ふたりの人魚

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<予告編><公式>

ストーリー上海市、2000年頃。映像制作を仕事にしている「ぼく」はあるバーのオーナーの依頼で撮影に行く。店には大きな水槽があって中で人魚の格好をした女性が泳いでいた。彼女、メイメイに惹かれるぼく。そこにバイクの運び屋、マーダーがあらわれる。マーダーはムーダンという女の子を探しつづけていた。彼女にそっくりのメイメイに出会ったマーダーはムーダンを見つけたと確信して....

2000年公開、ロウ・イエ監督の本作は、高精細で色彩がチューンされた映像を見慣れた目からすると、1960年代のゴダールあたりのアバンギャルドな映像みたいな、独特のクラシックさを感じる。去年、2019年に東京で特別上映されたみたいだ。監督のインタビューものっている。

本作の舞台は上海だ。原題は『蘇州河』、黄浦江に流れ込む中くらいの川で、隅田川の半分くらいの幅だ。映像だともっと広く見えたけど。

都市の、濁った川。美しくはなくても、街中から、川辺に、橋の上に出ればそれなりに開放感がある景色がひろがるだろう。水面から微妙な香りがただよってきたとしても。映画に写された川、東京が舞台だと、この前見た『リバーズ・エッジ』、橋口亮輔監督の『恋人たち』ソウルが舞台だとポン・ジュノ監督の『グエムル』があった。どれもロマンチックで美しい川の風景じゃない。でも映像の舞台として、都市から川は切り離せない。

川・水槽…本作のイメージの中心は人魚だ。どことなく寓話めいた本作だけど、ファンタジーじゃない。だから人魚は仕事が終わると衣装を脱いで、メイクを落とし、ふつうの女性に戻って、川に浮かんだハウスボートの家に帰る。やっぱり水に近いのだ。

ハウスボート、どことなく自由で魅力的だ。でも世界中のたいていの都市で、ハウスボート貧困層のすみかだ。東京にも昭和30年代くらいまで水上生活者がいたけれど、「街を浄化する」ムーブメントの中で消滅した。運河の街アムステルダムハウスボートは有名で、趣味でセカンドハウスとして住む人もいても、基本は恵まれた暮らしじゃない。

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身寄りのなさそうな人魚、メイメイはとても美しい。今はスターであるジョウ・シュンのデビュー直後の作品だ。千秋の若い頃に少し似た彼女、撮影当時23〜24歳くらいで、文字通りの水商売の女性と、素朴なお下げ髪の少女の2役を演じる。どこか現実離れしたオーラがあって、くすんだ風景とあまり救いがない設定のなかにいても惨めに見えない。

ストーリーは、物語の「今」である「ぼく」のエピソードが語られ、「ぼく」の口から2年くらいさかのぼった、マーダーとムーランのエピソードが語られる。「ぼく」は当事者でもあり、ドラマをはなれた語り手でもある。バイクの運び屋、マーダーは酒の密輸業者の娘、ムーダンと出会う。でも上海のアンダーグラウンドに生きる彼は、彼女を裏切ることを強制される。このあたりは、日本で言えばATGとかの、60〜70年代の青春映画のモチーフみたいだ。

「ぼく」が出てくるシーンでは、カメラは「ぼく」が撮っている。つまり主観映像だ。「ぼく」は喋ることはあっても顔は一度も映らない。序盤はこの主観映像と「ぼく」のモノローグで進むからこの調子で行くのかと思ったら、いつのまにかカメラは物語る視線に変わり、「ぼく」からはなれたマーダーのエピソードに移っていく。でも、そのマーダーはいつのまにか「ぼく」の目の前にあらわれる。

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カメラの撮り方がとても独特だ。ドキュメンタリー風の、手持ちでズームをよく使うカメラ。上海って、黄浦江に面した超高層ビルが輝くハイパーモダンな都市のイメージだけど、ここで写される上海は、濁った川や、黒ずんだ護岸や、くすんだ工場や、埃っぽい道路、古ぼけたビルに満ちたどんよりした大都市だ。

本作はいろんな形の「ああ、この感じあった」に満ちていた。むかしの前衛感がある都市の映像も、オリエンタルな風景のなかで、ブロンドのウィッグをかぶった女の子のなげやりな雰囲気も、少し古めかしい愛と犯罪のドラマも。なんともいえない魅力がある「この感じ」は残留思念みたいにしばらくただよった。

■画像は予告編からの引用

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90年代と小沢健二と女の子(その2 リバーズ・エッジ)

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<公式>

ストーリー:よどんだ湾の向こうに工業地帯が見える街。そんな街の高校に通う、若草ハルナ(二階堂ふみ)は、乱暴な彼氏、観音崎に虐められているクラスメート、山田(吉沢亮)を助ける。山田はお礼にと川沿いの草地にある、ある秘密を教える。もう1人、後輩で芸能人をしているこずえ(SUMIRE)とも秘密を共有した3人に奇妙なつながりが生まれた。援交するクラスメートのルミ、山田とつき合っているらしいカンナ、どこにでもある高校生活の底流に、死と暴力の匂いが立ちこめはじめる.....

岡崎京子の1994年の作品が原作。忠実な映画化だ。びっくりするくらい忠実だ。最初にいうと、ぼくはこの映画、わりと好きだ。『エレファント』とか『明日、君がいない』と同じ、一見高校生たちの青春と思いと生活を繊細に描いているようで、濃厚に死の匂いがする。それが、原作の良さなのか、映画ならではのそれなのか、区別はついてない。

原作は、単行本化した頃に買った。すごく久しぶりに読み返してみたけれど、たしかに独特の魅力がある。登場人物の造形が集団劇としてみごとだし、舞台になる都市の一角の風景や雰囲気が色濃く少年少女たちを包んでいて、実在感がある。東京でいえば江東区越中島とか塩浜あたり、そうでなければ品川区の京浜運河に近いあたりの雰囲気のミックスという感じだ。

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登場人物は、ほぼ高校生だけだ。平坦な高校生活は、でも陰惨なアイテムのてんこもりだ。ネクロフィル、執拗な虐め、ドラッグとセックス、動物虐待、摂食障害、強迫的な愛、自殺、家族内の傷害.... 90年代といえばエヴァに代表される、「病んだ」物語は多かった気がする。95年の大震災とオウム事件、97年の連続児童殺傷事件、『Sunny』には描かれなかった90年代の空気だ。

リバーズ・エッジ』は95年より後だとおなじようには描けなかったかもしれない。さっき挙げた陰惨なあれこれは、平和で平坦な日常が舞台だからこそ、ずらっと陳列することができる。本物の惨事が、本物の暴力が圧倒的にそこにあるとき、ちょっとした「死」とのおもちゃ相手のようなたわむれは、特に岡崎のような鋭敏な感覚の作家ならなおさら、たぶん描けない。

 

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本作の人物配置には明確な対比がある。原作だと顔つきからもっとはっきり描き分けられている。物語の中での一種のエリートが山田とこずえだ。美しく、病み、非情だ。かれらから見た「ふつうのやつら」の暴力性を誇張したみたいな、性にどん欲な2人として、観音崎とルミが置かれる。もう1人の重要人物、カンナは「カワイイ」がグロテスクになったみたいな存在。そして主人公ハルナは読み手=観客のかわりの「視線」として彼らをみつめる役だからニュートラルな存在だ。そしてなにげにとても健全な精神の持ち主だ。

役者たちはどうだろう。二階堂ふみの健全さのある主人公感、なにより吉沢亮の山田へのはまり具合はすばらしい。「ふつう」側は、あえて美男美女じゃない2人を置いたことで生々しさがある。すこし不満だったのはこずえ役だ。上の対比を感じさせるには、もっとカリスマティックな雰囲気がほしいのだ。年代があわないけれど、雰囲気でいえば水原希子とかの方が近い。でも嘘くさくなるかなあ。

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原作を忠実に映画化した監督が、ゆいいつ原作から追加したのが、「キャラクター(であり演じる俳優)へのインタビュー」シーンだ。カメラの後ろの監督の質問に、アドリブまじりで、キャラクターとして答えながら、役者としてのリアクションにもなっている。悪くない。これのヒントは前に書いた『明日、君が来ない』のインタビュー風シーンじゃないかとも思う。ただしハルナ=二階堂ふみの最後のインタビューは少し長過ぎ、少し饒舌すぎた。

ラストに小沢健二の新曲が流れる。歌詞を読んでみるとほとんど私小説だった。岡崎京子とすごく関係が深かったという小沢健二が原作者に語りかけているんだろう。物語に合わせるんじゃなく、その作り手に向かって書いた曲だ。

 

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90年代と小沢健二と女の子(その1 Sunny 強い気持ち・強い愛)

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<予告編>

ストーリー:夫と高校生の娘と暮らす奈美(篠原涼子)は病院でぐうぜん旧友と出会う。高校生の時の親友、芹香(板谷由香)だった。20数年ぶりに合う芹香は末期がんで余命1ヶ月だった。芹香の頼みで高校時代の親友グループ〈Sunny〉の仲間たちを探す奈美。高校時代、90年代半ば、無敵の女子校生だった日々がよみがえる....

韓国映画Sunny』のリメイク。大根仁監督、2018年の映画だ。韓国映画のリメイクといえばこの前書いた『怪しい彼女』、どっちもプロットが強い作品だ。過去と現在を行き交う物語の構造が明快だし、コメディと確実な泣かせがきっちり用意される。音楽が物語に効果的に組み込まれて、女優の可愛さも存分に見せ所がある。

本作は『怪しい彼女』ほど忠実なリメイクじゃない。基本的ストーリーはまったく同じで、場面展開やキャラクターもオリジナルをすぐに思い出すような作りだ。ただ、Sunnyのメンバーは7人から6人に1人減っている。あとは大根監督が『モテキ』でも見せていた、ストーリーからはなれた集団ダンスシーンが入ってきたりする。

いちばんの違いは「時代」だ。オリジナルは現代が2010年頃、高校時代が1987年の韓国。本作は現代が2010年代後半、高校時代が1990年代半ばの日本、東京・横浜あたりだ。オリジナルでは少し自由の光が差して来た、まだ消費文化も洗練される前の時代の青春。本作はバブルははじけたものの明るかった(し、自由のことなんかその辺の人はだれも心配していなかった)、ヒットソングが誰でもおなじみだった、女子校生最強時代の青春だ。そこが、オリジナルと本作の雰囲気をだいぶ変えている要素の1つだと思う。

オリジナルは、経済発展した現代から、民主化前夜の韓国を振り返る。高校生の彼女たちも街中での抗争に巻込まれるし、主人公の兄は民主化運動に参加する。振り返るあの頃は「自分たちはきらきらした高校時代だけど、社会はけっこう厳しかった、年はとったけど、今の時代のほうが幸福」というバランスで、自分たちを噛み締める。

本作はそこへいくと、活気がなくなった現代から、まだ元気だった時代を振り返る。「時代も自分たちもあんなにきらきらしてた、あの頃」という、全面的に過去のほうが輝いてるバランスになってしまってるのだ。『モテキ』でもおなじみの、明るく光が散乱しているみたいな画面で描かれる「あの頃」。でもちょっと寂しい話ではあるね。

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もう1つのちがい、本作はオリジナルよりももっと女性の観客に向いて作っている気がする。オリジナルは制作側のねらいはともかく、おっさんもわりと入りやすかった。高校時代の少女たちもいやに活発で路上で大暴れしたりするし、主人公だっていわゆる美少女じゃない。男女差がそこまで大きくないのだ。現代パートは、女性ならではの悩みを全員抱えている、でもそれはミドルエイジ共通の感覚でもある。

本作の少女たちは、絵的には当時メディアに出まくっていた、アイコンとしての「女子校生」。喧嘩シーンもなぜか水着で水のかけっこだ。主人公は広瀬すず。いうまでもなく美少女だ。男の観客からすれば、自分たちを投影するというよりは、おなじみの鑑賞対象だ。あの世代特有のハイテンションな会話シーンもふくめて入り込めるようには演出していない。

彼女たちに感情移入できるのはやっぱり当時そうだった女性たちだろう。本作のラストはストーリーから離れたシーンになる。そこで描かれるのは、過去のじぶんたちを大人になった私が愛しげに受け入れるし、少女時代の私も現在のじぶんを認める、そんな空気なのだ。

タイトル通りに小沢健二の「強い気持ち・強い愛」に乗せたダンスシーンが展開する。どっちかというと文化系女子よりの小沢健二でギャル系の女子校生が?という疑問も浮かばないでもなかったけれど、たぶんそこじゃないのだ。ギャルだけじゃなくて、その時代女の子だった人たちに届かせたいんだろう。

■写真は予告編からの引用

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26世紀青年(Idiocracy)

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<予告編>

ストーリー:2005年。米軍は極秘に人口冬眠実験を行った。被験者は軍勤務のジョー(ルーク・ウィルソン)と民間人のリタ(マーサ・ルドルフ)。1年後に目覚める予定だったが不幸な事故がおこり、2人が目覚めたのは2505年だった。500年後のアメリカには1つ問題があった。長年のあいだに平均的な国民のIQが低下を続け、いまや全国民がバカになっていたのだ。はじめは犯罪者扱いだったジョーはそこでは大天才。すぐにホワイトハウスに招かれて.....

2006年のアメリカ映画。監督はマイク・ジャッジ。『Beavis and Buthead』『King of the hill』というアニメで知られている。どっちもあまり見たことなかったけれど、Beavisのキャラは一時よく見かけた。

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本作は実写のコメディ。すごく軽く見られるお笑いムービーだった。時間も短いし、笑いも、それから映像も、どすんと来る要素はない。この映画、字幕付き(吹替えも)で普通に配信で見られる。でも公開時の興行収入は5000万円もいってない。おどろくべき少額だ。配給のFOXがしばらく塩漬けにしたあと、ものすごく小規模館数で公開し、まともに宣伝もせず、すぐに終了した。日本ではもちろん未公開。

理由は、公開前の試写で評価が最悪だった、という話もあるし、いろんな実在企業をそのまま出して笑い者にしてるのでリスクを恐れた、ともいわれるし、FOXを正面からバカにしたからだ、FOXのメインターゲット層を笑い者にしているからだ....いろんな説があって、真実は知らない。

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本作は、SFタイムトリップものの形を借りて、アメリカのある種の文化、ある種のひとびとを思い切り笑い者にしている。文明の進歩的な描写は大して力が入っていない。ほとんどの人がバカになってしまったから、進歩は止まっているのだ。だからSF的にいえばややディストピア系になっている。「荒廃した未来」系だ。

本作が引き合いに出している『Wall-E』のように廃棄物が山脈になっている。『ブレードランナー2049』みたいに街はゴミゴミとして大型サインだけが目立つ。しょぼい車が走り回っているのは『ゼロの未来』とも似てる。『Wall-E』と似てるのは、人々が思い切り退化してることだ。

本作の未来人たちは、よくまあ集めたなというくらい、見た目からして頭が良さそうに見えない人たちで、全員間延びした頭の悪そうな口調でしゃべり、ところかまわない下ネタでげひげひと笑う。ド派手な色彩の奇妙な模様が入った、ポリエステル感あふれるシャツやパンツをゆったりと着こなす。

基本的にこの退化ぶりが笑いのネタであり、ちょっと真面目なテーマであり、というか全てだ。原題は『Idiocracy』、「バカ制政治」とでも言うのか、公開から10年以上たって、アメリカではある意味完全に現実になった。ちょっと前のニュースでGoogleのCEOが議会に呼ばれたというのがあった。そこで委員長が質問する。「Googleでidiot(バカ)でサーチするとトランプ大統領がヒットするのはなぜ?」

たしかに出てくる(まぁ上のニュースが出て来てるんだけど)。

本作の設定のキモは、「IQが高い人たちはあまり子供を作らない、アホはやたらと再生産する」という日本でもおなじみの説だ。日本だと「アホ」までいかないかもしれない。マイルドヤンキーとかだ。2505年のアメリカ人たちが、どの程度今のアメリカのあるあるなのかは、実際にアメリカの地方都市や郊外に住んでみないと分からないだろう。ぼくもよく分からない。

この世界ではコストコはさらに巨大化した神殿みたいな場所になり、ファストフードはさらにバカっぽい店名になり、スターバックスはなぜか風俗になり、飲料会社が経済を支配して、水のかわりになっていて、FOXテレビはさらに下世話なニュースショーを流す。しかし飲料会社が支配して水をまともに使わせない、というのは今の水をめぐる企業支配をちらっと見せている。

とまあ、そんな風刺や、お蔵入り伝説もあるけれど、見た感じとしてはそんなエッジーでもない。とことんアホ笑いにすることで毒を薄めているみたいな印象だ。主演ルーク・ウィルソンウェス・アンダーソンと一緒に作品を作っていたオーウェン・ウィルソンの弟。ヒロインのマーサ・ルドルフは、ウェス・アンダーソンのパートナー、2人そろってどことなくウェスがらみなのはなんだろう。2人とも絶妙に美男美女でもなく際立つ個性でもなく微妙な年代で、味わいだけがある。

■写真は予告編からの引用

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潜水艦映画3本!(その3 ハンターキラー潜航せよ)

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<公式>

ストーリー:バルト海アメリカの潜水艦が消える。急遽派遣された攻撃型原潜アーカンソーは、現場の海域で敵に遭遇、撃退する。その後沈没した米ロの潜水艦を発見、ロシア艦の艦長をレスキューする。ロシア海軍基地で不穏な動きを察知した軍司令部は特殊部隊ネイビーシールズの4名を基地に送り込む。基地では大統領を迎えた軍司令官がクーデターを図っていた....

2018年公開。残念ながら興行収入はあまりふるわなかったみたいだ。たぶん、『レッド・オクトーバー』や『クリムゾン・タイド』と較べても後年名作ランキング的には負けるだろう。なんというか、2作とくらべるとB級感が高まってるのだ。いやB級ともちがうかな、つまりはポリティカル・サスペンスとか人間ドラマとかの要素は薄くて、アクション娯楽作なのだ。

だから視覚的快感はじゅうぶんにある。実をいうと潜水艦3作、見たのは本作が最初だった。だから潜水艦モノのお約束や過去作のオマージュ部分にあまり気をとられなくて新鮮な気持ちで見られ、どのディティールもわりと楽しかった。軍関係の考証をかなりしっかりやっていて、潜水艦の内部セットや人々の動きもリアル指向らしい。実物映像も多いんだろう、嘘くささがない。

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ネイビーシールズの装備や行動はどこまでリアルか知らないけれど、たとえば銃器は東京マルイこのページを見るだけでも、マニアも噛みごたえがある設定になっていそうだ。あと、今の軍事モノらしく、シールズたちの情報収集・通信システムが恐ろしく洗練されていて、現地の高精細な映像をアメリカ本国の司令部でもさらりと共有している。ここまで出来てるか?と思わないでもないけれど、新鮮でもある。

いうまでもなくCGも進歩して、潜水艦VS潜水艦、水上艦VS潜水艦、地上VS潜水艦などいろんなカードのバトルが精細かつ派手に見せられる。プラス、ネイビーシールズの超人兵士たちのたった4名の潜入作戦。本作、アクションの主役は地上戦のほうで、スリリングな見せ場が最初から最後までつづく。ここでもオトコのブラザーフッド的なやつとか「待たせやがって....!(ギリギリで命を救われながら)」的展開とか、隙がない。

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お話自体はわりとファンタジックだ。まず危機の引き金がロシア国防相のクーデター作戦。それで戦争を起こして国内を掌握したいらしいのだが、無理でしょ。大統領を監禁しただけじゃ。基地の部下せいぜい何百人しかいないのだ。米国司令部も「世界大戦の危機だ!」みたいにおびえるのだが、慌て過ぎの感もある。ロシア大統領がプーチンエリツィンゴルビー的な風貌とかけ離れたイケメンマッチョなのも娯楽作っぽい。

アイディアは過去2作にかなり負ってるといわざるをえない。5つのエレメントがきっちりと揃う。そもそもロシア艦艦長と米艦艦長が同じ艦に乗り、協力して、お互いにリスペクトする展開が『レッド・オクトーバー』そのままといえる。

ちなみに米艦とロシア艦はどうやって行き来するのかというと、深海救難艇という小型潜水艇を使う。甲板上部のハッチ付近に吸盤的に吸い付いて、ハッチを開ければ水中を通らずに人が行き来できる。ミスティック級というわりと古い艇で、じつは『レッド・オクトーバー』で使ってるのと同じ艇なのだ。どうりで似てたよ!

クリムゾン・タイド』に似ているのは、冷戦後だから仕方ないとはいえ、ロシア側が「世界の危機」の引き金になるのが同じ一部の反乱だというところ。あと、潜水艦内部は3作で一番リアルらしいんだけど、ブルー系の光が映り込んでる司令室の雰囲気は前2作と共通だ。じっさいはもっと殺風景だと思う。↓の映像に司令室らしい所も映っている。

 本作の主役、米艦の艦長は叩き上げ系。すごく慎重派だ。先制攻撃を避けるために、攻められてもひたすらしのぐ。しかもものすごく人の心に訴える作戦を取ったりする。その結果、最大のクライマックスでは国家を超えた侠気シーンが炸裂し、豪快なまでにすべてが解決するのだ。この展開には思わず笑ってしまった。全体にオトコたちが熱い心で分かりう合う物語である。

本作の潜水艦アーカンソーは現在最新鋭の攻撃型原潜バージニア級。水中で最大34ノットで航行できるそうだから、すごい性能だ。舞台になったロシア海軍基地はブルガリアここでロケしたそう。はじめはアラスカロケで厳冬期のシーンを狙っていたけれど、ロケ環境がきびしすぎてやめになったそうだ。

■写真は予告編からの引用

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