ブラック・クランズマン

f:id:Jiz-cranephile:20190503200851p:plain

<公式>

ストーリー:1970年代前半。コロラドスプリングス警察署初の黒人警察官、ロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)が着任する。情報部に配属されたロンは黒人活動家の集会に行き、次に白人至上主義団体KKKに直接電話して潜入捜査の入口を見つける。電話では相手をみごとにだましたロンだが、実際に集会には行かれない。同僚のフリップ(アダム・ドライバー)が彼になりすまし、潜入することになった...

初めてスパイク・リー作品を見たのは『ドゥ・ザ・ライト・シング』1989年、リーの4作目だ。かれの代表作にあげる人、多いだろう。ぼくにとっても、やっぱり一番鮮烈な印象を残した作品だ。ポップな映画という記憶があったんだけど、見直すと、思ったより最初から不穏でシリアスな空気がただよっている。

そのあと好調なリーは『モ’ベター・ブルース』『ジャングル・フィーバー』『マルコムX』『クルックリン』『クロッカーズ』....毎年のようにつぎつぎと撮った。全部はフォローしてないけれど、その後『ゲット・オン・ザ・バス』『25時』『インサイド・マン』あたりを見てる。

『ゲット・オン・ザ・バス』はあまり知られていないけれど、1995年にワシントンであった「百万人大行進」(マルコムXもいたネーション・オブ・イスラムという急進的な団体が企画した巨大デモ)に参加する長距離バスツアーの乗客たちをえがいたロードムービーだ。『インサイド・マン』は、監督が自分のメッセージを抑えて作品の語り手に徹したクールな犯罪映画で(でも細かい人種ネタは入れたりして)じつに洒落ていた。

f:id:Jiz-cranephile:20190503200920p:plain

f:id:Jiz-cranephile:20190503201000p:plain

さて本作は、ひさしぶりに監督のメッセージを正面からぶつけたのが来たな、という気分だ。ここ数年、映画界の急速な方向転換で、黒人監督の人種問題を正面から取り上げた作品はとにかく増えて、かつてのリー孤軍奮闘的な時代とは隔世の感がある。本作は、ジョーダン・ピール(『ゲット・アウト』)が制作に入った、元黒人警察官のノンフィクションの映画化だ。リーは企画者じゃなくオファーを受けた側。

ピールから監督へのリクエストは「笑いを入れてくれ」だったそうで、自分の『ゲット・アウト』的な、コメディの中に問題意識をしのばせるようなのを期待していたのかもしれない。リーはもともと風刺めいた笑いが得意な作家だ。たしかに本作は風刺もベタもあわせて十分笑えるサスペンスコメディになった。 

 お話はじつは結構単純だ。「黒人警官が声色をつかってあのKKKを騙し、潜入捜査」という、予告編でも打ち出してるプロットが面白さの構造そのものだ。善悪ははっきりしている。KKKはナチと同じで、まともな映画だったら悪役以外の描きようはない相手。幹部も、地元の支部のメンバーも「こいつら全員、成敗されろ」と観客全員思うようなキャラクターだ。

黒人側は、主人公ロン、ロンが惚れる大学生活動家パトリス、その他基本的に善玉サイド。コロラド警察の上司・同僚は「いい白人」枠で、1人分かりやすい差別主義の警官以外は全員善玉だ。つまり、スパイク・リーの30年前の作品『ドゥ・ザ・ライト・シング』より、一見ずっと単純な図式になっているのだ。

『ドゥ』はすごく両義的な描き方をしていて、舞台になる黒人街で「差別する側」にされるピザ屋の店主(イタリア系)は圧迫を受ける少数派だ。その他に黒人にバカにされる韓国人食料品店も出てくる(その後起きたロス暴動を思い出す)。黒人側のアピールも暴動も、「それ正当か?」と思わせる描き方だ。そしてラストは圧迫を受ける黒人の抵抗のしかたとして暴力を否定するキング牧師のメッセージと、肯定するマルコムXのメッセージを並べて見せる。

f:id:Jiz-cranephile:20190503201033p:plain

f:id:Jiz-cranephile:20190503201300p:plain

本作は、昔の黒人ヒーローものの枠組みを借りているから、たぶん意図的に単純そのものの図式にしている。でもところどころでそれに納まらない、黒人の生の語りや、白人至上主義者の不気味ともいえる行動様式、リーの定番である黒人以外の人種同士の差別や偏見、といった要素が差し込まれて、頭からっぽで気持ちよく消費することはできないようになっている。

そしてラストだ。型通りに事件は解決....しているんだけど、お話がすっかり終わったところで映画は急に「黒人ヒーローもののパスティーシュ」から飛び出してしまう。なんのひねりもなく監督リーの直接そのもののメッセージがぶつけられる。勝手な想像だけど、リーは「メッセージを笑いに包んだ」ウェルメイドな作品じゃ甘いんだよ!! と言いたくなったのかもしれない。

岡本喜八の『江分利満氏の優雅な生活』を思い出す。味わいエッセイ・家族ドラマに、ラスト、ほとんど破綻させながら戦争へのメッセージをぶち込んだ映画だ。 本作もラストまでは、さっき書いたように、一見シンプルな、わかりやすく悪が成敗される構造のなかに、『ドゥ』ほど前面に出さずに両義性や現実をしのばせるつくりだった。でもラストでその洗練は放棄された。2人の作り手とも、作品の完成度よりも大事にしたいものがあったんだろう。

役者たちはだれも魅力的。デンゼルワシントンの息子、JDワシントンはまさに2世俳優顔というべき格好よさ、アダム・ドライバーはいつものもそもそしたキャラクターを踏襲しつついい味を出し、ヒロインのトファー・グレイスは『ビールストリートの恋人たち』のキキ・レインに匹敵する美しさ。そしてKKK側も絶妙にキャラクターの幅を持たせて味がある。

 ■写真は予告編からの引用