ネブラスカ〜ふたつの心をつなぐ旅


<公式>
第86回アカデミー、作品賞・主演男優賞・助演女優賞脚本賞ノミネート。『サイドウェイ』『ファミリー・ツリー』のアレクサンダー・ペイン監督。
老人映画というジャンルがある。公開時に「新しい老人映画の名作誕生!」みたいな言いかたで打ち出されることはないけれど、独特の味わいをもとめて今日も老人映画はつくられる。このジャンルの基本トーンはやっぱりメメント・モリ的な、つまり死の予感(と現実化)が物語にいつもあることだろう。明るくても、戦っても、恋しても、振り返っても、もう一度やり直して見ても、ひょっこりと、あるいはひしひしと死の気配はやってくる。まえに書いたけれど、動きが少ない物語の中でそれが一種のスリルの持続にもなるし、微妙な陰影にもなる。
この映画はまさに「あらたな老人映画の佳作誕生!」だ。かなり衰えた(そしてややぼけた)おじいさんがある思い込みで無謀な旅に出る。ガセ感たっぷりの「あなたは宝くじに当たりました!」という手紙をまに受けて1000km以上はなれた街まで賞金をもらいに行くのだ。アメリカ内陸部の荒野を旅するおじいさん。『ストレート・ストーリー』に少し似ている。ちがうのは彼が自力ではどこにも行けないことだ。旅には道連れがいる。息子だ。観客をお話に連れていくのも息子の役目。だから序盤ではおじいさんより息子のくらしや仕事がていねいに描かれて、観客に人となりとか現状とかを理解しやすくしている。


おじいさんは、息子と観客がこれから観察して理解しようとする対象だ。旅の道連れでもあるし、息子が旅で発見するものでもある。おじいさんはなかなかじぶんを説明しないし、どこまで脳内が曇っているのか分からないからますます不透明な存在だ。老人映画でもたとえば『グラン・トリノ』とはぜんぜんちがう。あのおじいさんは自分で動き、自分で語り、話を引っ張っていくからね。年はとっていてもれっきとしたヒーローのキャラクターだ。それよりは、監督が小津安二郎を尊敬してるのは有名だけど、笠智衆のオブジェ的お父さんににている。
それにしても車の中で口を半開きにして眠っているおじいさん。顔の肉は落ち、まばらな白髪の頭は砂地にはえる草みたいに貧相でまとまりもない。老境の自分の父ににていて、なんとも言えない感じはあった。そんな状態の父を車に乗せて半日、希望するところへ連れていったことを思い出した。さすがに1000kmの旅に出られる体力はなかったけどね.....。

いまひとつ話がつうじないおじいさんが怪我をして(死の気配!)、息子は途中にある故郷の街に滞在することにする。そこにはおじいさんの兄家族がいた。口が悪い奥さんも微妙な成功具合の兄もやってきて、日常から離れる旅だったはずの物語は一転過去との再会になる。中年の兄弟は父母のまえで急にガキっぽくなる。ふるさとの家でもよおされる「親戚のあつまり」のえもいわれぬ空気感、そして宝くじをめぐるみにくいドタバタ、ぶれることないおじいさんの思い....。いつのまにかかれはオブジェなんかじゃない、老いた父以外のなにものでもなくなっている。息子はふるさとでさんざん傷ついたらしい父のプライドを、無力な彼のためにとりもどす。それをわかった時父ははじめて息子をじっと見るのだ。
そんなかれらのいる風景は、人々を取り囲むみたいな街や村の気配じゃなく、ぽーんとなげだされるみたいなだだっ広い内陸の平原だ。風景のちがいは話の雰囲気も変える。うまくいえないけど、循環する時間をすごして少しずつ老いていく(農村的なね)、というよりひたすらにどこかへ進んでいくしかない、なんだかそんなニュアンスになる。バニシングポイントにむかってまっすぐに伸びる道路をいく父と息子はそういう時間の中にいるみたいに見えた。