グエムル-漢江の怪物 


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この映画は韓国国内で歴代1位とも2位という興行収入をあげた。ちょっとそれについて考えてみる。だれでも知ってるように、「興行収入歴代トップ」がオールタイムベストはかぎらない。日本での歴代興収上位は宮崎アニメと『タイタニック』『ハリー・ポッター』、以下日本製映画だけピックアップすると『踊る大捜査線2』『南極物語』『子猫物語』など。 全世界ではAVATAR』『タイタニック』『ロード・オブ・ザ・リング』が上位。ざっくりいえばだいたいどれも、お子様でも見られる分かりやすい大作だ。
韓国は事情が違う。(シネマコリア記事による2007年現在データwikiだとだいぶ違う。なぜだ?)上位は『王の男』『グエムル』『ブラザーフッド』『シルミド』『友へ』らで、成人男性向けっぽいラインナップだ(よく知られるように、韓国は国内映画産業保護のために外国映画の公開を制限しているので国内映画が上位を独占する)。 特筆すべきは近現代の戦争や暗闘などのダークな史実にもとづいた映画が上位に来ている。試練の中での男たちの結束や友情というようなテーマが目につくだろう。ランキングからは、韓国の多くの観客がエンターティメントに求めるものは、他国とは違っている傾向が見て取れる。

そんな環境の中で『グエムル』は大ヒットした。特撮・CG系怪獣映画という、他のヒット作のなかでは異色ジャンルだ。かつ、はっきりいって映画としての完成度は微妙だ。話の整合性に疑問はあるし、あえてチルディッシュなセンスを表に出している映画ともいえる。ただ、その背景と世界観が意外にシビアで、そこに他の映画との共通点があるのかもしれない。
映画中の米軍は占領軍のように政府の上位で活動する。彼らは怪物を生み出した元凶で、主人公を捕えて非人間的な検査をし、最後は市民の危険を無視した生物兵器で怪物を殺害しようとする。わかりやすいくらいに悪役だ。政府・軍・警察も市民の味方とはいえない。怪獣の被害者を感染者として隔離し、監禁し、主人公の訴えには耳をかさず、ときには賄賂で簡単になびく。主人公の一家は社会の下層で、次男は抵抗運動の経験ももっている。物語の後半であらわれる少年は身寄りの無いホームレスの兄弟だ。彼らは独力で怪獣にたちむかわなければならない。
トータルして、日本なら1960-70年代的な世界だろう(個人のビジランティズム的戦いはまた別か)。現在の日本でこういう視線の映画が、すくなくともメジャーで制作されて、ヒットすることはありえない。40代以下の観客の感覚からは乖離しすぎているからだ。むしろ政府や大組織の中の主人公が、人間的に頑張る系の映画が日本では多い(これも奇妙な気はするが)。この視線が監督の個人的なものなのか、広く受け入れられるものなのか・・・大ヒットということがその答えになるのだろうか。
映像的には1960年代的ではなくてじゅうぶん現代的だ。とはいっても今ふうな繁華街が舞台になるわけではなくて、怪物がらみのほとんどのシーンは、漢江沿いのハイテク土木構造物が舞台になる。日本のドボクちゃんたちが涙することはまちがいない。撮影の都合もあったのかもしれないが、真新しい下水施設(洪水調整用施設か?)や橋梁やグレーチングの直線的デザインが画面をビシィッと引き締める。政治・社会的にレトロ感があり、絵面は現代性があるというギャップが日本の観客には新鮮にうつる。レトロな絵柄とハイパーモダンな世界観の融合、というのは日本のSF系ビジュアルでもおなじみだが、その逆をいっているともいえるし、両者のミックスという意味では似た印象だともいえる。
そして物語をまとめる価値観は家族の団結。家族のマスコット的(でもありアンカーのようでもある)少女が怪物にさらわれて、家族全員が力をあわせて助けようとする。クラシックで受け入れやすいテーマだ。怪獣はもちろん物語の大事なモチーフなんだが、あくまで外部として描かれる。つまり怪物の正体や意味について物語も出演者も追求するつもりはなく、とにかく存在するそいつにたいする社会や人間の側の対応がメインテーマになるのだ。外注CGでクオリティを確保した怪獣だが、約15m程度という、同じ生物として認識できるほどほどの大きさに設定したところは正解だ。ただエイリアン以降の怪獣デザインの基本として、どうしても性器のアナロジーになってしまう。これも女性恐怖の一変形なんじゃないかと妄想したくなるデザインだ。
その怪獣が倒されるラスト前、見た人ならだれでもツッコむ「なぜおまえら平気なんだ、そこで」問題をはじめ、家族の脱出シーンなど、破綻すれすれのご都合主義と言いたくなるところは全体にある。ただキメのシーンをはじめ、なにか切迫したテンションが画面全体にみなぎっていて、それが凡百のトンデモ映画とこれとを分けているといえるだろう。家族たちは、いつも水平移動するカメラに追われて疾走する。そしてペ・ドゥナが弓を放つシーンはまちがいなく美しい。
結論。『善兵衛が納得のビジュアル的テンションがストーリーの粗さをカバー!』