TAR/ター  〜作り手と人格と(1)

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ストーリー:世界最高峰のオーケストラの一つ、ベルリン・フィル初の女性首席指揮者、リディア・ター(ケイト・ブランシェット)。現代最高峰の音楽家となった彼女はセルフブランディングにも長けていた。ベルリン・フィルではマーラー交響曲第5番の仕上げにかかり、自叙伝の出版も間近だ。そんなセレブの彼女に、かつて指導した若手指揮者の死が伝えられる。それは危機のはじまりだった....

ベルリン・フィルの首席指揮者ってどのくらいのステータスなのか。あまり分かっていない。でも1882年の設立から歴代11人しかいないといえばビッグネームの指揮者でもそうそうなれるポジションじゃないだろう。30年以上芸術監督と首席指揮者だったカラヤンは別格としても、10年以上在籍する指揮者も多いのだ。人選は、オーケストラのメンバーによる。最高峰の演奏家たちが認めた指揮者、それにたぶん運営や支援者に長いあいだ支持される政治力というか、そんな能力を兼ね備えた人たちなんだろう。監督トッド・フィールドは脚本段階からケイト・ブランシェットをイメージして、彼女が役を引き受けなければ実現しなかっただろうと言っている。

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主人公の芸術的才能はだれもが認める。でもパーソナリティはほめららたものじゃない。それが原因でおこるあれこれが、彼女のキャリアを崩壊させてしまうのか....ストーリーはその1点だ。キャンセルカルチャー、クラシックの世界は知らないけれど、映画界でここ数年さらに加速した動きになってる。巨匠クラスでも、早くからキャンセルされていたロマン・ポランスキーはおいといても、ベルナルド・ベルトルッチイングマール・ベルイマンルキノ・ヴィスコンティたちが、若いキャストへの性的な暴力だったり自分の私生活で、名作も素直な評価がしづらくなった。巨匠じゃないが園子温(当ブログでもたびたび取り上げた)はメジャーな作品は撮りにくくなったんじゃないだろうか。発言や振る舞いで、一時的にせよ仕事から外される作り手や演じ手は数え切れない。元々アウトサイダーラース・フォン・トリアーはこちらもおいといても。タランティーノだって一時は危機に陥っていた。

作品そのものが、芸術的な価値は変わらなくても、受け入れる社会の感覚が変わって「だめでしょ、これ」となってしまうことも、いや最近は「現代の意識に照らし合わせて批判的に再解釈」みたいなスタンスはむしろ多いのかもしれない。ただ本作はそっちの話は前面には出てこない。バッハを嫌がる音楽学生も「白人のヘテロ男性で生涯何人も結婚して多産で...」とベルイマン批判めいたコメントだ。監督はターに芸術そのものと芸術家のパーソナリティーは分けようよ、将来自分が属性で評価されたいの?と言わせているけれど、判断は観客にまかせていると思う。

それにしてもセレブたちがキャンセルされるテーマのほとんどって、結局は性の問題なんだよね。パワハラ的問題もあるだろうけれど、セクシャルな面がからむことが多い。それって当たり前のようで当たり前でもない。ワインスタインやエプスタインはともかくリスクがあっても止まらない性衝動がある人の比率は、時々いわれるみたいに成功者に多いのか、社会的パワーのおかげで抑制が弱まるだけで大抵の人にその欲望が内在してるのか...あるいはセックススキャンダルがメディア的に取り上げられやすいということなのか。

本作もそうだ。主人公はレズビアンをオープンにしている。そして彼女は権力者だ。コンサートマスターの女性ヴァイオリニストは長い付き合いのパートナー、アシスタントは次のポジションをほのめかしながら使う若い女性、抜擢する新しい演奏者も一眼見て気に入ったロシア人の若いチェリスト。そして危機の原因になった若手指揮者の女性も、一時は親密だった雰囲気なのだ。

女性でこんなワインスタイン的なキャラクターは珍しいだろう。権力を持った女性のこういう衝動、リアリティはあるのかな。いや本作についていえば、「最高峰の音楽家」という設定、セクシャリティも、主人公の設定すべてが物語のための、なんていうか「概念の人格化」といってもいいのかもしれない。それを1人のリアリティある人間として見せられるケイトの力というか。

といわけでテーマ的な話ばかりになったけれど、それが生々しく前面に出てくるつくりじゃなく、実に不思議な雰囲気をたたえた、時には夢幻的ともいえるような映像とリズムと、そして音響だ。象徴劇的なモチーフも多い。主人公が音のスペシャリストで、よけいなノイズに敏感な人という設定だから、音楽じゃない音を演出の中央に持ってくる使い方も多い。ちなみにあるシーンでは強者の象徴みたいだったターが「こわれて」急に裸踊りみたいになる。ケイトの若い頃の『あるスキャンダルの覚え書き』で、やっぱりスキャンダルでメンタルを追い詰められた彼女が突然セクシースタイルになるのを思い出した。