聖なる鹿殺し(ヨルゴス・ランティモス その3)

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ストーリー:ティーブン(コリン・ファレル)は心臓外科医。妻アナ(ニコール・キッドマン)も開業医、娘キム、息子のボブのリッチな4人家族だ。スティーブンは少年マーティン(バリー・コーガン)と時々家の外で会っている。食事をごちそうし、高価な時計をプレゼントする。彼はスティーブンが執刀した手術で亡くなった患者の息子だったのだ。マーティンは家に招かれ、急速に距離を詰めてくる。ある日、不意にボブに異変が起こる。足が麻痺して立てなくなったのだ…

ランティモス、2017年の作品。なんでしょうね、違和感というか不気味さというかすっきりしなさというか、3本のなかでもきわだっている。どうじに映像のスタイリッシュさもさらに上がっている。物語は「家族と侵略者」モノともいえる。平和にくらしていた家族に不気味な異物がじょじょに入り込む。例がふるいけどスコセッシの『ケープ・フィアー』なんか典型的だし、『家族ゲーム』『淵に立つ』もその構造だ。

本作での異物は少年マーティンだ。最初は、可哀想かつイノセントな雰囲気が前面に出ている。主人公スティーブンがこっそり家の外であったり、優しくするから、別れた前妻との息子かと思ったくらいだ。でも同時に最初からえも言われぬ違和感もにじみだしている。バリー・コーガンアイリッシュだけど、どこかアジアかスラブの血がまじっているような目が小さい顔立ちで、感情が読みにくいキャラクターになり切っている。だから、主人公がかれを家に招く時点で、観客はなんとなくその選択はやばいんじゃないかとそわそわする。

マーティンは妙な社交性で子供たちの心をつかんでしまう。「家族と侵略者」モノの序盤にわりとある展開だ。家族にしっかりと入り込んだマーティンは急に距離を詰めてくる。しょっちゅう職場の病院にあらわれ、主人公を家に招き未亡人の母と接近させようとし、別の夜には主人公の家の前にこっそりあらわれ...

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そして物語は本題に入る。ボブが、そのあとキムが立てなくなってしまうのだ。食事も取らない。病院でどんな検査をしてもわからない。その意味をスティーブに告げるのがほかでもないマーティンだ。「あなたはぼくの父親を殺した。だからあなたも家族を失うんだ。歩けなくなり、ものを食べなくなり、目から血を流して、そして...」 サイコスリラー的な違和感をにじませていた少年はとつぜん超自然的な力をもったヒールになる。少年は1つのルールを告げる。主人公が1人を選んで命をうばわないと全員が死ぬのだ。

で、ランティモスのいつも通り、ルールのメカニズムや少年の力についてはいっさい説明されない。物語はとつぜん家族に降って来たルールの前で家族たちがどうふるまうのか、という話に変わる。家族のうちだれなら失ってもいいのか、という選択が課せられるのだ。

本作は、ふつうに見れば主人公が犯した罪(手術で人を死なせた)と報復、あるいは代償の物語だ。タイトルがギリシャ神話ベースなのも分かりやすい。だけど、復讐者であるはずのマーティンは、この災厄をおこすために何かをするシーンはなくて、ただそれを「知っていた」預言者めいた存在に取れなくもないのだ。ルールを告げてからはむしろ最初の不気味さが減り、何をするでもなく、超然とした傍観者になっていく。

もちろん、かれは一貫して家族に災厄をもたらす存在に見える。アナの前でスパゲッティをじつにいやな感じで食べるシーンがある。スパゲッティといえば『カリオストロの城』では命が復活する食べ物、『アデル、ブルーは熱い色』では主人公の生まれ育ちのしがらみのシンボルみたいだった。本作ではわざわざそのシーンと心理操作めいたセリフを入れて嫌悪感をかきたてる。

でも、かれは自分に好意をもってる美少女キムにはまるでジェントルなのだ。「家族と侵入者」モノでいえば、とうぜん子供に魔の手が伸びる展開は、いちばんぞわぞわする部分だ。まして娘ともなると…でも本作ではそこを広げない。というか、ジェントルさを強調しているくらいだ。ある意味かれはフェアなのだ。

むしろだんだんと怪物的になっていくのは主人公スティーブンだ。善良な被害者のはずの彼の罪があばかれ、暴力的な父権性が(『籠の中の乙女』につうじる)あらわになり、だんだんとクレイジーになってくる。物語は復讐とか家族と敵の対決というより、罪をおかした人々が、それをあがなうために別のいろいろな罪をおかさなければいけない、そんな世界の話に見えてくる。

ロケ地はシンシナティ。主人公がつとめ、子供たちが入院する病院はここだ。病院らしい長い廊下がなんどもシンメトリックに撮られ、エスカレーター下の吹き抜けを生かしたはっとするシーンもある。サウンドでは不吉さを強調しているけれど、いつもながら撮影は端正でスタイリッシュ。街のおちついた風景そのままの雰囲気だ。

■写真は予告編からの引用

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