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ストーリー:世界文明崩壊後の世界、いやオーストラリア。砂漠化した大地の中に残る文明、「緑の地」は女性が統率するコミュニティだった。少女フュリオサは襲撃してきたバイカー軍団に攫われる。それ以来フュリオサはならず者集団の中で腕を磨き、復讐のチャンスを狙っていた。エリアを支配する3つの集団の三すくみの中で....
2024年6月公開。記念碑的作品『フューリー・ロード(怒りのデス・ロード』のプリクエルだ。世界でも、それに日本でも前作ほどの興行収入は上がっていない。たぶん10億くらいだ。本作、結論からいえば視覚的にも語り口にも十分満足した。ただ前作みたいなある種の普遍性は感じなかった。作り手もそれは承知だろう。
前作、当ブログでは「映画の直線番長」的に紹介した。とにかく突っ走る集団の、そして物語の方向がまっすぐすぎるのだ。まっすぐいって、まっすぐ帰る。本作はまず空間的なところで言えば直線往復じゃなく、三角移動だ。物語の舞台が「水と食糧」「石油」「武器」の3つの供給基地で、軍団は敵も味方もその間を何度も行ったり来たりする。まずそういう意味での移動の異様なシンプルさ、象徴性はない。
もう一つ空間的な違いは「高度差」の導入だ。前作は例外的な奇襲以外、敵も味方もほぼ平地の砂漠を爆走していた。前作見た人なら覚えている棒高跳び式攻撃も、平地のムーブに高さを加える動きだった。本作では地形そのものが砂丘だったり岩山だったりして、改造車たちも登攀力を誇示したり、飛行物体も加えて、上から・下からの攻撃があって動きのバリエーションは増えた。前作の抽象的とも言える大地と比べると自然になったとも言える。
(c)2024Worner Bros. via imdb
ちょっと残念なのは、地形に変化をつけた割に、3つの拠点はロケーションにあまり特徴がなくて距離感もよくわからない。フュリオサがいるイモータン・ジョーの拠点だけ岩山で、それも平地の中に突如あるので、間の移動がすごく記号的だ。こむずかしい言い方をすれば場所性があまりないのだ。前作は抽象的なまでにシンプルだったおかげで、出発点(イモータン・ジョーの拠点)、目的地(緑の地があったはずの場所)、中間点(岩山のゲート)の関係が分かりやすかったのだ。
物語の最初、前作でフュリオサが目指した故郷の楽園、緑の地のシーンになる。じつを言うと、このシーンでいきなり少しテンションが下がってしまった。美しい渓谷は森が広がり、集落には発電用風車やソーラーパネルが見えている。緑の地は物語上の善的なものの代表だ。青々とした木々や果実、それは分かる。自然と共生したクラフト的生き方、文明崩壊後だからまぁそうもなるだろう。でも自然再生エネルギーをわざわざアトリビュートとして入れるの?...なんか分かりやす過ぎて少しげんなりしてしまったのだ。
あと普遍性という意味では、ヒロインのアニャ・テイラー=ジョイだ。全く悪くなかったと思う。アクションもトロくは見えない。ただ目の周りを黒くする例のメイクになると少々漫画っぽい。つくづくシャーリーズ・セロンは普遍的な顔だと思う。変な話、彼女の顔って整いすぎてすぐに思い出しにくい感じがする。アニャはその点強さはあるけど親しみやすい、覚えやすい顔だ。シャーリーズの普遍顔が物語のトーンに神話性をプラスしていたんだなと思う。
🔹アラビアンナイト 三千年の願い
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ストーリー:アリシア(ティルダ・スウィントン)は物語論の研究者。学会でイスタンブールに来た彼女が古道具屋で買った瓶を開けると煙の中から大男(イドリス・エルバ)が現れる。ジン(アラブの精霊・魔人)だった。ジンは3つの願いを叶えるという。そうすれば彼も呪いから解放されるのだ。でもアリシアには願いもない。ジンは自分の3000年の歴史を語りだす.....
フュリオサの監督、ジョージ・ミラーの2022年公開作。次作『フュリオサ』が奇妙に口承文学っぽい語り口になっている、その予告というか監督の宣言というか、メタ的な物語論的ラブストーリーだ。おおくの映画の物語構造はピュグマリオン型とかオイディプス型とかオデッセウス型とかいうように神話の構造がベースになっている(と言える)し、ミラーは特に古い説話と映画の物語の関係に意識的だった人だからね。
出演者が語る物語を観客が見るタイプ、『ユージュアル・サスペクツ』『ニンフォマニアック』とかある。本作も大きくはその構造だ。トリッキーな語り口じゃなく、テーマが「物語の役割ってなんだ」と正面から取り上げているところがメタ的なのだ。
主人公アリシアは物語の外にいる存在だ。いつの間にか研究者としてあらゆる物語を外から分析する人になった。研究者でなくても、自分が興味あるものについてはずっとしゃべれても自己紹介になると話すことがない人っている。自分の物語がないとも言えるし、価値を感じられないとも言える(延々とたいして面白くない自分語りができる人っているでしょう?)。
ジンは物語を語る側だ。本来はやっぱり物語の外にいるべき人なんだろう。自分を「ファシリテーター」と呼び、相手の願いを叶えるのが能力だ。それって相手の物語を成就させる裏方みたいなものだ。でもジンはその相手に恋したりしてしばしば物語に入り込んでしまう。
本作のストーリーはそんな、ある意味物語の傍観者だった2人が自分たちの物語の主人公になることを選ぶお話だ。それとストイックな初老の女性風アリシアのラブストーリーを重ねていて、思ったよりお花が咲き乱れていたのがちょっと意外だった。
映画作家にも自分語りタイプ、自伝的だったり自分の代弁者が主人公の話を作る人、関係ない話のようでいて自分の幼少期のトラウマとかが濃厚に出る人もいる。ミラーはどうだろう、自分をむき出しにするタイプには見えないけれど、このお話では自分の物語を紡ぐ幸福を描いている。