大聖堂のようなストップモーションアニメ−2  ギレルモ・デル・トロのピノッキオ

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ストーリー:木工職人のゼペットは幼い息子カルロと2人暮らし。しかし愛する息子は爆撃の巻き添えでこの世を去る。それから何十年、ゼペット爺さんは悲しみから立ち直れない。ある日酔った爺さんが適当に作った木彫り人形が精霊の力で命を得る。誕生したピノッキオはその日から爺さんの頭痛の種に.....

前回紹介した『MAD GOD』は制作開始から約30年、『JUNK HEAD』が約13年、長年の労作、そのどちらにも監督ギレルモ・デル・トロが「有名人コメント」を寄せている。コメントを引き受けてくれやすそうな雰囲気がある人だけれど、それよりは諦めずにストップモーションアニメを作り上げた作り手へたちの同志的な気持ちだろう。デル・トロが監督した本作も、企画立上げが2008年、例によって中断を挟んで、Netflixの参加で再開、2022年の公開までに15年かかっている。立派な大聖堂ぶりだ。

本作は監督デル・トロが『ファンタスティックMr.Fox』のアニメーション監督マーク・グスタフソンを共同監督に、老舗のマペットアニメのスタジオ中心に制作した。前回の2作と比べると、王道の「子供も楽しめるアニメ」になっている。人物のデフォルメはどことなく伝統的で、悪役も愛嬌がある。背景はCGを使いつつ、イタリアの程よく古びた村の景色がきれいだ。

https://portlandartmuseum.org/wp-content/uploads/2022/11/Mackinnon-Saunders_Geppetto-and-Pinocchio-Production-Puppets.jpg

© 2022 Netflix via Portland Art Museum

でも王道といいつつ、監督の作家性は十分に濃い。ストップモーションアニメの制作が大変なことは最初から分かっていて、えてして作り手の誰か個人の執念めいた強い意志がないと進まない(ように見える)。でも大規模なスタジオはいらないから比較的小さな体制でもできる。だから作家性が濃密ににじみがちなのかもしれない。ストップモーションそのものの素材感とか奇妙なリアリティ以外に、作り手の顔が見えやすいところに自分も惹きつけられてる気がする。

画面を彩る登場人物や背景の作り込みはNetflixのメイキングで見られる(下のYouTubeは短縮版)。絵作りへの執念もさることながら、元の童話からの設定の変え方、キャラクターなどはデル・トロの作品らしさを感じずにいられない。ピノッキオはご覧の通り、ディズニーアニメにあるみたいなこぎれいな人形じゃなく、木目を生かし、節が目になり、洞には虫がすんでいるようなラスティックな物体だ。

ピュアな精神、人間を超えた力を持っていながら、ワイルドな存在として、ある種怪物的に見られてしまう...『シェイプ・オブ・ウォーター』の半魚人に通じる。『ヘルボーイ』だってそういう哀愁が漂う。監督はそんな存在にむしろ想い入れがあるように見える。かれらへの想いを「多様性の受容」みたいな通りのいい言葉では語らない。でも本作の原作からの翻案でも中心的なコンセプトになっている。

舞台設定でも、最初の悲劇(爆撃)は第一次世界大戦ピノッキオが巻き込まれる時代は第二次世界大戦前夜、ムッソリーニが独裁を手中にしたきな臭い時代にしている。独裁党員の有力者を主要キャラクターに入れ、人心が変わっていく姿もちゃんとシーンに含める。『パンズラビリンス』『シェイプ・オブ・ウォーター』...デル・トロは込み入った政治的ドラマを扱うタイプじゃないけれど、物語の暗い影として政治の暴力性を繰り返して描いてきた作り手だ。

それからもう一つ。人造人間であるピノッキオにはここで書いた「アンドロイドの不死性」みたいな物語が付け加えられた。原作はご存知の通り、ゼペット爺さんが望む「いい子」になろうと努力したピノッキオが最後に人間の少年になる。ボロい木彫り人形が報酬として上位形態を与えられるのだ。でも本作のピノッキオはむしろ人間を超越した一面を持つ、人間の限界を相対化する存在になる。

下のイラストはアメリカの画家が描いたピノッキオの挿絵だ。デルトロがインスピレーションを受けたそう。確かにキャラクターデザインの土台になっている。

https://i0.wp.com/www.tor.com/wp-content/uploads/2018/10/Pinocchio-GrisGrimly.jpg?fit=740%2C505&type=vertical&quality=100&ssl=1

art by Gris Grimsy via Tor Com

 

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