DUNE 砂の惑星 PART2

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ストーリー:惑星アラキス(デューン)を統治していたアトレイデス家はハルコンネン家の襲撃で崩壊、生き残ったポール(ティモシー・シャラメ)は母ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)と、砂漠に生きる民フレメンに合流する。ポールはチャニ(ゼンデイヤ)たちフレメンに戦士として認められ、ジェシカは宗教的リーダーの後継者になる。資源を巡って惑星を荒らすハルコンネン家とフレメンの戦いは激化し、いつしかフレメンのリーダーとなったポールは.....

前作から3年、先行公開のIMAX上映を見に行った。だれでも言うとおり、IMAXで見るのがおすすめだ。間違いない。『2001年宇宙の旅』なみに、何十年後にも参照される映像美術のクラシックを作りに来てる映画だからだ。前作の「圧倒的に巨大な何か」を見るスペクタクルは今作も健在。アクションやスターは他の作品でも見られるけれど、巨大な何かを巨大なスクリーンで見る感じが、抽象的で重量感がある音響系のサウンドとあいまって、そうそう他の映画ではない。

建物や宇宙船、巨大生物サンドワーム....「巨大な何か」ファンはもちろん満足できるし、さらに見せどころの幅が広がっている。戦闘シーンが多くてアクションのバリエーションも豊富だ。砂漠シーンはメインビジュアル通りのブラッドオレンジ的な色合いで、砂漠の民フレメンは砂漠の風景と一体の幻想的な絵になる。

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(c)2024 Warner Bros.  via IGN

敵のハルコンネンは巨漢のボスが常に空中浮遊して、そのイメージか巨大浮遊物で攻めてきたり、兵士が反重力装置で優雅に崖を登って行ったりする。それからハルコンネンの首都の巨大建造物。ナチやイタリアやソビエト独裁国家時代の、未来派っぽくもある巨大建築をモノクローム画面で見せる。黒づくめでスキンヘッドのハルコンネンピープルのアンドロイド的な雰囲気が低温の画面とあう。

とにかく他の「映像美」系大作と比べて端正なファインアート的な画面が多いのだ。これに匹敵するのは例えば『燃ゆる女の肖像』とかだろう。あれは古典絵画が参照元だった。本作の引用元は色々思い浮かぶ。映画でいえば『アラビアのロレンス』のイメージはところどころで感じるだろう。フレメンの奇襲シーンはどこかで見たことがあると思ったら大友克洋の1980年代の漫画。さらにそのオリジナルがどこかにあるのかもしれない。

(c)大友克洋 双葉社

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ストーリーは映像ほどには入り込めなかった。古典のSF名作だから翻案するにも限度がある。お話的には「白人酋長もの」っぽさもある。欧米映画によくある、主人公(欧米系)が非西欧文明の中に単身で入ると、そこのボスに見込まれたり、救世主的なポジションになって彼らを率いて立ち上がったりする物語だ。砂漠の民フレメンは明白にアラビックな雰囲気をまとっていて、白人ポールとジェシカをいつの間にか伝説の予言にあった救世主に当てはめてしまう。

ただ、その辺り、実は慎重にトーンをずらしてある。2人はその立場にいることに自覚的で、特にジェシカはそれを利用してポジションを獲得していくのだ。ポールはヒーローのようで(映画的には十分ヒーローだけど)長年の計画の果てに周到に生み出されたコマでしかない部分もある。だから自分がリーダーになると悲劇しか待っていないことが分かっていても「予言」通りに振る舞うしかないのだ。

そんな2人も、砂漠で戦う知恵を受け継ぐフレメンのリーダーなのに無邪気に救世主を受け入れてしまうスティルガー(ハピエル・バルデム)も、それ以外の敵役も帝国の皇帝も裏で支配する秘密結社のリーダーも.....実はだれもキャラクターとしての魅力を最大化しようとしていない。そこがむしろ、本作が子供じみた英雄譚にならない理由かもしれない。

あと、これも物語通りで仕方ないけれど、ポールとチャニのラブストーリーも、潤いを失い切った角質層のような僕のマインドには染み込まなかった。美しい2人のアップは一方で大量の観客を呼んでいるだろう。だけどこれが目当てのお客さんは無理にIMAXの超巨大画面で巨大顔を何度も見る必要はない。とはいえここもちゃんと原作からずらしてあって、チャニだけはポールを無批判に救世主として崇めない、自立した存在になっていくのだ。

砂漠。モロッコの砂漠っぽい景色は少し眺めたけれど、映画にあるみたいな砂丘と岩山だけのほとんど抽象的な風景の中に立つとまた独特な気分だろう(とはいっても僕たちが行けるのは商売っ気満々の観光ツアーしかないけど)。この風景に想像力を広げた砂漠+SFの世界観。『スターウォーズ』『マッドマックス』漫画で言うとメビウスの『B砂漠の40日間』『風の谷のナウシカ』....他に新しい世代の名作も色々あるだろう。その源流に近い『デューン』確かに元祖にふさわしい。

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哀れなるものたち  リッチな文学系エンタメ!

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ストーリー:19世紀末、ヴィクトリア朝時代のロンドン。天才外科医ゴドウィン・バクスターウィレム・デフォー)は投身自殺を遂げた女性の遺体と出会う。彼女が宿していた胎児の脳を移植し復活させた彼は女性をベラと名づける。ベラ(エマ・ストーン)は赤子の知性から急速に成長し、やがてプレイボーイ弁護士(マーク・ラファロ)の誘いに乗って世界旅行に....

2023年公開、監督はヨルゴス・ランティモス。原作は1992年スコットランドで発行された、フェイク・ドキュメンタリー味がある小説だ。19世紀末の医師の手記を作者が発見した体でベラの誕生から冒険が語られる。その後同じ話が視点を変えて語られる、『最後の決闘裁判』スタイルの小説だ。ドキュメンタリー風味のために銅版画の図版や手書き原稿がはさまれて、奇妙な言葉遊びも入り、なかなか一筋縄では読ませない。

  映画はそんな原作を意外にもわかりやすく、じつに豊穣な文学系エンタメ作品に仕上げているのだった。多視点構成は取らず、エピローグも省いて「ベラの冒険物語」に集中して、スチームパンク風のファンタジックな見せ方でフィクション味を高めている。

監督は『籠の中の乙女』『ロブスター』『聖なる鹿殺し』で、リアリスティックな画面の中に思考実験めいた設定を入れ、その不条理な運命にひとびとが従わなくちゃいけない...的な物語を描いてきた。歴史上の実話をモダナイズした『女王陛下のお気に入り』を経て、本作は思考実験というより、ビジュアル含めた独特の世界観のなかでストレートに1人の女性の成長を描く、ある意味オーソドックスな物語になっている。ただし本作、R18だ。

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予告編では前面に出さないけれど、あちこちの紹介では「エマ・ストーンの体当たり演技!」的な打ち出しが多い。ようするにベラの成長と冒険はつねにセックスをめぐるものなのだ。大人の身体と抑制を知らない子供の脳を持ったベラは性の愉しみを覚えた途端のめり込む。都合のいい、ちょっと頭の足りないお手軽美女と思ってベラに手を出した弁護士は、逆に彼女にとって都合のいいトレーナーだった。ベラのありあまるエナジーのせいで搾取の関係は成立しない。おなじエマが演じた前作『女王陛下・・』のアヴィゲイルと同じように、彼女は肉体的にも性的にも強者なのだ。

そのあたりの力強いアクティブさは、同じクラシックかつ捻った描き方もあってトリアーの『ニンフォマニアック』をすぐに思い出した。ヴァーホーヴェンの『ベネデッタ』にも通じるものがある。主体的に、自分の欲望だけに従ってセックスと向き合う女性、だから何人と関係しても彼女はけっして消耗しないし、男視線でいう「堕ちていく」描き方はまったくない。そんなスーパーな女性の強さを、畏敬の念を込めて、若干ファンタジックに男性監督が描く、というところも同じだ。

もう一つ共通点がある。『ニンフォマニアック』のシャーロット・ゲーンズブールと同じように、本作のエマ・ストーンも、キャラクターのありかたに合わせて、性的アドベンチャーを見せながら、観客のポルノ的消費はおことわりなのだ。いくら「R18!」「あのエマ・ストーンが!」とか言ったところで、実際に露出はしていてもポルノ的に楽しませようという撮り方はいっさいしていない。エロって見せ方なんだなとつくづく思う。

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© 2024 20th Century Studios. All Rights Reserved. via official ando IMDB

見ながらすこしひやひやするところが無いでもない。でもエマ・ストーンくらいのポジションの女優が2作続けて出演し、しかも本作ではプロデューサーにも入っているくらいだから、すべて承知の撮り方なんだろう。

赤ちゃんの脳を移植されて無から再生するベラと創造主的な(わかりやすくゴドウィンを略してゴッドと呼ぶ)医師の関係は、いわゆるピュグマリオンものめいて見える。最初はね。ピュグマリオンの例にもれず彼女は自由をはげしく求めはじめ医師はあれこれ理由をつけて彼女を囲い込む。『籠の中の乙女』の感じだ。急速に成長するベラは、旅先の出会いをきっかけに教養と知性に惹かれていき、社会的正義に目覚める。ヨーロッパ的な正しき「人間的成長」だ。成長期の彼女の欲望は、性も教養もそれ以外も含めて、身体とアンバランスにリセットされてしまった脳にひたすらデータをインプットしていく、吸収の欲なのだ。

エマ・ストーンはアンバランスさを身体言語を全開にして演じる。身体操作に段々と社会性が加わってくると、表情もきりっとしたものに変わっていく。いっぽうで身体がそれなりの年月を経ていることも隠そうとしない撮り方だ。原作ではベラが20代後半、医師は30代、プレイボーイ弁護士も20代。物語に重みと味わいを与えるために、ベラは30代半ばの雰囲気に、医師は老人に、弁護士は50代のおっさんに変わっている。

本作をエンタメとして成立させているのは、画面のリッチさがすごく大きい。監督の過去作とは比べ物にならない大規模予算でアクションじゃなく、古いロンドンや空想のリスボン、ドラマチックな地中海の高級客船、パリの娼館、スチームパンク的な奇妙なテクノロジーを再現する。いままでの「現物で不条理を撮る」からの大転換で視覚情報の洪水だ。いいシーンはいくつもあるけれど、自由を求めるベラといつの間にか束縛する側になる弁護士がその関係をコレオグラフィで表現するダンスシーンが最高だ。

 

ヴィデオドローム  マクルーハン思想をビジュアルにすると...

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ストーリー:ケーブルテレビ会社の経営者マックス(ジェームス・ウッズ)はセックスと暴力の過激コンテンツを探すなかでドキュメンタリックな暴力映像『ヴィデオドローム』にであう。映像は視聴者の脳に影響を与える力を持っていた。パーソナリティーのニッキ(デボラ・ハリー)も出演するために去る。映像と人体の拡張だと語る教授とその娘、映像の制作者だと名乗る男との出会いを経て、ヴィデオドロームにはまっていくマックス。幻覚とリアルが渾然一体となった日常になっていく....

デヴィッド・クローネンバーグ監督、1982年公開。アイコニックな〈脳味噌ぽーん〉超能力バトルムービー『スキャナーズ』の翌年だ。監督の初期代表作の1つで、イマジネーションが自分を侵食してくるクローネンバーグならではのモチーフと渾然一体となって、こちらも実写特殊効果の人体変容シーンが楽しめる。本作の特殊メイクは巨匠リック・ベイカーだ。

ところで、古い名作を見返すときの味わいは2種類ある気がする。1つはタイムレスな古典として当時の世界観込みで楽しめる作品。200年前の絵画を見るとき、古都を旅行するときと一緒で、完結した世界のある異文化との出会いともいえる。もう1つは時代を、あるいは後の流れを作ったマイルストーン的な作品。こっちは時々微妙だ。その作品の影響を受けた洗練された表現がいま当たり前に見られたりする。現在と地続きなのだ。僕たちは少々チープだったり荒削りだったり古臭く見えたりする映像を「こんな歴史的な価値が」と補完しながら楽しむ。『2001年宇宙の旅』がはるかにそびえる名作なのはその両方の価値を備えているからだ。

本作はどちらかに分けるなら後者だ。『スキャナーズ』が例えばアニメの古典である『アキラ』に繋がったみたいに、本作の、人体とメカの有機的な侵襲的な融合のイメージは、例えば塚本晋也が(かれもけっこう世界中の作家のアイドルだ)『鉄男』を制作するときの直接のインスピレーションになった。TVの映像が、物体性を、それどころか身体性を持つイメージも相当にあたらしい。だけど、作り手たちのぶっ飛んだインスピレーションが1980年代前半の映像技術の限界にしばられるのは、どうにも仕方のないことだ。

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(c)Universal Pictures via MOMA

本作の立ち位置はなんだか『ゼイリブ』(1988)に近く見える。メディアによる人間の無意識の支配。インターネット前だから主役はTVだ。『ゼイリブ』が『メディアセックス』を下敷きにしているのと同じように本作は監督と同じカナダの思想家マーシャル・マクルーハンのメディア論を発想のベースにしている。

主人公たちの精神(と脳)を支配し、人格を変えてしまう魔術的な映像は、見るからにアンダーグラウンドで撮影された、画質が低い拷問と殺人の記録映像だ。ローファイな映像の中のショッキングなシーン。見る側は、欠けたピースを補完するみたいに、情報量が少ない粗い映像から出来事を読み取る。本作以降も記録映像もの、ファウンド・フッテージものに受け継がれている感覚じゃないだろうか。

本作がその後も色々生み出されただろう「魔術的映像」ものと決定的に違うのは、その影響も、それどころか無機質なはずの映像の側も、ぬめぬめとした有機的な肉体描写を通じて描かれるところだ。幻覚にとりつかれた主人公の前で、ビデオカセットもTV受像機も体の一部のように膨らんだり脈動したりし始める。そして主人公の体には....そのイメージはのちの『裸のランチ』最新作『クライムズ・オブ・ザ・フューチャー』で再現される。

本作のテーマは予言的だとよく言われる。主人公が耽溺するビデオ映像は今ではネットに流通するコンテンツに置き換えられる。2024年初頭の今、ガザ地区の市民たちの正視できない映像が欧米系ニュースサイトを飛び交っているのは容易に想像できるし、暴力的映像じゃないけれど、日常的に繰り返して見てしまうポルノ映像によるいわゆる「ポルノ脳」もなんだか近い話だ。

ただ、たいていの表現者はメディアの支配を受けた人間を描くのに粘液っぽい描写はあまり使わない。監督の一貫した興味とモチーフはメディアそのものというより、テクノロジーに不可分になってしまった人間の肉体がどれだけえぐく性的メタファーたっぷりに変容するか、という1点だろう。

 

 

インフライト・ムービーズ2024

ひさしぶりに機内で見た映画特集。

 

🔷グランツーリスモ

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グランツーリスモのエリートプレイヤーたちを実車でトレーニングして勝者を決めるGTアカデミー。勝者はプロのレーシングドライバーの夢を叶える....ニッサンがバックアップするプロジェクトは2008〜2016年まで世界各地でチャンピオンを輩出した。本作は2011年アカデミーのヨーロッパチャンピオン、ヤン・マーデンボローがレースデビューし、2013年ルマン24hでクラス3位でゴールするまでの物語だ。監督ニール・ブロムカンプ。

マーデンボローは2011年にレースデビュー、ルマンに3度出場して、2016〜2020年は日本のSUPERGTで走っていた。ぼくはグランツーリスモもやらないし、レースもそこまで熱心なファンじゃないから、ぜんぜん知らなかった。国内レースファンにはお馴染みの選手だったんだろう。本作でも撮影時のドライビングを担当している。

映画は王道のスポーツ成長物語。引きこもり系の少年が実はとんでもない才能を秘めていて、それが野心的なプロジェクトと出会って一気に開花する。丹下段平系のベテランレースディレクターがいい感じの師匠となって、厳しくも暖かく彼の成長と挫折を見守る。話の流れで、マーデンボローはプロジェクト唯一のドライバーに見えなくもないけれど、3年前からアカデミー優勝者はいて、ちゃんと先輩プロドライバーになっていた。

主人公は非の打ち所がない好青年でプロジェクトリーダーたちもいいやつばかりなのでお話はするするとスムーズに進み、ドラマのような(しかし実話の)挫折を経てクライマックスに到達する。おっさん観客からするとレースシーンの映像的快楽、ドライバーやディレクターたちの一癖ある感じなど『フォードvsフェラーリ』の味わいにはちょっと足りず、ブロムカンプといえば思い出す『第9地区』のような独特さはないけれど、気持ちいい一作なのは確かだ。

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(c)2023 sony pictures


 

🔷私ときどきレッサーパンダ

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13歳になった中国系カナダ人の女の子メイの変化と、それを心配しながらなんとか自分が思う道にはめようとする母のミンの物語に、厳しいおばあちゃんや母系の親族たちが代々受け継いできたレッサーパンダの伝説が絡んで、ようするに中国系母娘の相克が壮大なスケールとなって大爆発する...『エブエブ』がまさにそれじゃないか。お父さんが無害で包容力主体の存在になっているところも同じだ。

本作は監督・脚本ドミー・シー以下、女性スタッフ主体で製作されたそうだ。ドミー・シーは20代半ばで名作『インサイド・ヘッド』でストーリーボード(絵コンテ)を担当している。初めから超有望若手だったんだろう。『インサイド・ヘッド』も実在感がある北米の都市を舞台に、少女の心理的な葛藤を象徴的、それでいてポップに、まったく別の絵で置き換えてみせるという、ちょっと共通する感じのある作品だ。

ピクサーらしく、主人公とその友達全員、美少女キャラに陥ることなくそれぞれに愛嬌があって、もちろんキャラの描き分けは髪の色とかじゃなく個性的だ。彼女たちの目下の夢と情熱の対象がBTS的な(と言いつつ多人種構成の)ボーイズアイドルグループなのが、じつに今らしい。

ちなみにメイたちの家は、トロントの街中なのに瓦ぶきの門と塀で囲われた、庭のある寺院だ。トロントのチャイナタウンにはいくつも寺院があるみたいだけど、Googleで見る限りビル形式が多くて流石にそこまで渋いのはない。バンクーバーに少しそれっぽい寺があった。

 


 

🔷オールド

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M・ナイト・シャマラン監督、2021年公開。南国のリゾートにあるシークレットビーチに招待された家族やカップルに起こる異変・・・体をめぐる時間だけが急激に進み始め、帰ろうとしてもビーチからの脱出は不可能だ。やがて時間の進行に耐えられない者から死んでいく。主人公の夫婦と幼い姉弟の運命は...的な物語。

シャマランらしいというか、プロットはじつにユニークだし何やら象徴的だ。招待客には体に不調があるものがそれぞれいる。子供たちは少し目を離した隙に成長してしまい、物語の後半になるとすっかり大人になる。ぎょっとするアイディアだ。

ただ、撮り方やエピソードにどことなくB級感あるいは劇画感というんだろうか、アイディアの怖さを表現しきれず、ドラマっぽさを必要以上に観客に意識させ物語に没入させない何かがある。典型的なのはそれぞれの時間の進み方の表現だ。24時間で50年分進む設定で、子供たちは昼頃にはティーンエイジャー風に、夜にはすっかりアダルトになっているが、翌朝にはそこまで老け込んでいない。それから親たちは夜にはだいぶ高齢者になっているはずだが初老の雰囲気だ。セクシー美女は、顔だけシワメイクをされて象徴劇風の奇妙なルックスを見せる。確かに老婆の肉体にビキニを着せた映像はあまりにも容赦なさすぎるだろう(『ミッドサマー』じゃないんだし)。とはいえ、なんだか全体に計算があっていない感じなのだ。

やがて事件は不幸な偶然じゃなく、お馴染みの大企業の陰謀めいたものがちらつき始める。撮影はドミニカのプラヤ・エル・バジェというビーチ。

 


 

🔷スパイダーマン・ノー・ウェイ・ホーム

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これは流石に飛行機の極小モニターと騒音混じりの音響で楽しむ映画じゃないかもしれない。せっかくの歴代スパイダーマンたちが小さい画面でひょこひょこ飛び回っている感じになってしまった。それにしてもウィレム・デフォーはほんとにあらゆるタイプの映画に呼ばれる人だ。


 

🔷ワイルドスピード1

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『TOKYO DRIFT』しか見たことがなかった。第1作は「潜入捜査モノ」だったんだね。ジャパニーズ90’sカーのレース文化が、LAらしい超多人種グループで描かれる感じは当時新しかったのかも。本作の主人公、シリーズ途中で亡くなるポール・ウォーカーはどことなく妻夫木聡的存在感でありつつ(本人TOKYO DRIFTに出てるが)、ありがちな「他人種に大型新人的に受け入れられる白人」のステロタイプにも見える。その後ファミリーとしていい感じに馴染んでいったんだろう。日本車の締めが横綱級のSupraで、このあとシリーズの顔となるドミニクの「心の1台」として70’sアメリカンマッスルカーのダッジが出てくるあたりもいい。

映画の中のフィジカル RRR ・ベイビーわるきゅーれ・サンクチュアリ〜聖域・アフリカンカンフーナチス

◽️RRR

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S .S.ラージャマウリ監督、2021年公開。日本では興行収入20億円以上で国内洋画余裕のベスト10内、世界では200億円くらいで堂々の大ヒットだ。

日本でインド映画というと以前はラブ、アクション、ミュージカルシーン全部盛りの娯楽系、「たまにあの味欲しくなる」料理と同じエスニックの枠だった。インド国内では北インド系のボリウッド南インド系のトリウッドなど話す言葉も(たぶん役者の顔も)違って多様性があるんだろうけれど、たいていの日本の観客にとっては一緒だろう。割と振り切った表現も多くて、こんな感じの珍品を味わう存在だったりした。

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本作も大盛り娯楽大作なのは変わらない。見ていて顔がほころぶ突き抜けたシーンもそこそこある。しかし辺境の珍品扱いはもうだれもしないだろう。画面のリッチさや映像表現の洗練ぶり、史実を踏まえた第三世界的メッセージとストーリー、日本の大作を圧倒するメジャー感だ。

それでもキャストはインド系スターだからローカル感はちゃんとある。これを世界各地の観客が普通に受け入れてるのも最近の話だろう。アジア系もアフリカ系もインド系も、最近見る映画や配信作品の中ではいろんな人種がフラットに混在する画面を観客が見慣れてきた。インド料理が「変わったもの食べに行こう」じゃなく日常ランチのローテーション入りしたのと同じだ。

本作はアクションでもあるし、役者のフィジカル面の画面的押し出し力もまた十分メジャー級だ。そこはわりと必須だろう。この「ガタイのいい俳優はなんとかいっても見栄えがする」感覚は俳優たちの多様性が進んでも観客の間にしぶとく残っていくものかもしれない。

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(C)2021 DVV ENTERTAINMENTS LLP.ALL RIGHTS RESERVED

 

◽️ベイビーわるきゅーれ

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監督坂本裕吾、2021年公開。これもアクションムービーだ。画面にかけた予算や役者の見た目のガタイなんかどうでも、キレがあって美しい動きを、すごい身体能力を上手く撮れば、十分映像として見られる、というのを分からせられる映画。日本映画らしく若い女性が主人公になっていて、マッチョなフィジカル志向からそもそも外れていていい。

この感じは、近年のハリウッドやヨーロッパ作品でも女性をアクションの主役級に持ってくるようになったのと同時代性を感じるし、それ以前に国内アニメが連綿と美少女キャラに戦闘させてきた歴史のせいで日本の観客がじつに自然に受け入れるという部分も思い出させるだろう。とはいえ、幻想の美少女みたいな演出はいっさいしていなくて、むしろ登場人物たちが美少女幻想をコスチュームとしてまとうメイド喫茶でのバイトシーンを持ってくるあたりがいい距離感でさわやかに見られる。

 

◽️サンクチュアリ -聖域-

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監督江口カン、2023年配信開始の全8話ドラマ。大相撲で成り上がる破天荒系力士の物語を角界の旧弊さや闇的なものと絡めながら見せていく。

スモウレスラー。フィジカルで劣る日本人の中で、唯一身体で圧倒しそうな雰囲気を醸し出し、同時に幻想の日本文化のアトリビュートに満ちた、他文化から見ればなんとも絵にしたくなる存在だろう。いまでもちょっとコミカルな「日本」の記号として、かつ強者の1バリエーションとしてキッチュ系の映画では使われる。『ジョン・ウィック』3でNYの殺し屋として出てきたり、最新作でも真田広之が指揮する殺し屋ホテルの戦闘員としてまげを結って和服を着て登場する。

本作ではスモウレスラー=力士の肉体の厚みを十分に表現してくる。格闘系の役者や元力士を選び、十分に体を作らせて、素人目にはまったく嘘くささがない映像だ。世界配信だから海外の幻想にもちゃんと応えて、異分子として入ってくる力士も、受け止める相撲界も全員日本人だ。ここ30年以上、フィジカルに勝る外国人が本気で参入してくると相撲界もドミネートされるんだ、ということは日本人観客なら全員わかっていることだけど、そこは持ち込まない。

外国人力士グループのストーリーやせめぎ合いも入るとまた話に複雑性が出たと思うけれど、本作ではまずは直球の成長物語に集中した感じだ。

 

◽️アフリカン・カンフー・ナチス

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2021年公開。ガーナ・ドイツ・日本合作。いわゆるトンデモ映画だ。第二次大戦でヒトラー東條英機が生き残り、アフリカ、ガーナに渡る。そして現地を支配して〈ガーナ・アーリア人〉として洗脳していた....善玉空手道場はこの悪の軍団に壊滅させられ、主人公は復讐のために秘密の特訓を重ねて彼らが開催する武術トーナメントに出場するのだ。時代はだいぶ現代に寄っているのに(DJセットも普通にある)ヒトラーも東條も若々しく武術の腕も衰えはない。

本作、日本在住歴が長いドイツ人が企画し監督・脚本・主演、ガーナに渡り現地のニンジャマンというアクションムービーの作り手とコラボして撮影。東條英機役は日本の便利屋、秋元氏が便利屋稼業の一環として請け負ったということになっている。

ニンジャマンというのもオールドレゲエファンからすれば、「いやいやこいつでしょ」ということになる。制作エピソードらしきものは監督インタビューで読める。なんだか全体になめてるな、という思いがじわじわ湧き上がってくるのだが、トラブル続きだったというガーナでの撮影エピソードも、ガーナ側が真面目に相手するのがバカらしくなっていた可能性もある。またはインタビュー全体が適当な思いつきトークである可能性も捨てきれない。

舞台がガーナなのでヒトラー東條英機以外は全員地元キャストで、ゲーリング役も巨体のガーナ人、もちろん主人公も戦う相手たちも地元民だ。本作がギリギリ見られるのは、ガーナ人キャストたちが武術のトレーニングをそれなりにこなしてきている感じで、かつ当然のように身体能力が高いのでアクションシーンが一応絵になっているところだろう。東條英機役の秋元氏はフィジカル的にはまさに典型的日本人中年男性でありつつ、役には違和感なく、VFXの力を借りて、最強戦士の1人として躍動する。