Sunny 永遠の仲間たち



<予告編>
ストーリー:40代の主婦、イム・ナミは病院でぐうぜん高校の同級生と再会する。彼女、ハ・チュナは事業を成功させていたが末期がんに侵されていた。女子校時代の仲間、「サニー」のメンバーと最後に再会したいというチュナの頼みに、ナミは仲間たちの今の探索を始める。1987年、そんな彼女たちの青春は….

日本公開が2012年。「いいよ〜」という声は聴いていたけれど、ことし初めて見た。大根監督のリメイク版は未見。感じとしては『横道世之介』を思い出す。そうか、振り返っている時期も同じ1987年だ。日本の1987年はバブル後期、この時の東京の空気ならぼくもおなじみだ。ソウルの1987年はどんなだったんだろう。上にも書いたけれど、全斗煥政権の末期で、民主化をもとめる行動がまた活発になっていた時期だったようだ。1988年のソウルオリンピックの前年で、いまの東京よりはずっと熱気があっただろう。それから政策でスポーツやポップカルチャーを振興したり規制緩和したりで、少年少女の思い出の曲も、ぼくたちと共通のものになってくる。

お話は女子数名のチームものだから、それぞれにわりとはっきりしたキャラクターをあてて、分担が分かりやすいようにしている。ヒロイックなリーダー(チュナ)、意外と骨のある新人(ナミ)、謎めいた美女、太った豪快さん、見た目は地味だがやたら罵倒スキルが高い子、勉強のできるメガネっ娘、きれいどころを目指す子。よくわからないけれど、チームはちょっとヤンキーめいた存在らしく、他校のグループと裏道でしょっちゅう対決する。
基本は泣かせコメディの演出だ。見たのがわりと前なので、ちょっと印象がぼやけてしまったけれど、少女たちの学園生活のなかに街中での機動隊と市民の衝突が急に入ってくる、ざくっと何かが切り込んでくる味わいとが陰影になっているのは確かだった。『横道世之介』の1987年が、徹底して平坦でなにも起こらず、その平坦さがむしろ失われてみると宝石のように貴重だったんだ、という感傷とはちがって、彼女たちの1987年はポップさと、時代のきびしさと、高校生活のワイルドさが入り交じった「濃い」ものだった。

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