幕末太陽傳


公式
川島雄三の映画はいつもその時代の風景につれていってくれる。古い映画はもちろんそうなんだけど、小津や溝口ともどこか違うんだなぁ。シンボリックな風景より、もっと身近な空間の手触りみたいなところなんだろうか。この映画、もちろん名作中の名作とされかてる古典だ。物語世界や監督の背景や、いくらでも掘り下げられているからその辺はほどほどにして、やっぱり『洲崎パラダイス』との共通点、「海に面した享楽の町」というあたりだろう。川嶋はほかにも晴海アパート(最近取り壊された)を舞台に現代劇も撮っているし、都市の海辺の感じがきらいじゃないんだと思う。
映画の最初に、八ツ山橋が映り、舞台の品川宿がいまの北品川商店街だと紹介される。このシーンも気持ちいいタイミングでオープンのアメ車を走らせて、カメラと視線を誘導する、じつにいいカットだ。で、舞台になる相模屋も実在の茶屋だったとわかる。この辺だ。

だいたい同じスケール。マークが相模屋(江戸時代の地図は今昔散歩さんから引用させていただいています)
映画で分かるとおり、通りからおおきな建物の中庭をはさんで反対側は海岸だ。当時の品川は陸路の幹線のノード+遊興地+海浜リゾートだった。海浜といっても江戸時代は海水浴という概念がなかったから、単に漁村+せいぜい海を眺める景勝地くらいだろうか。それにしても当時の盛り場が海岸線の一列目に作れたというのが正直少々意外なのだ。アトランティック・シティーじゃないんだから。今だって湘南のオーシャンフロントの建物は、津波がなくても何年かに一辺台風や高波でひどい目にあってる。そもそもオーシャンフロントは高台以外、建物自体立てようがない土地もぜんぜん珍しくないのだ。太平洋岸でもそういうところ多いよ。それだけ海辺の気候は過酷だということ。そこに漁村集落ならともかく当時の商業建築をねぇ....と思うんだけど、ずっと商売を続けられたんだから、少なくとも壊滅的な目にはあっていないんだろう。古い地図をみると、日本最初の鉄道も汐留から品川の間は海中に堤を築いて線路を引いている。海上鉄道だ。土地収用がむずかしかったのも大きな理由らしいけど、当時、国家の最重要土木インフラがそんなところに作れたということは、東京湾内はよっぽど穏やかな海だったんだろう。
話の途中で落語「品川心中」のネタが出てくる。心中しようといいくるめられた貸本屋の男(小沢昭一)が先に海に飛び込むと、てっきり死んだと思った花魁のおそめ(左幸子)は店に逃げ帰る。でも海はまったくの遠浅で、飛び込んでも死ねるような深さじゃなかったというオチだ。
後半、反体制の志士たちと駆け落ちカップルが舟で逃げるシーンがある。櫓船で品川から千住まで行くのだ。隅田川をのぼっていくと14〜15キロ。御台場はあっても勝どきも晴海もなかったから、わりあいまっすぐ北上できた。当時、江戸の河川交通によくつかわれた猪牙舟という足の速い舟の艇速がだいたい4〜5キロくらいとすると、3〜4時間の夜の船旅だ。ウォーターフロントの明かりも何もない夜の航海は、月でも出てないとけっこう大変だろう。夜の櫓舟、溝口の映画(これとかこれとか)でも出てくる。あれは琵琶湖が舞台だった。
さて物語。いわゆるピカレスクロマンの系統だ。主人公居残り佐平次は悪党というよりはトリックスター的で、口八丁で他人を手玉に取るタイプ。フランキー堺は慶応でバンドをやっていたジャズミュージシャンだけど、顔だけみるとそういうアメリカ文化の香りが一切しない。それにしても、つくづく戦後すぐの頃ってジャズと芸能は近かったんだね。大物芸能人で最初はアメリカ軍むけのジャズをやっていた人はいくらでもいる。その感じは今ではわからないよなぁ。
一方の石原裕次郎。『椿三十郎』での加山雄三もそうだったけど、アイドルっぽいスターを時代劇にはめ込むとどうも学芸会じみるのは昔から変わらないんだなぁと思う。丸顔で童子系の裕次郎=高杉晋作は、いくら格好いいセリフを与えても、どうにもさまにならない。あの健康的なところが人気の秘密だったのかなぁ。たしかに童顔で身体が大きいから、常人を越えた雰囲気はあったのかもしれない。あと、岡田真澄の若い頃が、あれだれに似てるといえばいいのか…ずっと考えていても思いつかないんだけど、完全に口半開きの顔で、後年の重厚な顔とは似ても似つかないのが笑える。

終盤に向けて、居残り佐平次最後の晩の一騒ぎになる。それぞれのエピソードにかたをつけ、夜が明けてこっそりおいとましようと門をくぐると、まだ一つ片付いていなかった。しつこい客をあきらめさせようと、ひいきのうれっこ花魁こはる(南田洋子)は死んだと出まかせを吹き込んだら、朝一から墓へ連れていけと佐平次を離さないのだ。しらじらと明けたラストは、墓場のシーンになる。
特別な一夜を描いた映画で、夢から覚めるように朝がきたところで終わるのはおなじみだ。『アメリカン・グラフィティ』や『ビフォア・サンライズ』、結婚パーティーの夜を描く『レイチェルの結婚』それに『その街の子ども』・・・遊郭はもちろん一夜の夢のための祝祭空間だ。この映画は開店準備中の昼のシーンが多くて、営業体としての遊郭が見えて面白いんだけど、最後は狂騒的な一夜がクライマックスになって、しらっとした朝でしめる。しかも舞台が墓地だ。愛欲の場である遊郭とは、対象的ともいえるしどこか似てるともいえる場所。このシメのクールさはやっぱり強烈だ。