90年代と小沢健二と女の子(その2 リバーズ・エッジ)

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ストーリー:よどんだ湾の向こうに工業地帯が見える街。そんな街の高校に通う、若草ハルナ(二階堂ふみ)は、乱暴な彼氏、観音崎に虐められているクラスメート、山田(吉沢亮)を助ける。山田はお礼にと川沿いの草地にある、ある秘密を教える。もう1人、後輩で芸能人をしているこずえ(SUMIRE)とも秘密を共有した3人に奇妙なつながりが生まれた。援交するクラスメートのルミ、山田とつき合っているらしいカンナ、どこにでもある高校生活の底流に、死と暴力の匂いが立ちこめはじめる.....

岡崎京子の1994年の作品が原作。忠実な映画化だ。びっくりするくらい忠実だ。最初にいうと、ぼくはこの映画、わりと好きだ。『エレファント』とか『明日、君がいない』と同じ、一見高校生たちの青春と思いと生活を繊細に描いているようで、濃厚に死の匂いがする。それが、原作の良さなのか、映画ならではのそれなのか、区別はついてない。

原作は、単行本化した頃に買った。すごく久しぶりに読み返してみたけれど、たしかに独特の魅力がある。登場人物の造形が集団劇としてみごとだし、舞台になる都市の一角の風景や雰囲気が色濃く少年少女たちを包んでいて、実在感がある。東京でいえば江東区越中島とか塩浜あたり、そうでなければ品川区の京浜運河に近いあたりの雰囲気のミックスという感じだ。

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登場人物は、ほぼ高校生だけだ。平坦な高校生活は、でも陰惨なアイテムのてんこもりだ。ネクロフィル、執拗な虐め、ドラッグとセックス、動物虐待、摂食障害、強迫的な愛、自殺、家族内の傷害.... 90年代といえばエヴァに代表される、「病んだ」物語は多かった気がする。95年の大震災とオウム事件、97年の連続児童殺傷事件、『Sunny』には描かれなかった90年代の空気だ。

リバーズ・エッジ』は95年より後だとおなじようには描けなかったかもしれない。さっき挙げた陰惨なあれこれは、平和で平坦な日常が舞台だからこそ、ずらっと陳列することができる。本物の惨事が、本物の暴力が圧倒的にそこにあるとき、ちょっとした「死」とのおもちゃ相手のようなたわむれは、特に岡崎のような鋭敏な感覚の作家ならなおさら、たぶん描けない。

 

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本作の人物配置には明確な対比がある。原作だと顔つきからもっとはっきり描き分けられている。物語の中での一種のエリートが山田とこずえだ。美しく、病み、非情だ。かれらから見た「ふつうのやつら」の暴力性を誇張したみたいな、性にどん欲な2人として、観音崎とルミが置かれる。もう1人の重要人物、カンナは「カワイイ」がグロテスクになったみたいな存在。そして主人公ハルナは読み手=観客のかわりの「視線」として彼らをみつめる役だからニュートラルな存在だ。そしてなにげにとても健全な精神の持ち主だ。

役者たちはどうだろう。二階堂ふみの健全さのある主人公感、なにより吉沢亮の山田へのはまり具合はすばらしい。「ふつう」側は、あえて美男美女じゃない2人を置いたことで生々しさがある。すこし不満だったのはこずえ役だ。上の対比を感じさせるには、もっとカリスマティックな雰囲気がほしいのだ。年代があわないけれど、雰囲気でいえば水原希子とかの方が近い。でも嘘くさくなるかなあ。

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原作を忠実に映画化した監督が、ゆいいつ原作から追加したのが、「キャラクター(であり演じる俳優)へのインタビュー」シーンだ。カメラの後ろの監督の質問に、アドリブまじりで、キャラクターとして答えながら、役者としてのリアクションにもなっている。悪くない。これのヒントは前に書いた『明日、君が来ない』のインタビュー風シーンじゃないかとも思う。ただしハルナ=二階堂ふみの最後のインタビューは少し長過ぎ、少し饒舌すぎた。

ラストに小沢健二の新曲が流れる。歌詞を読んでみるとほとんど私小説だった。岡崎京子とすごく関係が深かったという小沢健二が原作者に語りかけているんだろう。物語に合わせるんじゃなく、その作り手に向かって書いた曲だ。

 

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