フェラーリ & 栄光のル・マン

<公式>

ストーリー:1957年、モデナ。フェラーリ創始者、エンツォ(アダム・ドライバー)は妻ラウラ(ペネロペ・クルス)と愛人リナ(シャイリーン・ウッドリー)との間を行き来する生活を続けていた。前年に愛する息子ディーノを亡くし、会社は借金で破綻の危機だ。出資を得るために国内最大のレース、ミッレミリアに勝利しなくてはいけない....

エンツォ・フェラーリの生涯の一点、1957年のほんの一時期だけを描いた物語だ。監督はマイケル・マンフェラーリ本社のウェブサイトは会社の歴史と、それと同じくらいの厚みでレースの歴史を紹介していて、本作のクライマックス、ミッレミリアについても記事になっている。レースに出場するドライバーやマシンもおさらいできる(ネタバレにもなるから未見の方は後がいいかも)。

アメリカ資本でイタリアとかフランス舞台の実話ベースの作品、最近だと『ヴァチカンのエクソシスト』のほか『最後の決闘裁判』『ハウス・オブ・グッチ』『ナポレオン』...リドリー・スコットものが並ぶ(まあ彼はイギリス人だけど)、どうしてもどこか嘘くささが残る。時代劇はまだいいかもしれない。だれが撮っても想像上の世界だしコスチュームプレイだ。

現代劇となると、50年60年前でも少し気になる。「セリフが英語」問題はとりあえず置いとくしかない。一番誠実に向き合ったのは『イングロリアス・バスターズ』だろうか。英語圏の役者がフランス語やイタリア語で演じる作品もあるけれど、本作は一番いやらしい形、〈イタリアっぽいなまりの英語+ちょこちょこっとイタリア語を混ぜる〉式で、僕でも居心地悪いくらいだから、少なくともイタリア人観客は吹き替え版じゃないと耐えられないんじゃないか。

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もう一つ文句をつけると、アダム・ドライバーもいまいち評価に困る。白髪オールバック+サングラスの初老紳士姿は圧倒的に格好いいし、悲劇的な物語にも違和感ない。でも少しナチュラル感には難がある。人物のアップが多い本作で白髪の生え際のヅラっぽさが隠しきれていなかったのは若干萎えた。ちなみに実物のエンツォも長身だけど、どちらかというと黒澤明的な「大柄・白髪オールバック・サングラス」イメージに見える。

イタリア自動車産業の有名人というとフィアット会長のジャンニ・アニェッリがいる。本作にも一瞬出てくる。「アメリカに買われるくらいならウチが金出すよ」と電話する彼だ。面白いのは、富豪相手のフェラーリの会長は叩き上げのレースマニア(本田宗一郎的)、庶民相手のフィアットの会長はセレブ中のセレブで、ヨーロッパ社交界全体で一目置かれるくらい、しかも絵に描いたようなスタイリッシュなおじさんなのだ。アダムのイメージはむしろそっちにも近く見える。まあ貴族的風貌という感じではないけど。

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Enzo Ferarri  (c)Esquire

物語は家族とビジネスのドラマだ。ファミリービジネスをどうやって存続させるか、そのために男の後継が必要なのに、最愛の息子はいなくなってしまう。本妻は悲しみの上に、息子の不在も自分の不足みたいに言われかねない。

『ハウス・オブ・グッチ』も親族の後継者あらそいの話だった。フェラーリが違うのは、何代も続いた名家というわけじゃない、夫婦で創業した会社だ。苦労して興し、維持してきた「会社」という、人格はないものへの執着。クライマックスで、それまで夫に敵意むき出しだった妻が見せる反応は、ひょっとすると「あの頃愛し合った夫への愛の残り火」じゃないかもしれない。それは「一緒に育ててきたもう一つの子供は生かさなければ」という思いなんじゃないか。

本作の中心はそんな夫婦の物語だ。もちろんレースシーンには十分に見せ場を用意している。前半は葉巻型のフォーミュラカータイムアタック。細くて踏ん張りが効かなそうなタイヤでコーナーを攻めていく。後半はオープントップのプロトタイプカー。大量の車両を投入した『グランプリ』や『栄光のルマン』の満腹感は正直ないし、どことなく『フォードvsフェラーリ』の方が眼福感があった気がする。とはいえイタリアンレッドのクラシックレースカーは美しいし、「耐久レースでそこまでするか?」的なサイドバイサイドのデッドヒートはなかなかのテンションだ。

ミッレミリアでは、公道レースらしくガードレールもない沿道すぐに観客が大勢見に来る。「60年前とはいえ野蛮なレースをしてたんだねえ」的なコメントもどこかで見た。当たり前に危険だしね。でも知ってる方はよく知ってるように、今でもWRCとかのラリーだと沿道の観客のすぐそばをマシンが爆走するのはお馴染みだ。下の映像は80〜90年代だけど相当クレイジーだ。最近でも死亡事故はある。それからもっと近いのが自転車のロードレース。特に山岳の上りだと観客の間をすり抜けるみたいにして選手は走らなくちゃいけない(観客が調子に乗りすぎて選手の大クラッシュが起きたのが下の映像だ)。ヨーロッパの公道レースの「危険上等」マインドは伝統なんだろうね。

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🔷栄光のル・マン

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<参考>

ストーリー:1970年、ルマン。ディレイニースティーブ・マックイーン)はポルシェチームのドライバー。前年にはフェラーリとの事故でフェラーリのドライバーが死亡していた。会場にはライバル、フェラーリのドライバー、そして前年に死んだドライバーの妻が姿を見せていた。レース中盤、またしてもクラッシュが起こり.....

1971年公開、レース映画のクラシック。事実上の制作者、スティーブ・マックイーンが見せたかったものは『フェラーリ』とは違ってレースそのものだ。レースシーンを見ればわかる。セットにしては観客が多すぎるし、走っている車も撮影用とは思えない。それも当たり前で、1970年の実際のルマン24Hの映像とミックスして映画にしているのだ。

撮り方も(有名な話だけど)すごく、ポルシェのプロトタイプカーをレースにエントリーし、車両にカメラを搭載してレースしながら撮影していたのだ。撮られる方も気になるだろうけど、撮影車両を走らせる側も相当だ。クラッシュシーンは別撮りで、専用の車両を用意した。そんな撮影の中でドライバーが重傷を負って足を失っている。

レースシーンの荒々しさはものすごく見応えがある。ドラマパートはディレイニーを主人公として成り立たせるためにある感じで、『グランプリ』よりも薄い。その部分はスタジオ撮影か、いかにも昔風のライティングや撮り方だ。とにかくレースを体感させるための映画だから。『フォードvsフェラーリ』の時代、1960年代のすぐあと、ポルシェ全盛時代の前哨戦みたいな時期だ。

数十年前のマシンだからラップタイムは今と比較にならないかもしれない。でもレースカーの直線スピードは1930年代から300kmを超えていた。1970年のレースカーの爆走映像はエンジンサウンドも映像も粒子が粗くて、その分なんともいえない骨太さがある。

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