オンリーゴッド


<予告編>
ストーリー:バンコク拠点のドラッグディーラー、ジュリアン(ライアン・ゴズリング)はムエタイのプロモーターを表稼業でやっている。商売のパートナーでもある兄がある晩とつぜん娼婦を惨殺した。逃げもしない彼は警察の手に落ちる。現場に派遣された元刑事のチャンは娼婦の父を見つけて現場に呼び出し、棍棒を渡す。しばらくたってから復讐を終えた父をつれだして右手を切り落とした。数日後、ジュリアンの母、クリスタルがバンコクに現れる。息子の葬式をあげるためだが、麻薬取引の元締めでもあるママは、地元のアンダーワールドにいるアメリカ人に話をつけて、息子を殺した男と、殺させたチャンの暗殺を依頼する。母はある過去の出来事があってジュリアンより兄を愛していた。ママに叱られた無口なジュリアンも、また兄の敵をおわなくてはいけない。でもチャンはただの引退した刑事じゃなかった。

ドライブ』のニコラ・ワインディング・レフン監督×ライアン・ゴズリング主演。2013年。ときどき製作される<オリエンタル+クライム>ものだ。欧米が東洋の武術家たちを「発見」してから持っている、彼らを神秘化して内面のわからない殺人者として見る視線だ。アジアの繁華街の<カオス>は魔窟となり、味付けとしてまぶされる。

この「内面がわからない」とこがキモで、『ブラック・レイン』の松田優作みたいにモンスターとして扱える。本作の敵役チャンもまさにそれだ。暴力にもためらいがないから倫理観のおきばが見えない。ただし東洋文化への一定のリスペクトを見せて、ただの無法者じゃなくなんかのルールに基づいてるんだな、と思わせる。剣や武術の達人で、動きも優雅だ。
いっぽう主人公ジュリアンも簡単には感情移入させないキャラクターだ。第一にとにかく無口。全編で17行分しかセリフがない。無口だけど行動で示すのかと思うと、あまり能動的でもないのだ。話のなかでも「なんだかわからない不気味なヤツ」に見られている。観客から見ても似たようなものだ。彼女らしいタイ美女といっしょにいるけど、強面ママの前だと口の悪いママが彼女を罵倒してもひとことも返せない。そのくせ見た目に似合わず急に暴力的だ。

映画の雰囲気はデビッド・リンチ風だけど、ラストで「ホドロフスキーにささぐ」となっている。監督がアレハンドロ・ホドロフスキーのファンなのは『ホドロフスキーのデューン』を見るとよく分かる。ただ本作の捧げ具合はいまひとつ分からなかった。捧げるといってもいろいろだ。作者の個人的な思いで親族とか友人に、っていう場合もあるし、亡くなった関係者に、ってときもある。だけど作家が存命中の作家に捧げるとしたら、ふつうはなにか作品の元となるくらいのインスピレーションを受けてつくった作品だからだろう。本作はよくいうオマージュ要素はあまり感じなかった。いやどうだかなぁ、ホドロフスキー、そこそこ思い出せるのって『ホーリーマウンテン』『サンタ・サングレ』くらいだし。
ホドロフスキーには、やや「天然」要素を感じる。なにかメタな視線込みで狙った表現とかをするタイプじゃなく、それがおもしろければそのまま入れこんで、結果的にシュールに見えたりする。レフンはそのあたりはきっちり見えてるタイプっぽく、作家としての色もけっこう違うような気はする。