Mank / マンク

ストーリー:1940年代、アメリカ。ハーマン・J・マンキーウィッツ、通称 ‘マンク’ は新進気鋭の監督オーソン・ウェルズの新作の脚本を書くため田舎の一軒家に缶詰めになっていた。メディア王ハーストをモデルにした、トラブルの種になりそうな物語だ。1930年代のハリウッドで、メジャースタジオに所属し、扱いにくい性格ながらも脚本家として働いてきたマンクは、いかにしてそれを書くことになったのか....

ぼくは「今の現役監督で〈巨匠〉になるのは誰だろう」とぼんやり妄想するのが割と好きだ。そもそも巨匠の定義が曖昧だから妄想くらいがちょうどいい。歴史に残る代表作があって、作家性があって、映画史の話に死後も名前が出てくるような人。ポランスキーやスコセッシ、スピルバーグたちはもう枠に入ってるとして、クローネンバーグ、タランティーノコーエン兄弟、下の世代だとノーランやポン・ジュノポール・トーマス・アンダーソンも候補に入れたい。で、作品数は少ないけれど、デヴィッド・フィンチャーも巨匠候補だ。

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本作はそのフィンチャーが監督、ウェルズの古典的名作『市民ケーン』を題材にしたドラマだ。アメリカ映画近年の「良作」枠に多い実話ベースの物語でもあるし、過去の映像スタイルのパスティーシュ(例えばこれ)的作品でもある。『市民ケーン』制作の背景を『市民ケーン』を思わせる構成や映像で描くという、人によってはすごくとっつきにくいだろう映画だ。だからメジャー制作会社では作れず、Netflix制作・配給ではじめて実現したんだろう。

配信メインの公開になって何度も見返せるのはいい点だ。めくるめく映像体験モノとか気軽な快楽を得られるエンタメとかじゃなく、噛み締める系の作品だし。ただし作品の魅力が相当部分映像の美しさにあるから、本来なら劇場、配信でもできるだけ高解像度の大画面で、いい音響で見ないとつまらない。

予告編でわかる通り、昔風の画面にして、フィルム風の傷やマークやテロップをわざわざ入れ、画面はモノクロームだ。その階調が素晴らしい。シーンはしばしば逆光で撮られている。窓や奥の部屋からの光が正面から差し込む室内シーンが多いし、撮影現場のシーンではわざわざこちらに向いているライトを入れたりする。たぶんものすごく繊細なライティングをしているんだろう。クラシックなモノクロ時代の名作みたいに、暗い部分の微妙な濃淡がなんとも美しい。暗い室内シーンと窓の外で遊ぶ子供を同時に見せるような、『市民ケーン』オマージュの一つだろう。

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冒頭は、主人公が執筆用の一軒家に連れてこられる黒い車列のシーンだ。ぼくは最初手近なモニターで見始めたけれど、冒頭で「これは...!」と急に姿勢をただして大画面をセットして最初から見直した。別にカーアクションでもない、このシーンに魅力を感じられるひとは間違いなく本作を楽しめる。ていうかまあ、本作を見るひとはフィンチャーがそれなりに好きだから心配いらないか。

映像だけじゃなく、音響も、そして芝居も昔の映画風だ。特にマンクのセリフ回しは聞いているとちょっと違和感がある。いま自然に聴こえるイントネーションじゃなく、トーン高めで語尾を下げる口調だ。黒沢清が『スパイの妻』でやっていたことをさらに徹底した感じだ。うごきも多少そんなところがあるだろう。

フィンチャーの最近作らしく『ゴーン・ガール』で「まるで高級サルーンにのって高速をクルージングしているみたいな映画」と形容したような、映像の上質感は揺るぎない。ただ、テイク数が異常に多いことで有名なフィンチャー作品、本作も例外じゃないから、さりげないシーンも、100回撮り直して作り込んだ映像の集積か....なんて考え出すとだんだん息苦しくなってくる。その辺りはいったん忘れて没入したい。

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物語は、わりと正面から「映画を作ること」の矜持ときびしさを描いている。この時代から映画会社はもちろん経営が第一だし、資本家である経営者は保守政党を応援していて、メディア王とも繋がっていて、時には政治的意図をもった映像を流す。マンクはアルコール依存症の皮肉屋で、やる気を失い一度はノンクレジットの脚本執筆に合意したけれど、映画という表現への思いは持ち続けているのだ。モデルにされたハーストの圧力で、作品も監督ウェルズも以後不遇になった『市民ケーン』の歴史を前提にした物語だ。実在事件の知識が前提の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』とそこは同じだ。

主人公マンク役のゲーリー・オールドマンは、上で書いたみたいな複雑なキャラクターで偏屈な老人風にも見える。マンクは執筆時点で40代、60代のオールドマンは実像より老けていて、弟や若い女優が演じる腐れ縁の妻とのバランスがやや奇妙だ。あえて特殊メイクは避けて、たたずまいや演技力を優先したんだろう。ワイルドさと繊細さとおっさん的哀愁が絶妙にブレンドされ、シュッとした役者でははまらない。ヒロインは、ハーストの愛人で実力不相応に推される女優、マリオン(アマンダ・サイフリッド)。誇りを持ちづらい立場だけど、主体性がある魅力的なキャラクターになっている。

■写真は予告編からの引用 


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2020書き漏らしいろいろ

 ダイナマイトどんどん

ストーリー:昭和25年、北九州小倉。対立するヤクザ組織の抗争に頭を痛めた警察は、それぞれの幹部を呼び、野球の試合で決着をつけるように命令する。勝てば盛り場のシマをものにできるのだ。加助(菅原文太)はチームリーダーになり、元プロ選手(フランキー堺)をコーチに、野球ができる組員を集めて練習をはじめる....

1978年、大映東映。監督は岡本喜八菅原文太の代表作、超絶ヒットしたシリーズ『仁義なき戦い』公開の数年後だ。本作も戦後混乱期が舞台のヤクザ集団劇、しかも文太主演だからイメージ的には重なる。企画自体、最初から文太主演で進んでいて、本人も乗り気で加わっていたらしい。

とはいえ、舞台は似ていても話のトーンはリアル志向で殺伐とした『仁義』シリーズとは全然違う。主人公の加助は純情で一本気で喧嘩っ早い、むかしながらの任侠映画のある種の主人公タイプだし、ライバルの豪腕ピッチャー銀次(北大路欣也)は、雇われの凄腕剣客風だ。警察署長(藤岡琢也)も無数のドラマで見覚えがあるようなキャラ。

岡本喜八作品の中で言うと、ドライなアクション+集団喜劇タイプに入る。伝説のアル中ピッチャー役の田中邦衛などは完全にギャグの演技だ。そこに分かりやすい極道の純情恋愛エピソードをかまし、全体は『がんばれベアーズ』タイプの、ダメなチームが成長していくストーリーで仕上げる。殴り込みで怪我した体で全力プレイ的な熱い展開もある。

けっこう力が入った企画だったらしいけれど、残念ながら興行的にはあまり成功しなかった。70年代後半だと新鮮味がなかったかもしれない。ラストに向けての大騒ぎといい、今の視線で見てしまうと、ちょっとドタドタしている。

 

太陽を盗んだ男

ストーリー:中学校教師の城戸(沢田研二)はひょうひょうと生きる男。でも自宅の団地の一室で、盗んだプルトニウムを原料に原子爆弾を完成させていた。原爆を使って日本政府を脅迫するのだ。交渉相手は警視庁の山下警部(菅原文太)だった。脅迫といっても特に思想も目的もない城戸は意味のない要求をくり出していく....

1979年公開、本作はたぶん、前年の『ダイナマイトどんどん』と比べるとだいぶ新しく見えたはずだ。このすぐ後から、日本映画も次世代のつくり手が目立ち始めて、SFやロックや漫画で言われてた〈ニューウェーブ〉めいたムーブメントになっていった。監督の長谷川和彦はその後映画を撮っていないけれど、彼らのリーダー的な存在だった人だ。

本作、まずはやっぱり熱い。いや主人公は醒めた男だ。でも『新幹線大爆破』と似た画面内の熱気は確実にある。関連の記事を見ると色々出ているように、撮影自体超アナーキーで(『新幹線』もなかなかだけど)、スタッフは逮捕覚悟で皇居や首都高や日本橋東急(今はない)あたりの市街地ロケを敢行し、カーアクションやスタントは今見ても「ぬうっ」となるところが結構ある。

主演沢田研二は当時ポップスター全盛期で、『TOKIO』あたりの衣装やステージに凝りまくってTVに出ていた頃だけど、本作では無理に格好良く撮っていない。ぬぼっとして生気がない教師で、妙に行動力がありつつ思想はない、独特の人物造形だ。旧世代代表が菅原文太で、こちらは割と型通りの無骨な刑事役。ただ独特なのは異常なまでの生命力を持ち、ヘリから落下しても何発銃弾を撃ち込まれても戦う戦闘力を持っている。ちょっとのことでは打破できない堅固な旧体制のシンボルみたいだ。

サスペンス要素もあれば、当時の青春映画らしい、行き先の見えないちょっと湿っぽいロマンチシズムもあるし、当時の先端メディア人=ラジオDJが大衆の欲望を可視化して、それが主人公と重なるあたりはこの時代の視点かもしれない。

画面の中の1970年代後半の東京、今と風景が続いているところもあれば、完全に昔風に見えるところもある。

 

■ミス・アメリカーナ

2020年。テイラー・スイフトのドキュメンタリーだ。当ブログでもいくつかミュージシャンの伝記やドキュメンタリーを取り上げてる、それと比べると彼女は際だってクリーンだ。子供の頃からほぼ音楽一筋で着々とキャリアを積み上げてきた彼女には、貧しさからの脱却も、家族との軋轢も、ドラッグやアルコールの問題も、ドロドロの私生活も、そんなものはない。

まあ、現役真っ只中だし、そういう方向の掘り下げが目的じゃないのだ。カニエ・ウエストにディスられた時もそうだったように、自分の意見を押し殺して可愛い女の子でいさせられた若手の時期、悪評=reputationまみれで疲弊した時期、カントリーの世界では特に難しい、女性のエンパワーメントや政治的な意見表明に踏み切った今、という〈成長と解放〉風に描かれる。

そんな彼女だけど、映像でうつされるステージの衣装は常に、やっぱりセクシーだ。そこはどんな風に感じているんだろう。自分のセクシーさをマスに対して表現する、彼女の中では、昔ながらの〈男性中心のエンタメの中で消費されるセクシーさ〉とは違うとらえかたがあるのかも知れない。

  

日本沈没2020 デビルマン・クライベイビー

2018、2020年、Netflixのオリジナルアニメシリーズ。どちらも監督は湯浅政明。『日本沈没』はもうすぐ劇場版公開だ。Netflixが日本でもオリジナルのアニメを作り始めた時、「製作委員会スタイルの日本の環境と比べると、潤沢に資金があるしタブーも少ないし、こりゃ黒船化するぞ」的意見がけっこうあった。

実情は知るよしもないけれど、この2作を見る限り、潤沢な予算を感じる緻密な作品という感じじゃなかった。オリジナル(漫画や旧作、小説)からの脚色の方向性は、市場を考えてのことだろうし、意識のアップデートぶりには抜けの良さもある。

げんなりしたのは動画のしょぼさだ。2作に共通するのはヒロインが陸上の短距離選手というところ。その共通点は面白いんだけど、デビルマンなんか特に、大事なはずの疾走シーンはほぼ真横から見ただけで妙に記号的なのだ。それ以外も視覚的快感が乏しかったなあ。

日本沈没」ではキャラクターのカリカチュアは抑え目で、そこはいいとして、「ここどこ?」レベルの70年代アニメを思わせる風景描写や、単純過ぎるCGモーションで走る車など、リアリズムに基づいたスケール感は正直感じなかった。1家族にフォーカスした物語だとしても、ディザスターものなら背後にそれを感じたい。

湯浅監督は漫画家みたいに自分の絵柄がある人じゃないが、基本的にシンプルな絵を漫画的誇張込みでダイナミックに動かして(音楽のリズムとのシンクロも得意だ)楽しませる。2作とも、その魅力もあまりなかった。

ちなみに彼の過去作品の『ケモノヅメ』(これもNetflixで見れる)は基本設定が『鬼滅の刃』に割と(かなり)似てます。雰囲気は全く違う大人の話だけど。

 

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ハーフ・オブ・イット

ストーリー:エリー・チュウはワシントン州の田舎町の高校生。中国からの移民だ。エンジニアの父は英語が苦手なのでちゃんとした仕事に就けず、田舎の駅の見張りをしている。勉強はできてもクラスの片隅にいるエリーに同級生のポールが声を掛ける。片想いのアスターにラブレターを渡すから、いつもクラスメートの作文を代筆しているエリーに書いて欲しい。しかたなく引き受けたエリーだったが....

前回の『ブックスマート』と同じ女子高校生の青春ものだ。『ブックスマート』に比べると、たぶん本国では地味目な存在だったと思う。パラダイス的な明るいクラスを描いた『ブックスマート』も楽しかったけれど、ぼくには少し憂いを帯びた本作の方がしみた。ただ、人種のフラットな描き方や、ルッキズムを外した語り口は、どちらも共通した今の感覚だ。監督・脚本は中国系のアリス・ウー。

本作のレビュー(本国)で「高校生がこんな風に喋らない」というのがあった。文学的すぎるのか、今風じゃないのか、残念ながらぼくにはわからないけれど(『ブックスマート』のマシンガントークも普通の高校生には見えなかったし)、本作は確かに主人公同世代を中心に狙ってる作品じゃなく、〈あの頃〉を振り返って感慨にふける観客が多いタイプに見える。ちなみに物語の中で高校生たちと絡む音楽も、アコースティックギターの静かな歌か、なぜか1980年代のブルース・スプリングスティーン風ロックだ。なぜ高校生が?

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物語は言ってみれば3角関係ものだ。序盤で主人公エリーは同性のアスターを遠くから見つめ、ちょっとした会話でどぎまぎする。そこへろくに話したこともないポールにアスターへのラブレターを頼まれて「えっ」となってしまう。でも手紙の対話が弾みはじめるとポールのキャラクターを無視してアスターとの対話を楽しむのだ。同士であるポールとの距離も縮んでいく。

でも3角関係から想像するようなラブロマンスが中心じゃない。タイトルがプラトンによる愛の解説をもとにしているように「愛」についての物語ではあるけど。主人公たちは自分がはまり込んだ愛をそれぞれに見つめて「愛ってなんだ」と思いをめぐらすのだ。どっちかというと愛をきっかけにした自分の発見の物語だろう。

本作のセリフ回しはとても間が多い。時には居心地悪くなるくらい。エリーは思ったことははっきり言うけれど、黙って耐えるタイプだし、ポールは口下手でアスターの前に出るとろくに喋れない。そしてエリーの家族では父は英語がたどたどしいから自然と無口になる。『ブックスマート』みたいなテンポのいい早口セリフの応酬みたいなシーンは発生しようがないのだ。

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風景もそんな寡黙なドラマにぴったり合っている。というより作品の雰囲気を、世界を決めているのは、ワシントン州の田舎、という設定の寂れた街だ。エリーと父が働く駅は、1日に何本列車が通るか分からない、誰も乗り降りしないような場所。学校へは森の間を自転車でいく。クラスのイケメンボーイは地元の唯一の産業、砕石生産の会社のあととり息子だ。

ポールの家は昔からのタコス屋で、ポールも自動的に高卒でそこで働くイメージ。アスターはアートに興味があるけれど、家族ぐるみでイケメンボーイと付き合っているから、そのまま結婚するルートが見えている。エリーは成績がいいから先生には大学進学を勧められても、父をおいて街を出られる気がしない。

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そんな田舎の閉塞と、閉じられてしまったように見える将来が主人公たちの出発点なのだ。そして密かに文学を、音楽を、映画を愛するエリーが初めて見つけた、同じ話ができる相手がアスターだった。まったくその手のことに興味がなかったポールもだんだんと物を考える人に変わっていく。

物語はこのジャンルの定番、いろんな葛藤や出会いやあれこれを経て卒業の時を迎え、それぞれに一歩成長した3人は物語がはじまる前の閉塞感から、外への可能性に気が付く。そんな後味がいいお話だ。後半になるとそれぞれがちゃんと語るようになっていく。

舞台になる、少し寒々しい田舎町がすごく魅力的だ。設定ではシアトル近くの北西部だけど、ロケは実はNY州。エリーとお父さんが住む駅舎兼(?)住居はここだ。

通学路は例えばこの辺りも。 ポールがアスターとデートする、多分町で一軒しかないようなダイナーはここだ。日本の信州や東北と似た、東部の森林の風景が、この物静かなストーリーによく合っている。物語の中でそれなりに季節は巡っているけど、一貫して少し肌寒そうな景色だ。実際には田舎町ではほとんどみんな車で生活しているだろうけど、この物語のキモはあえての鉄道。ここも独特なセンチメンタルさがわきあがる。

■写真は予告編からの引用

 

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ブックスマート

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<公式>

ストーリー:モリーとエイミーはLAにあるハイスクールの親友同士。モリー最高裁判事を目指し、エイミーは社会活動に熱心な、勉強家タイプ。卒業式を明日にひかえ、2人とも東部の名門大学に進学が決まって「まわりのアホたちとは違うし」と思っていたら、イケイケ組も普通に名門大やGoogleに進んでいた。せめて最後くらい遊び倒そうと決意した2人は、卒業パーティーに参加するために夜の街に出発する....

アメリカ映画の〈ハイスクールもの〉ジャンル。たいてい生徒が車で通学するので、いきなり別世界感がすごいんだけど、それでも名作は多い。近年だと女性監督の、女子を主人公にした作品が目立っている。思うに本国では昔ながらの「少年がオトコになる一夜」的なのとか、「憧れの彼(彼女)の心を射止めて」的なのとかが量産されてそうな気はする。ただ作り手側も見る側もいい加減いままで描かれなかった物語が見たいんだ、というのはあるんだろう。

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本作は思い切りコメディだ。少年少女の「ある特別な一夜」、ハイスクールの卒業を描く、このジャンルでは定番の作りだ。監督は女優オリビア・ワイルド。当ブログだとF1モノの名作『ラッシュ』とか『her/世界でひとつの彼女』に出演している。主演は『デトロイト』で警官に監禁される女の子役で出ていたケイトリン・デヴァーと『レディー・バード』で主人公の親友役だったビーニー・フェルドスタイン。

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本作、みなさんもたぶんお馴染み、『逃げるは恥だが役に立つ』を思い出した。お話の枠組みは、ラブコメ要素も入れて引っ張りながら、その描き方、設定がじつに配慮が行き届いているのだ。『逃げ恥』ほど正面から説明したりはしないけれど、今までのドラマに普通に入り込んでいた、じつは抑圧的だったり、少数者を見ていなかったり、ある種の暴力を当然だとしたり、というのを丁寧に取り除いてある。

例えばわりと新しい作品でも『アメリカン・スリープオーバー』では少年の欲望と、それに突き動かされたちょっと行き過ぎの振る舞いも寛容に描いていた。本作ではそういう強引さは完全に排除されている。セクシュアリティも、主人公エイミーの同性愛設定は「そういうもの」として普通に扱われラブコメの一要素になっている。作り手たちは「エイミーのキャラクターのなかで、セクシュアリティの重要性は4番目か5番目」と言っている。

人種もそう。この手の作品でイケメン枠はほとんど必ずスポーツができるアングロサクソンだったけど、本作ではプエルトリカンだし、スポーツマンはアジア系、Googleに行くテック系エリートはメキシカンだ。すべてわざわざ断ったり説明したりしないで、ただ多幸感あふれる高校の世界をそういう要素で構成している。

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アメリカン・スリープオーバー』が「神話」だったみたいに、本作も一種のパラダイスを描いている。悪役が1人もいない、いわゆる「全員善人映画」だ。固定的な偏見を振りかざす奴は1人もいない。ここも『逃げ恥』と似ているのだ。監督は「悪役を入れるとそういうデバイス(分かりやすい機能を持った役、的な?)になってしまう」と言っている。

本作は〈受け入れる〉ことの物語だ。イケイケ組はガリ勉の生徒会長だったモリーの悪口を言っていた。エイミーだって「活動家」とか言われる。でもパーティーに現れた2人は居心地悪い思いなんてしない(ここ、今までのドラマだったら最高に辛い場面として描くのがよくあった)。イケイケ組もすごく感じ良く、「よく来てくれたね!こっち座りなよ」のノリなのだ。

ガリ勉側も彼らを内心「高校時代が人生のピークなんでしょ、あたしたちはこれからガンガンエリート街道行くし」的な視線で見ていたのが、それぞれの知らなかった一面を知って、偏見を捨てていく。

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青春モノはどんな大人と関わるかも大事だ。『レディー・バード』は厳しい、束縛する母親との関係。『スウィート17モンスター』ではいい距離を保ちながら見守るおじさん教師。本作では緩めの校長先生と、友達っぽい女性教師が大人枠。女性教師のジェシカ・ウィリアムズがとてもいい。本作の大人たちはあまりしっかりしていなくて、「大人だってこんなもの」を見せてくれる役だ。

そんな感じでまさに多幸感あふれ、気分よく見られる世界だった。アメリカ青春映画にありがちだけど、パーティーの舞台になる家があまりにもゴージャスで、全体に豊かすぎたり、主人公2人のハイテンションな会話が達者すぎたり、高校生役の女優さんたちが成人女性にしか見えなかったり、と、自分にとってリアリティないのはしょうがない。高校時代も遠いむかしだし。

でも距離感感じてたクラスの主流派が案外いい奴らで受け入れられた、その頃のハッピーな気分を少し思い出した。作り手たちは「今まであった青春コメディのガールズ版だと思って欲しくない」と言っている。

ロケ地はこの辺に詳しくのっている。

■写真は予告編からの引用

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メイキング・オブ・モータウン

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<公式>

モータウン・レコーズ。1959年設立のデトロイト発祥のレコード会社。最盛期、1960年代にリアルタイムではまった人は、今は70歳以上だ。そのころ日本でブラックミュージックを聴き込んでいたのは、米軍基地の近くに住んで、FEN(今のAFN。米軍向けの放送網)を聴きまくっていたり、基地の中にコネがあって基地の売店のレコードを買えたりした人たちとかだろう。

たいていの日本の音楽ファンは、モータウンが最盛期を過ぎてから、スティービー・ワンダーとかライオネル・リッチーとかBOYZ ll MENとかエリカ・バドゥとかそれぞれの時代のミュージシャンを個別に聴いていて、レーベル自体の存在感はうすくなっていたと思う。でもその名前が忘れられていたかというとそうでもなかった。

60年代の名曲は常にだれかにカバーされて、映画の中で歌われたり、CMで流れたり、リバイバルでヒットしたりして、オリジナルを聴かなくてもお馴染みのメロディーになっていた。ぼくが出会ったのはまだブラックミュージックを聴き出す前、Heat WaveとかYou can't hurry loveとかDancing in the streetとか、stop in the name of loveとかの頃だ。

ザ・ジャムフィル・コリンズ、ミックジャガー&デビッドボウイ、それに高橋幸宏....完全におっさん語りと化しているが、どれも下手をすると彼らのオリジナルよりキャッチーで、愛嬌のあるメロディーで、割と人気があったんじゃないだろうか。そしてその頃からすでに「伝説のレーベル」として雑誌に、ラジオに取り上げられてきた。

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本作は、その伝説のレコード会社が伝説になるまでの、輝いていた時代を振り返る。50年も前の話だけど、創立者ベリー・ゴーディーJrと盟友スモーキー・ロビンソンは健在で、健在どころか驚くほどに元気で、じつにテンポよく当時の話をまくしたて、しょっちゅう大笑いする。その他インタビューされる当時の作曲家、シンガー、ミュージシャン、スタッフ、結構健在だ。

というのも会社が立ち上がった時代、会社と同じように社員たちもものすごく若かったのだ。10代のスタッフたちがごろごろいた。映画によると、当時のデトロイト自動車産業のおかげで豊かだったせいか、高校での音楽教育もすごく充実していて、クラシックコンサートが聴けたりしていたらしい。教育があまり受けられなかった子たちもストリートで歌のスキルを競い合う。だから音楽の素養がある高卒の若者がどんどん即戦力で入ってきたのだ。

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こんな感じだから映画のトーンは明るい。映画では設立から10年ちょっと、1970年代前半に、マービン・ゲイスティービー・ワンダーたち、すでにオリジナルな音のクリエイターになっていた彼らが創立者ベリー・ゴーディーJrの支配から独立する時期までを描く。スタートから成功するまで、それに創立者と盟友の回顧がメインだから、会社についてはものすごくポジティブに描いている。

モータウンは1970年代以降勢いを失って、そのうちに売却されて独立を失い、メジャーの1レーベルになっていってしまう。今のアーチストを見ても、ぼくが新しいブラックミュージックを大して知らないのもあって、ほとんど聴いたこと無い人ばかりだ。やっぱりクラシックの方が....って思ってしまう。

こんな感じだから、モータウンのクラシックを全然知らない人にとって面白いかどうかは分からない。ベリーとスモーキーのインタビューをメインに、いろんな関係者と、かれらの後に続いたミューシャンたち、ドクター・ドレイ、ジョン・レジェンドジェイミー・フォックスたちのインタビューをテーマ別に細かくカットアップして配置し直して、あいだを当時の映像(と名曲)でつなぐ。

構成はただの時系列じゃなく、システマティックに若いミュージシャンを発掘し、育て、売れる曲を与え、プロモートしていく会社の体制を、そのテーマごとに紹介していく。クリエイティブな組織の作り方のストーリーとしては案外かれらの音楽を知らない人でも面白いかもしれない。

そして当然、1960年代後半の黒人の人権運動やデトロイトの暴動、当時全米ツアーを敢行した彼らが出会った当時の社会の実態のはなしになっていく。その中でヒロイン、ダイアナ・ロスを中心にしたシュープリームスが、〈ブラックミュージック〉の枠を超えてカルチャーアイコンになっていく様子が描かれる。そこに You can't hurry loveがかぶさるシーンではちょっとじーんとしてしまった。

■写真は予告編から引用

 

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