私がやりました 

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ストーリー:1930年代のパリ。若手女優マドレーヌと新人弁護士ポーリーヌはルームメイト、家賃も滞納する境遇だ。有名プロデューサーの殺人容疑をかけられた2人はあるプランを立てる。法廷は被告の美人女優+女性弁護士vs旧弊な男たちの構図になり、一世一代の弁明を行なったマドレーヌは無罪と名声を一度に勝ち取る。一気にセレブになった2人を老女優、オデットが訪ねてきた。彼女は自分こそが事件の真犯人だと言い出し.....

タイトル『私がやりました』。これ、正解だったのかなあ。原題はMon Crime(私の犯罪)、英題はThe Crime is Mine、邦題は英題の雰囲気をうまく言葉にしているとは思うけど、映画タイトルとしては普通の言葉の中に埋もれてしまいそうな気がするのだ。

監督はフランソワーズ・オゾン。初期の2作『8人の女たち』『スイミング・プール』しか見てない。この頃は独自の美学やスタイルに凝り、軽やかなコメディテイストにちょっとしたサスペンスをスパイス的にまぶす感じの作風だったと思う。どちらも女性だけ(といっていい)のストーリー、ベテラン大物女優と組むのも共通だ。

久しぶりに見たオゾン作品は『8人の女たち』にかなり近いプロジェクトだった。1930年代の戯曲(1937年にアメリカで映画化)をベースに女性をお話の中心に持ってきて、殺人事件がモチーフのサスペンスでありつつ語り口はコメディだ。撮り方も演技も、いかにも往年のスタジオ撮影風のクラシックな雰囲気。衣装もセットもパリの下町も「あの時代」的なこじゃれた空気に満ちている。

現代性もおさえている。殺された有名プロデューサーは配役をエサに若手女優に肉体関係を迫る。昔からあるストーリーでもあるし、もちろんMeTooの発端になったワインスタインを思い出させるだろう。容疑者と弁護士も、ベースは夫婦設定だったり、弁護士は脇役だったりしていたところを、同年代の女性同士が共闘するサクセスストーリーにして、シスターフッド感を出してきた。

マドレーヌの法廷での弁明シーンは、男性判事や陪審員、ドラマ的に誇張した検事たちの男性既得権益層ワールドのなかで、1930年代の社会に進出できていなかった女性の苦しみをここだけ割とまじめなトーンで語らせる。

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(c)Agence Cartel via Amazon.uk

とはいえ『プロミシング・ヤング・ウーマン』のようにシリアスな問題意識が前面に出ていたり、『燃ゆる女の肖像』『あのこは貴族』みたいに当事者的な感覚がみなぎっていたり、という映画には見えない。男性作家の反省と贖罪のビジュアライズのような『ラストナイト・イン・ソーホー』とも違う。

僕が見ている3作でいえば、オゾンの視線は登場人物の女性たちに少し距離感があるし、人物の設定もふるまいも物語に乗っかったもので、それをはみ出して何か強烈に訴えようとしていない。本作でも、社会的には無力な若い女性たちといいつつ「美貌」「演技する能力」「法廷技術」「ストーリーテリング力」を兼ね備えたなかなか強力なパートナーの、ピカレスクロマン味もあるサクセスストーリーなのだ。男性キャラは基本「旧弊な男性社会の既得権益に乗った間抜け」か「2人の意のままに動くお人好し」だけでストーリーを邪魔しない。

ただお話として圧倒的にうまいのは2人をかき回す役としてベテラン女優オデットを持ってきたことだ。イザベル・ユペールが昔の大女優をモデルに演じた彼女は基本的に愚かで鬱陶しく2人の可愛いストーリーを見ていた観客に軽い不快感をともなった異物感をあたえる。ところが『Elle』の主演、名優ユペールを配する以上、ただの鬱陶しいアホとして退場させるわけがないのだ。

エンタメ業界が求める〈若さ〉〈旬な感じ〉(と、多分〈富〉も)を失った彼女は主人公2人よりもある意味弱者だ。でも同じ道を先に歩いていた先輩でもある。昔の名声は十分にあり、人間としての厚みと誇りを見せていく彼女はだんだんと主役2人を軽く見せるくらいに比重を増していくのだ。いつのまにかシスターフッドは年代を越えて3人の間にも発生していくだろう。

犯罪ものとしては、いくら1930年代とはいえ刑事も検事も捜査が雑で間抜けすぎないか、とかこっちの男性キャラのお人好しぶりはなんなのか、とか、サスペンス・タクティクス部分にはそんなに快感はない。ただ展開は意外性があって(だから予告編や公式でツイスト部分まで知らせすぎの感はあるけど)、いかにもフランス女優という雰囲気の主演2人の魅力と、友情でもあり少しセクシュアルな香りも漂う関係の描写とか、クラシックな画面のウェルメイド感とかは十分味わった。