殺しのドレス


<参考>
温故知新月間のラストは1980年。デ・パルマの代表作のひとつで、サスペンスのクラシックに入れてもいいだろう。この映画について何か言うとなるとヒッチコックのオマージュ的な話がまず出てくるけれどそこは略。
この話、前半と後半で主人公というかヒロインが入れ替わる。前半は倦怠期をむかえた中年の妻(アンジー・ディキンソン)。再婚相手のセックスに不満をもっていて、この際べつの男で性欲をみたそうとむんむんしている。明るい色のブロンドに全身白のファッションで町に出かける。精神分析医(マイケル・ケイン)にカウンセリングついでに誘いをかけ、スルーされると今度は美術館に行く。そこでもさっそくいわくありげな中年男にナンパされ、タクシーでカーセックスをたのしんだあげく彼のアパートで存分にひごろの物足りなさを満たす。
ところがその帰り、悲劇が起こる。後半のヒロインはそのアパートにビジネスに来ていた娼婦(ナンシー・アレン)。ぐうぜん殺人現場を見てしまい警察の訊問を受ける。刑事におどかされて、容疑者しらべをするはめになる。彼女は第一のヒロインよりずっと若く、しっかり者で、頭も切れる。被害者の息子(キース・ゴードン)と出会い、いっしょに犯人さがしをすることになる。被害者の息子は当時出始めていたマイコンを自作するメカおたく。見るからにひよわで本来の男のたのもしさはとうてい期待できないけれど、能力をいかしてヒロインをサポートする。
サスペンスのモチーフはいわゆる多重人格。二つの人格の性別がちがうのがキーだ。犯人は最初の犯行から画面にしっかり映るので、変装はしていても観客にはだいたい察しがついてしまう。プロット自体はそれほど突出していないわけで、そんな中で観客の興味を持続するために、デ・パルマはあらゆるテクニックをちりばめる。物語本筋のスリル(殺人者によってヒロインたちがなんどか危機におちいる)が物語に緩急をつけるのにプラスして、本筋と関係ないところで緊張感を盛り上げるシーンがときどき入ってくる。
そのなかに本編中屈指の名シーンといわれる美術館のシーンがある。第1のヒロインが一美術館で男にちょっかいを出されて彼を追うシーンだ。最初から彼女の目元のアップと彼女の視点のカットが繰り返されて他の客たちが妙に意味ありげに見え、男を追うカットでは美術館の順路を利用して、気配はあるのに本人が見えないという典型的なじらしの演出をくり返す。それを動きのあるステディカムで流れるように追っていく。BGMも緊張感のあるサウンドをかぶせる。どう見ても不意に何かがおこる感じのシーンだ。しかし結局何も起こらず、そのあと観客は一息つく。
不倫のあとにヒロインが男の部屋である書類を見てショックを受けるシーンがある。これも意味ありげで後にどうつながるのか気になる。けれどこれもその場の「えっ」という効果があるだけで後の伏線にはなっていない。もっとひどいのになるとほとんど意味はなくてただ不吉感だけが高まるシーンが2〜3ある。赤の他人が異様な視線でこちらを見ている(けど、それだけ)というようなシーンだ。現実かだれかの妄想かわからないシーンもある。

興味の持続のためのもうひとつの材料はエロだ。といより映画自体がエロティック・サスペンスというジャンルなんだろうね。観客ははじめから両方を期待して劇場に来る、そういうタイプの映画だ。デ・パルマはきっちりと応え、オープニングからシャワーのエロシーンをじっくりと見せる。ここがヒッチコックオマージュといわれるシーンなんだけど、基本的にはその場のエロとスリルだけのためのシーンだ(このシーンのヌードは代役)。その後もカーセックスのシーン、第二のヒロインが精神科医を誘惑するシーンなどいいリズムで出てくる。
カメラワークやサウンドのかぶせかたなどがスムースで見ていて気持ちいいシーンも多い。たとえば最初の殺人事件のあとの警察署のシーン。かなりな長回しで、娼婦の訊問ー目撃者ー待合室で肩をおとす息子ー担当の刑事が呼ばれて歩いていくー精神科医があらわれるー息子の隣にすわって話しかけるー息子の義理の父があらわれる という一連のできごとをワンカットで見せる。ただ長いだけじゃなく関係者を一気に紹介しながら話しも少し進めている、流れるような気持ちよさがあるシーンだ。これ以外でもカメラを少し振ると、その反対側から人や車がいい角度でフレームに入ってくる、といった動きのあるシークエンスで平凡なシーンでもどことなく気持ちよく見せてしまう。
あと、見せ方でなんといっても特徴的なのは鏡の多用だ。映画の中で鏡を特徴的に使うのはそんなにめずらしくない(『ブラック・スワン』!)。ここでも顔を見せないキャラクターの表情が実は・・・とか、窃視としての鏡、目撃者としての鏡、『燃えよドラゴン』のような二人の人間の位置関係を混乱させる合わせ鏡、などいろいろな使い方で鏡をもちだしている。
この映画はあまりフェミニンな香りがしないし、モチーフである性同一性障害もネタ的扱いじゃないかという批判もあるみたいだ(あと精神病院の描写もリアリティ無視のステロタイプ)。それに危機に陥るヒロインたちは、ある意味不道徳なセックスをしていることの懲罰的なニュアンスがある。不倫をした第一のヒロインのその後は罪の意識と懲罰としてしか見えないし、第二のヒロインは「娼婦」という設定を逆手にとってその後セクシーなみぶりを封印するけれど、クライマックスでエロを武器として使うとその直後に恐ろしいめにあってしまう。
それでも物語を進めるのはこの二人だ。そもそも物語の中でマッチョに問題解決にかかわる男性キャラクターがいないのだ。一番しっかりした男らしいキャラクターが実は・・・というところからはじまって、事件解決の主役はヒロインとマッチョから遠い少年だし、刑事は男臭いがヒロインにネタさがしをさせている適当ぶりだし、ヒロインの危機を銃撃で助けるのは女性刑事だ。二人の不道徳にもとうぜん相手の男はいたわけだけど、ほとんど顔をださない。不倫相手はあれだけ意味ありげに登場したくせにことが済むと物語から消滅するし、娼婦の客もなかなかつかまらない相手として名前がでてくるだけだ。まあそのあたり含めてエロティック・サスペンスなんだろう。