バービー 〜ポップな教育的映画

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ストーリー:マテルの大人気人形、バービーとそのシリーズはバービーランドで暮らしていた。バービーたちは人種も体型も職業も色々、ピンクの家に住み、夜はダンスパーティーだ。恋人のケンは仕事も家もないが、ビーチが居場所。毎日変わらず完璧だったある日、主人公の典型的バービー(マーゴット・ロビー)に異変が起こる。原因がどうやら現実世界にあるらしいと知ったバービーはケンを道連れに現実世界に旅をする。ところがそこは.....

全世界興行収入は1700億円以上だから今年屈指の大ヒット作だ。目に楽しい可愛い画面、マーゴットたち華やかなキャスト、旬のシンガーを集めたサントラ、深刻にならず笑えるディティール....たしかにキャッチーなコメディだ。だけど映画としてはかなり変わっているし、野心的でもある。「これがそこまでの大ヒットなんだ?」と思った。

ターゲット層からかなり遠い僕のようなおっさんには、本作は<若い観客が楽しく学べる>系映画に見える。教育教材として作られる映画はあまり見てないけれど、若い世代への教育的な効果を狙って、間口の広いエンタメに社会問題を組み込んで作られる映画は結構ある。『CODA あいのうた』なんて分かりやすい例だろう。アニメで言えば『ディリリとパリの時間旅行』などのミッシェル・オスロは王道のアニメ作家として子供たちへの教育的メッセージを強く意識している。

https://media.vogue.co.uk/photos/64130ed6b969888aada448cb/4:3/w_2803,h_2102,c_limit/rev-1-BARBIE-TP-0002_High_Res_JPEG.jpeg

Courtesy of Warner Bros Pictures via British Vogue

本作を見れば誰でも女性の生きづらさのメッセージが分かりやすく伝わる。いまだにガッチリと支配力を離さない男社会の姿もこれ以上ないくらい分かりやすく描かれる。だけど、例えば『プロミシング・ヤング・ウーマン』やMeToo以降たくさん作られた映画みたいな告発のトーンはあまりない。『燃ゆる女の肖像』や多くの映画にあるセクシュアリティの部分には踏み込まない。ここは本作独特で、後で書こうと思う。とにかく物語の中では表面化しない。

人形バービーはいろんな職業のモデルで作られた。女の子たちに社会に進出したプロフェッショナルになるイメージを持ってもらうためだ。だから映画のバービーも大統領から学者、建設労働者まで色々いる。でも本作ではプロフェッショナルとして生きる女性のリアリティに踏み込む様子は見せない。

そんな感じだから、昨今のよくできたフェミニズム系映画を見慣れた観客は、なんだか表面的にすら感じるかもしれない。

そのかわり、寓話的に男性であるケン(たち)を無職で女性のパートナーとしての役割しかない存在にして実社会の鏡像を見せ、マテル社(バービーの発売元。もちろん映画のスポンサーでもある)で働くお母さんに女性の大変さを長い時間をとって演説させ、マテル社の役員は戯画的なまでにダークスーツのおっさんで全員を占めさせ、この社会のジェンダーギャップを子供でも分かるように分かりやすく説くのだ。

本作の主演・プロデューサー、マーゴット・ロビーは監督にグレタ・ガーウィグを呼んでパートナーのノア・バームバックとに脚本を任せ、出資者であるマテル社にも突っ込む作品を作り上げて、その企画実現力は驚くんだけど「バービーのユーザーたちの意識をアップデートする」的に意味付けてGoに漕ぎつけたのかもしれない。

mattel.co.jp

監督グレタ・ガーウィグの『レディー・バード』は大学進学を目前にした女子高生のささやかな冒険と葛藤とあつれきを繊細に描いて、当事者じゃない僕みたいな観客にも主人公たちの感じる世界を想像させてくれた。彼女が主演した『フランシス・ハ』(バームバック監督)は『わたしは最悪。』にすこし似て、クリエイティブな感性に自負があって、だけど自分の人生をオーガナイズできない女性の姿で、僕は正直いって途中で投げ出してしまったんだけど人によってはすごく共感できる女性像みたいだ。

ーーーーネタバレ

ラストだけは、それまでのライトな扱いから、生々しいまでに具体的になる。バービーは「想像上の存在」でいることに飽きたらなくなって人間になる。そして婦人科に行くのだ。「私にはヴァジャイナはないの」「ケンにもピーナスはないし」とセリフでわざわざ言っているように、子供向け人形であるバービーはセクシャルな面を消している(とはいえ初期型バービーがお手本にしたドイツの人形はセクシードールなのだ)。恋人であることが唯一のアイデンティティなのにその面も封じられるケンは、二重に透明な存在になってしまうわけだ。でも人間になったバービーの象徴は食事でも暑さや寒さでもなくて女性的身体の獲得なのだ。

人間になろうよ、と映画はいう。フィクションの人格が実在の人以上に多くの人々を魅了して人生を豊かにすることはいくらでもあるけれど、それよりも、いろいろ厄介でも実人生を、自分の身体を、価値あるものとして描く。やっぱり監督が描いているバービーはアイコンとしての人形バービーというよりは「まだ大人になっていない女の子」、つまり本作が話を伝えたかった層に見える。

 

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