TITANE & RAW

■TITANE チタン

<公式>

ストーリー:アレクシアは子供の頃から車を愛していた。自動車事故で頭蓋にチタンプレートを埋め込まれた彼女はダンサーになる。事件を起こし指名手配になったアレクシアは家を飛び出し、失踪した少年になりかわって奇妙な消防士ヴィンセントの息子として、消防署の一室で暮らすようになる。少年のふりをしていたアレクシアだったが身体の変化がだんだんとはっきりするように...

2021年カンヌ・パルムドール受賞。監督ジュリア・デュクルノーの長編2作目だ。初期作の『Junioir』から3本まとめて見ると、ここまでの作品は1つのコンセプトの変奏曲だとわかる。「身体変容」で似たイメージがある塚本晋也の初期に似て、この作風・コンセプトで作り手としての位置がはっきりする。その「色」は最上級に濃い作り手だ。

作家としての色を属性から決めてかかるのはあまりいいやり方じゃない。ただ、デュクルノー監督は女性作家としての立ち位置をはっきり出しているタイプだ。女性視点から見た関係性や生きにくさ、みたいなものを描く『プロミシング・ヤング・ウーマン』『あのこは貴族』『燃える女の肖像』の作り手とも少し違って見える。

この例え、いいか分からないけど、昔から「女には分からない、男ってこういうもの」的映画はくさるほどあった。ヤクザ映画、青春映画、あと例えばペドロ・アルモドヴァルや塚本晋也のシュールな想像力も男性のある種の生理やオブセッションだろう。彼女はその逆をやっているように見える。昔のヤクザ映画が男性観客をターゲットにしていたみたいに女性観客に限定するつもりはないだろうけど、女性観客が「自分たちには分かる」と思える部分を感覚として正面から伝えているんだと思う。

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描写は大体メタファーで、シュールとも言える行動や特殊効果で見せる身体変容で語るから、男性であるぼくは頭で「これは独特な身体感覚をビジュアライズしてるんだ...」と考えながら、完全に感じ取ってはいない気がする。もちろんその感覚を受容しきれなくても、描写の鋭さや物語の新鮮さが十分に観客には入ってくる。

監督の作風で一貫しているところ、色々あるだろうけど例えば。

①見られる身体じゃなく、生物としての自分の身体

映画の中の俳優たちの身体は老若男女問わず見られるものとしてある。若い女性はしばしば狭い範囲の「美しさ」のビジュアル化として撮られてきた。本作の序盤、ヒロインはセクシーダンサーで、ベタに「見られる身体」をやってみせる。でもそこから、自分でありながら変容する生物である身体の描写になっていき、性的な喚起力を完全に消していく。

②女性の身体的な攻撃性

ヒロインは簡単に人を殺すタイプだ。暴力は性的な何かの時に起きる。それは男の暴力性への復讐だけじゃない。彼女が誰かと親密になるシーンがあるとヒヤヒヤするのだ。今までは女性の性的な経験は、身体的な痛みや傷つくことにつながる描き方が多かったと思う(「女を武器に」系は別)。ここでは完全に逆に描いている。

③身体表現で液体がモチーフになる

本作では「黒い血」めいたものが一つのモチーフになる。それは「車」がキーでもあるだろうし別の象徴があるかもしれない。『RAW』は分かりやすく真っ赤な血。初期作『Junioir』から濃厚に液体がモチーフだ。コントロールできない身体性を流れる液体で表現する。

https://ogre.natalie.mu/media/ex/film/189165/flyer_1.jpg?imwidth=350&imdensity=1

(C)KAZAK PRODUCTIONS - FRAKAS PRODUCTIONS - ARTE FRANCE CINEMA - VOO 2020

via natalie

それにしても本作ヒロインの「車に性的に惹かれる」設定はなんとも面白い。昔からあるステレオタイプではマチズモの象徴である(男の)車とセクシー美女の組み合わせはよくある。序盤であえてベタに見せているのがそれだ。逆(車を女性に見立てる)もある。『クリスティーン』はそれだ。本作の車は持ち主である男を排除してそれだけで性的に存在している。『クリスティーン』の逆なのだ。

ラストは前作までになかった展開が起こり、あまりにも続編がありそうな空気感で終わっていく。初老の男性ヴィンセントのあり方や2人の関係性など、全般にダークな笑いが横溢している映画でもある。監督は巨匠デヴィッド・クローネンバーグを引き合いに出すけれど、ちょっとラース・フォン・トリアーっぽい感じもある(立ち位置は逆の極ながら、似ているところも感じる)。

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■RAW 少女のめざめ

<公式>

ストーリー:16歳のジュスティーヌは神童といわれ、飛び級で獣医科大学に入学する。両親は卒業生、姉は在学中だった。大学の寮に入りゲイのルームメイト・アドリアンと暮らそうとした彼女を襲ったのは上級生たちの野蛮な新入生歓迎の伝統だった。頭から動物の血を浴びせられ、ウサギの生の腎臓を食べさせられる。ヴェジタリアンとして育てられた彼女の何かが変わりだした....

本作の公開は2016年。『TITANE』にも出ていたギャランス・マリリエが主演。彼女は日本で例えれば誰だろう....橋本環奈とかかもしれない。優等生感があって小柄で撮影当時は10代、まだ少女っぽさがある。本作は青春もの+ホラー。紹介でも書かれているかように、身体変容とカニバリズムがモチーフだ。

主人公の美少女が口の周りを血で染めるビジュアル、ヴァンパイアものの『僕のエリ、200歳の少女』に近い何かを感じた。女性の中に獣的な欲望があって、それは男を喜ばすような都合のいい物じゃなく、ストレートに加害するものなのだ。『TITANE』にも加害性は引き継がれていた。でもTITANEのヒロインは特別な変容(金属の内包)をすでに受けている。本作はごく普通の大人しく見える女の子に内在するものとして描く。

ヒロインの変容はsexへの踏み込みのメタファーでもある。さっきも書いたみたいに多くは心も身体も傷つき、痛む経験として描かれてきたそれを、監督は(もちろん傷つきも痛みもありつつ)攻撃性が生まれる変貌として描く。それは監督の感覚なのか立ち位置なのかは分からない。たんなる被害者として描くことを断固として拒否しているのはたしかだ。

とにかく生理的にヒヤッとする描写が多いからなかなかにエッジーな作品だけど、じつは姉妹・親子のファミリードラマでもあるし、学園もの(アメリカでよくある「フラタニティーもの」)っぽくもある、巣立ちのドラマでもあるし、スリラー要素もあって、案外まとまりのいい話になってるのが意外だ。

 

この映像は監督の初期作短編『Junioir』。主演は『Raw』と同じギャランス・マリリエ。初期作品だからすごく分かりやすい。ローティーンの少女が変容して女として一段変化する瞬間を、「脱皮」のメタファーで描く。不気味要素はあっても青春学園ものの比重が高い。主人公の少女が喧嘩っ早くて、同級生男子を攻撃する側でいるのが、後にもっとエクストリームになっていくところなんだな、と思わせる。