街の上で

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ストーリー:荒川青(若葉竜也)は下北沢の古着屋で働いている。彼女の雪(穂志もえか)に振られたばかりで未練たっぷりだ。でも色んな女の子が彼に声をかける。古書店の店員冬子(古川琴音)、大学で自主映画を撮っている町子(萩原みのり)、映画サークルの1人イハ(中田青渚)それに名前も知らない女性たち。みんな「好き」と言ってくれるわけじゃないけれど、青の下北の日々はそれなりに....

なんだか久しぶりに幸福感あふれる映画を見た気がする。こんな日々のなか、それだけでも作り手と公開館にありがとうと言いたい気分だ。 どんよりした現実世界の中で描かれる楽しげな東京。タイプは違うけれど2011年の『モテキ』をちょっと思い出した。下北沢、大昔、服屋で店員バイトをしてたことがある。普通にふらっと大物ミュージシャンがやってきたりして、今も昔も下北は下北なんだろう。

 

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監督は今泉力哉。本作はとても小さな作品だ。下北沢映画祭から下北沢を舞台にした映画制作を依頼されて、オリジナル脚本で『愛がなんだ』の直後、2019年に撮られた。2020年公開予定が、コロナ禍で今年に延期になったのだ。制作期間は1年程度、室内も屋外も下北沢ロケ。そんな外形だけじゃなく、物語の世界もとてもささやかだ。

物語はスケッチ風で軽いエピソードの積み重ねだ。「青が町子の依頼で自主映画に出演する」というのが一応ストーリーの骨格になっていて、登場人物もエピソードも上手くそこに絡んで集まったり散ったりする。出演者それぞれに、感情の起伏やぶつかり合いもあるんだけど、コメディの中に回収されて、観客の心を逆立てたりしない。

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そのぶん役者たちはとても魅力的に撮られている。登場人物も、例えば女性はそれぞれキャラクターが描き分けられているけれど、物語上の役割類型というのじゃなく、「こういう人」という人物像が役者の雰囲気と一体化していて味わいがある。主演若葉竜也中村俊輔風の髪型で表情が掴みにくいのもあいまって、人物像も感情もじつに中間色的な演技を見せる。

正統派のコメディ演出も楽しい。役者の表情とセリフと間だけで笑わせて、サウンド効果も画面のエフェクトもハイテンション演技とかもない。独特の見せ方をする『勝手に震えてろ』『私をくいとめて』の大久明子とは対照的だ。

監督はセリフの上手さに定評があって、人物がうまく言えていない風のしょうもないセリフもすべて脚本通りらしい。予告編の冒頭にある青とイハの長回しトークはとにかく凄い。芝居のための長回しでは『ぐるりのこと』の夫婦の凄絶なシーンがあるけれど、本作はなんでもない、そんなに空気が変わっていくわけでもない対話が、ほとんどドキュメンタリックに見えるくらいに続く。

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それにしても、本作の幸福感はなんだろう。もちろん主人公が割と甘やかされているストーリーなのもあるし、ギャグ混じりの柔らかい語り口のおかげもある。でも何より本作は「いま」しか描いていない、それが1番の理由じゃないかと思う。少し視点を引いてみれば主人公青に明るい未来があるかどうか分からない。女性たちだって同じこと。ていうか今の日本で将来を考えると手放しに楽天的になれる人は少ないだろう。

本作では徹底して現在しか語らない。未来への視点はまったくない。過去もせいぜい男女の恋バナで出てくるくらい。例外は不在の登場人物、物語がはじまった時点で死んでいる古本屋の店主(冬子の愛人)だ。ひたすらに「今」なのだ。観客にもそれとなく分かっている。この物語は一瞬の素敵な時間のスケッチにすぎない。でも、だから、その時間は、丁寧にやさしく幸福なものに仕上げられる。

それでも本作はすでにはっきりと「過去」になっている。工事中の下北沢が映り込んでいて、2021年の今もう変わってしまった風景もある。「今」を繊細に撮れば撮るほどその作品がすぐに「過去」になってしまうのはしょうがないこと。監督は明確にセリフで青に言わせている。「街もすごくないですか?変わっても無くなっても、あった、ていうのは事実だから」。監督は2019年の下北沢の一瞬をそういうものとして撮った。だから「今」しか語らない。物語の中にノスタルジックな描写はなくても、見た後には強烈な懐かしさを感じさせるのだ。

そういえば冒頭、青が夜の街を歩いてラーメンを啜るシーン。なぜかその啜る音がASMR的に強調されていて一瞬ぎょっとした。あれは何だったんだろう。

■写真は予告編からの引用



 

 

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