2022年7月に閉館した神保町のミニシアター、岩波ホールで最後に上映したのが本作だ。ビルの最上階にある、仕立てのいい古いスーツみたいな映画館だった。当ブログだと『ニューヨーク公共図書館』や『真珠のボタン』などのドキュメンタリーをここで見てる(本作はここでじゃないけれど)。
本作もドキュメンタリー、タイトル通り、旅する作家ブルース・チャトウィン(1940-1989)の伝記映画だ。2019年公開。彼の作品で読んだのは『ソングライン』『パタゴニア』だったかな。『ソングライン』はアボリジニに伝わる、砂漠を旅するためのマップが織り込まれた歌の話。かれらは文字を持たないから、歌は口承で伝えられる。チャトウィンも砂漠の見えない道を旅する。1人で旅するアボリジニの少年に白人の少女が砂漠で出会う、ちょっとシュールでファンタジックな映画『美しき冒険旅行』は本作に重なる物語だ。
チャトウィン自身ノマドで、結婚して家庭は持っていたけれど、世界中を旅し続け、その場に身を置いて見えたものを書いた。かれがパリの文房具屋で見つけ、旅先で手軽に書けるノートとして愛用したのがモレスキンだ。ちなみに生前のチャトウィンが愛用したノートは生産中止になってしまっていて、今売ってるモレスキンはイタリアのメーカーが「チャトウィン愛用」というエピソードに目をつけて名前も込みで復刻したものだった。そうなんだ....
監督ヘルツォークも旅する映画作家だ。若い頃に友人の病気の快癒を願ってミュンヘンからパリまで徒歩で旅している(その紀行文が『氷上旅日記』)。代表作をあまり見てないのが残念でしょうがない。特にキャリア前半の名作は、あまり滅多に上映もないし配信に乗るタイプでもない。かろうじて見た『フィッツカラルド』、アマゾン川中流の村や川沿いの密林に撮影クルーを連れて行き、果ては映像のためだけに原生林を容赦なく伐採、大型の船を無理矢理ウインチで斜面の上に引きずり上げる強烈な映画だ。何年も前に鎌倉でやった上映会では文化の香りに引き寄せられた湘南のエコピープルたちを唖然とさせた。ちなみに僕はプロフィールにも書いてるけれど、緑や樹木が専門の環境系だ。でも『フィッツカラルド』に憤激はぜんぜん感じない。現代ではありえないけどね。ヘルツォークは、精神としては過去のヨーロッパ文化(の何か独特などこか)に属する人に見えたのだ。
近代文明から離れた所へウィルダネスを求めて壮大な旅をし、でもがっちりとした西欧文化のバックボーンは揺るがない。何百年も前から世界中に進出したそんなヨーロッパ人、探検家もいれば開拓者、商人、軍人、宣教師、プラントハンター.....連綿とした流れの末裔みたいに見えた。そしてチャトウィンもそんな1人だろう。
ヘルツォークはチャトウィンの原作を元に『コブラ・ヴェルデ』という作品を1987年に撮っている。チャトウィンが他界して、ヘルツォークは彼が愛用していた革製のザックを遺族から譲り受け、世界各地のロケに持ち出している。2人のつながりはどんなものだったんだろう。上で書いたみたいに同じ匂いをお互いに感じ合ったりしてたんだろうか。
NOMAD IN THE FOOTSTEPS OF BRUCE CHATWIN via Natalie
チャトウィンは上のポスターを見てもらっても分かるようになかなかのルックスだ。じっさい独特なチャームを持っていて、しかもそれを出し惜しみせずに旅先で出会うさまざまな人に発揮したらしい。つまり関係をもった相手は大量にいるのだ。故郷で城のような屋敷を守る妻もそのことは知っていた。1940年生まれで89年死去。あまりにも早い死は当時死病だったAIDSによるものだ。
生前のチャトウィンの映像はあまり残っていないのか、ほとんどは彼の思い出を語る監督自身やチャトウィンの妻、知人たちのインタビュー、それにかれが描いた物語にまつわる風景の映像で、映画としてはそんなにはっとするようなものじゃなかった。それより自分が勝手に「過去の文化の人」と決めつけていた監督が、ぜんぜん元気で、最近作を撮っていたのが意外だった。でもかれは2014年にはインドネシアの大虐殺の黒歴史を唯一無二の手法で掘り起こした『アクト・オブ・キリング』をプロデュース、しかもDisney+の配信ドラマ『マンダロリアン』に出演もしていたのだった。