江分利満氏の優雅な生活


<予告編>
う〜ん、写真が地味だな。しかも上のときたらお母さんは三白眼、むすこは銃撃されたのかぐったりして、これじゃ日本の庶民版『グロリア』かと思ってしまうやろ。もちろんぜんぜんちがうし、だいたいお母さんがかまえているピストルは息子のおもちゃなのだ。1963年、岡本喜八監督のこの映画は、サラリーマンエッセイスト山口瞳のベストセラーを出版と同じ年に映画化したものだ。話題のうちに、っていうことだろう。年に何作も撮っているころだからフットワークも妙にいい。

まずはオープニングの数分にしびれなさい。高度成長期の風物詩「サラリーマンが屋上でスポーツ」のシーンなんだけどやけにダイナミックなのだ。ふつうはゆるいでしょ。昼飯のあと体動かしてるだけなんだから。でもここではバレーやバドミントンをプレーするサラリーマンやOLたちの動きにキレがありすぎて、しかも超短いカットでコラージュ風につないでいくのですごい躍動感なのだ。シメはどことなくセクシーなOLたちの集団ダンスに突入していく。小津の『秋日和』では2人のOLが丸の内のビルの屋上でほのかなダンスをするシーンがあるけれど、ぜんぜん違う。なんだろうあれは。

バブル時代のリゲインのCMみたいに、時代のいけいけな空気に乗ってこうなった風でもあるけど、ぼくには監督が「この世界」に何か入り込めないものを感じているように見える。エナジーにあふれすぎ、でも個ではなくて集団として存在するかれら。そんなひとびとの屋上運動会をある種異様なものとして見てる視線だ。そして同じように入り込めない主人公にズームしていく。

映画は原作「江分利満氏」をただなぞるんじゃなく、原作でデビューした山口瞳を主人公にしたドラマになっている。読んでいないから中身がわからないけれど、映画の中で彼が書くのは身辺雑記+自伝的エッセイみたいなものだ。飲んだくれサラリーマンのかたわら文章を書く主人公の姿からシームレスにエッセイの映像化になっていく。いわゆるおっさんのユーモア哀感系だ。物語内物語と外部の出入りがなかなかおもしろい。

お話はエッセイをたどりながら彼の過去、両親の話へといく。山師的な父に振り回されて莫大な借金を背負わされて、貧乏な中で結婚して、病気をもった妻や息子に苦労してきた人生だ。お金持ちの娘だった彼の母はあるところで人生をあきらめ、一足先に去っていく。そんな彼もサントリーの宣伝部員になって社宅を与えられて、「ふつうの生活」がキープできていることに自分で感心する。子どもにはピストルのおもちゃを買ってやり、自分は次にどんな家電を買おうかと夢見る。

小林珪樹が短髪に黒縁めがねですごくいい。ナレーションもじつにうまい。ぼくは年をとってからの彼しか知らなかったから、きまじめな人格者ふうの、あんまり面白くない役しか見たことないけれど、ここでは魅力的だ。「おれにはいろいろ欠けている」という自意識の、でも何かを中にたっぷりと抱えている男だ。ちょっとおどろくのは、彼の設定は36歳なんだけど(小林は40歳)、中年サラリーマンとしてのこの完成度はどうなんだ。昭和30年代なかばの日本人男性の平均寿命はすでに65歳くらいある。昔の人が大人びているのは確かだけど(古い写真を見ればわかる)こんなにも成熟してるのか……!? 

そして妻役の新珠三千代。このひとがまた魅力的なのだ。なんというかまぁ、男から見た理想の奥さん像なんだけど。いわゆる「よくできた妻」+子どものピストルで「バーン」なんてやってしまうちゃめっ気の可愛さだ。『洲崎パラダイス』のしゃきしゃきした元遊女もよかったけどふつうの奥さんもなかなかだ。そんなこんなで、たんなる家族のおはなしとしてもわるくなくて、主人公が直木賞を取り妻と息子が泣き出すと、ついついこっちまで鼻がつーんとしてしまう。いつも怪人ばかりの天本英世がいい同僚役で意外感もあってこれもいい。

ここで終わるとさすがにただのハートウォーミングストーリーだ。「お母さん、苦労して、家族にも苦労かけたけど、何とか物書きとしてやっていけそうです」じゃね。その先については書かないでおくけど、監督の思いが全面に出ているのは確かだ。

山口瞳岡本喜八はほぼ同年代。彼らが共鳴するのは20歳くらいの戦争体験からくる、戦争と、それを望み、それに乗る層への嫌悪感なんだろう。山口瞳の父親は軍需品まわりの商売で財産を作り、何度も破産しては次の戦争が起こるとまた稼いだ。原作者はそんな父へのシンパシーと嫌悪感と軍需でふとる経済への嫌悪と一体になった思いをはきだし、監督はエンターテイメントとしてはしょうしょう破綻するくらいにそれを観客に投げつけた。確信犯的に、観客がうんざりするのを承知でそれをぶつける。映画の中でも観客を代弁してげんなりしている下の世代を見せている。「いや、わかってるのよ」といいたげにね。はたして映画はみごとに不入りとなり、上映一週間で打ち切りになってしまった。

シメはまた屋上運動会のダイナミック映像になり、東京オリンピック目指して強烈にドライブがかかる建設産業の映像のコラージュがかぶる。この感じ。「終戦からもうすぐ20年。いまじゃ平和で建設的な活動がこんなにエネルギッシュに!」的メッセージを受け取れないでもない。でも、やっぱり距離を感じる。撮り手のね。
この映画、昭和30年代社宅ライフが舞台だ。都内のロケはあまりないけれど、質素なコンクリート造のテラスハウスがならび、家の前は砂利道がはしる川崎郊外の景色は、映像としても楽しい。建物はかわったけれど、いまでもここはサントリーの社宅のままだ。