アネット & ホーリー・モーターズ

■アネット

<公式>

ストーリー:人気スタンダップ・コメディアンのヘンリー(アダム・ドライバー)とオペラ歌手アン(マリオン・コティヤール)は恋に落ち、結婚。やがて娘アネットが生まれる。スター同士のカップルのいい時期は長く続かなかった。バカンスでヨットのクルージングに出た一家を嵐が襲う。やがてヘンリーはアネットの特異な才能に気が付く....

レオス・カラックスの映画を見たのは本当に久しぶりだ。『ポンヌフの恋人』以来。そういう人多いんじゃないか。実在の橋と周囲のパリの市街地を丸ごとオープンセットで作り、フランス映画屈指の難産映画として知られ...という『ポンヌフ』、外見だけとると、ジャック・タチの『プレイタイム』を思い出す。都市を描く映画って難しい。個人的には前作の『汚れた血』の方がずっと好きで、はっとするようなシーンがいくつかあった。

で、本作だ。カラックスは彼以降の年代の監督たちにいるように、ポップソングが身体に染み込んでいて、作品の中でも劇伴より効果的に使ったりするイメージがある。上の『汚れた血』クリップにあるディヴィッド・ボウイの『モダン・ラブ』シーンなんか有名だ。本作は70年代から活動している兄弟バンド、スパークスの原案による物語で、形式的にはほぼすべてのセリフが歌われるオペラ形式だ。

語られる物語と表現形式、見ているぼくたちが受け止めるその2つのバランスは、そうとう表現形式のほうがでかくなっている。簡単にいうと物語に没入できるタイプの映画じゃない。常に「こういう物語を表現する作品を見せられている」と意識しながら見ることになる。古典的オペラの観客もそうだよね。発表された時代はともかく、いまとなっては物語より歌い手の表現力や演奏に感動している。

どんな観客もいつの間にか映画の見方を身につけて、たいていの映画では、表現形式の1つであることは分かっていながら、それなりに物語に没入することができる。でもカラックスの作品はもともと表現の形ではっとさせるタイプだし、オペラという形式でますます作り物性が高まり、撮影方法も「映画づくりの苦労」みたいなのを前面に出すので、物語からはけっこう距離がある気がする。

https://ogre.natalie.mu/media/news/eiga/2021/1219/annette_poster.jpg?imwidth=300&imdensity=1

copyright; annette-film.com

というかオープニングで「ぼくたちみんなで映画をつくりましたよ!さあ見てね!!」とど直球で言っているわけで、「ロックオペラ映画を作り上げた」と言うところと、そんな映画作りへの挽歌にもなってるところが、実際は本作の最大のドラマといってもいいんじゃないか。スペクタクルシーンもあえて室内スタジオで昔風の効果を使ったり、俳優たちを(スタントじゃなく)バイクで疾走させて微妙にハラハラさせたり、全体にクラシックよりの見せ方が多い。これも映画作りへの追悼だろう。

お話自体は前半はロマンチックすぎる愛を見せて、「ああ、初期カラックスを思い出すぜ・・・」的気分になるけれど、後半はヘンリーのデモーニッシュな面が出てくる。ただしそこまで恐ろしく描いていない。というか表現方法が上に書いたみたいなので、笑える部分もけっこう多いのだ。半分は狙いだと思う。見せ方の最大のコアはあえて書かないけれど、公式にすべて載っている。「なんだこりゃ」と思っていたその表現形式が、ラストでひっくり返って強烈な物語効果を伝える。そこは痺れた。

ダークサイドに転落していく男女の姿を様式性が強い表現で描く(そして古い撮影技術で見せる)というところ、黒澤明の『蜘蛛巣城』をちょっと思い出した。アダム・ドライバージーザス感のある長髪から、最後は今まで見なかった短髪になり、違う役者みたいな表情を見せる。ちなみにアダム演じるヘンリーのステージシーンはコメディのはずだけど笑いとは全く無縁である。

 


ホーリー・モーターズ

ストーリー:オスカー(ダニ・ラヴァン)は迎えに来たリムジンに乗り込む。運転手は「今日は9つのアポイントがあります」と伝える。9つのアポとはオスカーがメイクして9人の別人になり演じる物語のことだった....

『アネット』から復習で見た。本作を見ると、カラックスの「映画を撮ることを表現として見せる」コンセプトがそのまま10年前の本作から続いていたことが分かる。本作はある意味『アネット』をもっと徹底したみたいな映画で、「このシーンは見ての通り役者が演じて撮ってます。そこで語っている物語に入り込むかどうかはどうぞご自由に」という風に見える。

『アネット』と同じように監督が自分で出演して、作品に導入するイントロの役割を果たす。そして盟友ダニ・ラヴァンがリッチな紳士から下水道の怪人、殺し屋、口うるさい父、死期が近い老人、そしてモーションキャプチャーのアクターなどに変化する。

それぞれのエピソードには全く連続性はなくて、しかも断片的に終わるのでバラバラになってしまいそうなものだけど、なぜか統一感がある。お話全体のフレームとして彼が楽屋として使うリムジンがあり、老女優が演じる運転手兼マネージャーがいる。

絵柄でいうとリムジンがすごく効いている。主人公に見えるくらいだ。リンカーンのストレッチリムジンがパリと郊外をぬるぬると走り回る。車内シーンはたぶん車より広めのセットで、昔ながらのリア・プロジェクション(窓の外の風景をバックに映写しながら撮る)だ。長さ8mくらいのはずだけど、異様なプロポーションでもっと長く見える。

本作ははじめから物語に没入させる意図がなくて、そういう意味でのリアリティの調整はしていない。現実があるとすればこの映画が実際に撮られている、という点だけだ。どことなく非現実的なリムジンはすごくそれにあっている。主人公に見える、と書いたけど、ラストを見れば全否定もできないだろう。

■画像は予告編から引用