アフター・ヤン

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ストーリー:ジェイク(コリン・ファレル)と妻のカイラ、養女のミカの家族には、ミカの「お兄ちゃん」としてアンドロイドのヤンが一緒に生活していた。そのヤンが突然故障して機能停止してしまう。落ち込むミカ。ジェイクは修理しようと駆け回る。やがてヤンの体内には過去の記憶=映像アーカイブが保存されていたことが分かる。それを見はじめたジェイクは.....

2021年公開。制作・配給はA24だ。監督は劇場用長編2作目のコゴナダ。この不思議なひびきの名は、アメリカ在住の韓国人監督の別名だ。しかも野田高梧という小津安二郎作品でお馴染みの脚本家の名前のもじりなのだ。正直ぼくも知らなかった。前作の『コロンバス』も面白そうだけど未見。コゴナダは映画研究家的な人で、過去の色んな映画作家の作風を切り取ったビデオエッセイという映像作品を発表していた(ウェブサイト)。

本作を見ると、彼がビデオエッセイで取り上げているいろんな監督の作風がそこここにあるのにすぐ気がつくだろう。小津の名前がすぐ出てくるけれど、ウェス・アンダーソンキューブリック的な画面も。サウンドはアロノフスキー編を見ると「これだったの?」と思ってしまう。なるほどそんな衒学的な作り手の作品だなと思う。

そう、本作はスペクタクルはもちろん、スリリングな展開もトリッキーな脚本もエモーショナルな演技もなくて、「映画的滋味」とでも言いたくなるようなものを味わいにいく映画だ。主人公ジェイクはお茶を仕事にしている。酒じゃなくコーヒーですらなく、まさにお茶を味わうような映画なのは確かだ。おばあちゃんが淹れるほうじ茶というよりは凍頂烏龍茶のような洗練されたやつだ。

ジャンルとしてはSFだけれど、未来的ガジェットはまったく出てこない。こういう撮り方は昔からある。『ガタカ』の感じだよね。未来都市風景はちらっと背景に写すくらいで、家族が住んでいるのはミッドセンチュリーの住宅、アイクラー・ホームズの1つだし、服はオーガニックな自然素材もの、ジェイクたちがヤンの記憶ファイルにアクセスするのはどう見てもただのサングラスにしか見えないデバイスだ。

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物語は、AIと人間が同居する世界での「親密さ」とか「心のつながり」みたいなものを静かに掘り下げていて、そこには現代性がある。

当ブログだと『ブレードランナー2049』『エクス・マキナ』『her』『ゼロの未来』....この辺りと本作の違いは、設定のシンプルさにある。本作のアンドロイド(テクノと呼ばれる)はスタンドアローンタイプなのだ。AIといっても、背後にネットワークが広がっていて、目の前にいる彼・彼女は端末そのものだったり端末で経験する何かにすぎない、というような世界観じゃない。ヤンは人間とおなじ、経験して学習する個だ。物語の感触で言うと、人造人間ものの『空気人形』に少し通じるものも感じる。

あと、漫画作品を思い出した。島田虎之助『ロボ・サピエンス前史』、それに森泉岳士『セリー』。とくに『セリー』は、アンドロイドの記憶と、それがもたらす人間への思いを抑え目に描いていて、本作に近い何かを感じる。だけどこの2作と本作はある部分が逆だ。何かというと、2作ともアンドロイドの不死性が大きなテーマになっているからだ。どちらも故障はするけれど何百年、何千年の単位で時代を超えていくことができる(ボディーは誰かが交換してくれる)。被創造物だった彼らが、やがて神のように人間の生まれては消えていくうつろいを見つめるようになるのだ。

だけど誰かが書いていた。人間以上の寿命がある機械はそんなにない。まして精密機器ならなおさらだ。本作はまさにその事態を描いている。人間がアンドロイドの喪失を経験するのだ。ヤンがどのくらい古いかは実はわかっていない。ジェイクは中古品を買ったし、正規品じゃないから履歴も分からない。タイプとしては古くて、だから幼女のお兄さんで青年風だけどヤンは老執事めいた存在でもある。いずれにしても、本作のアンドロイドもうつろう存在なのだ。だからその記憶は美しい。不死の機械の記憶はアーカイヴになる(『セリー』の美しさはアーカイヴの筈の記憶が....というところにある)。

映像は静かな郊外にあるオープンな間取りの住宅をしっとりと美しく見せる。空間を大事にする監督らしく、どの映像も登場人物をダイレクトに写すことは少なくて、必ず空間の中にいることが意識される、奥行きがある見せ方だ。ただ、音声は映像と違ってアンビエントを感じさせない。最近、特に静か目の映画でASMR的な音の拾い方が増えたんだろうか?繊細な音も増幅して割とはっきりと聴かせる。そこだけはぼくには少し過剰だった。