ノマドランド

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ストーリー:ファーン(フランシス・マクドーマンド)は夫と2人で鉱山の町に暮らしていた。夫は先立ち、鉱山も閉山になって、彼女の町は消えた。大事なものと生活道具を古いバンに積んで、彼女はノマドになった。季節労働を転々とし、バンで眠る、彼女の旅が始まる。周りにはおなじ生き方をする高齢の人々がいた...

2020年公開のアメリカ映画。監督は中国系のクロエ・ジャオ。去年の『ハーフ・オブ・イット』の監督アリス・ウーと同じく中国系の女性監督だ。とは言ってもアリス・ウーは台湾ルーツでアメリカ生まれ。ジャオは北京出身で高校からアメリカで学んでるキャリアで、一緒にするのはちょっと雑かもしれない。

本作はとても変わった映画だ。ある程度キャリアがある俳優は主演のフランシスと彼女に好意を寄せるノマドのデヴィッド役の人だけ。あとは実在のノマドたちだ。フランシスは俳優として撮影現場に入るんじゃなく、実際にバンで暮らし、Amazonの配送センターで働いた。ノマドたちの多くは彼女:ファーンがハリウッドスターだとは知らなかったそうだ。映画の中のノマドたちは本人役としてファーンと触れ合っているのだ。

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ここでいうノマドは、かつて盛り上がったmacbookを持ってカフェで仕事するアレじゃない。もっと切実だ。2008年の経済危機あたりから、経済状況が厳しくなって、定住できずに車上生活をするようになった人たちのことだ。定職が見つからないから家賃は払えず、季節労働で日銭を稼ぎながら車で移動し、車で暮らす。就職に不利な高齢者が多い。見ていると決して明るい気持ちで満たされる作品じゃない。

ファーンは、住んでいたエンパイアの町が町ごと閉鎖されることになって移動を迫られる。唯一の産業、鉱山が廃止されるからだ。「町をまるごと?」とも思ったけれど、マップを見れば納得だ。鉱山住宅が並んでいるだけなのだ。日本にも閉鉱になって廃棄された集落はいくらでもある。GoogleMapで見るとサンフランシスコから車で500kmくらいだ。ストリートビューが2009年までなのが哀しい。

 

ノマドライフ最初の職場はネバダ州のAmazon配送センターだ。ここはノマドたちの雇用をはじめから想定していて、RVを止めて寝泊まりできる広大な駐車場を用意している。今では映画にあった配送センターは廃止されたみたいで、車で1時間くらいのところに新しい配送センターがある。

 Amazonで知り合ったノマド仲間に誘われて、ファーンはアリゾナ州のクオーツサイト郊外の荒野で開かれるノマドの祭典に参加する。ハッピーなノマドたちが焚き火を囲んで平和な空気を醸し出している。

夏はサウスダコタの国立公園でスタッフとして働く。

秋には一人森に立ち、泉に体を横たえる。

知り合ったノマドの男性に招待されて、海を見下ろす家に行く。男性は息子たちに説得されて家で暮らすようになっていたのだ。ファーンにも家で暮らすように言ってくれる家族がいる。でも彼女はまた旅に出る。冬がくればまたAmazon集配センターでの日々が始まるのだ....

という感じでちょっとストーリーごと彼女の旅を紹介してしまったけれど、それには理由があって、1つには本作はストーリーがどうのというタイプからはすごく遠い映画なのだ。さっき書いたみたいにドキュメンタリックであり、スケッチ的でもあり、それに理由の2つ目、作り手は彼女の旅を観客に共有させようとしているのだ。映画の主役はある意味では移り変わる、広大な風景そのものだ。

 ノマドたちは、その生き方を選んでいる人たちも少なからずいる。60年代に自由な生き方を発見した若者たちの今が彼らでもあるのだ。荒野に旅立つ『イントゥ・ザ・ワイルド』や『180°South』でかいまみえる精神だ。

そんな本作、同時にすごく感じたのは「モノとの付き合いかた」の映画でもあるということ。かれらには「貨幣経済に縛られない」的なテーゼは明白にある。でも、じゃあ「アメリカ的物質文明と手を切る」かといえばそうでもない。過剰な、使い捨ての、大量の廃棄物を産む物質文明には反対だろう。でも、いうまでもなく彼らは物質文明の代表である自動車をインフラにしている。故障して走らなくなったら、いきなり生活が破綻するのだ。仕事だって大量消費の最も洗練されたスタイルであるAmazonだ。みんなスマフォはちゃんと持っていて、荒野にいてもネットワークから遮断されてはいない。

本作は主人公ファーンの、色々な「もの」との関係をとても丁寧に描いている。人々との関係とおなじくらいに。縛られずに旅し続けることを選ぶ彼女だけれど、ものへの愛着もっといえば執着は最後まで無くならない。彼女の相棒でありホームである2001年型のフォードには名前もついている。5000ドルで同じのが買える車の修理代が2000ドル掛かっても手放さない。それに家族からもらった大事な食器。

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彼女の大事な「もの」の多くは彼女を支える「道具」なのだ。それに人々との関係も、しばしば「もの」のやりとりを介して描かれる。そして彼女のものへの思いが段々と「過去」から「いま」へ移っていきそうな気配が描かれてはいる。車の長旅が好きで、車が古くなっても手放す踏ん切りがつかず、長持ちする頑丈な服が好きな、ぼくも割としみる部分はある。

フランシス・マクドーマンドは本作のプロデューサーでもあり、ただの役者じゃなく制作から深くコミットしている。スクリーンの中の俳優として見ても、なかなか替わりがいない人だとは思う。役柄は女性だ。だけどいわゆる「女優」を見ている感慨とどこか違う。そんな彼女にしか語れない物語は確かにある。監督は彼女が過度にタフで男性的に思われないようにだろう、画面の中で女性であることをあえて意識させるような姿をときどき挟み込んでいる。

■写真は予告編からの引用

 

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