デッド・ドント・ダイ & ザ・ライダー

■デッド・ドント・ダイ

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ストーリー:大企業の開発の影響で地球の自転軸が歪み、昼夜が狂い始める。その影響は平和な田舎町にも押し寄せてきた。動物がとつぜん消えたり、死者が甦ったり。そう、ゾンビが大発生し始めたのだ。ゾンビは町の人々を喰い殺し、ゾンビに変えてしまう。たった3人で治安を守る署長(ビル・マーレイ)と警官2人(アダム・ドライバークロエ・セヴィニー)たちは....

2019年公開、ジム・ジャームッシュ監督作。『コーヒー&シガレッツ』はお気に入りだ。本作、最初に言ってしまうと、ゾンビコメディとはいっても、初見で心つかまれるエンタメじゃないし、ジャームッシュにとって、たぶん文句なしの傑作でもない。「あの監督の」「あの役者が」「あの作品を」とかコンテクスト込みで楽しむ1本だ。前作『パターソン』の方が知らない観客が出会っても入れる話だったと思う。

本作はゾンビものとしては、元祖ロメロ作品の基本設定はだいたい活かしている。日没に墓から動き出し、顔色が悪く、瞳は灰色で、動きがぎくしゃくして遅くあまり戦闘力が高くないタイプだ(例えば『アイアムアヒーロー』だとゾンビのボスはすごい運動能力だった)。

ゾンビの死人ルックも変な動きも今ではカルチャーアイコンなので、それ自体でちょっと笑えて、だからコメディとも相性がいい。本作はジャームッシュらしい抜けた感じのやりとりや「なんか変な人」的あり方、それにプラスしてダイレクトなロメロネタや、アダム・ドライバースターウォーズネタを絡ませたり、メタっぽいサービスも入れている。

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だけどなあ。トータルでは消化不良感はあった。物語や設定にけっこうな大外しを入れている割に、それが本筋と絡まずに投げ出されてしまうのだ。例えばティルダ・スウィントンを異人感たっぷりの葬儀屋兼剣の達人にして活躍させる。確かに絵にはなる。しかしそのオチはあまりに....。あと、妙なメタ描写がところどころで入る。要するに「今映画を撮っているオレたち」立場になるというね。これも生きているとはぜんぜん思えない。全編メタ構造の『カメラを止めるな!』の覚悟はない。

監督は、企業の強引な活動や物欲に取り憑かれて消費者と化した市民、そのせいで起こる環境破壊とかへの危機感が本作のメッセージにあるという。確かに、時には直接的すぎるくらいに語られる。死者になっても生前のモノへの執着をつぶやくシーンは笑える。でも鋭く刺さるようなものじゃない。だいたい小さな村で発生する大量のゾンビ、物質文明が急加速する現代より明らかに前の時代っぽいのも多いのだ(その衣装や体がなんで残ってるんだという違和感もある)。そんなこんなで、ちょっと迷作の香がしてしまったのが正直なところだった。

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もちろん魅力はある。ビル・マーレイは少々おじいちゃんすぎ(実は舘ひろしと同い年)ながら相変わらず滋味に溢れ、色んな監督が使いたがるのもよく分かる。アダム・ドライバーは少しズレた何を考えてるのか分からない青年役で、スターウォーズ的なシリアスなキャラクターよりぼくは好みだ。他の役者も含めて、ゾンビ襲来が本格化する前のオフビート部分の味わいはじゅうぶんある。家族がいっさい出てこずみんな浮遊しているような、田舎らしくない人間関係だ。

物語の舞台になる町も美しくて魅力的だ。物語上はペンシルバニア州あたりで、ロケはニューヨーク州でしている。町というより完全な田舎だ。物語の大事な舞台のダイナー(上)、モーテル(下)とも実在だ。ちなみに途中で町に遊びに来た若者3人をおじさんが「ありゃピッツバーグか?」「いやクリーブランドだな」というとこがある。ピッツバーグ拠点だったロメロのオマージュかも。

 ■写真は予告編からの引用

 


■ザ・ライダー

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<公式>

ストーリー:中西部、サウスダコタ。若いロデオライダー、ブレディは落馬事故で頭蓋骨を骨折、競技ができなくなる。荒野の貧しい家に育ち、馬を手なづけ、馬に乗ることしかしてこなかったブレディは復活に向けて、調教の仕事から再開する。憧れの先輩レーンは事故の後遺症で体が麻痺したままだ。ブレディも手が上手く動かない。医師は競技を続けると深刻なダメージがあると告げる....

ノマドランド』でアカデミーを獲得したクロエ・ジャオの前の監督作品。監督の手法はこの時にもう確立されている。ストーリーはフィクションだけれど、実話ベースで限りなくドキュメンタリーに近く、しかも物語の役をモデルになった当人が演じる。本作ではプロの役者は基本的にいなくて、主演のブレディもファーストネームは本名だ。

何度も書いているように、アメリカ映画の近年のいわゆる良作枠は実話ベースが本当に多い。モデルがある程度知られていると、役者はカメレオン的に外見も似せてくる場合もある。クリスチャン・ベールなんかが代表格だ。だけど本作ではそれも捨て去って、演技は素人のはずの本人を使うのだ。クリント・イーストウッドが『15時17分、パリ行き』を同じやり方で撮っている。

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ノマドランド』では味のある周囲のノマドたちを実在のノマドが演じた。だいたいはその人の一面を見せればいいからできない話じゃない。エキストラの上級版だ。複雑な心境を表現する役は名優フランシス・マクドーマンドが担当している。でも本作は彼女と同じ、画面に出づっぱりの役をロデオライダーの本人が演じているのだ。

びっくりするのは、映画的になんの違和感もないことだ。ブレディが、ヒース・レジャーをちょっと思わせる画面映えするルックスだというのもある。本職の乗馬シーンや、暴れ馬を宥めて、心を開かせる調教のシーンなんかは本物だからこそ撮れる。麻痺した元ロデオスターの姿は完全にドキュメンタリーだ。でもそれ以外のドラマパートも全く危うさが見られない。自然に振る舞わせているといえばそうだけど、でも全て再現なんだよ。

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主演がプロの役者じゃないから仕事時間を外して撮ったら、朝や夕方のマジックアワーが多くなったという。ほんとに仕方なくかなー。いや実際、空の青と太陽光のグラデーションをバックにした馬とカウボーイのシルエットは美しい。

物語は、『レスラー』にも通じる、「自分が自分でいるための、男でいるための生き方が自分の命を削る」という苦悩。その分岐点がキャリア末期じゃなく、あまりにも早く来てしまう(ことがある)この競技の残酷さだ。とにかく、撮り方はすごく特殊な映画なんだけど、見ていると特殊さの引っ掛かりはいっさいなく、この風景とかれらの生き方がしみわたる。

■写真は予告編からの引用

 

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スカーフェイス

ストーリー:1980年、フロリダ。トニー・モンタナ(アル・パチーノ)はキューバからの移民船で入国する。母と妹はすでにアメリカで働いていた。難民キャンプに入れられた彼はすぐに永住権を手に入れる。それは警察との闇の取引だった。キューバアメリカに家族がいるキューバ人以外にも犯罪歴があるグループをまとめて送り込んでいたのだ。トニーもその1人。地元のドラッグディーラーの下で頭角をあらわしたトニーは....

1983年公開、監督はブライアン・デ・パルマ。『暗黒街の顔役(原題スカーフェイス)』をベースに、オリバー・ストーンの脚本で設定を変えたリブート作品だ。公開当時は興行成績も評価もそこそこだったらしいけれど(それなりにヒットしたし、いくつか賞も取った)、今ではギャング映画のクラシックだ。

 本作の元になった1932年の映画はマフィアのアル・カポネがモデルで、舞台は禁酒法時代だ。本作は1983年当時の現代版に置き換えた。イタリア系移民はキューバ系に、密造酒はコカインに、舞台はシカゴからマイアミになった。でも基本的なモチーフはそのままだ。トニー・カモンテはトニー・モンタナになり、ボスの女を狙うのも、妹思いも同じ。何より映画のライトモチーフになっている「The World is Yours」は旧作からそのまま引き継いでいる。

デ・パルマは本作の4年後にはカポネをモチーフにした『アンタッチャブル』を撮っている。主人公がカポネを追う行政側なのもあって、アルマーニがデザインしたスーツを思い切りスタイリッシュに着こなしている映画だ。

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で、ここからは最近知ったけれど、本作、アメリカのヒップホップコミュニティではなんていうか、1つの聖典みたいに何度も何度も参照されて、引用されて、オマージュされる重要な映画だった。具体例はちょっと検索すればいくつも出てくる。90年代からヒップホップが好きな人だったら何を今さらだろう。1つだけ上げておくとNasのThe World is Yoursは上でも書いた映画の重要なシンボルをそのまま使っている。

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言われてみれば、わりと最底辺からドラッグビジネスで金持ちになり、抗争でのしあがり、金ピカの豪邸にジャグジーバスをセットして、古い友達もみんないいスーツを着てのし歩く...的なある種のヒップホップのステレオタイプによく似てるみたいに見える。

でもそれだけじゃないだろう。例えば『ゴッドファーザー』はギャングものでありつつ、同時に貴族の世界だ。ドン・コルレオーネは(若い頃の貧しい姿は2で出てくるが)すでに優雅な大立者になっていて、その跡を継ぐ息子たちの群像劇になっている。時代設定もあって、スーツを着こなすスタイルも殺し方や脅かし方もスタイリッシュだ。

本作の主人公モンタナは特別な人間として描かれない。金も家柄もない移民だ。もちろん成り上がるだけの度胸も腕も機転もある。とはいえそこまで剛腕じゃないし特別切れる方でもない。おまけに服装はやぼったく、汗臭く、話し方も野蛮だし、リッチになってもスタイルを持っていないから悪趣味な金ピカ御殿を建てるしかない。ナンパ男の相棒と比べると女性へのアプローチも粗暴でぎごちなく、ボスの愛人にも見下される。

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しかも売り物のコカインにいつの間にかどっぷりハマり、そのせいかどんどん衝動的になって自己破壊的になっていく。徐々に観客もうんざりして破滅の予感が高まってくる。で、一方では妹を溺愛して守ったり、二枚舌を使わなかったり、妙な筋は通っていてどこかシンパシーは保たれる存在だ。日本で言えば、まさに実録物『仁義なき戦い』の主人公たちみたいだ。

憧れの存在である理想の任侠、高倉健と比べて、しがらみに振り回されて底辺でもがく菅原文太の方が観客は自分を重ねやすい、そんな近さがあるのかもしれない。アル・パチーノは『ゴッドファーザー』ではぼんぼんが冷酷なボスに成長していく姿を端正に演じていた。本作ではほとんど出ずっぱりでこの粗野で一本気な男を演じている。

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「The World is Yours」はトニーがたまたま見かける旅行会社の広告のコピーだ。「世界中どこでもお好きなように」くらいの意味だろう。でも成り上がっていくトニーには文字通り「オレたちが世界をゲットしてやるぜ」と見える。クライマックスはそんなトニーの作り上げた世界でのド派手な銃撃戦だ。トニーは銃弾で破壊されていく世界の中で、愛用のベレッタじゃなく、気持ちいいまでにグレネードランチャーとマシンガンを撃ち続ける。

ところで本作でトニーが一目惚れするのがボスの愛人エルヴィラ(ミシェル・ファイファー)、ここは旧作通り。ただエルヴィラの造形はすぐに10年後の名作を思い出した。そう、『パルプ・フィクション』だ。ウマ・サーマンのボスの愛人とすごく重なる気がする。当時気が付きもしなかったけれど、これもタランティーノのオマージュの1つだったのかもしれない。

■写真はBlue-ray版予告編からの引用

 

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若尾文子2本 女系家族 & 最高殊勲夫人 

女系家族

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ストーリー:昭和30年頃の大阪船場、老舗問屋の主人が死去した。大番頭が遺言状を読み上げる。遺産は3人の娘に分けられるのだ。矢島家は代々女系で主人も婿養子だった。当主を自認する長女(京マチ子)は配分に納得しない。もう一つ家族が知らない火種があった。元芸者の愛人(若尾文子)がいたのだ。「愛人にもくれぐれもよろしうに」という遺言、しかも彼女のお腹には子がいるらしく.....

大映、1963年公開。「白い巨塔」「沈まぬ太陽』などで知られる山崎豊子の小説が原作だ。彼女は船場の昆布問屋の生まれだから、この世界はお馴染みだ。小説発表が1963年、映画公開が同年。この時代はとにかく反応が早い。監督は三隅研次

日本の映画やドラマで三姉妹四姉妹ものは小さいながらも1ジャンルだ。『細雪』『阿修羅のごとく』みたいなクラシックから『海街diary』、アニメも色々思い浮ぶ。朝ドラだとこのパターン何度も出てくる。で、本作は姉妹ドラマの中では相当ふりきっている。ホームドラマというよりピカレスクロマンの香りさえするのだ。

物語は遺産争いゲームに集中していて、抒情的なシーンはほぼ皆無だ。姉妹が幼い頃を思い出してしんみりしたり、先に逝った母親を懐かしんだりとかは一切ない。そもそも母親自体、暖かく家族を包む存在じゃ全くなさそうなのだ。だから話はこの上なくドライである。

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キャラクターはみんなゲームのプレイヤーだ。離婚して実家に戻った負い目がありつつ、つねに声を張り上げる長女。まったく婉曲もなく要求をストレートに主張するので実にわかりやすい。婿養子をもらいビジネスを受け継ぐが当たりは弱い次女。「まだ子供ですし」スタンスを守りつつドライな三女。そしてベテランの殺し屋よろしく三女の相談役として戦闘に参加する叔母(浪花千栄子)。溝口作品『祇園囃子』の遣り手婆さん役に引けを取らないハードなキャラだ(あちらでも若尾文子に辛く当たっていた)。

愛人は、本家からはとうぜんうとまれ蔑まれる。若尾文子は得意の悪女じゃなく逆境に立ち向かう凛とした女性として描かれ、叔母がエクストリームなまでに強烈に当たるので、観客はもはや戸惑いながらも彼女に同情せざるを得ない。ちなみに文乃が住むのは住吉区神の木町。上町線の神の木駅も映る。土地勘がないけど東京でいえば曳舟あたりの感じなのかな?

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男性キャラクターの筆頭は大番頭だ。なんとも風采のあがらない初老の男だがいやに眼光が鋭いと思ったら上方歌舞伎の重鎮、中村鴈治郎なのだった。遺言執行人として、商売の実務を押さえる番頭として、暗躍する大番頭は物語のキーになる。初老の彼相手に妙に男女の香を漂わせる中年女も実にいい。

こんな感じで、明快なキャラクターを名優たちが存分に演じている。それを巨匠宮川一夫のカメラがスタイリッシュに写しとる。いまさら巨匠をほめてもしょうがないけれど、大勢が集まる場の空気をとらえる配置と構図、長めのパンの中で一つの物語を描き出すショット、伝統的な世界の中に現代の都市の景色をキラッと差し込んでくる絵...素晴らしすぎる。

本作の引き締まった雰囲気は、もちろん三隅監督の演出や編集が大きいだろう。でも撮影もそうとう貢献している。昭和中期の景色なんて時代劇以上に古臭く見えてもおかしくないけれど、それを感じない。古い大阪の大店や木賃アパートの建築美も、下町の風景の中に富豪の女たちが乗る巨大なアメ車が乗り込む感じもシンボリックだ。

そしてラスト。オチはもちろん伏せるが、納得度は高い。このゲーム、誰が勝ち抜いたのか? で、誰がシナリオを書いていたのか?的面白さはなかなかだ。

 


■最高殊勲夫人

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ストーリー:野々宮家の三姉妹、長女は三原商事の若社長(船越英二)と結婚、次女は社長の弟と結婚した。長女は三女(若尾文子)と三原家の三男(川口浩)の結婚をもくろむ。決められた結婚をしたくない2人はそれぞれ「好きな人がいるし」と言いながら、それでもおたがい気になるようす。姉のプッシュで三女が三原商事で勤めだすと、プロポーズしたい独身社員たちが押し寄せる…

大映、1959年の作品。当時の流行作家、源氏鶏太の小説の映画化だ。監督は増村保造。ジャンルでいえば、これも三姉妹モノ、かつオフィスラブコメだ。主人公だけじゃなく、ロンドみたいにあっちこっちで恋が芽生えている。たぶん1930〜50年代のハリウッドのスクリューボールコメディ的なものを目指したんだろう。男女が気の利いたセリフで応酬しながら、でも気持ちはだんだんと….という王道の展開だ。

丸の内の若い勤め人たちを見せる都市の風俗映画でもある。源氏はサラリーマン作家で、会社モノが得意なのだ。丸の内と新橋の会社の空気感の違いもきっちり描写してくる。TV局やちょっと気の利いたバー、ロカビリーのライブバーなんかも出てくる。『明日来る人』や『銀座二十四帖』と同じ、戦後の辛いとこは脱して女性も自由になったし、明るいとこ見せていこうぜ、というスタンスだ。

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女性は楽しげに働き、いい男がいればまっすぐアプローチする。ただ、女たち男たちが探している相手は恋人じゃない。結婚相手だ。好きになって告白するんじゃなく、いきなり結婚!なのだ。自由な男女を描いているようで、結婚という制度の呪縛はまだまだ相当強いぞ....と感じさせる物語でもある。ラブコメと書いたけれど、甘いシーンはよく考えるとほとんどない。まあ自由恋愛の結婚を礼賛してるんだろうね。かすかに占領政策の香りがしないでもない。

若尾文子はまっすぐな陰のないお嬢さん役。今でいうと広瀬すず的あり方だ。相手が川口浩。ぼく世代だと探検隊長イメージしかないが貴重な青年時の姿だ。姉の旦那が船越英二。『黒い十人の女』の浮気者役に通じる、整った顔なのに威厳がなくふらふらして、どこかこっけいな社長。庶民派で社長一家に馴染めないお父さんは宮口精二。『七人の侍』から5年後だ。

オープニングが当時のフランス映画みたいでものすごくオシャレだ。丸の内あたりのオフィスビルファサードを正面から撮り、建物のグリッドを画面デザインに使ってクレジットをグラフィカルに見せる。ちょっと惜しいのはときどき引きが取れなくて、水平垂直に撮りたいところが斜めに歪んでしまっている。

■写真は予告編からの引用

 

眠狂四郎2作

大映時代劇シリーズその2。市川雷蔵の代表作、眠狂四郎ものだ。棄教した宣教師と日本人の妻との間に生まれた混血の美形で、黒い着流しに赤い髪。必殺技は円月殺法、モラルに背を向け、人を斬るのも女を抱くのも思うまま。流行作家柴田錬三郎が作り出したキャッチーなキャラクターだ。

分かりやすいキャラと毎回のエロ、どう見ても映像化狙いで設定した物語に映画会社はすぐに飛びついて、小説が発表された1956年に鶴田浩二主演で東宝が映画化する。大映のシリーズは1963年から69年まで、12作作られる。その後は田村正和片岡孝夫主演のTVシリーズが有名だ。

....的な話、ぜんぜん知らなかった。世代的にはドラマくらい見ていても...と思うけれど、触れてなかった。いつかまた再生されるのかも知れない。ビジュアル系剣豪だから今の役者でもハマりやすいしね。2010年にはGACKT主演で舞台化されたらしい。


 ■眠狂四郎 勝負

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ストーリー:狂四郎はひょんなことから知り合った老武士を勝手に護ることにする。武士は幕府の勘定奉行だった。緊縮財政を訴える勘定奉行には敵が多い。将軍の娘や豪商と繋がる敵が、5人の刺客を送り込んできた...

本作は雷蔵シリーズの2作目。1964年、三隅研次監督作だ。 カラー作品。シリーズ初期作にありがちだけど、様式が固まりきっていなくて、キャラクター表現も荒唐無稽ぶりも抑え目の、割と渋い時代劇だ。

まず、季節が冬で全体に画面のトーンが渋い。冬枯れの雑木林での決戦が何度かある。よく似た林が『座頭市』にも出ていた。まだ薪のため木がよく切られていた時代だから今みたいにうっそうと茂っていなくて視界の抜けが良く撮影向きだ。屋敷シーンで出てくる建物も本物かセットか、いい具合にエイジングされているし、路地や茶店のセットも作り込まれて、全体にリアル系時代劇の雰囲気がある。必殺円月殺法は、丁寧なライティングで、円を描いて回る刀が常にぎらりと光るように映している。斬り合いでは血は見せない。

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狂四郎のキャラは、ダークヒーローというよりは束縛から離れる自由人タイプだ。ボランティアで護る相手は正義の高級官僚だ。反体制というわけじゃない。女に対しては主要な女性キャスト全員に惚れられる設定ではあるのだが、自分からは手を出さない。全体に汚れ感はなく、ストイックで雷蔵本人のイメージからあまりかけ離れていないように見える。

老武士役加藤嘉がややうっとうしいながらも熱演だ。

 


眠狂四郎無頼控 魔性の肌

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ストーリー:ある侍(金子信雄)に秘宝の京都移送の護衛を頼まれた狂四郎(市川雷蔵)は、初めは断るが、秘宝を狙う闇の宗教集団、黒指党の党首(成田三樹夫)に付け狙われるようになる。別の女にも京都に来てくれと懇願され、侍の美しい娘(鰐淵晴子)を頂くことを条件に引き受ける。旅の途中、黒指党は手を変え品を変え狂四郎を襲撃する。矢場の女がついて来たり、色あり戦いありで旅は続く...

シリーズ第9作、1967年公開。監督は三隅じゃなく池広一夫大映のシリーズ物は主役が同じでも作品ごとに監督は違う。『座頭市』は三隅を含めた4人、江波杏子主演の『女賭場師』も4人で回す。東映だと、高倉健の『日本侠客伝』はマキノ雅弘、『網走番外地』は石井輝男、少し後の『仁義なき戦い』は深作欣二でほぼ固定だ。『緋牡丹博徒』みたいな複数もあるけれど、大映とは監督の立ち位置が違うのかもしれない。

どっちの良さもあるだろう。監督だって(主演もそうだけど)同じキャラで同じ話のバリエーションだとネタが尽きるし正直飽きるだろう。脚本家は変わってるパターンが多いけれどそれでも似てくる。『男はつらいよ』が監督も脚本も同じ人で通してるのはやっぱり特別なのだ。

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本作は作り手が変わってアップデートされているように見える。『勝負』からたった3年後だけど時代が違う感じさえするのだ。まず映像が鮮やかだ。同じ撮影所でフィルムや機材がそんなに変わるとも思えないんだけど。

『勝負』と季節の違いもある。緑が鮮やかで、室内から窓外のみずみずしい緑が明るく映えたり、まるでトラン・アン・ユンだ。それ以外も赤い鳥居や色とりどりの流し、鮮血の赤と闇、色のイメージが強い画面だ。狂四郎の黒い着物も映える。建築物や塀を使った端正で幾何学的な画面や、移動撮影の多用は三隅作品と同じだけど、斬り合いでは鮮血を飛ばす。

狂四郎の性格もこなれて、悪くいえばキャラ化が進んでいる。サクサク相手を斬り、女相手の好色シーンもこなし、ダークヒーローぶりも安定してきている。それから女優が現代風美女のラインナップだ。ヒロイン鰐淵晴子はハプスブルグ家(!)の血を引く混血の美女で背も高い。矢場の女、久保菜穂子もスタイル良さが売りで、もう1人も可愛い。今の女優さんが着物着て丸髷を結ってる感じなのだ。現代の時代劇と変わらない。

あと大きいのは音楽だ。『勝負』の音楽は、溝口作品も担当していたベテラン。本作は渡辺岳夫。時代劇だけじゃなくドラマ、『巨人の星』『アルプスの少女ハイジ』果てはガンダムまで、70年代名作アニメの音楽もバリバリやっている人だ。本作の音楽は哀調を帯びたギターやトランペットを合わせる、その後お馴染みになったパターン。そんなあれこれで、全体にその後のTVドラマ時代劇に近づいている。

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ストーリー展開は早く、旅を続けながら次々違うバリエーションで敵が現れては倒し、合間に美女を挟んでくる展開で見やすい。悪役成田三樹夫金子信雄もキャラが立っていて、娯楽的な楽しさはこっちが上だった。それでいてストーリー全体の因縁、全体を包む悲劇を狂四郎は全く防げず、できることと言ったら悪役を次々殺して、決着を付けるだけ。ダークヒーローならではの絶望感はむしろ濃い。

ちなみに特筆すべきシーンがある。コントや漫画で見る「帯回し」、悪役が女の帯を引っ張って「あれ〜」と言いながらくるくる回るやつあるでしょう。何と雷蔵があれをやっているのだ。監督はよほど気に入ったのか別のシーンでもやっている。ひょっとしてこれが元祖.....?

 ■写真は予告編から引用

 

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三隅研次2本 斬る & 座頭市物語

時代劇の名監督、三隅研次いまさらの初鑑賞。三隅は1920年生まれ、岡本喜八川島雄三とほぼ同じ、黒澤・小津たち巨匠より10〜20歳下の世代だ。太秦にあった大映京都撮影所で売れ線時代劇を撮り続けた。『雨月物語』『山椒大夫』といった溝口作品や黒澤の『羅生門』を撮った名門スタジオだ。 1960年代の撮影所はこのあたり。そんなに広大じゃない。屋外シーンはだいたいロケだったんだろう。それでも絵になる。


■斬る

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ストーリー:剣客、高倉信吾(市川雷蔵)は小諸藩士の父・妹と平和に暮らしていたが藩内の逆恨みで2人が殺される。復讐を果たした信吾は複雑な出生の秘密を知る。実の家族じゃなかったのだ。流浪の旅に出た信吾は江戸で幕府の高官に仕えるようになる。幕末の水戸藩に不穏な動きがあるらしく、取締に乗り込む高官のお供に信吾もついていくのだが.....

1962年公開。黒澤明の『用心棒』『椿三十郎』と同じ時期だ。下のサイトを見てもらうとわかるように、日本の映画界の観客動員数が1950年代末の頂点から急激に落ち始めている頃だ。やっぱりテレビの普及でしょうね。そうはいっても年間6億人超、まだまだ全盛期だ。

余談になるけど「日本映画の黄金期ははるか昔」といわれつつ、近年動員数は持ち直してきているし、スクリーン数も増えてきてる(ただしほとんどシネコン)。日本映画の新作公開数は全盛期に全然負けてないのだ。でもやっぱり衰退してるんだろうか? シネコンの何番目かのスクリーン用みたいなチープな企画が大量にあるんだろうか......「現場は多くて仕事も市場規模もそこそこあるけれど、数だけ作られすぎ」って、しろうと目に建築の世界にも通じるみたいにも見える。

じゃあ1960年代は志の高い作り手がじっくりと仕上げた名作揃いか、っていうと...どうかなあそれも。 1本当たればその年のうちに2や3が作られて、スター頼みのシリーズ物が多かった時代だ。大映も1950年代末は年間90本くらい製作していて、いくら並行して撮っても、1作に時間がかけられたとも思えない。本作もそんな中での1本だ。上映時間も短い。だから見やすい。

さて本作は大映のスター、市川雷蔵の主演作だ。ぼくが初めて雷蔵の作品を見たのは現代劇に近い『陸軍中野学校』だった。本作では時代劇メイクで目張りを入れていかにもな感じの仕上がりになっている。端正だけど甘さや華やかさはそんなにない、ストイックな侍の雰囲気だ。

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雷蔵は肉体的に弱く(結局30代で癌で死去する)、殺陣も三船敏郎みたいな豪快なのは無理だ。ただ本作でも、集団との斬り合いでは、カメラを動かしながら、自分も位置を変えつつ、結構動きがあるシーンを長回しで一気に見せていて、その辺の動きはぴったり決まっている。

いっぽう、これは三隅監督の作風なのか撮影監督なのか、この時代っぽく画面が急に抽象的になったりして面白い。日本らしくない荒野の風景と現代音楽の劇伴の組み合わせとか、四面が襖の日本家屋の作りを生かした、座敷が無限に続く中をさまよう雷蔵を上から撮ったトリッキーなシーンとか。ちなみに娯楽映画なので、なんとも唐突に女性キャラが裸になるシーンもある。

本作は因縁のある生まれの主人公が、せっかく家族のぬくもりを得たのに全てを失って喪失の剣客となる、みたいな無情感あふれるストーリー。ラストのアンチカタルシスもなかなかだ。

 


座頭市物語

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ストーリー市(勝新太郎)は盲目の渡世人。得意は居合抜きだ。下総飯岡の貸元、助五郎の屋敷にしばらく逗留する。助五郎は対立する笹川一家との関係が険悪になってきたので助っ人として置いておくことにしたのだ。市は一人の侍と意気投合する。平手造酒(天地茂)という病気持ちの剣客だった。おでん屋の娘にも慕われる市だったが、抗争は避けられない雰囲気になっていき....

1962年公開。『斬る』と同年だ。『斬る』は見やすいライティングのカラー映像だったがこちらは白黒。夜のシーンは陰影も濃い。撮影監督が違うから、その作風もあるんだろう。本作は雷蔵と並ぶ当時の大映のスター、勝新太郎の看板シリーズ第1作だ。あまりにハマり役だったから座頭市はその後10年、20作以上作られて、大映から独立した勝のプロダクションでTVシリーズもずっと作られた。

たしかにこの第1作を見ればすぐに分かる。今見られるのは画面クオリティもそんな高くないけれど、面白さは確かだ。なにより勝の只者でなさ加減がこれ以上ないくらい出ている。豪快イメージがあった勝は、体は実はそんなに大きくなく、それでいて丸顔がやけに小さく、坊主刈のせいで余計に強調される。目は基本閉じているから愛嬌のあるギョロ目は見えない。そんな独特なシルエットで、低くぼそぼそと喋る渡世人風の口調も格好いい。

目が見えないからと侮っているとなかなかに超人的な感覚であれやこれやを見通し、ドスを仕込んだ杖での殺陣はそれまでのヒーローの華麗な動きと全然違って、背中を丸めたままの俊敏な動きだ。

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本作では実在の剣客、平手造酒を敵側に置いて、お互いにリスペクトするバランスにしている。平手は素晴らしく腕が立つが、病気で先行き短く、死に場所を探していて、市こそ...と見定める。一方の市は、加勢する飯岡一家にはろくな連中がいなく、どちらかというと平手を雇っている笹川一家の方がましに見えるのもあってあまり平手と戦いたくない。

物語上避けられない2人の対決では、病気のハンディもあり平手を十分に立てた形になっている。相手の思いに応えた座頭市もあまり罪深く見せない。平手役の天地茂がややアンチヒーロー感もありつつ侍的な品も感じさせて実にいい。『斬る』でも主人公の実の父親役で出ていた。

舞台は下総飯岡。今の千葉県旭市、銚子のすぐ近くの海沿いの町だ。映画では小舟で侵攻するから水郷のイメージかもしれない。でもロケは海辺というより京都周辺だろう。ラストは冬枯れの雑木林が舞台。他の三隅作品でも似た場所が映っていたから監督の好みかもしれない。

■写真は予告編からの引用

  

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