ベルファスト & The Hand of God  映画作家の自伝と街と

ベルファスト

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ストーリー:1969年、北アイルランドベルファスト。少年バディは両親と兄、祖父母たちと長屋で暮らしていた。ある日プロテスタント住民の集団が、カトリック住民が多い通りを襲撃、車が爆発する。その日から道路は封鎖され、彼らの暮らしは落ち着かないものになった。ロンドンに出稼ぎに行く父はこの街を出ることを考え始める。でもずっとこの街で生きてきた母は街を出たくない....

祝、94回アカデミー脚本賞ケネス・ブラナー監督の少年期の半自伝である本作、思った以上にエモーショナルでまっすぐな作品だった。映画監督の自伝作品、最近だと当然『ROMA』を思い出す。エレガントなモノクロ画面で少年時代の街の風景を映し出すところも一緒だ。お手伝いさんの視点で語る『ROMA』と較べると、本作、語り手と物語の距離が近い。そして物語がとにかく直球だ。

極端にいうと「アイルランドの『ROMA』」というより「ベルファストの『ALWAYS 3丁目の夕日』」とさえ言えるような直球さがある。『3丁目の夕日』はある意味捏造されたノスタルジーだから自伝と比べるのもアレだけれど、本作でも過去の記憶を、たぶん観客が飲み込みやすいよう、分かりやすいエモーション込みでだいぶチューンしているだろう。

まず舞台になる路地だ。一家が住むアパートメント前の路地、かなりコンパクトな、長さ100mもない道路。ファーストシーンでは子供達がいっぱいに遊びまわって、大人たちはのんびり世間話している。その人口密度は明らかに映画的誇張で、長いワンカットで大人や子供のいろんな表情や思い思いの過ごし方を見せて、その後の....とコントラストを出している。

それから両親。監督自身「子供の頃の記憶では両親をじっさい以上に美化するものだよ」と言っている通り。役としては紛争の中で苦しい生活や子供の心配で頭が痛いお母さんと、不器用で競馬や酒が好きな大工のお父さんだから、味のある役者を配してもいいところだ。本作のお母さん役は元モデルの足が長い美女だし、お父さん役もベタな「労働者階級」風じゃなく、少し教養人的な雰囲気さえある、これまた元モデルのイケメンだ。まあでもここも切なさはあるんだよね。大人になって、今の自分より若々しい両親の写真を見る感じ。

そして9歳の少年に人生の味わいを教える祖父母。おばあさんは厳しいながらも優しく、おじいさんはちゃめっけがあって妻を愛し続けていて、同級生に恋したおませなバディに色々アドバイスをくれる。かれらが住む家は部屋の外の裏庭にトイレがあるような庶民階級のものなのだが、やさしいライティングで居心地良さそうに見える。

物語は、1960年代末から激化したプロテスタント系とカトリック系の紛争を背景にしているから「戦時の日常」のような暗い影も不安もある。でも前面にあるのはある種理想化された「生活は苦しいけれど、それぞれを思いやる、希望をもった若い頃の家族」そのものだ。上の世代がそれを柔らかく見守る。誰でも入っていけるし、共感できる人が多い、ウェルメイドな物語だった。ラストも予想できるけれど主人公が一歩大人にならざるを得ない、そのドアを開ける瞬間できれいにまとまる。

冒頭、今のベルファストの空撮から始まる。ヨーロッパ有数の造船所や工業地帯から都心部、そして同じ家がびっしり並ぶ下町の風景まで飛んで、ふっとモノクロに変わる。監督は今までフィルムで撮影してきたけれど、本作は予算規模もあってデジタルになった。中望遠のボケが綺麗なレンズと人物から空までピントが合う広角レンズが印象的で、とても美しい。モノクロはどこか抽象的になるせいか、ベルファストを知らない僕でも自分の育った街路に引き寄せて見られるところがある。風土って色に出るしね(今のベルファストの風景)。

作中、とても分かりやすく少年が見る映画の画面だけカラーにしている。希望の印でもあるし彼がずっと先に入っていく世界だ。

美化された両親がいちばん映えるのが、パーティーのシーンだ。バンドが入ってなぜかお父さんがボーカルを取り、お母さんは華麗にステップを踏む。お父さんが歌うのが『Ever Lasting Love』。アフリカンアメリカンのロバート・ナイトの曲だ。見ていて「アイルランドってR&Bがすごく愛されてるのかなー」と思っていた。昔の映画でアイルランドの若者がR&Bのバンドを結成する『コミットメンツ』を思い出したのだ。じっさいはこの曲、1968年にイギリスでカバーされて1位になっていた。お父さんは当時のヒット曲を歌っていたのだ。

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■The Hand of God

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ストーリー:1980年代、ナポリマラドーナSSCナポリに加入し街が話題騒然としている頃だ。10代の少年ファビエットは両親と兄と暮らす。父は銀行員でそこそこ裕福な暮らしだったが母は夫が愛人を囲っていると疑う。そんなある時家族を悲劇が襲う。ファビエットはそれでも未来に向かわなければいけない。「映画監督になりたい」そんな夢が彼を捉える....

映画作家の少年時代の記憶、それと固く結びついた故郷の街の記憶。もはや1ジャンルと言っていいくらい『ROMA』『Belfast』と同じ作りだ。監督パオロ・ソレンティーノ作品では『きっとここが帰る場所』を見た。割と奇妙で主人公が旅するアメリカの田舎の風景が印象的な作品だった。本作、イオンシネマで一時公開していた。『ROMA』の限定公開といい、イオンシネマにはだれかシネフィルの担当者がいるに違いない。だってアートシアター系とかじゃ全然ない、流通系シネコンですよ。

物語は事実に近いらしい。だとすると監督の人生自体、なかなかにフェリーニ的というかすでに映画的誇張された登場人物に彩られていると言わざるをえない。少年にはやけにセクシーな叔母がいる。旦那は裕福だが妻が家の外で遊んでいると思っていて暴力的だ。親戚のおばさんたちは誰もがでっぷりと太っている。男爵夫人と呼ばれるゴージャスかつ奇妙な老婆がいて少年たちの生活にも絡んでくる。スーパーマリオに似た言葉少なな近所のおじさんもいる。母はまともかと思うと深夜に絶叫したり、人をわざわざ雇って夫にドッキリを仕掛けたりする。上の『ベルファスト』の美化とは一味違った家族のビジュアルがここにはある。ちなみにお父さんは一見おじいさんに見えるのだが、実際は60そこそこで『ゴモラ』『湖のほとりで』に出演するイタリアの名優だ。

本作は主人公の少年が人生の目標を見つけて、大人に向かう話なのだが、青春もの的な同年代の恋愛や性愛の対象はまったく物語内に存在しない。少年の女性への興味は、すべて親世代以上の人物たちが受け止める。ここもイタリア映画の伝統めいたものを感じずにいられない。昔よくあったでしょう。少年が年上の女性教師に大人にしてもらう系の物語。

そして本作も監督の故郷ナポリが第二の主人公みたいに映される。冒頭シーンからすごく、空撮で海からナポリの丘陵地帯に広がる街が映され、カメラが寄って海沿いの道路を走る車を追い、また海側に向いて、地中海と沖合の島々が映される。非現実的なまでに美しい。その後も一家で行くリゾート地のパーゴラ下でのランチ、有名なカプリ島での休日、火山島ストロンボリ島の風景...ナポリというと近年行政が崩壊状態になって町中ゴミ屋敷化したニュースや映画『ゴモラ』的イメージだったけれど、監督は「いずれ出ていくしかない」といいながらも愛情を込めて美しく撮る(ナポリの風景)。

ちなみにタイトル『The Hand of God』はもちろんマラドーナ’86W杯での「神の手」ゴールに引っ掛けている。当時のまさにアイコン的存在だったのだ。5人抜きゴールのシーンもちゃんと出てくる。