アステロイド・シティ  

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ストーリー : 1955年、アメリカ。南西部の砂漠の街アステロイド・シティは隕石で出来た巨大なクレーターが名物だ。街で開催する優秀科学少年少女表彰式に人々が集まる。4人の子供を抱えるシングルファザーの写真家(ジェイソン・シュワルツマン)娘を連れた有名女優(スカーレット・ヨハンソン)、ミュージシャン、児童を引率する若い女教師....ところが、授賞式に突如UFOが着陸し、コミカルな宇宙人が現れる。街は軍に封鎖されて....

ウェス・アンダーソン2023年作品。いつもながらのどこか人を食った微妙な笑いが風景にもセリフにも登場人物のデザインにもあって、あれこれみたいな、子供や少年少女がお話のわりと中心にいるストーリー、キャストもお馴染みのジェイソン・シュワルツマンエイドリアン・ブロディティルダ・スウィントンウィレム・デフォーなどがいて、画面は当時のカラーフィルムをイメージしたポップな色彩で、要するに「いつものウェスのアレ」を期待した観客が裏切られることはない。

でありつつ1950年代アメリカのTVドキュメンタリー、舞台、映画、演劇スクールをモチーフに、ショービジネス全体に対する思いがわりとシリアスに描かれ、かつここ何作かで特に目立つ、お話の中にお話が入って....という入れ子構造がより複雑になっている。「ここは劇作家を描くTVドキュメンタリーです」というシーンは舞台劇風のモノクロ、逆に「ここは作家の書いた舞台です」という(映画のメインストーリー)シーンは普通のカラー映画として見せるのだ。建物や背景の山など見るからに舞台装置風にしているけれど、舞台みたいに画角を限定しているわけでもないし、カメラは自由に動くし...観客からすれば混乱する作りだ。

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©2023 Pop. 87 Productions LLC ; Focus Features LLC.

ウェスの映画はふつうに人気だけど、ある種の映画ファンはいつまでも冷淡な気がする。ハードでリアルでバイオレントな「オレたちの」映画が好きなファンは、どこかおもちゃっぽい、きれいな画面でエモーションが薄めのウェスの映画を「あぁ、おしゃれですよね」「ブランドとのコラボも多いし」的に昔からあるファッションオリエンテッドな枠に入れがちだ。

たしかに今回もさらっと見ると『フレンチ・ディスパッチ』『グランド・ブダペスト・ホテル』で感じた印象はある。手っ取り早く観客に打ち込まれるエモーションもないし一発で記憶に残るインパクトのあるビジュアルもない。監督はがんとしてそういうところへ行こうとはしないのだ。他の作品では強烈な撮り方をされることがある名優たちもスタティックな画面の中で収まりよく写る。

「オレたちの」系映画を尻目に、監督はこの世界をひたすらに極める頑固なまでの作家になっていくようにも見える。「巨匠」になるには不利な戦い方で、膨大な労力と能力を注ぎ込んで誰にも近づけない世界を作り込むのだ。Youtubeで、いろんな名作をウェス風に撮ってみた動画のシリーズがある。同年代の他の名監督だと、作品ごとにルックも変わるから、ちょっと作りにくいはずだ。ウェスにはそれがしやすい一貫性があるのだ。

監督は撮影前にアニメ化したストーリーボードを作るという。俳優は自分がどう収まるか理解して、自分の演技をつくっていく。枠にはめられそうな気もするけれど、名優たちが集まるんだからただの監督のコマじゃない充実感がきっとあるんだろう。確かにニュアンスは十分に豊かなのだ。『グランド・ブダペスト・ホテル』のストーリーボードはこんな感じらしい。

撮影はカメラマンの肉体性みたいなものがあまり感じられない。即興性のある手持ち撮影なんて記憶してる限り見たことないし、俳優たちの動きとぴったりとシンクロしたドーリーのカメラで、ここでもどこかアニメやCG的な完成度を見せる(でもCG背景は使わないのだ)。初期からずっと組んでいる撮影監督のRobert Yeomanとオペレーターたちが1作ごとに完成度を上げていっているんだろう。

ひとことで言ってしまうとウェスは「何を語るか(=メッセージ)」よりも画面の中に自分だけの世界を作り上げて観客にその別世界を提供する、そういうタイプに見える。その世界の完成度に監督はなによりも誠実なんだろう。ただ、うっすらと感じるのは前作や前々作にもあった公権力が何かを制約する展開が今回も出てくる(軽く、ユーモラスにだけど)。お話のアクセントとしてちょうどいいだけかもしれないし、どこかそういうものへの反発や危機感を持っているのかもしれない。初期作品にすごく色濃かった「自分をかえりみない親に傷つく子ども」のトーンは少しずつ薄れていっているように見える。

ロケ地はマドリッド近郊のChinchonという街。Googleで見ると平坦な農地だけど、映画では砂漠風だ。撮影用に一面の砂にしたんだろう。メイキングでも映っている。

 

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