ボーイズ・オン・ザ・ラン

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最初にいいわけめくけれど、ぼくは、花沢健吾の読者でも銀杏BOYZのファンでもない。主人公たちへの世代的シンパシーもない。そういう感覚でみた。で、ひとついえることは、もちろん基本的には若い世代をターゲットにした映画だと思うが、すごく伝統的な世界観や描写、キャラクターなどが盛り込まれていて、ふしぎなノスタルジーに満ちているということだ。原作者も監督も30代半ばで、このノスタルジー感はその世代にとって子供の頃の記憶に近いと思うが、普通にそれがあるというところが、どことなく不思議なのだ。
・・・正直、前半、不器用男が恋愛に盛り上がるパートはちょっと見ていてつらい感じで、結婚スピーチでだああとなるあたりは最初DVDをとばしてしまった。後半の展開とコントラストをだすためにも前半のもじもじした感じが必要なのは分かるんだけど。たとえば、はるかむかしの『パンツの穴』あたりから連綿とつづく、ある種伝統的ともいえる、田西の「勃ったちゃいました〜」的描写。結婚式のいたたまれないシーンも、どこか伝統をふまえた場面設定を感じる。だからそれを見てかきたてられる感情も予想がついてしまって、おもわずそのシーンを省略してしまったりするのだ。後半、ちはるちゃん(黒川芽衣)の背任が露見するあたりから一気にテンポがよくなってドライブする感じになってくる。
しかし、挙動不審なダメ男のはずの田西だけど、けっこうこれが幸せモンなのだ。第一、やっぱりルックスがいい。そりゃもちろん、格好わるいところは格好わるい。しかし峯田和伸、なんどか絶叫するときの怒鳴り声がさすが格好いい。あれができるならヘタレじゃない。それにモッズコートをきちんと着こなして、ダサくもない。それ以上に、田西にはいまどきユートピアでしかない暖かい会社がある。
社長もベテランのおじさんも同僚も後輩も、みんなが彼のずれた、あぶないといえばけっこうあぶない行動も受入れて、仲間としてふるまうのだ。初老から若者まで複数の世代が交流し合う、そういう意味でもノスタルジックなこの会社が、田西を全面的に(ここも話を単純化するためとはいえ、むしろ不思議な雰囲気をたかめている)受け入れているところが、この話のいわばセーフティーネットになっている。田西はけっして破滅しない。
田西には抽象的なかたちでしか家族がいない。わざわざお母さんと会話するシーンを入れたり、性的妄想の対象にさせて違和感をかきたてておきながら、お母さんの顔は映さない。ぜんぜん映らないよりむしろ不在感がきわだっている。この撮り方は、峯田のマザコン的な性格だけ説明したかった、としては意味ありげに感じ取れてしまう。深読みすれば、そのマザコン的な慕情がけっして満たされることはない、という暗示に受け止められなくもない(ちはるちゃんも母性的なキャラだ)。
とにかく、そんな実在感のない家族より、会社はずっといきいきした家族共同体的な集団だ。そこは彼の確固とした「居場所」だ。この映画ではやすらぎと暖かさはいつも会社の中にある。そしてもちろん、彼をボクサーとして成長させるメンター=擬似的な父親役も会社のなかにちゃんといる。これも丹下段平のように酒浸りのダメ男だ。この「だらしない老人と思っていたら秘めた力を持った老師」パターンは中国民話から続く師匠像のアーキタイプといっていい。小林薫はちょっとシャープすぎたかもしれないが(ダメさが足りない)、主人公といいコンビネーションにはなっている。
後半はドラマでもときどきあるサラリーマン企業抗争がそのままバトルに置きかえられる、わりと分かりやすい話になり、松田龍平がひょうひょうとその敵役をこなす。ここの全社一致で合戦ぽい雰囲気になるあたりもなんかノスタルジックだよな。松田龍平のひょうひょうとした暴力は何といわれようと父を思い出さずにはいられない。けれど格闘シーンはこの際もっと暴力的に戦ってみせればいいのにという気もする。
社長役のリリー・フランキーとしほ役のYOUは男女のちがいはあるけど、存在具合がほとんど同じタイプの人に見える。