サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)

youtu.be

<公式>

1969年、マンハッタン、ハーレム。公園の特設ステージで6日間開催された屋外ライブフェスティバルの映像記録だ。トニー・ローレンスという人物がプロデュース、NY市長の協力をえて実現した無料のサマーフェス。そんなに広いわけじゃない街中の公園には毎回5万人くらいが集まったという。フェスティバルのプログラムはこんな感じ。午後の明るい時間だけやっていたから各回2~3時間くらいだったんだろう。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/Black_Woodstock_1969.jpg

出典:wikipedia

記録班もいた。47時間の映像と音声の記録。でもそれはまともに公開されず、人々の記憶も薄れて、見に行った人の中には「あれは本当にあったことだったのか・・・?」くらいの人も出てくるくらい、幻になった。それをプロデューサーがあらためて発掘、ドキュメンタリー映画にまとめたのが本作だ。

監督クエストラブはミュージシャン。ヒップホップを生音演奏でやるThe Rootsのドラマーだ。最近はオバマと近い関係で、一種のオピニオンリーダーでもあったみたいだ。インタビューを見るとこの映画がどんな考えでこういうふうに作られたかよくわかる。「黒人文化の出来事はしばしばなかったことにされる(だからこの映画は公開されなくちゃいけない)」「当時も50年後の自分たちの環境も同じだ、だから背景もちゃんと見せる」ということ。

youtu.be

youtu.be

本作のメインはもちろんステージの映像だ。クラシックソウルやモータウンのスターのライブがばんばん見られる。ひねらずに代表曲を選んでいて、名前は知らない人でも聴いたことあるメロディーは多いはずだ。音声はすごくいいし、カメラも多くて全景もアップもステージ側からもあって、ライブ映像として文句なしだ。

そして出演者や観客の回想インタビュー。観客は当時高校生だったり親に連れられてきた子供だった人。近所の人が多いから休日に歩いてやってくる。ミュージシャンたちにとっては忘れられないステージだったことがよくわかる。あの頃の映像を見て感極まる人も結構いる。それに当時のニュース映像や記録映像を挟み込む。

1969年。当ブログで取り上げた作品だと、1964年が舞台、翌年暗殺されるマルコムXが主役の『あの夜、マイアミで』、1967年の暴動『デトロイト』、ブラックパンサーのメンバーが出てくる1968年舞台の『シカゴ7裁判』、こういう時代だ。希望の星だったキング牧師暗殺は1968年。ハーレムでも暴動があり、黒人たちはプロテストに立ち上がっていた。クエストラブも言っているけど、フェスティバルはいわゆる「ガス抜き」でもあったんだろう。音楽的にいえば、1960年代モータウンを描いた『メイキング・オブ・モータウン』約10年後のヒップホップ誕生を描いたのが『ワイルド・スタイル』だ。

youtu.be

構成は上手くできてる。前半はハッピーな感じでポップなミュージシャンを見せて、ライブシーンとミュージシャンたちの背景を語る映像が多い。プロデューサーのトニーも裏方じゃなく出たがりで、毎回ド派手な衣装を変えてきてステージMCを務める。次にゴスペルを見せる。この圧がすごい。音楽がどれだけ人々のこころに必要なものなのか、なんか簡単に真似しちゃいけないものに見える。そしてスライ&ファミリーストーンを新世代として見せて(なぜかプログラムにないけど)、キューバ&ラテンのミュージシャンのステージ。個人的にはここはすごく好きだ。彼らもハーレムの住人なのだ。そしてプロテストソングを歌い上げるニーナ・シモン。大きくはプログラム通りだけど、ストーリーになってる。

そんな中で段々とブラックミュージックがいかに彼らの圧迫された日々の解放だったり救いだったりか語られはじめ、後半はアメリカ中の抗議活動や彼らへの暴力・暗殺のシーンがカットバックでライブシーンに挟まれて、シリアスになってくる。それが苦手な人もいるだろう。その語り口に「一面的すぎ」と突っ込む人もいるかもしれない。でも作り手は単なるライブ映画にするわけには行かなかったんだろう。

youtu.be

これが舞台になった公園、Marcus Garvey Parkだ。公園の真ん中は岩山になっている。マンハッタンて平らなイメージがあるけど、結構な高さの山だ。新宿の公園にある箱根山みたいだ。超余談だけどマンハッタンはがっちりした岩盤で出来ていて、所々岩が突き出しているのだ。セントラルパークにもある。とにかく岩山をバックに観客たちがステージを見てるから、公園の半分くらいしか使っていないはず。そんなに広くないところに5万人だ。

じつは本作で一番心を引きつけられたのがアフリカ系の観客たちだ。ライブシーンでもステージに応えるみたいに観客を映す。ポップスターにはきゃあきゃあいう若い子、ゴスペルでは高揚する人たち、サイケなバンドにはちょっと洒落た客たち。でも大部分は割とさっぱりした身なりで子供たちも多い。そしてすごくピースフルな空気感だ。

さっき書いたみたいに騒然として社会的緊張も高い時期だ。主催者は警察を招き、ブラックパンサーを警備にやとう。ステージ側が煽れば客が一気に荒れてもおかしくない。それがなくても同じ年のウッドストックではスモーキーなかおりが広場いっぱいに漂って観客もハイになっていた。薬物の普及ぶりはハーレムだって負けないはずだ。

でも映される観客席は、夏の日差しを浴びて、盛り上がっているけど穏やかだ。親も親戚も近所のおばちゃんも来る近所の公園のお祭りだから、割とそうなのかもしれない。あるいはこれも作り手たちの意図した切り取りかもしれない。もしそうだとしても.....本作はやっぱりニュートラルな記録映画じゃないのだ。明確な目的とメッセージを持って作られた作品だ。それを思うと観客たちをそう描いたとしても理解できる気がした。

 

jiz-cranephile.hatenablog.com

 

 

WW2 戦車戦2本 その2  フューリー

youtu.be

<公式>←ほとんど情報ない

ストーリー:1945年4月、ドイツ戦線。戦争終結まであと1ヶ月でもドイツ軍の抵抗は激しかった。「フューリー」と名付けたM4戦車の戦車長ドン’ウォーダディ’コリアー軍曹(ブラッド・ピット)。部下の乗員たちと戦線を生き延びてきた。欠員の補充として初年兵のノーマンが乗り込む。戦場に抵抗があるノーマンを鍛えながら、ウォーダディと4人のチームは強敵ティーガー戦車や親衛隊との戦いに向かう...

戦車映画つながりのつもりで見始めたら違ってた。戦争映画だったのだ。『T-34』で描かれなかった全てが前面に出ている。まず極端に画面に映る死体が多い。戦場に放置され、輸送車に山積みにされ、重機で穴に放り込まれ、ぬかるみに倒れて泥にまじって戦車に踏まれる。抵抗戦に参加しないドイツ人は親衛隊に町中に吊るされる。戦闘による体の損壊もいたるところで映る。戦争を熱いゲーム的には見させない。『プライベート・ライアン』型とも言える。戦闘シーンもつねに生身の兵士がいるし、市街戦では市民が巻き添えになる。

監督デヴィッド・エアー作品は『エンド・オブ・ウォッチ』だけ見てる。すごく共通するところはあった。LAの凶悪エリアを巡回する警官コンビを描いた『エンド』も死の危険がある任務で家族を超えて結束するチームを描いた。本作も語っているのはそこだ。軍人家族で自分も軍務経験があるエアーは命の危険を負って社会を守る人々にすごく敬意を払う。

f:id:Jiz-cranephile:20211208201204p:plain

戦車兵チームにいつも聖書の言葉をいい、お祈りを欠かさない’バイブル’(シャイア・ラブーフ)がいる。そのほかにも聖書めいたイメージが何度も出てくるし、ロマン主義の絵画みたいなドラマチックかつ品のある撮り方が多くて、それこそFURYという言葉どおり、神の怒りのように敵を殲滅する戦車兵たちは崇高な存在に見えてくる。クライマックスでは自分たちを聖書の一節にある犠牲者にかさねて見せるくらいだ。

でも美しいだけのヒーローには描かない。ウォーダディはナチへの憎悪に取りつかれて野蛮な兵士になることもある。街を占領すると兵士たちは欲望むき出しになる。ウォーダディは未経験の初年兵ノーマンにいろんなイニシエーションを与えて急速に「男」に仕上げていく。完全に父と子の姿だ。もちろん清く正しい男じゃない。この辺り、物語的にはすごく短い間のはずだけど感覚的にはそこそこの時間が経過している描き方だ。全体にそんな感じで『T-34」みたいにシンプルに片方のチームを応援して試合を見るような映画じゃない。

f:id:Jiz-cranephile:20211208201403p:plain

いっとき平和な時間、ウォーダディがノーマンのようすを横目で見ながら含みのある表情をしたりしているシーンがすごくいい。タフな父が息子を見るとしたら正面から覗き込む感じだろう。あんまり横目で相手を見たりしない。そこにふつうの父感もあるのだ。ピットの厳父役といえば『ツリー・オブ・ライフ』の父親があった。本作は軍人だからもっと荒々しいが、父としての優しさや柔らかさはむしろあるかもしれない。

本作は主演のブラッド・ピットにかなりの部分負っている。ピットは例によってプロデュースにも参加している。佇まいや時々見せるなんともいえない表情、やっぱり目をひく。でもなんとか言ってもウォーダディは正しいヒーローなのだ。最後まで美しい。戦場のベテラン(食糧事情だってそんなに良くないはず)の割にマッチョすぎるのも微妙だ。

f:id:Jiz-cranephile:20211208201432p:plain

ひょっとするとそのせいで時々バトルシーンが少し嘘くさくなってしまったかもしれない。特に見せ場の戦車vs戦車バトルと戦車1台vs親衛隊300人バトルには、ミリタリーファンたちの激烈な怒り、文字通りフューリーが巻き起こってしまったらしい。色んなレビューを見ても、ドイツ軍対戦車戦術のエキスパートの皆様による罵倒の声が乱舞している。

「本物のティーガー戦車・M4戦車登場! リサーチに基づくリアルな戦闘シーン!」的打ち出しはあったしなあ。野球映画の試合シーン、バンド映画の演奏シーンに「これはないわ・・・」というのがあったら野球や音楽ファンは許せないだろう。確かに親衛隊バトルではウォーダディが若干ランボー化して無双かつ不死身感さえ滲み出るようになるあたり、見せ場なのは分かるけどどうだかな、という感じはしてしまった。ただ、機銃弾が光線みたいに見えるのは史実どおりで射手が弾道を見られるように閃光弾が入ってるらしい。セリフでもそんなことを言っていた。

というわけで若干どっちつかずの感慨が残って荘重な音楽とともにクレジットロールになった。でもなにか反芻したくなるものは残るね。ロケ地はイギリス国内。映画で使った実物ティーガーが英国内の博物館収蔵品なのも関係あるのかも。

■写真は予告編からの引用

jiz-cranephile.hatenablog.com

 

 

WW2戦車モノ2本 その1 T-34 レジェンド・オブ・ウォー

youtu.be

<公式>

ストーリー:第二次世界大戦独ソ戦線。モスクワ近くまで侵攻したドイツ軍戦車部隊に1台だけ残ったT-34が立ち向う。初実戦の士官イヴシュキンは数台を撃破するが捕虜になる。時がたち、ドイツ軍基地で模擬実戦をすることになった。捕獲したT-34ソビエト軍の捕虜に操縦させて撃破するのだ。戦場で対決したドイツ軍士官イェーガーはイブシュキンに白羽の矢を立てる。選ばれた彼は仲間たちと密かに計画を立てる......

全米ならぬ全露で大ヒットし、日本でも配信メインだけどそこそこ評判だった本作。ミリタリー好き観客の評判も割といいらしい。なんだかわかる気がする。戦争映画というより戦車映画なのだ。ロシアのゼロ戦的な名戦車T-34を主人公に、シンプルに戦車VS戦車のバトルが楽しめるタイプだ。2018年公開で、実写映像もCGも十分見られるクオリティだから、「しょぼさに味わいがある」的捻った視点も必要ない。

f:id:Jiz-cranephile:20211204180426p:plain

マニア受けがいいだろうなと思うのは、そして戦争映画とも違うかなと思うのは、戦争全体は描かないからだ。まず死者があまり映らない。もちろん戦闘で死ぬ兵士はいる。仲間がやられて沈痛な顔になる主人公。銃撃でなぎ倒される敵。でもそれ以上は映さない。後半はほぼ戦車だけのバトルで、巻き添えになる生身の歩兵もいない。全編を通して戦闘シーンには民間人はゼロで(お話上、退避させている)、人的被害の心配もない。

ロシア映画だから、視点は完全に「ソビエト軍最高!T-34最強!」で、ドイツ軍はシンプルに敵役だ。でもドイツ贔屓が多い日本の観客でも割と抵抗なく見られると思う。ソビエト側が主人公だからソビエト寄りというだけで、それ以上の理由はないし、ナチスの悪辣さを特に表現してもいない。だいたい登場人物たちの人となりをあまり掘り下げるタイプの映画じゃない。背景も特にないし、主人公たちは眼前の敵を倒すだけで、戦いへの苦悩も迷いもない。

主人公とライバルは戦車を指揮するコマンダー。戦車同士、正面からは破壊しづらい。コマンダーは操縦手と砲手に司令を出して敵戦車の弱点に回り込み撃破する。純粋に戦車の動きと「この角度から砲撃すれば倒せる」というバトルのロジックがわかりやすい。お互いが発射する砲弾をCGのストップモーションやスローで見せるから、弾道や炸裂、どんなダメージを与えてるかがきっちりわかる。悲劇性を抜いた純粋バトルとしての戦車戦。ある意味『ガールズアンド・・・』に近いのだ。

f:id:Jiz-cranephile:20211204180509p:plain

f:id:Jiz-cranephile:20211204180542p:plain

そしてライバルのドイツ軍将校イエーガーがいやに魅力的だ。戦車戦エース同士のリスペクトもあって主人公になにげに好意的。クラシックな戦争もののパターンだ。一方主人公は自分たちを捕虜にしたナチには唾を吐きかけたいくらいで、その片想いめいた関係性も全体のトーンをちょっと甘みよりにしている。

映像クオリティは十分に高い。T-34は実物を使っているらしい。第二次大戦後も各国で長い間使われていたから、今でも比較的見つけやすいのかもしれない。戦場でエイジングした鉄の質感が実にいい。ドイツ戦車は映画用の改造だろうけれど嘘くさくないし、質感もいい。部隊になるロシアの寒村の屋外セットは西部劇の荒野の町みたいで荒涼とした風景に冬季迷彩の戦車たちが合う。ロケ地はこの辺だ。

 

後半の南ドイツの町の風景も美しい。クライマックスのバトルの舞台はクリンゲンタールというチェコ国境近くの町だ。

ちなみにメイキング映像がこれ。

youtu.be

■写真は予告編からの引用

 

jiz-cranephile.hatenablog.com

 

 

DUNE 砂の惑星

youtu.be

<公式>

ストーリー:西暦1万190年。皇帝が支配する宇宙帝国の1つの星を統治するアトレイデス家に別の星の統治命令が下る。宇宙航行に不可欠なスパイスの産地、惑星アラキス、通称デューンだ。家長の父(オスカー・アイザック)母ジェシカ(レベッカ・ファーガソン)、15歳の息子ポール(ティモシー・シャラメ)たちはデューンに降り立つ。しかし新たな統治は、それまでデューンを支配し、スパイスで巨額の富を築いていたハルコンネン家と皇帝の陰謀だった....

見たのはけっこう前で、IMAXの映像に十分満足したんだけど、何かを書こうとするとピッタリと指が止まる自分がいた。『STAR WARS』シリーズなんかもそうだった。止まりすぎて記事にさえしてない。本作がまとっている物語は豊穣すぎて、そのどれももう十分に語られている。熱心なファンは前作(36年前だ)から思い出を刻んでいるのだ。

原作はSFの古典的名作で、物質の摂取による精神の変容や環境問題をテーマにがっつり取り込むあたりもいかにも1960年代的だ。「1つのスパイスによって星間航行が可能になる」とか「極度に乾燥した星で使う、体から出た水分を循環させる服」とか「砂の下で蠢く体長数百メートルの虫」とか魅力的なイメージが盛られていて、発表当時から映画化が考えられていたのも無理もない。1970年代の映画化プロジェクトの頓挫(その顛末が『ホドロフスキーデューン』)、1984年のデヴィッド・リンチ版、ドラマ版をへて2021年の本作だ。

 

youtu.be

見比べると、原作・前作リスペクトがかなり感じられる作品になっていた。エピソードも、映像表現の仕方も前作の映画にけっこう寄せてきている印象だ。もちろん1980年代の特撮技術の限界によるキッチュさはできるだけ排除されている。映画全体の雰囲気では監督ドゥニ・ヴィルヌーヴの前作、『ブレードランナー2049』と連続性を感じる。

とにかく語り口が落ち着いている。編集リズムも戦闘シーン含めてシャカシャカしていないし、ギミックっぽい表現もないし、大袈裟なエモーションもコメディー要素もない。映像の色調もすごく抑え目でコントロールされていて雑然としたところがいっさいない。撮影監督は違うけれど、監督のビジョンも大きいんだろう。それから巨大構造物愛、年月をへた建造物愛をすごく感じる。

SFの中の巨大宇宙構造物。本格的にモノにしたのはたぶん『2001年宇宙の旅』の宇宙船や宇宙ステーションの表現だと思う。そして『STAR WARS』だ。長大な貨物列車が通過していく時みたいに、超巨大な宇宙船がえんえんと時間をかけて画面の手前から奥に消えていく。機敏に飛び回るスペースプレーンと違う格好良さだ。

 

改めて見ると、リンチ版でもそんな宇宙船が出てきていた。ヴィルヌーヴは『メッセージ』でもぼんやり浮く巨大宇宙船を描き(同じ巨大UFOでも『インディペンデンス・デイ』とかみたいに強大な力の象徴じゃない)、『2049』では都市のメガストラクチャーを描いた。本作では宇宙船だ。鈍重に、でも確実に浮遊して星間を移動する超巨大宇宙船。建築物も壮大だし、砂の下の巨大な虫(サンドワーム)はさらにスケールアップして地形レベルの大きさになる。

IMAXのちょっとしたビル並みの画面で見るとその巨大さは重量感をもって迫ってくる。本作はIMAX用に撮られていて、次回作も監督は劇場公開を条件にしている。IMAXといってもVR的な没入の仕方じゃないけれど、本作はあきらかに「巨大さ」という視覚的体験を与えようとしている。劇伴も体験を強化するためのパーツで、機械のうなりみたいな重低音を使う。作曲家は違うけど『ボーダーライン』を思い出す部分もある。

物語的には完全に「第一部」だし、ところどころに込められている物語的エモーションは、どれもありがちなパーツで、その部分で心震わせられるような感じじゃない。やっぱり映像体験型なのだ。

ちなみに、これも前作通り、物語後半は主人公ポールと母ジェシカが2人きりで、アクション的にもこの2人がひっぱって行く。母は連綿と続く女系秘密組織の一員で、息子の能力を鍛錬し、砂漠を走るのもなんなら息子より速く、超自然的な力も持ち、しかも格闘でも一級の実力者だった。この関係性、割と見慣れない構図で、新鮮かつ、怪しげな空気感を観客が勝手に感じ取ってしまう罪作りな設定でもある。ポールを演じるシャラメは26歳、母役のファーガソンは37歳だからおっかさん的には見えようがないのだ。まあポールが15歳設定くらいだから不自然じゃないけど。

その分、父は存在感が薄く、むしろ敵の巨頭ハルコンネン男爵が異様な男性性を発散しながら存在している。演じるのはステラン・スカルスガルド。ただの大柄な老人風にも見えるが『ニンフォマニアック』とか『ファイティング・ダディ怒りの除雪車』とか目が離せない俳優の1人だ。

jiz-cranephile.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

配信系2作 KATE & ミッチェル家とマシンの反乱

■KATE

youtu.be

ストーリー:ケイト(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)は親代わりのヴァリックウディ・ハレルソン)に技術を仕込まれて、今では一流の暗殺者になった。今度の仕事場は日本、ターゲットはヤクザの親分(國村隼)。しかし前の晩に毒物ポロニウムを飲まされた彼女の余命は24時間だとわかる。彼女は、なぜか相棒になった少女アニと、自分で決めた最後のミッションに向かう....

本作は最近のアクションムービーの一大勢力、デヴィッド・リーチがプロデューサーでかんでいるプロジェクトだ。彼のアクションデザインの会社87elevenのプロジェクトは『ジョン・ウィック』シリーズ、『アトミック・ブロンド』『エクスペンダブルズ』...ただし本作は入ってない。

観客は、まずは『アトミック・ブロンド』風に女性のガンアクション&体術をクールな画面で楽しんでいく映画を期待するだろう。そして舞台が日本。大阪の空撮から始まって、舞台は東京、日本のヤクザには國村隼浅野忠信、MIYAVI、それに何故かあっぱれさんまに出ていた内山信二などの見覚えある顔が並ぶ。もう一人のヒロイン、アニも「かわいい系」大好きな日本人の少女設定だ。日本人観客はその辺りも味わいつつ楽しむ感じになる。

欧米メジャーのエンタメ映画に各国の犯罪組織は欠かせない。それぞれエキゾチシズム込みで描けるから、作り手側としてはありがたいはずだ。マフィア=シチリア南欧っぽい風景。ロシアンマフィア=寒々しいモスクワあたりの風景、意味ありげなタトゥー、ヒューマントラフィッキング。メキシコや中米のドラッグカルテル=ジャングルの中の豪邸、残虐すぎる見せしめの殺人、軍隊みたいな武装。あとはブラジルのスラムと一体になった少年ギャングとか中華街的風景とセットになったチャイニーズマフィア...まあ色々名作はある。

そしてヤクザだ。だいたいサムライと混同されて、下手するとニンジャ的メンバーまで入れられて、和風の料亭めいた場所で秘密会議が行われる。本作もそこはまったく変わらない。指定暴力団のリアリティはここでは必要じゃない。舞台は現代化されたビジネスヤクザのハイパーモダンなビル、昔かたぎの親分がいる茶道の宗主の家みたいな品のいい屋敷、東京でも相当レアになった路地の飲み屋街。あと能やら大太鼓やらがミックスされたステージ付きの謎料亭。

本作では最終的にほとんど正義側まで持ち上げられる1人を除けばヤクザは主人公に狩られる見栄えのいい敵の集団に過ぎない。人間的に意味を持たされているのはその1人だけで、けっこうな役者でもチンピラ口調で薄いセリフを喋らされたあげく、あっさり死んでいく。相棒アニも、似たポジションの『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒』のスリ少女(もっと年下)より幼稚だ。主人公の人間的な葛藤の相手は育ての親兼上司のウディ・ハレルソンなのだ。ま、ハリウッドスターは主人公以外ほぼ彼しかいないからね。

日本人って、昔から「海外に誤解されたヘンな日本」像を楽しむというたしなみがある。古い映画はもっとひどかったし、ありていに言えば露骨に下に見ていたから流石に不快なものも多かったけれど、それなりにイメージが良くなって日本カルチャーが好きなクリエイターも増えて、あとポリコレ的に無茶な表現はなくなって、割と微笑ましくズレを楽しめるようになった。本作も日本ではそういう感じで受容されていくんだろう。海外観客からすれば「今の日本」的ステレオタイプに多分合ってるから味付けとしては十分だろう。

本作、Netflix映画としては全世界で結構ヒットしたらしい。時間も100分だしちょっと寝転がって見るアクションとしては申し分ないよね。まあそのテンションで見てるとこの描き方も別にいいか、という感はあった。ただ日本人云々別にして、敵側をもう少し厚く描けば1段お話として格が上がったのにな、という気はした。


■ミッチェル家とマシンの反乱

ストーリー:ミッチェル家の長女、アビは映像制作が好き。家を出て映像学科に入学するつもりだ。父リックは映像の道も家を出るのも賛成しきれず娘にすっかり嫌われてしまった。いよいよ入学の時、リックは家族で娘を送っていく旅を計画する。ところが巨大IT企業PAL社のプロジェクトの中枢にいたAIの反乱で世界は大混乱におちいって....

制作は『スパイダーバース』『LEGOムービー』『曇り時々ミートボール』、それに『ブリグズビー・ベア』などの制作、脚本チーム、フィル・ロード&クリス・ミラー。まあ普通に面白いです。お父さんの思いと娘の自立心のすれ違いとか、どっちかというとアウトドア&日曜大工派のお父さんのがパソコンやネットで苦労するお馴染みのくだりとか、お母さんや息子のご近所一家との微妙な距離感とか、それ以外も細々としたギャグが楽しい。

敵の人工知能、高性能ロボット集団も残虐なわけじゃなく、適度にスキも愛嬌もある。敵の総帥は、外形はスマフォなので(スマフォの中のAI的存在)、スマフォの悲劇あるあるネタも面白い。お話は破滅する世界の中でのロードムービーになっていて、一家は1984年型のシボレーのワゴンで時にのんびりと、時に豪快に爆走する。

本作を見てて思うのは、日本のアニメでこういうファニーな顔のキャラクターって作れないのかなということだ。ぼくはごくごく限られたアニメしか見てないから知らないだけかもしれないけれど、特に女の子、どんなに等身大のキャラクターでもいわゆる美少女顔ばっかりじゃないかという気がする。例えば湯浅政明の『君と波に乗れたら』なんてもっと普通顔の主人公にした方が馴染みがいいと思うんだけど。女性の観客も美少女的なキャラクターの方が投影しやすいのかなあ(あれは位置付け的には少女マンガの延長なの?)。

本作はヒロインのアビ以下、見てもらえば分かる通り、実に等身大っぽいビジュアルだ。ほとんどただの1人もいわゆる美男美女キャラはいない。なんかね、こういう幅が合ってもいいと思うんだが..

お話は最後の方になるとお母さんがスーパーヒーローなみに無双になったり段々と日常感覚から離陸していき、シメは想像どおりに心地よい感じで収束していく。

 

jiz-cranephile.hatenablog.com