ハッピーエンド


公式
ストーリー:南仏の街。二人暮らしだった母親が倒れた少女エヴは別れた父親がすむ南仏カレーの家で暮らすことになる。父は再婚し裕福な実家に戻っていた。家には再婚した妻と赤ちゃん、老いた祖父、父の姉アンヌは祖父が経営していた建設会社の社長。いちおう会社の幹部であるどら息子、それにアルジェリア系の使用人一家がいる。アンヌは会社で起きた現場の事故処理に頭を抱え、息子はまるで役に立たず、父は不倫していて、祖父は生きる希望を完全に失っている。少女のどこか孤独な日々は続く…

子どもと老人、「おとな」をすっ飛ばして両者が結びつく物語は多い。そもそも多世代が暮らす集団では子どもの世話は生産から一歩引いた老人の役目だっただろうし、物語的にも、ある意味社会の周縁部にいて、社会を回す責任に絡めとられていないイメージで描きやすい。それに、医療や公衆衛生が普及してない社会では、老人とならんで子どもの死亡率も高かったし、中心部にいる「おとな」たちと較べてどことなく彼岸に近い両者のイメージもある。
本作でも子どもと老人は「死」をめぐってつながるようになる。それは自分の死でもあるし、じつは他者の死でもあるのだ。自分の死。老人はすっかり厭世的になっていて、自殺願望に取りつかれている。なんども計画を立てるが思うようにならない。少女も急に環境が変わって、孤独感・疎外感につつまれる。唯一の肉親の父親も、不倫でべたべたのメールをやりとりしていた。離婚に続いてまた裏切られたエヴは発作的な死への衝動にとらわれる。


じゃあ他人の死はなんだろう。これは監督の前作『愛、アムール』を見ているかいないかで印象が変わるかもしれない。ぼくは見ていない。『隠された記憶』『白いリボン』は見たけど、2度目のパルムドールを取ったこれは未見。老夫婦の愛とある死の物語だ。で、前作の主人公 を演じたジャン=ルイ・トランティニャンが本作の老人役。前作にあった死の記憶を老人は引き継いでいるのだ。
そして少女。本作の冒頭は彼女らしき人が撮ったスマフォの映像風にはじまる。画面の中ではなにか薬物を飲まされたハムスターがぐったりしている。そして彼女はもうひとつ、薬物を飲ませた件をさらりと告白する。監督が日本のある事件にインスパイアされたというエピソードだ。
2人は死への願望とトライの経験をおたがいに共有し、他者の死にかかわった記憶もそれぞれに持っている。少女は告白しないけれど観客には共犯関係がにおわされるだろう。ほかの登場人物たち、父親とその家族たちのエピソードは、それこそ生きるためのもがきだったり、生きることにくっついてくるどうしようもない部分であったりだ。生きることに必死なほかの家族たちの軋みが一堂に会するのがラストのパーティのシーンだ。

そんなパーティから老人と少女が抜け出すシーンは、まったく希望にあふれたできごとではないけれど、どこか2人が孤独から解放されたみたいに見える。全体に引き気味のカメラで、淡々としたドライな描写だ。