関心領域 ー邪悪な庭園映画

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ストーリー:1940年代前半。ポーランドアウシュビッツ収容所の近く。所長のルドルフ・ヘスは妻と5人の子供、女中や庭師と小綺麗な家で暮らしていた。子どもたちは学校に、妻は子育てと庭の散策。ヘスは収容所へ出勤。家の中は穏やかな日常が.....

オープニングの印象は『悪は存在しない』と少し似ている。不吉な音響とも思える曲が鳴り響き、だんだんと環境音が侵入してくる。それから本題の映像になる。....本作を見る人はほとんどがどんな映画か知って行くだろう。僕も同じだ。オープニングからそんな構えで見始めた。でもたぶん何も知らないで見た方がずーんと来る。そんな導入部だ。

本作のテーマはアウシュビッツ収容所、その加害者側のドイツ人たちの描き方だ。アウシュビッツを描くときに、被害者や加害者を相対化して語ることはあまりにも難しい。だから作り手は「何にフォーカスして、どう描くか」の選択しかない。最近のこのテーマでは『サウルの息子』があった。「収容所で作業に協力させられる収容者」にフォーカスして、「彼の視点だけで収容所内を描く」という作品だった。本作もまた「撮り方、見せ方」がテーマとも言える。

見せ方についてはそこらじゅうで言われているから書かない。撮り方はたとえばここで書かれているみたいに、あえてカメラによるドラマチックな演出を捨てて、カメラマンの息遣いみたいなものが全くない映像の中で人々を観察するように撮影した。ちなみに独特な「見せ方」のおかげで話の全容が分かりにくいかというとそんなことはない。意外に丁寧に分からせるための描写やセリフを入れてきて、理解させるつくりだ。

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Two Wolves Films Limited, Extreme Emotions BIS Limited, Soft Money LLC and Channel Four Television Corporation 2023. via The Guardian

さて本作、僕にとっては久しぶりの「庭園映画」だ。映像の中の庭園や屋外空間におっと思わせる、そんな作品がたまにある。本作ではヘス一家の庭園はものすごく重要な機能を持っていて、極端にいえば主役と言ってもいいくらいだ。

まず、物語の中でヘスの妻ヘートヴィヒにとって、家の周りに何もないところから作り上げた庭はかけがえのない大事な空間だ。「何を植えるかも私が考えたんだから」と訴える。作り手は、当時ほんとうにヘス一家が住んでいた家を使って、当時の写真を見ながら、1940年代のドイツで植えられていた品種を確認しながら再現した。

芝生は綺麗に刈り込まれてさまざまな樹木や灌木や多年草が植え込まれる。19世紀末イギリス発祥のミックスボーダーといわれる植栽法だ。出来立ての庭園だから若い木や草花しか植っていない。樹木はトウヒ類やライム(ボダイジュ)。アップで映るのはツルバラ、ヒマワリ、ペチュニア、ダリア、マリーゴールド、ベンケイソウ....菜園もあってカブやハーブもある。奥には大きな温室があって観葉植物が育っている。ほとんどはドイツやポーランド原産じゃない、南米やアフリカから植民地化のついでに持ち帰ってきた品種だ。

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個人の想いがこもった素敵な庭園は、でも権力構造をそのまま形にしている。庭はその周囲から隔絶されている。周囲の環境からも、社会からも。庭で遊ぶ一家は塀の向こうに見えるものは見ないことにしている。塀の向こうは収容所なのだ。庭園は昔からパラダイスの代わりになってきた。それは不快なものの侵入を遮断することで可能になる。パラダイスと地獄、それぞれの住民は交わらないし、でも塀ひとつ隔てて隣り合っている。

庭園にはあるじが選んだ品種しか生育が許されない。「雑草が生えてきて嫌なのよね」と妻はこぼす。雑草は排除される。選んだ品種も、征服地から魅力があると思ったものだけ連れてこられて、そこに生息することを許される。実際に作業するのは地元の(あるいは収容所から連れてこられた)人々なのだ。分かりやすすぎるメタファーだろう。ちなみにドイツでは20世紀前半から自然保護の活動をしている組織や団体が政権をとったナチと近い関係になって活動していたのは有名な話だ(詳しく調査した本もある)。自然保護は排他主義につまみ食いされやすいところがある。

「みどり」は殺伐とした都市ではストレートに人々の快適さに結びつく。割とどこでも「善玉」として扱われがちだ。でも本作では、描かれる人々の、タイトル通りの「関心領域」を空間的にも内容的にも可視化してしまっている罪深い存在がこの庭園なのだ。外からやってきた人の中には「関心領域」の外から否応なく侵入してくる現実を無視し続けられず、耐えられなくなる人もいる。そんなふうにも見られる映画だった。

モデルになった収容所司令官ヘスの自宅はここだ。