東映時代劇2作 車夫遊侠伝 喧嘩辰&沓掛時次郎 遊侠一匹

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ストーリー:明治末期、大阪。東京から流れてきた人力車夫の辰五郎(内田良平)は早速地元の車屋や政治家と揉め事を起こす。とにかく一本気で喧嘩っ早いのだ。そんな辰が地元車屋の親分の愛人、喜美奴(桜町弘子)を乗せる。気の強い喜美奴と口論になり、カッときて橋から車ごと川に投げ落とす。ところがその瞬間喜美奴に一目惚れした辰は....

1964年公開、監督は加藤泰。当ブログでは『緋牡丹博徒』シリーズ(の一部)の監督だ。主人公辰五郎は個人タクシー的に自前の新型人力車を持ち、地元の組織に遠慮なく客を取る。大阪の車夫が主人公の映画、川島雄三の『わが町』があった。こちらの主人公も一本気で不器用な男。このあたりは車夫のパブリックイメージだったのかもしれない。

本作、一言でいってしまうとファンキー時代劇だ。ストーリー展開が急で、物語を進めるエモーションがちょっと掴みづらいうえに、主人公を筆頭に主要キャラクターが漫画的ともいえる性格で、やくざたちの大騒動もあまり暴力的な匂いがしないコメディ展開だ。そして基本はラブストーリーなのだ。男女が出会い、最初は反発しあって口喧嘩ばかり、でも心のそこでは惹かれあっていて、波乱だらけの展開を乗り越えて...という王道のスクリューボールコメディだ。

物語としては、辰五郎と喜美奴のラブストーリーを中心に、辰を可愛がる地元の親分=善玉やくざと、東京からやってきた柔術家崩れの新興やくざのバトルが物語のテンションを盛り上げ、定石通りの「もう許しちゃおけねえ」というクライマックスへ誘う。味つけとして、下町人情、明治時代の近代と近世が混じり合った都市の風景、極道ならではの習わしや独特のルールが描かれる。

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本作はそんな素材を「いつもの味」にしない。無駄がなくキレのある演出、ほとんど目的を逸脱した面白すぎるカメラワーク、現実にしばられない画面的強度のための絵作りなどスパイシーな味付けで楽しめる。予告編動画がないのが残念だけど、映像をみれば「えっ何これ」と思うところが誰でもあるはずで、古臭い時代劇の予定調和の香りはまったくしない。説明不要なシーンは小気味よくカットして展開するスピード感もいい。それでいて延々とワンカット、固定カメラで芝居させるシーンも多い。

主人公辰五郎役の内田良平は、上のポスター画像でもわかるように、時代劇顔というより佇まいが現代劇っぽくて軽快感がある。逆にヒロイン桜町弘子は、小津作品のヒロインみたいなどこか非現実的な美女じゃなく、当時の街場にもいそうな顔立ち。しかも監督の作風で厚い白塗りをしないからアップにすると肌荒れまで再現されて妙にリアリティがある。妹分役で、数年後任侠映画の大スターになる藤純子が出てきて、やっぱりポテンシャルを感じさせる華がある。

本作で目立つのが橋の風景だ。監督の橋のシーン好きは有名で、『緋牡丹博徒 お竜参上』でも抽象的な橋のセットで藤純子菅原文太があまりにも渋く向き合った。本作では出会いの川投げ込みから始まって、闘争シーンもラブストーリーの大事なシーンも橋が舞台。たぶん太秦のオープンセットで撮っているんだろう、橋や川が明治後期の都市にしてはちょっと小ぶりな気もするし、時代劇っぽくもある。リアリティというよりは象徴的な絵作りだろう。


■沓掛時次郎 遊侠一匹

ストーリー:渡世人の時次郎(萬屋錦之助)は道連れの朝吉(渥美清)と旅の道中、地元一家の争いに巻き込まれる。次の宿場でも一宿一飯の義理で気の進まぬまま地元のやくざを斬る。息絶え絶えの彼に託されて、残された妻子のところへ....ところがその2人は少し前に旅の道連れになった相手だった。罪の意識から身寄りのない2人の旅をエスコートする時次郎だったが....

1966年公開。こちらも監督は加藤泰。『喧嘩辰』より前の江戸時代が舞台だ。沓掛時次郎は時代劇のキャラクターの1人で何度も映画化されている。本作は時代劇全盛期の末期、主演の萬屋錦之助も監督も「やくざものばかりじゃなく時代劇を撮りたい!」という思いで、会社側との折り合いもあって時代劇+博徒の世界になっている。名作扱いだ。

『喧嘩辰』と比べると、ストーリーもエモーションもはるかに追いやすい。時次郎は渡世人、でも心やさしく口調もていねいで、ヒロインおきぬ(池内淳子)にも子供にも一途だ。一旦刀を抜けば非現実的なまでに強く、10人くらいは切り倒して無傷。木枯し紋次郎的なニヒル設定はないけれど、渡世人の義理に縛られつつ、斬り合いの虚しさを感じる内面を持っている。

メインの葛藤は「好意を寄せた母子の仇となってしまったオレ」「仇だと分かっているけどだんだん心が惹かれてしまう私」の悲恋で、物語はそれ以上ややこしくしない。例えば自分がヒロインの夫を斬ったことを隠して苦悩しながら母子をサポートする展開だって、どこかにダーティな面を持たせる展開だってあるだろう。でも本作ではスターをシンプルに立てる。そんな中で、主人公が心のうちを訥々と告白するシーンがある。相手は人生を知り尽くした感じの宿屋の女将で絶妙の合いの手を入れる。暗い室内のワンカットで数分続くダイアローグシーンだ。絵としては地味ながら一種の映画的クライマックスになっている。

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映像は北関東っぽい殺風景な屋外ロケ、オープンセットの宿場町、夕空が印象的な旅のシーン(でもスタジオ撮影)が印象的。宿や寝泊まりする部屋はくすんだ無彩色のインテリアで、その中に小物の赤がアクセント的に映える。斬られた時に不自然なまでに噴き出す血の色も毒々しく赤い。1962年の『椿三十郎』で初めて斬り合いの血の噴出が画面に現れた、それを受け継いでいる感じだ。

ちなみに沓掛時次郎の「沓掛」は出身地沓掛宿で、今の軽井沢だ。時次郎や木枯し紋次郎、上州の渡世人ものがやけに多いなと思ったが、実際にそういう風土でもあったらしい(国定忠治が有名)。そもそも博徒が多く、剣術が盛んで、長い脇差を操る腕の立つ博徒がたくさんいたそうだ。当時はそんなこともなんとなく、でも当たり前に分かっている観客が多かったのかもしれない。