奇跡の海


<参考(imdb)> <予告編> <チャプターイメージ>
風景の映画だなあこれ。風土の映画だ。この物語は半分くらいスコットランド北西端の風土でできてているみたいだ。草原は荒涼としていなければいけないし、海は寒そうでいつも冷たい風が吹き付けているべきだし、教会は、ちいさな灯火みたいに荒地にぽつんとあるやつが、やっぱりこの物語には必要だ。いやもちろんこのプロットで、信仰と文化と風景をおきかえて、別の土地の物語にだってできただろう。でもな...この映画のこの感じは。
ストーリー:主人公ベス(エミリー・ワトソン)は何年か前に兄を事故で失い、精神のバランスをくずして入院した。今は母や義理の姉たちとくらしている。そんなベスが北海油田海上プラットフォームで働くヤン(ステラン・スカルスガルド)と結婚する。祝福された1日。一気にヤンが心のよりどころになるベスだが、夫はすぐに海の上にもどってしまい、会えない日々がつづく。ところが、一日も早く帰ってくるように祈っていたベスのもとに、海上で事故にあって全身が動けなくなったヤンが帰ってくる。自分のエゴがこの事故を起こしたという自責の念にさいなまれるベスに、治療中のヤンが奇妙なことをたのむ。もうベスを抱けなくなった自分の代わりにだれか他の男に抱かれて、それを話して聞かせてくれというのだ。他の男となんて寝たくないベスは苦悩するけれど、それが彼の回復のゆいいつの道だと信じて男をさがしに町にいく…
映画のロケ地はこんなところだ(参考)。たとえば荒涼とした放牧地。えんえんと同じ景色がつづくような海沿いの道路。何度も出てくる教会はこんなところにある。葬式がおこなわれた場所はモルトウイスキータリスカーで有名なスカイ島のこんなところだ。港町だけがすこし大きいけれど、それもえんえんと一本道を行った果てにあって、海路と空路でなんとか世界とつながっているような町だ。おもわず「地の果て」といってしまいそうになる。
教会
葬式シーンの場所
家もまばらなちいさな村と総合病院があるような港町(たぶん)が舞台。その二つの行き来は描写されないから、主人公の居場所である村はよけいに人里はなれて見える。プレスビタリアン(長老派)の教会が村の中心で、名前通り教会=コミュニティを支配するのは黒ずくめの服をきた老人たちだ。厳しく抑圧的で教義にそむいたものは排除するような集団として描かれる。そんな、人の中にも自然の中にも逃げ場のない土地だから、ナイーブに神との交感を信じる主人公のベスがきわだつのだ。
映画は最初からラース・フォン・トリアーらしい独特の緊張感がみなぎっている。不安定感といってもいいかな。ベスがあまりにもナイーブですぐにバランスを崩しそうなタイプであることが、おおげさなシーンがなくても観客にはすぐに理解できてしまう。エミリー・ワトソンの演技が絶賛されるのもよくわかる。大人なのに社会的な演技ができない、つまり表情をつくれない感じ、ことばにならない声が無意識にもれてしまう感じ。他人への共感力(感情や状態を読取る力)がひくく、状況の「空気」も読取れない。だから自分の思いだけでふるまい、周りを当惑させる、そんなキャラクターだ。ベスの行動をささえるのは「神の声」で、教会で祈る彼女に、その声は多重人格めいた彼女自身のもうひとつの声色として降りてくる。それと対象的に、彼女に共感しながらも何とかして「普通」のがわに引き止めるもやい綱になろうとするのが、看護師でもある義理の姉のトドだ。

夫を救うんだ!という純粋な善意で、抱かれたくもない男をさそい、しまいに娼婦になってしまうベスは、村の子供たちに石をなげられ(キリスト教にかぎらず、宗教的異端や宗教上の倫理に反した者に対する定型的なふるまいだ)、とうとう教会から破門されてしまう。彼女は村から排除されるのだ。さっき書いたみたいに、荒涼としたこの土地で、排除された者の居場所はどこにもない。まるで死に場所を探すみたいに、彼女は凶悪な男のところへ自分から身を投じる。けれど監督はベスをこれ以上ないくらい聖なる存在として最後に送り出す。制度のなかで宗教をつかさどる長老たちより、破門された彼女の方が圧倒的に祝福された存在になるのだ。こういう「聖なる娼婦」のモデルは、直接的にはマグダラのマリアかもしれない。キリスト教以前だとヘロドトスが書いていたバビロニア古代エジプトにもあった(古代のそれは神聖な制度だったから、社会に排除されていたのとはすこしちがうだろうけどね)。監督はラストをファンタジーにすることでその聖性を分かりやすく伝えている。

この映画の風景、なんといっても「森」がないのが印象的だ。美しい緑豊かな丘陵地だけど、植物はうすく地表にはりついているだけ。日本では園芸用に売られるエリカとかカルーナといった植物が地面をおおう、ヒース(荒地)の風景だ。なんといっても冷涼で海風が吹き付ける気候だ。舞台のひとつ港町マレイグは暖流があるとはいっても北緯約57°で日本のはるか北、サハリンよりも北だ。森は育ちにくい。それでも低地は森林だったのかもしれない。でも2000年の間にイギリス全土で森は農地や牧草地にされた。そこにあったオークやマツは燃料や建材や船になっただろう。とにかく映画の中の自然は、「森」のように人を包み込むものじゃなく、もっとむき出しに潮風にさらす、そんな風景だ。海を見下ろす丘陵地を、愛する人を救おうとする女性が一人でさまよう感じ、ジャン・P・ジュネの『ロング・エンゲージメント』をなんとなく思い出した。