2021年公開作 見返し2本

■プロミシング・ヤング・ウーマン

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ストーリー:キャシー(キャリー・マリガン)は医大を中退、いまはコーヒーショップでやる気もなく働く。30前後なのに両親と実家住まいだ。夜になるとメイクもファッションを変えてクラブに1人で行き、酔っ払ったふりをして声をかけてくる男を引っ掛ける。そして・・・でも彼女には理由があった。大学時代、親友に起こった悲劇がすべてのはじまりだったのだ.... 

完全に一つの宣言としての映画で、映画としての口当たりの良さと妥協のないメッセージとの共存ぶりがすごい。女性観客にたいしては、物語にあったみたいなことを「自分が悪いからしょうがないなんて思う必要ない」と、男性観客にたいしては「いままで笑い話や手柄話にしていた女性相手のそれ、誰も許していないから」と正面から言ってくる。

イントロの映像が凄すぎる。踊る男たちの腰のあたりだけをひたすら写す。女性のセクシーな見せ方でよくあるやつだ。でも男たちは男性ストリッパーみたいなタイプじゃない。緩んだ腹と鈍重な尻をださいチノパンで包んだおっさんたちの腰なのだ。「お前ら女のそれ見てヒューとか言ってるんだろ、でも自分見てみろよ、醜悪でしかない」...という毒。

これが第1作になる監督エメラルド・フェネルは「ダークコメディのトーンで、復讐劇だしスリラーでもあるし」と言っている。大きくは大学時代の親友の悲劇をずっと引きずる主人公が復讐に動きだす話だ。そこに今の彼女をめぐる両親との関係や、ちょっとしたロマンスが入る。

そこだけ聞くと色々ありな風だけど、物語は一直線で、2時間弱、ほとんど無駄がない。そして後半の意外すぎる展開とラストの切れ味が絶句ものだ。カメラはずっと主人公を追い続けて、主演キャリー・マリガンから目をそらさない。彼女は復讐にむけて次々にプランを実行する。今までにないタイプの主人公だから観客にも予測がつかない。出来事は派手でなくても、緊張感がずっと続くのだ。

主演にキャリー・マリガンというところがこの映画らしさだ。最近、女性がクズ男を叩きのめすエンタメ作品は多い。『アトミック・ブロンド』『スーサイド・スクアッド』シリーズ、シャーリーズ・セロンや本作でもプロデューサーを務めているマーゴット・ロビーだったら、回し蹴りでクズ男をなぎ倒して爽快にケリをつけるだろう。

でも彼女たちじゃダメなのだ。監督も「ふつうの女性が復讐するなら・・・という物語」と言ってる。超人的に強い女性の復讐劇はスカッとするだろうけれど、大抵の観客からはあまりにも遠い。本作の主人公キャシーも相当に(メンタル的には)強い。鉄の意志と高い知能と圧倒的な行動力でずんずん踏み込んでいく。でも超人じゃない。

キャリー・マリガンはマーゴットやシャーリーズみたいに超然としたアイコニックな美しさじゃなく「ふつうの人」感がある女優だ。もろさや弱さもどこか滲み出るところがあって『ドライブ』の悲しいお母さんや『シェイム』の辛い記憶を背負った妹や、そんな役はよくはまる。本作の主人公も悲しいくらいふつうの人らしい弱さを抱えている。

それに、キャシーの行動はエクストリームに見えるけれど、描き方は意外なくらい優しい。彼女は立派でファンシーな実家でずっと暮らし、投げやりになっている割にファンシーな趣味だし、一見エグい色々な復讐にもじつは救いを残している。というのも、悪役のはずの男性たちが全員弱いのだ。暴力的なマッチョには出番はない。普通の男たち。そこもメッセージだ。

映像はウェス・アンダーソンじゃないけど、正面からのシンメトリーなカットが多くて、会話もその切り返しだったり。端正で色彩も美しい。ブリトニー・スピアーズパリス・ヒルトンの曲が意味ありげにシーンにかぶさり、ラストはカントリーシンガー、ジュース・ニュートンが朗々と歌い上げる1981年のヒットングに包まれて一気にいく。

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■ファーザー

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ストーリー:ロンドンの広々としたフラットに1人で住む老人アンソニーアンソニー・パーキンス)は娘アン(オリビア・コールマン)が紹介するヘルパーが気に入らずいつも追い出してしまう。パリに転居予定で毎日通えなくなるアンは新しいヘルパーを連れてくる。アンソニー認知症を発症していた。だんだんと記憶が怪しくなり、断片的になってくる彼は....

だいぶ前に見てたから、印象がぼんやりしてしまっているけれど、とにかく本作は、老いた親と老い始めた子の物語、というプロットから想像されるような、湿っぽく物悲しいヒューマンドラマとは全然違う。作り手は「認知症が進む患者に見える世界を映画で再現」しようとした。

公式ページではその辺りはあまり前面に出さずに、アンソニー・パーキンスの演技の素晴らしさを打ち出している。確かに、比較的意識がはっきりしていてその分高圧的で、老人特有の暴力性の気配も滲んでいる序盤から、ある時は知らない世界にいるような気持ちでおろおろしたり、拠り所を失って弱々しくなったり、そして徐々に子供返りしていき...というふうにシーンごとに微妙なトーンを描き分ける。

認知症の患者から見える世界」がどんなものかは、公開後そうとう経っているとはいえあまり言わないでおこう。とにかくこの描法によって、観客が見るものはヒューマンドラマのつもりがそこらのサスペンスを寄せ付けないようなスリリングなものになる。映画を見ていて僕たちが無意識に了解する「リアル」を揺るがすタイプの映画だ。

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