赤線地帯


<んん?これ..>
これはまたなかなかに・・巨匠のリアリズムといわれるこの作品だけど、娼婦たちも、遊郭も、そのまわりの路地もきれい目には撮らない。ついでにいうと、娼婦の平均年齢も高い。成人した息子がいたり、病身の旦那と子どもをやしなっていたりと、かなり身につまされる設定になっているのだ。ここにはファンタジックな香りは一切ない。
とはいえはなやかさがゼロではあまりにも殺伐としてるので美女はいる。アホな客を何人もだまして、客のひとりの後釜で貸し布団屋の女主人になるやすみ(若尾文子)、神戸のお金持ちの不良娘がいつの間にかプロになり東京にやってきた、という設定のちょっとバタくさい姉御肌のミッキー(京マチ子)の二人だ。あと、木暮実千代もでているけれど、こちらは病身の夫を養う苦労人キャラで、眼鏡で色気を封印している。売春防止法施行前夜の業界の不安定感が全編のトーンで、恩着せがましく置屋の社会的意義をとく店主とか、息子が母親の仕事をとか、結婚できたと思ったら所詮はとか、病身の夫は妻にとか、なぜ父親がとか、とにかく全編悲劇的なのだ。唯一の成功者は、遊郭ものらしく男の気を引きながらじょうずに搾取できたやすみくらいだ。その彼女にしても守銭奴になるつらい理由がちゃんとある。ラストはいやおうなしにこの世界に入ることになった奥手そうな娘が化粧させされて、おずおずとプロへの一歩をふみだす、なんともいえないクロースアップだ。

店のデザインがいかにもだ。いまでもこの手の商売に使っていた建物がスナックとかふつうの家になって残っていることがときどきある。戦前〜戦後すぐの安普請だから後ろへ回ればただの木造建築だけど、ファサードは独特で、見慣れてくると何となくわかる。スナックでよくある、ななめに引っ込んだドアもそうだし、何だか不思議なモダン感がさりげなく残ってるのだ。タイル使いとか飾り柱や窓、不思議な曲線。ラブホもそうだけど、性産業の建物が必要以上にキッチュ感を出してくるのはなんだろうね。この映画の店もそんなキッチュさが何ともいえない。表現主義的な、なんていうかちょっと性器をイメージしたんじゃないかと勘ぐりたくなるような異様な曲線のエントランスまわりだったりするのだ。
この映画は『祇園囃子』とちがって「外部」がよく写る。田舎の実家だったり、荒野に立つ工場だったり。ラジオのニュースがひっきりなしにかかって防止法のなりゆきがいやでも観客の注意を引く。そんな感じで社会の1ピースである赤線という視線が色濃い話だ。ちなみにアバンギャルドすぎる劇判は黛敏郎謹製。『戒厳令』の一柳慧とか、当時の映画で現代音楽を使う例はあるけど、この場合ドラマのエモーションともすでに無関係なぷよ〜んというクラヴィオリンやソウ(楽器に使うのこぎりね)のサウンドが不思議すぎる。