サー・リドリー・スコット2作

リドリー・スコット。作品はwiki情報だと28作ある。半分も見ていないけれど、代表作『エイリアン』『ブレードランナー』はもちろん『テルマ&ルイーズ』も『ブラック・レイン』も残る何かがあったし、近作の『悪の法則』のドライな悲劇描写も好きだ。そして2021年、コロナ禍の中、得意の早撮りで年間にこのボリューム感を2本だ。

■ハウス・オブ・グッチ

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ストーリー:1970年代のイタリア。運送屋社長の娘パトリツィア(レディー・ガガ)は巡り合ったグッチ家の御曹司マウリツィオ・グッチ(アダム・ドライバー)をがっちりと掴まえる。2人は結婚。マウリツィオの父(ジェレミー・アイアンズ)は反対でも、商売人の叔父、アルド(アル・パチーノ)に気に入られた2人はグッチのビジネスの核心に近づいていく。パトリツィアの野望はその先へ・・・

ハイ・ブランドの世界でLVMHと並ぶグッチ・グループ。本作はグッチがファミリービジネスだった時代の最後を描いた。実話のスキャンダル(警察沙汰)の映画化だからライバル企業の嫌がらせ企画かと思ったけれど、グッチグループが協力もしてるらしい。ファミリーはとっくに切捨ててるから問題ないのかな。

本作、とにかくアッパーな映画だ。コメディ演出がベースでところどころはっきりと笑える。だいたい、全員巻舌の「イタリア風英語」で喋ってるしね。それに「成り上がり一代記」「悪女のピカレスクロマン」「ファッション業界の内幕」「上層階級の暮らし」・・・グラマラスであがる要素が多いのだ。画面もきらびやかだし、当時のグッチのオリジナル衣装がバンバン出てくるし、70年代後半〜80年代前半のヒットソングがかかる。選曲は意外にも監督がかなり自分でやっているらしい。

曲でいうと、最近対位法的な音楽の使い方ってますます増えた気がする。黒澤明が得意だったといわれる手法で、緊迫した犯罪シーンに流麗なクラシックを重ねたり、映像と音楽のエモーションをわざと違うものにするのだ。この辺りが代表。エヴァンゲリオンシリーズでもよく使う。本作も対位法まではいかないかもしれないけれど、欲望が爆発するセックスシーンに「椿姫」を重ねたりして、笑える演出でもあるし、どことなく皮肉な雰囲気も漂っている。

グッチ家のゴタゴタ、じっさいは父・叔父世代にもあと3人兄弟がいて、父にも叔父にも別の子がいて(婚外子もいて)いろんなプレーヤーが入り乱れて覇権争いをしていたらしい。本作はパトリツィアがグッチ家に入り、夫を操縦しながらライバルを排除していき...という悪女の人生、的なものになる。

レディー・ガガが実にいい。メディアで見る彼女はコスチュームやメイクアップで素がわかりにくいけれど、本作では超越的な雰囲気じゃなく、ちょっと失礼だが「庶民派」と言いたくなるオーラを見事に出している。それで肝の据わった感じはある。だから上の階級に入って(内心では見下されながら)ぐいぐいのして行くキャラクターにすごくハマりがいいのだ。夫役のアダム・ドライバーも見方によっては冴えない雰囲気をうまく引き出されている。実物の夫婦はこんな感じだ。

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from: Till Death Do Us Part | Lady Gucci: The Story of Patrizia Reggiani /discovery plus

リドリー・スコットの現場では多数のカメラをセットして、いろんな方向(や、多分ロングもアップも)一度に撮る。テイク数は少ないらしい。アダム・ドライバーは、俳優はカメラをあまり意識しなくなり、舞台的な気持ちで演技するようになるんだ、と言っていた。インプロビゼーションも出やすくなると。もちろん、明らかに役者を間近で追いながら撮ってるシーンもある。

名優エマニュエル・ベアールは「映画の俳優は、カメラの置き方で監督の意図を読み取って、演技を考える」と言っていたことがある。カメラ1台とかで撮る場合のことだろう。本作はずいぶん違うアプローチだけれど、でも俳優たちは演技しやすいんだね。アル・パチーノジャレッド・レトもちょっと大袈裟で抜けのいい芝居だ。

ちなみに日本人観客には別種の感慨も用意されている。

 


■最後の決闘裁判

<公式>←と呼ぶにはあまりに貧相な

ストーリー:14世紀、百年戦争下のフランス。領主の娘マルグリット(ジョディ・カマー)は騎士カルージュの妻になる。カルージュが戦地に出ている時、彼の旧友ル・グリ(アダム・ドライバー)が屋敷に訪ねてきた。強引に上がり込んだ彼は無理矢理想いを遂げる。被害を訴えるマルグリットと無実を訴えるル・グリ。裁判はカルージュとル・グリの決闘で決まることになる・・・

『ハウス・オブ・グッチ』と比べると残念ながら世界的に当たらなかった。大コケといった方がいいだろう。アメリカ市場でMCUとかワイルドスピード的なの以外の大作は(本作の製作費は100億くらい)存在できなくなってきているといわれるけれど、それを証明してしまってるような成績だ。撮影はコロナ直撃で中断し、公開もコロナの影響を受けただろう不運もある。日本ではほとんど劇場公開していないからか、公式サイトは存在しないも同然だ。

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ぼくも配信で見ている。大作らしい風格ある画面で、実物の古城でロケした『ゲームオブスローンズ』みたいな豪華な中世的風景とドラマだ(史実ベースだからドラゴンはいないけど)。エロも残虐シーンも抑制的で、ようするに「堂々たる」と言いたくなる歴史映画だ。

ストーリーは史実を元に、出演している(製作にも入っている)マット・デイモンベン・アフレックが中心になって脚本を書いた「RASHOMON」スタイルの物語。ここが面白さのコアでもあるし人によってはドライブ感がないと思うところかもしれない。

黒澤の『羅生門』は一つの事件を複数の関係者視点で見ると全然違うものに見える、という語り口だ。目まぐるしいストーリーとアクションで観客を振り回して連れて行ってくれる物語じゃなく、同じ物語を何度も見直して咀嚼して得られる、発見の楽しさだからダイナミズムは少し欠けるかもしれない。

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あと、3者の視点、カルージュ、ライバルのル・グリ、そして被害者でもあるマルグリットの語る真相の違いには事実レベルのはっとするような差がなく「お前から見ればそうだろう」的違いなのが、このスタイルにある意外性に欠けている気も若干した。自分の好みでいえば、複数視点スタイルはA視点で見せなかった何かがB視点やC視点であらわれて、最後に全貌が理解できるのが好きだ。『その土曜日、7時58分』みたいなね。

本作、出来事はだいたい最初に見せられていて、立場によって捉え方が違う、という描き方だ。それが狙いなんだろう。ライバルとはいえ男2人がなんだかヒロイックに捉えている自分たちの物語は、女性から見ると全然そういう風には見えてないよ、という今の時代の反省を込めている。

2019年火災で大被害を受けたノートルダム大聖堂の建設中の姿がパリ風景のシンボルとしていつも映っている。大聖堂って場合によっては何百年もかけて作る。実際は物語の時代には完成していたけれど、再建中の大聖堂へのオマージュも込みでこの風景を入れたのかもしれない。

■画像は予告編からの引用

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