の世界を、空気感ごと映し出したかったんだろう。それはたしかに完成している。昔話を語り終えた、平穏な暮らしに戻ったキャシーは、いま幸せかと聞かれて「うん、幸せだよ」と答える。そんなに幸せそうじゃなく。


youtu.be

<公式>

ストーリー:オレゴンの森の中でひっそりと暮らすロブ(ニコラス・ケイジ)。彼は孤独ではなかった。愛するブタとトリュフを探し夜は一緒に寝る。毎週仲買人がトリュフを買い付けロブは暮らしていた。ところがある夜ブタが強奪される。ロブはブタを取り返すために仲買人と街まで出る。かつて妻と暮らし名シェフとして働いていたポートランドだった.....

まず言っておかなければいけないのが、ここで出てくるブタは皆さんが想像するような肌色で太り切った鈍重な家畜じゃない。トリュフを嗅ぎ分ける特殊能力のあるブタで、毛並みはブラウン、体もスリムで顔もそこそこシュッとした、雰囲気的にはペットの犬みたいな存在だ。とはいえタイトルが一言「ブタ」だと観客はどんな物語を想像すればいいのか、あまりにも手がかりがなさすぎる。

ブタは物語的にいえばマクガフィンのようなものだ。つまり主人公の動機としてだけ機能する。だからブタは物語序盤で姿を消してしまう。強奪されてるからね。物語的にはブタでなくてもいいのだ。トリュフ犬だって世の中にはいる。味わい重視なんだろう。愛犬への想いが動機になるとジョン・ウィックになってしまう。

本作のニコラス・ケイジの演技は各方面で称賛されている。どっしりとした重量感があって、薄汚れたへんくつな老人の風体ながら、物語をひっぱっていく目の離せない何かがちゃんとある。とはいえだいぶ人相が変わっていて年齢とヒゲのせいだけとも思えない。特殊メイクをしていそうだ。言われないとケイジだとわからない。

物語としてはかなり薄味で強烈な起伏はない。男の喪失の物語で、すでに大事なものを失った主人公は物語の中でまた大事なものを失おうとしている。そんな怒りと悲しみの中にいる彼は、でも戦いでじゃなく、与えることで人を動かそうとする。シェフとして昔無数の人々に幸せを与えてきた料理でだ。彼は色々なものを失うけれど与える能力が残っている。だから本当のからっぽにはならないのだ。最後にかかる曲、古い古いカセットテープから聞こえる、彼の記憶の中の声だ。

本作は舞台になるポートランドと周辺で撮影している。ポートランド付近のオレゴンでトリュフはじっさいに取れるそうだ。イタリアものほど高価じゃないらしい。超余談だけどポートランドってグリーンインフラ関係者が何かというと視察に行きたがる街だ。ロケ地は例えばこんなところ。

 

タッカー & ブラックベリー 〜イノベーターと夢と曲者と

ストーリー:プレストン・タッカー(ジェフ・ブリッジス)は第二次対戦中、軍用車を開発していたエンジニアだ。彼には夢があった。ビッグスリーが販売しているような安全性にも問題がある古臭い車じゃない、未来の車を作って売るのだ。パートナーを得てプロジェクトは強引とも言える勢いで進んでいく。でもライバル企業や紐付きの政治家たちが......

1988年公開、監督フランシス・フォード・コッポラ。実在の名車とその開発者の物語を華やかに描いたハッピーな映画だ。タッカー48モデル(トーピード)は1948年に製造・販売。とはいっても51台しか作られなかった。シートベルトやハンドル追従式のライト、安全性に配慮したフロントガラスの採用など、とにかく先進的な車だったらしい。ビッグスリーのモデルにも長くて低いファストバック型はあったけれど、見た目もいかにも新鮮だ。

映画の中のタッカー氏は明るくて楽天的でカリスマがあって、いかにもベンチャーの創業者風だ。そして切れやすい。唐突に切れて備品を壊したりしている。じっさいはかなり空手形風に資金を集めたりもしていたらしいし、それで政治家の罠にはまって詐欺罪の被疑者にもなってしまうけれど、家族全員に愛されてサポートされて、真っ直ぐに夢を追う愛すべき人として描かれている。

お話は後半法廷劇になる。タッカーは被告人として巨大自動車産業と立ち向かわなければいけないのだ。ただその辺りも法廷や陪審員である「良識あるアメリカ人」への信頼が見えるポジティブな描き方だ。『シカゴ7裁判』みたいにクラシックで威厳ある場所として法廷を描く。

映像も描き方もあえてのクラシックなもの。曲面が美しいタッカーの実車を何十台も撮影用に集結させて、その写り込みを優雅に撮る。劇伴は1980年代にはイギリスでニューウェーブの一派に入っていたジョー・ジャクソンがビッグバンドジャズ調のきらきらしたサウンドを聞かせる。不穏な曲なんてなく、これも自然と楽天的な気分になるだろう。

後半で何十台ものタッカーがシカゴの市内をパレードみたいに走るシーンがある。よく撮ったなあとも思うし、何十年も保管していた車を貸し出したオーナーたちにも素敵な思い出になっただろう。車のパレードと楽天的な音楽、タチの『プレイタイム』みたいだ。描きようによっては苦い挫折の物語にもなる本作を前向きで夢がある、主人公が愛される映画に仕上げたのは昔からタッカーにシンパシーがあったコッポラの思いだったんだろう。亡き息子に捧げられている。

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(c)Paramount pictures via imdb


🔹ブラックベリー

ストーリー:カナダ、トロントに近い街、ウォータールー。マイクとダグは幼馴染で2人ともハイテク系エンジニアだ。新しいデバイスのアイディアはあるけれど商売はまるで下手。そこに根っからのビジネスマン、ジムがチャンスを求めて乗り込んでくる。ジムに強引に引っ張られてビジネスは大成功し、スマートフォンの元祖、ブラックベリーは爆発的に売れる。けれど2007年、衝撃的な新製品が発表される......

衝撃的な新製品。もちろんiPhoneのことですね。物語のモデル、実在のマイクはこの発表を自宅でエアロバイクを漕ぎながら見ていて衝撃を受け、レベルが違うと感じたらしい。でもブラックベリーの売り上げは2011年に最大になっているし、2009ー2010年頃にスマートフォン世界シェアも40%超になっていたのだ。すぐに逆転があったわけじゃないんだね。まあそれでも今は誰でも知ってるとおり。会社はしっかり生き残っているけれど、ブラックベリーのスマフォは消えてしまった。

・・・という短い間のアップダウンを描いた2023年のカナダ映画だ。監督も、俳優も1人を除いて知らなかった作品だけど面白い。ものすごくシンプルな栄枯盛衰の物語で、「なんでもない奴ら」が成功者になっていき、だけど現実に押しつぶされ...的な話を快調なリズムで語っていく。

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(c) Elevation Pictures. via amazon

主役の3人のキャラクターの描き分けも実に分かりやすく、気弱な技術者マイクは本当におどおどしてはっきりものが言えないし、ダグはナードそのものの格好で好きな映画の話ばかり、ジムはすべてが上からの物言いでしかも切れやすくかつ強引だ。実物のジムは「95%創作だ」と言っているそうだけど、決して映画のキャラが嫌いじゃないようだ。

他の2人もそれなりにカリカチュアライズされてるんだろう。『ショーン・オブ・ザ・デッド』のサイモン・ペッグニック・フロストみたいなのだ。ちなみにマイクの実物は映画みたいな弱々しいタイプでもない、ギリシャ系トルコ移民の人だ。映画だと最後は『フェラーリ』のアダム・ドライバーみたいな雰囲気になっていく。素朴なナード魂を最後まで失わなず、ビジネスマン化するマイクと距離ができるダグには、しめにほっとするエピソードが用意される。

ぱっとしない若者が成功したビジネスマンに変わっていく感じ、テック系でいえば『ソーシャルネットワーク』か。あと『ウルフオブウォール・ストリート』も雰囲気は似てる。もっとぴったりくるのがありそうなんだけどなぁ。思い出せない。

話自体はだいぶ単純化しているんじゃないかという気もする。ブラックベリーの凋落は、まずはiPhoneというゲームチェンジャーが現れてしまったこと、それでも従来型(物理キーボード付きモバイル)に固執したこと、それとジムが強引すぎたこと、という感じに受け取れる。

マイクたちの会社では毎週金曜にみんなで映画を見るイベントがあった。『レイダース』とか『ゼイリブ』とかだ。ダグのセリフのネタになるのは『スターウォーズ』や『DUNE』(リンチの奴だろう)。好きなんだろうなあ、こういうのが。あと鬼軍曹的上司の役でマイケル・アイアンサイドが出てくる。『スキャナーズ』で頭を吹っ飛ばす超能力者役で大活躍した彼だ。