寝ても覚めても

 

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ストーリー:朝子(唐田えりか)は麦(東出昌大)と出会った瞬間、恋に落ちた。2人は人目も構わず愛し合う。でも自由人の麦は突然消えた。2年後、東京で働く朝子の前に麦そっくりの男、亮平(東出昌大)が現れる。彼を拒否していた朝子はいつの間にか愛するようになっていた。結婚も考え始めたとき、消えたはずの麦が現れる。新進のモデル、俳優になっていたのだ....

公開は2018年。『万引き家族』と同時にカンヌに出品されてフランスではなかなかの評価....的なハイな位置付けと、その後の主演2人の不倫騒動の舞台というこれ以上ない俗っぽいレッテル付が共存する皮肉な1本になってしまった。濱口竜介監督の過去作は見ていない。共同脚本の田中幸子黒沢清作品(『トウキョウソナタ』『散歩する侵略者』)でお馴染みだ。

物語は出会いの時、その2年後、さらにその5年後という3パートに分かれ、間に東日本大震災が挟まる。

本作は恋愛映画だ。朝子の、2人の男を愛する気持ちの振幅が物語の中心だ。だけど、例えば『愛がなんだ』とか『勝手に震えてろ』みたいな同時代の作品と比べると、ヒロインと距離を感じる。2作の主人公は痛い。拗らせていたり、自己評価が低くて依存する恋愛だったり。だけど作り手は彼女たちに寄り添って、観客が(自分とは違うな、と感じたとしても)共感できる相手として描いている。

本作のヒロインは基本的に共感の対象じゃないし、それどころか理解の対象ですらない。レビューでは「ヒロインが意味不明すぎる」的な低評価も多いけれど当たり前。そもそもそういう構造の物語だからだ。じゃあ男性側が共感の対象かというとそうでもない。犯罪モノでもないのに、主人公3人がみんな共感の対象じゃない。外形はしっとり恋愛映画かもしれないけれど、なかなかにシュールとさえ言える後味が残るのだ。

麦と亮平はドッペルゲンガー並みによく似ていて、亮平は朝子の心が、自分にそっくりなもう1人にあるんじゃないか不安だ。そうだ、あったこういう恋愛もの!『タッチ』がそれだ。達也が頑張ってるところに和也が急に復活するみたいだ(そういえばタッチのヒロイン、南も意外に共感されてなかった)。

外見はそっくりだけど自分にない何かを持ったドッペルゲンガーが不意に現れて、大事なものを奪われる...映画だと『嗤う分身』があった。自分の愛する人を奪っていくのが、自分そっくりな存在、自分の敵=自分というのがこの構造のひやっとする部分だ。SFのテイストだし本作とはだいぶ違うんだけど、亮平から見たこの物語の不気味さは共通するところがあるかもしれない。

そんな感じなので、本作はじつはけっこう現実から遊離した物語だ。主人公たちの設定や描き方は堅実な若い男女風で、舞台の描写も派手さがなく、しかも実際にあった震災を物語に織り込んで、現実に引き寄せているみたいに見えるんだけどね。監督は、後半の決定的な場面まで、観客をいかにヒロインから離れさせず連れていくかが肝だったといっている。

観客に飲み込みやすくするためか、ありがちなドラマ的描写もわりとある。例えば主人公世代に対する、親世代の〈いい先輩〉感とか、亮平たちが勤めている会社での仕事描写とか、男女みんなが友達になるんだけど、なんだかんだこぎれいな役者たちで揃えていて、どこか平板に見えてしまう感じとか。あと、朝子と亮平が震災後ボランティアに通うシーンの地元の人たちの書割り感とか(監督は震災後のドキュメンタリー連作を撮ってるし震災を描くのには切実さがあったとは思う)。正直その辺は「いつものアレか...」と少し引いた。そんな中でごりっとした違和感が残るのは、朝子+友人と亮平+友人が会食するときに唐突に友人同士の演劇を巡る口論が起こって不穏な空気が充満するシーンだ。物語の中の機能はあるんだけど、謎の重量感だった。

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映像はところどころはっとさせられる。クリシェ的な印象は少ない。監督は超越的な視線=見下ろしの遠景ショットを使う。朝子と麦がバイクで事故るシーン、亮平と2人で車で東北に向かう高速道路のシーン、それから2人が川沿いを走るシーン。遠景で写す草むらや堤防や川も、シーンのつなぎというよりそれ自体で何かを語っているみたいに強い映像だ。朝子と亮平のシーンでは、亮平の不安定な立場を象徴するみたいに、長身の東出をいつも低いところにたたせて、朝子が見下ろす関係にしていたりする。2人の関係と、お互いの高さはすごく意識されている。

ヒロイン唐田えりかはオーディション採用だ。監督のイメージなんだろう。ヒロインは行動だけ見ればエキセントリックだ。でも「この子何かある」と一目で感じさせる感じじゃない。ある意味凡庸で自己表現も不得意そうな彼女だからこそ、行動とのコントラストが出るっていうことだろうか。東出昌大は...自由人・誠実な勤め人、どちらもキャラクターにはまってないように見えた。

■写真は予告編からの引用