シスターフッド2/3 あのこは貴族

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ストーリー:松濤に住む医師の一族のお嬢様、華子(門脇麦)は27歳。結婚相手を探していた彼女の前に現れたのは彼女より上の階級の御曹司、幸一郎(高良健吾)だった。美紀(水原希子)は富山から上京して大学に入学したが資金難で中退、それでも東京で働いている。美紀は幸一郎と腐れ縁の「都合のいい女」だった。そんな2人が偶然に出会って....

2021年の重要作品の1つ、なんとなく年内に押さえておきたい気がして見た。『クレイジーリッチアジアンズ』を見たとき、リッチなアジア人がシンガポールじゃなく、中国でもなく日本だったら...想像した。家は渋く、誇示するみたいな金の使い方はせず、絶対キャッチーな映画にならないだろう。本作はまさにそんな日本の名門家族を描いた。

アメリカの風刺的な社会エッセイで『Class (階級)』という本があった。階級がない筈のアメリカに「いや普通にあるでしょ、階級」という内容で、上流・中流・労働者階級それぞれを辛辣に描写する。一番派手に、幸せそうに見えるのは上流や上層中流で、最上流は一般社会からは見えない。本作でも自分たちを「映画や小説には出てこない」と語るセリフがある。最上流ではないけれど、そういう人々だ。

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本作のテーマは上流の華子と中流の美紀、2人の出会いのシーンで分かりやすすぎるくらいはっきり語られる。2人を引き合わせた華子の友人逸子(石橋静河)のセリフだ。「日本って女同士を分断する価値観がまかり通っているけど、女同士で叩きあったり自尊心をすり減らす必要ない」 逸子は小学校からの学友でバイオリニストとして自立している、華子のロールモデルみたいな人だ。2人を引合せ、コンセプトを説明する逸子はちょっと物語上の機能的な存在でもある。

本作はすごく淡々と穏やかに進む。ストーリーはシンプルで予想外の出来事もない。小津の映画みたいだ。テンションを上げず、作品中で誰かが声を尖らせることも滅多にない。原作ではヒール指数が高く、ある意味懲らしめられる幸一郎も、高良健吾の善玉感もあってずっとシンパシーが感じられる存在になっている。女性同士だけじゃなくあらゆる分断を強調しないのだ。だから見ていて居心地がいいとも言えるし、人によっては単調に見えるかもしれない。その分、映像の細かいトーンのコントロールや、劇伴でつくるエモーションや、役者の微妙な演技にすごく引き込まれる。

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まず門脇麦。彼女のキャラは年齢より幼い。物語の中で幼い彼女は色々なものを見て学んでいく。場面場面で見る1つ1つに意味があるのだ。動きもセリフも抑制されている中で、見る演技、目の演技でじつに多くのものを語る。いつも抑えめの彼女が、懐いている義理の兄の前でだけくだけた口調でお行儀悪くなるのもすごく可愛く見える。

それから水原希子。『ノルウェイの森』『奥田民生になりたいボーイと・・・』の頃のオブジェ的美女から味を感じさせる存在になっている。ルックス的に強いキャラに見えるけれど、口調もふるまいもすごく柔らかく演じて、控えめお嬢様の華子といても違和感ない。2人は近づくわけでも強く共感するわけでもない。少し理解しあう程度なのだ。そこもファンタジックすぎなくていい。

孤独や無力感や葛藤に押しつぶされそうになる2人を支えるのはそれぞれの友達だ。華子には逸子がいるし、美紀には高校から同じ大学に入った理英(山下リオ)がいて手を引いてくれる。ここも明確なメッセージになっている。山下リオは『あまちゃん』時の長身美女の面影はありつつも、おっかさんめいた包容力を発散しはじめていて、美紀の安心感を観客も共有する。美紀と理英の描写はこれ以上ないくらい「友情」というものの美しさをストレートに描いている。

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本作の冒頭、「2016年元旦」とテロップが出る。時期が明確なのだ。そこから3年くらいの物語の中で、東京都心の風景がなんども映される。ただの背景じゃなく、彼女たちのいる世界として。その東京はつねに工事中だ。監督は「オリンピックに向けて変わっていく東京を映さないわけには行かなかった」と言っている。オリンピックは監督のことばで言えば、「貴族」の側の(つまり支配階級の)おそらく男性原理が強く東京に望んだものだ。

映される東京は、松濤や飲み屋の路地以外、誰でも知っている都心ばかり。皇居前、丸の内、銀座、白金、南青山、表参道、紀尾井町豊洲。それに風景として有明や晴海のオリンピック施設の建設現場だ。そこには『街の上で』で映されたみたいな細やかでさりげない東京はない。東京でなんとかサバイブしている美紀にとっては一貫してよそよそしい場所だろう。東京ローカルの華子にとっても。自分からは見えない「外部」によってひたすら作り変えられていく場所なのだ。思い出のよすがは記憶の中にしかない。東京生まれの人間はたぶん、全員がそう感じている。

■写真は予告編からの引用

 

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