祇園囃子


<冒頭>
一番おもての世界、というか普通にメジャーな祇園。『祇園囃子』は3本の中でははなやかだし、新人の舞妓(若尾文子)も姐さん芸者(木暮実千代)もきれいに撮られている。新人舞妓はちゃんと芸事や所作のけいこをして、お披露目ではゴージャスな衣装を着て、男衆をしたがえてねりあるく。外国人がカメラをかまえそうな晴れ舞台だ。でも…それは結局、舞妓という商品を送り出すための投資で、出資者は別にいる。彼が受けとる配当はセックスの権利なのだ。先輩芸者も高級な接待の提供品として使われる。最初はお座敷で愛想をふりまくだけだけど、気に入られればそれですむわけもない。二人はその不文律的なおきてに抵抗する。そしておなじ女性であるお茶屋のおかみから完ぺきに干されてしまう。小泉今日子なみに顔が小さい浪速千栄子がこの容赦ないおばさんを演じる(『近松物語』ではいいおばあさんだったのに。でもこの小顔は冷徹なおばさんのほうがあうような気が…)。

風景は京都らしい町家の並ぶ小路。幾何学的でありつつ木の質感がしっとりした小路の景色の格好よさを、いろんなアングルからシャープにひきだしてくる。芸妓が暮らす家も昔ながらの町家。玄関を出て、建物の間のくらがりを抜けると路地にでる。このくらがりがちょっとした結界めいていて、細かいドラマの舞台になっている。そのほかお座敷や、稽古をする部屋と中庭の景色や、映像的には楽しい。
でも考えると屋外ロケはほとんど小路の風景しか使っていないし、物語は外の社会から少し遊離した祇園周辺のなかで閉じている。二人がひいき客に東京に連れていかれるエピソードがあるけれど、舞台は列車や宿の客室の景色くらいなもの。ご褒美旅行かと思ったら客の接待用に行くだけで、彼女たちが自由に外の世界を楽しめるわけじゃないのだ。だから銀座ロケとかで娘がはしゃぐシーンみたいのは一切ない。彼女たちは社会的にも外の世界を謳歌できる立場じゃないという感じが、映像的なある種の単調さにあらわれている。
若いころの若尾文子はちょっと下膨れながらかわいい。キャラクターとしては当時のギャル系という感じで「アプレ」と呼ばれる。アプレゲールといって戦後派のことで「現代っ子」的意味なんだろう。流行っていたのか?『噂の女』でもナンパな男がそう呼ばれていた。姐さん役の木暮実千代はもともとセクシー女優だけどここでは抑えめ。人情派の年増芸者だ。唯一のストレートなお色気シーンでは、覚悟をきめて足袋を脱ぐ、というあたりで表現。『近松物語』にもあった「着物のエロスは裾周り」の王道をゆく描写にうならざるをえない。