野良犬


<予告編>
ストーリー:新人の刑事村上(三船敏郎)は、満員のバスの中で拳銃をすられてしまう。スリ担当の部局にはベテランの佐藤 (志村喬)がいて、捜査に協力してくれることになった。村上は、スリグループを糸口にして盗品の転売屋、拳銃を買ったらしい男へと行方を追っていくが、恐れていたことが起こる。盗まれた拳銃を使った犯罪が発生したのだ…..

黒澤明、1949年の作品。刑事ものの古典といわれる一本で、だからフォロワーである色んな刑事ものを見てきたぼくたちには、逆に見慣れた展開やシーンがあるとも言える。詰め将棋的に捜査を積みかさねる感じでまっすぐ犯人へと向かう。この辺の感触は『天国と地獄』の中盤にもにている。時代は60年以上前でも、野球のスタジアムが舞台になったり科学捜査もあり、アイテムは現代劇につながっている。2013年にTVドラマにもリメイクされている(ストーリーはかなり違うらしいが)。
ハリウッドリメイクがあったとしたら、まずは佐藤=モーガン・フリーマン。はなしはそこからだろう(まぁ現役刑事だと15年前だがな...)。そもそも顔がほぼ同一との声が各地で絶えないわけだが、存在具合も同じといえよう。『セブン』での、若手刑事役ブラッド・ピットとのコンビも、直接参照してるかはともかく、ふまえたつくりだよね。志村喬は『生きる』でも途中から急速にソウルフルな顔になっていったし、『悪い奴ほどよく眠る』では地味な中間管理職役だったのが、突然ドン・キングばりにファンキーになった(あくまで見た目が)。先輩の佐藤は村上にヒントを与え、筋道をしめし、一緒に付き合い、とちゅうでは自宅によんで(たぶん当時貴重品だっただろう)ビールをふるまって家庭人としてのロールモデルにもなって、そして定石どおりに終盤ではある意味村上をひとりだちさせる展開になる。

先輩刑事がモーガンだとすれば、新人刑事はブラピよりもジョシュ・ハートネット的な多少子供っぽいくらいまっすぐな若手がいい。若い頃のディカプリオでもいいか。公開当時29歳の三船は、まだ顔が細く(途中から急速にどっしりした幅広の顔になったが)、びしっとした2枚目の裏表のなさそうな青年だ。戦後の雑踏の中におくときわだって体がでかく、その体で最初と最後のシーンでは犯人を追ってひたすらに走る。
最初の舞台になるのはどこだったのか、海に近そうな平坦な集落で、貧相な建物しかない、空と地面が広い風景。最後の舞台は練馬区大原の住宅地で、緑が多い郊外の風景だ。庭が広い家の中から奥様が弾くピアノの音が聞こえてくる。この映画、そういう楽しみが最大限できる一本でもある。つまり1940年代の戦後すぐの東京の風景のドキュメンタリーでもあるのだ。
村上が帰還兵に変装して盗品拳銃ネットワークを探すシーンでは、えんえんと闇市シーンが映し出される。鈴木清順肉体の門』みたいな60年代の回顧ものじゃなく完全に同時代の戦後期だ。転売屋のボスを追うシーンでは満員の観客で試合中の後楽園球場にカメラを持ち込んで、川上や青田といった当時の有名選手もドラマに取り込んで、スタジアムものの緊張感の走りになっている。

ちなみにプロ野球は戦後ものすごく早く復活した。終戦からたった3ヶ月後にはエキビジションとして東西対抗戦が開催され、1946年春には正式にリーグ戦がはじまっている。この映画公開の1949年は球団が増えて2リーグ制になった。もちろんこれはベースボールの母国が占領政策を取り仕切っているのがおおきいだろう。
ぼくは子どもの頃、なぜか昔のプロ野球選手やメジャーリーグ選手に興味があってそういう本を読みあさっていた。われながらへんな趣味だが、そのせいでいまでも戦後すぐの選手たちの名前がわりとおなじみなばかりか、エピソードまでかすかに思い出して、不思議な懐かしささえ感じるのだ。藤村や大下はもちろん、藤本、野口、若林、呉、土井垣......
ま、それはとにかく、現実の映像も織り交ぜながら、しかし黒澤流、かつ三船敏郎的な骨太すぎるドラマ部分は、必要以上にリアリティを重視せずに分かりやすく話を見せて行く。
オープニング映像が有名で、タイトル直球で苦しそうにはあはあいう犬のアップだけがひたすら映される。むかしのシュール系映画みたいでもある。その「野良犬」は佐藤のセリフにでてくる。犯人のことをいっているのだ。犯人やそれを生み出した世間に必要以上思いを寄せないで、淡々と解決することを村上に教えようとするベテラン刑事は、よけいなひねりもなく、動き回る犯人をシンプルにそう呼んだ。