憐れみの3章

<公式>

ストーリー:①ロバートは雇い主のレイモンドに家も妻との出会いも車も頼っていた。でも実はロバートは日常生活のすべてをレイモンドに細かく指示されて生きていた。ある日究極の指示を受けたロバートは.... ②警官のダニエルの妻、海洋学者のリズが遭難から生還してきた。でも何かが違う。妻そっくりの偽物だと信じたダニエルは.... ③とあるカルトに入信したエミリーは死者を蘇らす力のある女性を探している。別れた夫と娘に気持ちが残るエミリーは.....

ヨルゴス・ランティモス作品、今年で2作目だ。前作『哀れなる者たち』はかなり好きな1作だった。その前の『女王陛下のお気に入り』とならんで、原作をもとに物語世界を豊かなビジュアルで見せるタイプだった。

本作は、それ以前の作品に近い感じだ。画面に映るのは僕たちが暮らすこの世界。ニューオリンズ周辺で撮影した風景は大袈裟なエフェクトや強烈なビジュアルを足すわけでもなくて、一見普通のリアリスティックな景色だ。そこに監督独特のヒヤッとするような設定を入れて、いつもの光景がどこか悪夢的な異世界に見える、そんなダークコメディだ。

物語は3話のオムニバス。共通のモチーフとして「RMF」と呼ばれる小太りの中年男性が毎回出てくるのだが、他は同じキャスト(エマ・ストーン, ジェシー・プレモンス, ウィレム・デフォー, マーガレット・クアリー, ホン・チャウ)が違う人として出てくるから地続きの話じゃない。見ている側からすれば、メジャーな俳優たちなのもあって余計に「演じられている物語」なことを意識するようになる。

短編だからそれぞれの物語もおおきくない。1つのアイディアで世界を歪ませて「どうなるの?」と引っ張っていく。どれもが支配と従属、愛と信仰、それに性愛をめぐる物語。監督独特の嫌な感じで味付けされて、共感できる登場人物はほとんど出てこないし、わざと嫌悪感を感じさせる描写やふるまいに満ちている。ヨーロッパ系のある種の伝統だと思う。オストルンドの『ザ・スクエア』なんか空気感が近いし、ハネケの『ハッピーエンド』、あとはトリアーだって悪意では負けてない。日常的ビジュアルに設定だけずらして奇妙なスリルを醸し出す、濱口竜介の『偶然と想像』みたいな、予算を組めない日本の作り手たちもこういうタイプは作っている。

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(c)2024 serchlight pictures, element pictures etc. via imdb

被写体は特別なものはないけれど、どこか奇妙で日常臭がないのは撮り方のせいもある。公式の中にもあるけれどアナモ(ル)フィックレンズを多用しているそうだ。撮影時に横方向を圧縮して、後処理で実際の縦横比に戻す。フィルムやイメージセンサーを効率よく使うためもあるし、独特のレンズ効果もあるらしい。スマホ用のお手軽版もあって見てたら急に欲しくなってきた。まあ僕が知らなかっただけで今までもアナモフィックで撮られた映像なんていくらでも見てるんだろうけど...

映像は広角で空間をおおきく見せて、その中心にややポツンと人物がいる構図がけっこうある。シンメトリーな構図も多い。レンズの歪みを嫌っていないから、本来直線的な室内や建物周りも歪んでどことなく現実から離れた悪夢的な世界になる。『哀れなる』でも飛び道具的に魚眼レンズを使ったりもしていた監督は、少し大袈裟にレンズのクセを使って世界を見せるタイプなのかもしれない。

物語はゆうたら寓話だから、いろんな取り方ができる。第一話はシンプルで、見えないところで世界を統御しているみたいな支配者と、支配されることで快適に生きてきた男の物語。支配を解かれた男は世界そのものから排除されたことに気がつき、自分1人の自由も手にあまることを思い知る。そんな絶対的な支配者が求めるものは服従だけじゃなく、愛なのだ。

第二話は『ローズマリーの赤ちゃん』型のニューロティックホラー的な作りで、主人公が狂っているのか周りの世界が狂っているのか最後まで判断がつかない。主人公は明らかに変だしとても共感できるタイプじゃない。でも仮に主人公が正常だったとすると、狂った世界は敵じゃなくまるでそんな彼を愛しているようにふるまい、つくすのだ。

第三話はセックスカルト教団を描く。ヒロインは家庭を捨てて教祖とのセックスに嬉々として応じる。その一方でデートレイプ的な出来事の被害者にもなる。ここではいわゆる愛はもっとも影が薄い。

個人の物語というふうにも見えるし、無理やり社会と個人のアナロジーのように解釈もできそうだ。GAFA的巨人のコントロールを受け入れて判断を放棄する人々、移民たちを信用できない異人種として排除する社会と受け入れられるために過剰な適応を強いられる移民の姿、自国民や自分たちの人種だけの純潔性をこわばった形で強いる集団.....みたいなね。

そんな中でいつも通り、「性」の問題をどうしたって避けられないものとして露悪的にぶち込んでくるのがいつものランティモス流だ。