恋人たち


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ストーリー:3人の主人公たち。1人目、東京の水上で橋梁点検をするアツシは通り魔事件で妻をうしなった。犯人は精神病を理由に無罪になる。アツシは復讐することも立ち直ることもできないでいる。2人目は近郊でさえない暮らしをする主婦、瞳子。無口な夫と姑とくらし、弁当屋のパートで働く。そんな彼女がふと接近したのが鶏肉の卸業者だった。3人目は弁護士の四ノ宮。経済的にも世間的にも一番上手く言っている彼だが、だれかに突き飛ばされて足を骨折する。彼には学生時代から好きな同級生がいた。でも妻子がいる相手のことを考えると気持ちを表にはだせずにずっと生きてきた…...

橋口監督のいぜんの長編『ぐるりのこと』のときもそうだった。前半の空気の重さがとにかく半端なく、ぼくはほとんど苦しみながらみた。辛い目に会っている主人公の物語は色々ある。でもこの重苦しさはなんだ。後半も『ぐるりのこと』みたいなわかりやすい解放はない。それぞれの喪失はうめられないし、つごうよく新しい何かに出会うわけでもなく、彼らは生きていく。

とにかく監督はすっと流れる、口当たりのいい、世の中のサニーサイドをすくいとったような、ポジティブな、そんな映画は死んでも撮る気はないんだろうね。ぼくの苦しみは監督が意図して観客につきつけたものだ。ちなみに監督自身もここ数年の人生で強烈に苦しんだとインタヴューで言っている。とうぜん人生観も体験もフィルムに映り込む。ソフトな雰囲気の監督だけど、観客の首根っこをつかんで「ほらこれ見ろよ!」と言ってるような、そんな気さえする。

でも、だからといって極端な描写でぐいぐい来るわけじゃない。橋口監督のそれは、表面的には抑制が効いている。もう少しで切れそうな男も、相手に手を出したり暴れたりはしない。怒りをためて、さらに内にこもるだけなのだ。なぜって、暴れたところで気持ちよくなるわけじゃないし、何も事態は改善しないし、そもそも相手1人をどうにかしたところで、かれを小突きまわすこの世界に勝てるはずもないからだ。その無力感と怒りのミックスがどうにも重苦しいのだ。フィクショナルな爆発と溜飲が下がる快感、なんてどこにもない。むしろ居心地の悪い場面だけがひたすらに積み重なる。

後半はどこか空気がやさしくなる。事態が改善するわけじゃないのだ。それでも3人ともそれぞれの喪失を受入れていくし、どんよりした世界の構成要素にすぎなかったようなまわりの人のなかにも、かれらの肩を抱いてくれるような存在がいるのだ。苦しみの象徴だったアツシの世界にもなんとなく人の声が増えてきて、抜けのいい東京の空の下で、都市の水面を巡視艇に乗って滑っていく。なんとなく澱んでいた空気が流れ出す、そんなトーンにいつのまにかなっていく。それぞれの設定や描写の意図はこのインタビューで一番明快に語ってる気がする。

3人の主役たちは公式サイトにもあるみたいに、演技のワークショップに参加した無名の役者たちだ。3人ともそれぞれのやりかたでちゃんと画面を支えている。とくに瞳子役の女優さんがえも言われず味がある。ぼくの知り合いに2名この人に似ている人がいる。もちろん中年だ。およそヒロイン然としてない彼女がこの映画にエロを供給する役にもなっているのが監督のいじわるさでもあり、慧眼でもあるんだろう。確実にどこか色気はあるのだ。しかも彼女にエロを見いだしてしまったことになんだか居心地悪くなるのだ。3人の中で彼女だけがセックスの要素を濃厚にまとうこと、彼女が出会いに燃えさかるのは物語にとって不可欠でもある。
彼女のエピソード、インチキ臭い水を売る女(『あまちゃん』の観光協会の彼女!こっちもじつに味がある)もふくめて、なんとなく『サウダージ』を思い出した。いや、というか、けっこう近いのかもしれない。一見猥雑で、どこか祝祭的なノリもあった映画だけれど、閉塞感は似ていた。