『エレファント』と『明日、君がいない』


wikipedia:エレファント
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『エレファント』は1999年に起きたコロンバイン高校の銃乱射事件を題材にしたガス・バン・サント監督の作品。2003年制作。『2h37』(邦題「明日、君がいない」。短いので原題を使います)はそれに強烈な影響を受けた、というか「エレファント・スタイル」のオーストラリア映画。2006年制作。こちらは撮影当時21才の新人監督、ムラーリ・K・タルリが撮ったデビュー作だ。

この2つの高校モノ、その根底にあるのは生徒たちのなかの、スポーツ・エリートを頂点とするヒエラルキーだ。僕の感覚でいうと日本の高校よりもはるかに明白にこの強者・弱者の序列があるようだ(いたわけじゃないのでアレですが)。細かいところはwikiでも読んでみて。
wikipedia:ジョック
どちらの映画でも、それぞれのキャラクターがどの階層にいるか、わかりやすく描き分けられている。はっきり描かれていなくても、なんとなくポジションが想像できる。シンプルすぎる「学校」という世界のなかでは、この階層のどこにいるかが、ほとんど生死をわけるような絶対的な問題になってくるのだ。

2つの映画はよく似ている。ある高校のある1日を舞台に、だれか一人を主人公にするのではなくて、複数の生徒をクローズアップして、複数の視点から描こうとする。テクニック的には時間をこまかく切り刻んで、視点がかわるごとに時制も前後して、物語は不安定感がある。生徒は1日中動き回り、その視線をおいかけて、ステディカムのカメラもいつも移動している。そして複数の視線でぼんやりと進んでいた物語は、ラストのカタストロフへ収斂していく。

けれど2つの映画のテイストはちがう。『エレファント』は、かんたんにいえば対象から距離がある。生徒たちの世界を薄い膜を通して見ているようなイメージがある。撮り方もおおきいだろう。カメラ=撮り手はあえて息遣いを感じさせず、ただの視線になる。生徒たちはそれぞれにドラマをかかえているけれど、会話からほのめかされる程度で、どれもちゅうぶらりんでほっておかれる。セリフの多くがアドリブで、ドラマはすこしテンションがあがっても、またなんとなく引いていく。
それがたぶんこの映画での「リアル」だ。毎日はそこまでドラマチックじゃないし首尾一貫したものでもない。けれど、この映画が実話をモチーフにしている以上、最後に惨劇がおこることはわかっている。突然断ち切られることがわかっているからこそ、ドラマチックでない淡々とした日常がいとおしく見えるかもしれないし、もろいものだと感じるかもしれない。それは見るものにまかされている。

『2h37』はドキュメンタリー的な味付けをした明白なドラマだ。最初に一人の生徒が自殺することがわかる。けれどだれかはわからない。「だれ?」という謎解きが物語のテンションを維持し、生徒たちはだれもが自殺を考えてもおかしくない、フィクション的に誇張された深刻な問題を抱えている。カメラはキャラクターたちのあいだに乱暴に入り込み、ときにはインタビュアーのように存在する。 そこに「リアル」があるとすれば、学校という、均質で、逃げ場のない場所で生きていかなければならない生徒の苦しみかもしれない。映画とおなじく、友人が自殺し、自分も自殺未遂の体験があるという若い監督は、たぶん弱者としてハイスクール時代を息をひそめて生きてきたんだろう。まだ生々しい高校時代の記憶。その息苦しさは、そこまでサスペンスフルな毎日をすごしていなかった僕にもリアルに感じとれる。ここで描かれる高校は、なんだか牢獄のような閉じた場所に見える。

けれど、ちょっと「なぜ?」と思う部分もある。かれらの悩みというのがほとんどすべてセックスから発し、そこに収斂していくのだ。普通にある恋愛の悩み、自分のセクシュアリティにかかわる悩み、犯罪的にセックスに巻き込まれるものの悩み・・・そりゃ高校生の頭の中がセックス1色、というのもわからないでもないけれど、深刻な悩みはそれだけじゃないだろう。オーストラリアの学校事情は正直よくわからないが、多民族が一緒に通う高校であれば、インド系のこの監督が高校時代に受けたであろう圧迫は、人種的な問題のほうがずっと大きいんじゃないの?・・・けれど出演者は全員白人で統一されている。アボリジニーもブラックもアジアンもいない。物語をシンプルにしたかったのか、それとも監督にとってセクシュアリティの問題が最大のものだからなのか。ちなみに『エレファント』で唯一ともいえるセクシャルなシーンは乱射直前、唐突に死を覚悟した2人の少年のホモセクシャルなシーンが挿入される。あれ、意味があるのか?

『エレファント』のラストはわれわれがよく知っている事件だ。10分くらいつづく惨劇のシーン、いじめられっこだった少年は何の迷いもないクールなタフガイに変わる。皮肉なことに、そこでリアリティが失われる。映画の画面のなかでならさんざん見慣れたマシンガンの連射。簡単に人が撃ち倒されるシーン。そこは逃げる生徒視点に集中したほうがひょっとしてよかったんじゃないかな。 ラストの悲劇的シーンでは『2h37』のほうがリアリティがある。「こいつが・・・」という驚きとともに、その痛々しさにちょっと圧倒される。

それにしても、特に『エレファント』を見ると思う。いや、もちろん彼らも充分に苦しんで青春を送るんだろう。でも、豊か過ぎだよなあ。いじめられっこが通販でマシンガン買えちゃうんだから。家で試し撃ちできちゃうんだから。で、マイカーに銃と爆弾積んで学校行くんだから。アメリカ以外じゃそれこそリアリティないよ。

結論。『善兵衛が2本あわせ技で1本取られた!』